10年近くの仙台赴任を終え、2015年5月から大阪へ赴任中のオヤジの日記です。
2014年以前のカテゴリは整理中です。
よっぱのときどき日記



仕事の関係で縁あって、「楽天イーグルスの美馬投手を励ます会」というのに参加した。

美馬投手は昨年東京瓦斯から東北楽天ゴールデンイーグルスにドラフト2位指名されて入団した投手である。
茨城県出身で、藤代高校で春の甲子園に出場しており、中央大から東京ガスに入ったそうである。

小さな大投手と呼ばれる美馬投手は身長は170cmに満たなく、実際に間近で見ても体つきもさほど頑丈そうというわけでもなく、本当にこんな体で150km/h以上の球を投げるのかいな? と思うほどだった。


で、仕事がらみでの参加ということもあり(というのもちょっとおかしいような気もするけど…)、名刺を渡してサインをしていただくことにした。




おいおい…

そっちも少々面倒なのかもしれないけど「○○株式会社へ」って…


「さん」くらい入れようよ(笑)

ねっ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする




肩こりがひどいと、よく歯が浮くようになっていた。
その歯は、特によく浮く歯だった。
その浮いた歯を下の歯が押し込むので、奥の方で炎症を起こす事もあったりして、下の歯を削ってもらった事もあった。
去年の夏頃からは、かなりグラグラしていた。
一昨日の夜、歯磨きをした後に違和感を感じたので、恐る恐るつまんでみたら
ツルンと抜けた。
何の抵抗もなく出血もなく、まさにツルンって感じだった。

上の右側、奥から3本目。
結構よく使う歯だったんだけど、グラついてからはほとんどこの辺で噛まなくなっていた。


なんかとってもショックだった。
これも糖尿病の影響なんだろうか?

コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする




写経というものに挑戦してみました。
思ったより時間がかかりました。3時間くらいかかってようやく写し終えました。
正座したり姿勢をキッチリしないとすぐにおかしな字になってしまいます。
むつかしいもんですね。



コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする




渋ちゃんが亡くなった3日後の13日、

もう一人の部下の三世代同居しているお祖父さんが倒れられた。


81歳(享年は数え年なので83歳)で以前より寝込んでいたと聞いてはいたが、救急車で運ばれ心肺停止状態となりそのまま永眠された。

その部下はそういう状況にありながらも14・15の渋ちゃんの通夜・葬儀でも受付などしっかりとつとめてくれた。



僕は16日お通夜に顔を出させていただいた。



翌17日の葬儀の最中に参列していた母方のお祖父さんが倒れ、一旦は救急車内で心肺停止状態になってしまったとの事だ。



幸いこちらのお祖父さんは、急なストレスによる血圧の低下が原因だったようで治療の結果回復し、検査の結果も特に問題なかったらしいが、高齢でもあり少し遠い自宅に帰るのは少し先にした方が良いとの事で今は部下の自宅に居られるらしい。


今年が始まってまだ3週間たっていないのに本当に色々なことがある。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする




関東川仲間の皆さん
バンド仲間の皆さん
会社の仲間の皆さん
その他仲間の皆さん


どうもありがとうございました。


渋ちゃんは いろんな仲間の皆さんに見送られて旅立ちました。




1月9日の夕方の突然の電話から逝去までの事は数日前に書きましたが、



12日午後に火葬され

14日お通夜

15日に葬儀と告別式が執り行われました。



会社の仲間は神奈川・東京・埼玉・千葉・大阪から
お得意先のかたは 二戸・盛岡・北上・栃木・宮城などから


本当に遠くから見送りに来てくださいました。


やっぱり、いい奴だったんだなぁ。


その告別式の中で僕は弔辞を読んでほしいとお父さんに頼まれました。

頭は全く整理できていなかったけど、ある程度自分の思いを詰めることはできたのかなと思います。
本当はもっともっと言いたいことや、ご家族に知ってほしいことがいっぱいあるのですが、あまりセンチメンタルに長くなってもどうかと思って書きました。

「泣かずに読み切る」と誓った通り、何とか約束を果たすことができました。




弔辞


渋谷○○君、君は最愛のご家族や知人、知己に見送られて幽闇の地に旅立たれました。私は今深い悲しみと言いようのない寂しさを覚えています。先週まであんなに元気に私たちと一緒に仕事をしていた君が忽然と逝ってしまったなんて、未だもって信じがたい事です。君はそれほどに我が社と私にとってかけがいのない存在であったのです。
 君は、平成七年に東北○○大学を優秀な成績で卒業され、○○○○株式会社に入社されました。地元の仙台営業所で四年間勤務の後、関東営業所に転勤し首都近郊の市場を五年半間担当した後、平成十六年の秋に再び仙台営業所に戻られました。
 私が渋谷君と初めて会ったのは君がまだ最初の仙台営業所勤務時代の平成八年か九年に東京と仙台での合同スキーの時でしたでしょうか。
 君が関東営業所に転勤してきた平成十一年からの約十三年間は公私ともに一緒に過ごす時間も多く、部下としてだけではなく友人として、私や子供たちと川下りやスキー・ゴルフへとともに出かけたものです。その帰りなど家にもよく遊びにきてくれて子供たちも君の優しい性格に渋ちゃん、渋ちゃんと呼ぶほどになついておりました。
 仕事の面でも、我が仙台営業所の中核として昨年の十月までは岩手県と青森県、宮城県の一部を担当し、抜群の成績をあげて我が社の三期のMVPを受賞したところでした。そして、今年度からは後輩である○木君の成長のためにと出張のある青森県を高○君に渡して自分がバックアップしながら新しく秋田県を担当してみたいと私に提案してくれ、チャレンジ精神も見せてくれました。
 昨年三月十一日に発生した東日本大震災の直後、ご両親が心配だからと自宅に戻る途中で津波に遭遇しながらも冷静な判断で仙塩総合病院に避難し、同乗していた○○さんと自分の命を繋げてくれました。水がひいて徒歩で自宅に帰ったあと、電話も通じず安否が確認できずに心配していた僕たちの事も考えて日曜日に会社へ戻ってきてくれましたね。あのときの嬉しさと感動は未だに忘れられません。その後は運送便がまだ全く機能しない時期から石巻や釜石、気仙沼など被害の大きかった沿岸エリアのお客様を中心に、いち早く商品をお届けするために走り回ってくれました。
 とても頼り甲斐が出てきて、これからもっと営業所を引っ張ってもらおうと大きく期待していたんですよ。
 趣味の方では、スキーやゴルフの他に大学時代から始めたギターの腕前もかなりのもので、関東営業所時代もやりたいバンドを見つけてライブをやっていましたね。仙台に戻ってからは、今参加している矢沢永ちゃんメインのバンド「びっくりビート」が二つ目だと思います。そちらでもよい仲間に恵まれ、定禅寺ストリートjazzフェスティバルにもここ三年間連続で出場し、大河原でのAZフェスのほか仙台・石巻や富谷・塩竈でもライブに参加していました。特に今年は塩竈で毎週末に開かれたチャリティライブにも参加し、趣味でも被災した方々の応援をしていました。
 先日一緒に飲んだ時には、ご両親のためにも自宅をそろそろ建て替えてあげたいのだとも言っていましたね。
 そんな優しい気持ちでいっぱいの渋ちゃんが僕たちを残して旅立ってしまった。これほどつらく悲しい事はありません。それにもまして君を慈しみ育てられ、君の将来を楽しみにされておられたご両親や、君を頼りにされていたお姉さんたちのご心情を推察申し上げると、どのようにお慰めしてよいやら言葉もありません。君もまた大切なご両親を残して旅立つ事をどんなにか悔しく心残りだった事でしょう。
 渋谷○○君、どうぞ安らかにとただただご冥福を祈るばかりです。

       
平成二十四年一月十五日

              
よっぱ


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする




1995年1月17日。
朝起きるとえらい事になっていた。
当時僕は埼玉に住んでいたが、実家は滋賀、親戚は神戸、大阪、奈良にも多くどうなってしまったのだろうとそれはそれは心配になったものでした。

阪神の時は、朝方だったから今回の地震と違い、まだ寝ていた人も少なくなくて…
また、長田区の火事もひどかったです。

ウチの親戚は神戸に住んでいたおばさんの家が潰れたものの、人的被害はありませんでした。
それがわかったのも、なんとか滋賀から父母が辿り着いた数日後の事でした。

今回の地震では、津波以外で亡くなられたかたは60名くらいだと聞いていますが、阪神の時はその110倍近くの6434人のかたが亡くなられました。今の神戸市民の約1/3が震災を経験していないとニュースで言ってましたが、時は流れても忘れてはいけませんね。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたします。
また、あの地震で色々傷付かれた皆さんの安らぎが戻る日がくる事をお祈り申し上げます。

そして、もぐらさんやウチの会社の皆さんをはじめ、あの地震を経験されたからこそのアドバイスを下さった皆様、本当にありがとうございました。

あれから筑紫哲也さんを大嫌いになった事を、また思い出しました。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする




今週月曜日1月9日夕方5時頃、突然の電話で渋ちゃんが救急車で運ばれたと連絡があった。
たまたま外に出ていたのでそのまま病院に向かった。

人工呼吸器と点滴がつながっているものの、パッと見た目は酒を飲んでうちに泊まっている時と何ら変わらない感じで鼾が聞こえないだけに見えた。
危篤とは聞いたのだけど、普通病棟の普通の部屋だったから「もしかしたらたいしたことないのかも」と思ったのだけど…

お姉さんとお父さんから聞いた話ではやはり…



一旦家に帰ったが、11時半頃にお父さんから再び電話が鳴った。

鳴ってほしくない電話…



「もって後2時間か3時間」だと告げられた。

再び病院に向かった。




1月10日午前2時44分、渋ちゃんは永眠した。
脳幹出血だった。




昨日12日午後、渋ちゃんは火葬されてお骨になった。



今年も僕にとって、心安らかで暖かい年にはならないようだ。
ぽっかりと開いた穴がまた一つ増えた。








コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする




2012年が皆様にとっても僕にとっても心安らぐあたたかい年になりますように。







昨日は、青根温泉の近くの坂道でスタッドレスタイヤが効かずに斜めになりながら20m位ずり落ちました。
この冬新しく入れたスタッドレスタイヤでしたが、効かないときは効かないもんですね~

一旦止まってからも、ちょっとブレーキを緩めるとズルズルと数mずつ滑っていくの繰り返しで、坂の一番下はカーブになっていて頼りない欄干の付いた橋になっているはで、そりゃあもう生きた心地がしませんでした。

とはいえ、事故にも何にもならなかったのでやっぱりラッキーな新年であったとしようと思います。



ちなみに本日訪れた
岩沼市の竹駒神社でひいた
今年初めてのおみくじは




第三番 「大吉」でした。

冬かれて
  休みしときに
     深山木は
花咲く春の
   待たれけるかな


おまけつきの200円の方のおみくじでしたので「恵飛須さん」のお守りもついてきました♪


何事も心静かにゆったりと待つことにします。

コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする