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10年近くの仙台赴任を終え、2015年5月から大阪へ赴任中のオヤジの日記です。
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よっぱのときどき日記



タレントの枚数の違いなのかな…?

無敵艦隊復活?

by Oz


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「働くべき人がやらなきゃいけない事をきちんとやったらこうなる」
って感じだった。

なんだか日本は韓国に置いて行かれてしまった様な・・・
前大会での4位は伊達じゃぁ無いってことなのだろうか?


他の国の試合を見ていても同じように思う
知り合いのブログなどでも同じように書いてあるからみんな女滋養に感じているのだろう


クロアチアのキャプテンが

「日本の試合にはがっかりした。やる気が無いように見えた。日本は決勝トーナメントには残れない。」
とコメントしていたが、同じグループの選手から見てもそう見えてしまったのは非常に残念だ


崖っぷちでの18日・23日には奇跡を見せてくれるのだろうか

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「自分の身を苦しめてまでも敵をあざむくはかりごと。」


昔々中国の三国時代に、黄蓋という武将がいて、

赤壁の戦いという戦争時、相手に降伏するフリをして相手を油断させ、

相手陣内に突撃する作戦を考え出したが、

黄蓋は現在の国の長老とも言うべき中心となっている人物なので、降伏などとはなかなか相手に信じてもらえないだろうと思い、仲間に自分を鞭打たせ、ぼろぼろになるまで傷付き愛想が尽きたと思わせてから、相手に偽の降伏をしたことから
苦肉の策という言葉が生まれたという。


もう少し詳しくは


ある日呉軍に、蔡和(さいわ)と蔡中(さいちゅう)名乗る二人の武将が投降してきた。二人とも、以前に周瑜の離間作で殺された蔡瑁(さいぼう)の甥である。この二人は、曹操が呉軍を探るために「埋伏の毒」として送り込んだのだが、孔明、周瑜共にはじめから気づいていた。そのため、わざと騙されたふりをして偽情報を流させ魏軍を錯乱する、という新しい選択肢が増え、呉軍が非常に動きやすくなった。曹操の策は裏目に出たのである。そして、ここから遠大な苦肉の策が始まる。
ある日周瑜は呉の武将を集め、開戦に備えた説明を始めた。すると、孫堅(そんけん)の旗揚げ時代から使えている老将黄蓋(こうがい)が、「わしらに相談せずに勝手に決めるとは何事だ」と怒り、周瑜と喧嘩を始める。そして周瑜は、黄蓋を百叩きの刑に処してしまう。百叩きの刑の後、痛みをこらえて自陣に戻った黄蓋は、かんたく(呉の武将)を自陣に呼び、曹操への寝返りの使者として魏の陣に行ってもらう。かんたくは曹操から寝返りの了承を得て、再び呉の陣に戻ると、今度は甘寧(かんねい)、蔡和、蔡中の三人とともに、魏の陣へ逃げ出す作戦を相談し始めた。実はこれらはすべて甘寧、かんたくらの巧妙な演技で、蔡和、蔡中に偽情報を流させるためのものだった。蔡和、蔡中がそれに全く気づかなかったために、周瑜の苦肉の策は成功といえるものになっていった。

という事らしい

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1時間7km走れても地面の上では15分が精一杯だ

機械の上と同じくらいのスピードで脚を動かしていると、どんどん息は切れ脚は辛くなっていく
途中に歩きを入れてもなかなか息と動悸は戻らず、脚もなかなか戻らない。


やっぱり所詮バーチャルはバーチャルだという事だろう


でもどちらも悪くない感じだ。

アスファルトの上ではまだ1時間も脚を動かし続ける事は出来ないけれど、機械の上なら出来る。
機械の上でできない事は絶対にアスファルトの上では出来ないのだから続けていればその内アスファルトの上だろうが芝生の上だろうが脚を動かし続けられるようになるだろう。

ゴルフのときいつもカートに乗っていたが、最近では歩くのが全く苦にならなくなってきているのだから

継続は力なり と よく言われるがきっと間違いは無いのだろう

来年くらいには時間がかかっても良いから10キロくらい走れるようになりたいなぁ・・・

しかし、ついに東北も入梅  頑張れるのか・・・?オレ・・・

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