10年近くの仙台赴任を終え、2015年5月から大阪へ赴任中のオヤジの日記です。
2014年以前のカテゴリは整理中です。
よっぱのときどき日記








日本人の失われた30年を取り返そう!
賃上げを実現して豊かな生活を!
的な流れもあって、去年の春から実現可能かどうかはさて置いて、何となく賃上げムードとなっていますね。
今日のニュースでは、大企業の春闘では4%弱の賃上げ率だそうな。
元々給料が安い上に賃上げ率2.9%となる中小企業との格差はさらに広がる傾向にあるようです。
大企業で、出世街道を戦っていくというのもかなり大変な事なのでしょうが、新しいことを拒否し続け、古の習慣と現状保持に凝り固まった中小企業で生きていく事もイライラの連続なのでしょうから、楽な仕事でお金がドンっていうのはなかなかありませんね💦

さて、僕の勤務先ですが、去年あたりからコンサルが入って給与制度の改定が行われました。
先ずは決算が10月だから、4月の昇給は無くして10月に変更。
そして、役付きになれず出世できていない人の評価ははっきりと下げる(区別をはっきりとする)
などの変更がありました。
これにより、今までもらい過ぎと評価されて減給では無いものの今から数年間は昇給がストップするという社員が10名以上出たようです。

そして、今時は共稼ぎが普通だし結婚している人とそうで無い人の差をつけるのは如何なものか?という事らしく、家族手当の中の奥さん分7,000円が廃止に。(その代わり少子化対策なのか子供手当は増額)
それと、今時皆勤賞はおかしいでしょ?って事なのかそちらの4,000円も廃止となりました。

流石に普段何も意見できない御用組合も、すんなりは認めず妥結まで数ヶ月を要しました。

会社の製品トラブルの影響で最高年収となるはずの59歳の年収が200万円近く下がった上に、
シニア社員になり、そこからまた数百万円の減給となったというのに
今年からまた11,000/月の減給です。
そうなる事は分かっていたけれど、振り込まれた給料の明細を見たらやっぱり無性に腹が立つ。

やってられるか〜!
と言いたいところでもあるけど、やめてどこかのアルバイトするよりは少し多い給料に目をつぶってこのまま働き続けるしか無いのが現実💦

これが金曜日の夜に、グダグダと愚痴を言いつつ飲み過ぎた要因の一つでした。
(他にもいくつかあるんだけど、そのお話はまた今度機会があったら吐き出します)





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その5で書いた通り、再雇用社員(実際は正社員復活したシニア社員)に命ずるようなことかいな?とも思える業務で就労ビザを取っての半年間(以上)の長期中国出張を命じられた彼、その7の通り就労ビザは取得することができませんでした。
しかし、考えてみればその会社も、中国に生産会社と販売会社をいくつか作って、社員も数名送り込んでいるにもかかわらず、60歳になったらビザもとれないくらいのことわかってなかったのかいな… と思えますね。

これで外国への長期出張や転勤出向はなくなったと思ったのですが、
「中国が無理なら、そっちはもう少し若い管理職を生かせることにしたから、今度は韓国に2年間転勤で行ってくれ。」
と新しい指示が飛んできたとのこと。

いらすとやさんより


その話を聞いた僕はビックリするやらあきれるやら。
場当たり的決定?

元管理職とはいえ、一旦再雇用となってめっちゃ収入の減ったシニア社員に海外出向転勤?それもこの前の半年予定から一気に4倍の最低2年?多分半年くらいなら我慢しようと受けたはずだよ。
彼は今年の9月で62歳。これから64歳までの2年間を単身赴任で海外で暮らせと…?
どうやら海外赴任手当として8万円ほどもらえるらしいのですが、おそらく赤字となってしまうでしょうね。ということはまたまた実質減給となってしまうことが考えられます。

まだまだ働き盛りで、今後の出世のためにも国内や外国への転勤も単身赴任もどんとこい!という頃なら同情もしませんし、自分も長年単身赴任も経験していますが、昇給も昇格もしないことがわかりきっている残り3年のサラリ-マン生活の2年間を実質減給で韓国への単身赴任とは…

それでも彼は行くことにしたようです。
まだ高校生のお子さんも2人、辞めて新しいところを探しても正社員に復活した給料と同等の金額をもらえる勤め先はなかなか見つからないでしょうから

まさに、「雇ってもらえてるんだから感謝しろ!」という天の声が聞こえてきそうな…

彼はいま、今度は韓国への渡航手続きに走り回っているそうです。
月の変わったころには旅立つことになるのでしょうか。





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少し前に書いた 信じられないような話 再雇用社員の憂鬱 その6(中国での就労ビザ取得について) の続きです。

そう、結構面倒な手続きや予防接種をこなして、ビザ申請の予約までこぎつけた彼のその後です。

なんと中国という国は、入国審査が点数制になっているそうで、よほどの金持ちや経営者でもない限り60歳を超えた時点である大きな部分の点数が0点になってしまうんだそうです。
その結果、合計点は入国OKに遥か届かない点数になるようで、ビザがおりないんだそうです。


いらすとやさんより
ちなみにこの点数制については日本にも存在します。
それなのに日本に来た途端に生活保護を申請してまんまと受け取る中国人が存在するのはどういうことなんだろう?
日本の入国審査がザルすぎるってことと、中国の受け入れについては自国の得になる事だけ認める姿勢はハッキリとわかりますね

という訳で、お盆明けに中国での就労ビザがおりない事が決まった彼。
これで一旦落ち着くのかと思ったら…
まだまだビックリな事が続きます。

続く




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中国での就労ビザ(Zビザというらしい)を取るのにかなりの手数とお金もかかると書きましたが、実際には
  1. (過去)勤務先の在籍証明書
  2. 大学または大学院の卒業証明書(学位の記載が必要)
  3. 無犯罪歴証明書
  4. 健康診断証明書
  5. 証明写真画像
  6. パスポート画像
  7. 履歴証明書
  8. (あれば)HSK中国検定証明書
というのが必要らしく、
1については会社が派遣させたいのだからは簡単ですが、
2は40年近く前に出た大学の卒業証明書を取る必要があり、
3は警察署で発行が必要で指紋採取と申請・引き取りともに郵送不可で約2週間の期間が必要です。
4は指定の病院を予約して
5の写真も中国用はかなり厳格なようで、写真の上から頭頂部までは3~5mm・写真の下から顎ラインまで7mm以上、顔の長さは2.8~3.3cm、顔の幅は1.5~2.2cm。できれば眼鏡なし。ピアスやネックレスも不可というような条件があるようです。
そんなこんなで書類集めに2~3週間。
その書類の中から2番の卒業証書と卒業証明書、3番の無犯罪証明書については日本外務省による「公印確認」と中国ビザセンター(駐日中国大使館)による「領事認証」の二つを得る必要があるそうです。

卒業証書のコピー(卒業証明書に学位の記載がない場合に必要)はあくまでも私文書なので、を公証役場に持ち込み公証人押印証明を受ける必要があります。
それと卒業証明書・無犯罪証明書の3点、公印確認申請書・返送先を記入した封筒とともに外務省に持ち込んで、申請をすると4開庁日後に郵送で返送されるそうです。
それが戻ってきたら、今度は「領事承認」のために東京・大阪・名古屋にある中国ビザセンターを直接訪問するか、3か所以外の管轄地に入っていない場合は、管轄内の中国領事館に申請します。
この中国ビザセンターの訪問にはネット予約が必要です。
これでようやくビザ申請する準備のうち本人が可能な事がひと段落。
ここまで結局約1ヶ月を要し、それでもまだ時間は必要です。

いらすとやさんより

これら8種類の書類をスキャンして、会社に提出すると、現地企業から【外国人来華工作許可通知申請】が行われ、中国側の審査の結果OKが出て通知が届いたら、再び中国ビザセンターを訪問して申請を行います。
その申請の予約を入れようとしても、コロナ禍の明けた直後の今中国へ渡ろう(渡そう)という人数はすさまじいらしく彼が予約できたのは約1ヶ月後の8月31日、そうまさに今日だったとのこと。

↑を過去形にしたのには意味があります。

続きはまた。




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どうなっちゃうんだろう?この会社。と思える会社に彼が出向して約1年10か月が経過した7月のお話。
突然本社(親会社)からの呼び出しがあったそうです。
要件はなんと! 中国への転勤、いや半年以上の長期出張だそうです。
コロナも落ち着いて、中国への入国も再び門戸が開かれ始めたタイミングで、中国にある子会社へ出向(出張)してあちらの市場調査をしながら中国の子会社でのモノづくりのためにフィードバックして売れるものを作れというような話だったそうです。

こんな任務、定年して給料も大幅に下がって役職もなくなったシニア社員に命じるものでしょうか。
あっちの会社の役員を兼務している人もいれば、海外事業部もあれば、海外向け営業の別の子会社もあってそこには社員も管理職も役員も居るというのに。

そして、門戸が開かれつつあるといっても3年間ほとんど入国できなかった中国への入国を待つ人たちが山ほどいるようですし、健康診断や犯罪にかかわってない記録や収入、渡航理由等々働くためのビザ申請にもかなりの手数とお金もかかるようです。
日本のざる入国とは大違いですね。

いらすとやさんより


また、衛生上心配な国への渡航でもあり、狂犬病をはじめ何種類かの予防接種もしなくてはならくて多いものでは5回も打つものがあるようです。

役所に行ったり警察に行ったり、外務省に行ったり、またまた病院に行ったりそんな準備を約1ヶ月にわたって進め、ようやく8月31日に仮のビザ申請ができるかも…という所までこぎつけたそうですが…

大きなどんでん返しが…

続く



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定年になって再雇用(準社員)となってから1年1ヶ月ほど経ったころ、会社の定年制度が変わって収入が推定月額10万円ほど上がったと思われる彼。
収入面では少しマシになったものの、出向先の社員へのイライラは日に日に募っていきます。

この会社、自社の製品販売や修理だけでは赤字の月も多くて、2022年度は年間で3,000万円弱の赤字となってしまいます。。
この会社には彼ともう一人現役の課長職の二人が出向していたそうなのですが、出向ですから当然給料や社会保険関係の費用等は親会社が支払っています。二人の年収を合わせたら一体どれくらいの赤字に膨れ上がるのか?

そのため、親会社の仕事を補助して日銭を稼ぐというようなこともしていました。
親会社は定時後は残業がつくけど、早出は何時間あっても残業にならないシステムなので、残業手当がつかないように毎日9時の始業に対して5時半か6時ころには毎日出社して色々な作業をこなしながら、打ち合わせなどで親会社に行くことも多かった彼に対し、月のうち1~3日ほどしか本社に出社しない元社長が
「あっちばっかり行ってろくに仕事してないんじゃないのか? 云云かんぬん…」
との言葉を浴びせたことで、彼はブチ切れます。
それまで溜まっていた、元社長に対する不信感や不満、その他の幹部のことについてもぶちまけ最大の抗議を行いました。
いらすとやさんより

それ以後、元社長は怖がって今まで以上に目を合わせなくなったそうです。

言い方は悪いけど、だからうまくいかなかったんでしょうねその会社。
昔は結構な数の社員もいたらしいけど、一人辞め、二人辞め… 最終的には、元社長・その人が連れてきた次長・機械関係担当の技術部長・PC関係担当の取締役部長・修理担当者・製造担当者・雑用の事務員さんの7名となってしまっていました。
幹部社員それぞれが
自分の仕事を一切広げず(新しいことを受け付けない)、
自分の仕事を一切人に任さず手放さない(仕事を教えない。知りたきゃ自分で勉強しろ)し、詳しく報告もしない。

全体会議といっても大した人数ではありませんが、その会議で元社長が
「あなた達の行動は一切報告がないから何をやっているのかわからない。」
などと平気でのたまう上に、
幹部たちは
「社長こそ営業というが何の報告もないし何をやっているのかわからない。いうことはころころ変わるし。」←これは面と向かっては発言していないそうです。会議の時は不満顔で聞いて無視しているだけ
という感じなのだそうです。
会社のトップが平気で部下が何やっているかわからないと平気で言い、
幹部は社長が何をやっているかわからないと言う。
意思の疎通もとれていなければ、何とかして良い方へ持っていこうという姿勢も見えない。そんなことではうまく回るわけがありません。

この会社その後はどうなっていくのでしょう…

続く



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再雇用になって収入が推定で前年比65%ダウンとなってしまった彼。約半年間働いたのちに今から子会社になる身も知らずの会社に出向命令(正式に辞令交付と社内公式発表)されました。

新しく赴任した新しい子会社は、中小企業に買い取っられた更に規模の小さな小規模企業(社員役員含め10名以下)でした。
親会社から身売りをされるような企業ですから、経営状態は思わしくなく… というよりも実質倒産企業でした。
世の中には業績はしっかり上がっているけれども、後継者問題や、その他の問題で身売りをする(特に小規模や零細)企業というのも多くありますが、この会社は、昔はある程度はぶりもよかったけれども業績の悪化や
かなり昔の経営者の無駄遣い(横領に近い)などもあったというような問題のある会社だったそうです。
そんな会社の社員の内訳は7割程度が取締役や部長・次長など、平社員が3名という布陣だったそうです。
代表の付くような取締役は、会社が倒産の危機に陥った責任も全く感じていないような感じで、個人商店のような動き。その他の役付き社員も特に責任を感じているわけでもなく、なんなら自分の会社は実質倒産したという認識すらないような感じだったそうです。
新しく出向した彼がというような何かを改善しようしても、帰ってくる言葉は必ず、
「いや、それはむつかしいです。今までこうだったから変えられません。」
など、今までのやり方を一切変えるつもりもないような態度ばかりで、
平社員のほうも、少し仕事を新しく割り付けようとすると、キレた様子で
「そんなことは無理!そうすることが必要なら人を入れくれ!」
というような、

新しいことを受け入れる気全くなし。
自分の今までやっていた仕事を見直す気全くなし。
今まで以上の仕事を受け入れる気全くなし。

のだめだめモード全開!
で、日々イライラも募りつつ何とか自分をなだめすかして働いていたそうです。

そうこうしながら働くこと半年、定年から1年1ヶ月が過ぎ、給与が1万円下がるタイミングで、出向元の親会社の定年制度が変わって、65歳までとなったとのこと。
これにより、再雇用で準社員という身分から、正社員にカムバック。
それに伴い、上限20万円となっていた再雇用(準社員)の給与は、
以前勤めていた時(定年時に遡り)の基本給の60%(上限20万円撤廃)と
住宅手当及び家族手当が支給されることになりました。
住宅手当は14,000円、家族手当は奥さん7,000円、18歳未満の子供一人目2,000円ですから、それまでに比べて毎月10万円以上の支給増額となったと思われます。

仕事でのイライラは解消されませんが、
これで多少は楽になったでしょうか。


続く




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2年前の9月に定年退職になり推定年俸1,000万円から指定年俸350万円(21万*12+20万*4.9ケ月)と65%OFFになった彼。実際の手取り年収はいくらだったのでしょうか… 考えただけでも恐ろしいです。

賞与20万*4.9ケ月とありますが、これでも随分改善されたようで、その昔は金一封、その次は一律10万円という時代もあったそうです。
そしてその基本給も1年目は20万円、2年目は19万円・・・6年目以降は15万円と年々下がっていっていたそうです。数年目ともなると、時給計算すると都会では最低賃金に引っかかってしまうんです。

思うところはいろいろあったようですが、
上を見ればきりがない。下を向いてもきりがない… と
彼は引き続きその会社に通い続けることにしました。

それから約半年後の2022年3月21日、再雇用社員である彼に対して10日後の3月31日付で全株式を取得して子会社化するとあるメーカーへの出向の人事異動が発令されました。
大きな会社がもともと持っていた子会社へに社員を出向させる話は確かによく聞きますが、10日後に初めて子会社となる会社への出向命令です。珍しいですよね。
わずか10万円と少々の給料で、全く関係のなかった会社への出向命令。
表向き(というか正式表示でも)部長となっていますが、再雇用であるため一切の手当ては付きません。
給料は最初の額面のままです。

この一年間は本当に苦しかった。生活が特に… そして色々気持ち的にも…
と聞きました。

会社としては
「本来定年のところ雇ってやっている。ほかに就職活動してもろくなところには就職できないだろうし、コンビニなどのバイトより良いだろう。」
という感じでしょうか。

たまりませんね。
いらすとやさんより

続く…


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僕の知り合いの話ですが

2年前の9月にとある中小企業を定年退職し、再雇用となりました。
退職までは課長さんだったので、おそらく年収は1,000万円弱で会ったろうかと推察されます。
その会社の再雇用の条件は、定年時の基本給(役職手当等々各種手当を除く)
の60%、
ただし、上限を20万円とする。
課長職以上であったものは後進の指導に当たるため指導手当10,000円を支給する。
皆勤手当4,000円と通勤費は支給されるが、その他手当は一切つかない。

要するに総支給額214,000円で、そこから前年の年収に見合った県市民税やその他諸々の保険料等を差し引かれるので、おそらく7~8万円の手取りとなっていたのではないだろうか。
それでも、完全に退職してしまって収入がなくなって毎月10数万円の税金や社会保険料を払っていくよりはマシであろうということを考えて会社に残ったのだと思う。
ましてや彼には遅くできた子がまだ高校生になったばかりだったと思う。

大企業のように退職金を3,000万円以上もらって、うまくすれば子会社へなかなかの待遇で出向なんて条件ならバラ色のシニアライフが待っているかもしれないが、少々大きめの中小企業で役員になれなかった者の老後は極めてシビアなのである。



いらすとや さんより
…続く


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