良雄は出入りする人達のいる正面で立ち止まると、「よしっ」と自分に言い聞かせるように言って、ロビーに向かって歩いて行った。
妙な気分だった。鏡のように鳴った壁に自分のシルエットが映っているにもかかわらず、誰一人として、石ころのような帽子を被った良雄に目を留める者はいなかった。
ビルの屋上で半ば恫喝気味に指示されたのは、宝石店の店長宅に現れた盗賊の情報だった。一ヶ月ほど前の事件については、良雄も覚えていた。犯行予告を出す怪盗気取りの盗賊が、宝石店の店長宅で大きな騒ぎを起こしたというものだった。
逮捕者も、怪我人も多く出たという事件だったが、盗賊はどうなったのか、どうしてそれほどの騒ぎが発生したのかは、どのメディアでも触れずじまいだった。
Sガールは、その事件について、警察の資料が欲しい。と、そう良雄に依頼をした。
わかった。と、うなずいた途端、良雄はまた軽々と抱え上げられ、地上に降ろされていた。
「手に入れたら、どうすればいい」と、ズボンの尻を手で払いながら、良雄は立ち上がって言った。「あの男みたいに、ふらりといなくならないよな」
「あったりまえじゃない」と、Sガールは鼻で笑うように言った。「私に連絡するなんて簡単よ。空に向かって終わったぞって、そう大きな声で言えばいい」
「そんなことで大丈夫なのか?」と良雄は怪訝な顔をして言った。
「心配しないで」と、Sガールは髪を掻き上げながら言った。「あんたの声は覚えたわ。その声なら、どこにいてもすぐにわかるわよ」
――了解した。
と、Sガールとやり取りをしたことが、思い起こされた。
正面の入り口を抜け、目指すのは留置所だった。
そこに、宝石店の店長であり、騒ぎの元を作った工藤が、取り調べのために入れられているはずだった。
いくら人の目には見えないとはいっても、調書や写真のデータが入れられたパソコンに侵入するようなことは、できない相談だった。そんなスキルがあったなら、もう少し会社にいられたかもしれない。思わずため息を漏らしそうになった良雄は、あわてて息を飲みこんだ。
時間はかかるが、姿の見えない利点を活かして、騒乱事件の担当者が誰であるのかを調べ、使っているPCのパスワードとIDを盗み出し、人がいなくなるのを見計らってから、自分が担当者になりすましてPCを操作し、まんまとデータをコピーする計画だった、
整然とドアの並ぶ留置所のある棟に入ると、廊下の中程に腰を下ろして、なにか動きがあるのをひたすら待ち続けた。
こんな所に座っていても、埒があかないのではないか。長時間にわたって同じ姿勢で座り続けていると、つい自暴自棄になってしまいそうになった。
しかし、チャンスはそれほど苦労することなくやって来た。