東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末1
東日本大震災 曽野綾子氏と読売新聞の「税と安心」
東日本大震災 曽野綾子氏個人的記録という欺瞞Ⅳ
東日本大震災 曽野綾子氏と文芸春秋「日本はどこで間違えたか」
東日本大震災以来、曽野綾子さんについての話のネタは次から
次へと出てきて尽きそうもないし、ひょっとするとライフワークになり
そうだと申しております。
SF作家の小松左京氏が亡くなった。80歳だったという。小松氏の
作品「日本沈没」は映画化されて大ヒットしたので現在50代以上の
人は知らない人はいないだろう。当方のように氏の小説や映画を見な
かった者でさえプレートの移動で巨大地震が発生し日本列島が沈没し
ていくという物語だったことは記憶している。
小松氏は終戦後の中学生の時、移動途中の駅から広島の変わり果てた
風景を目の当たりにして「生命系すべてを滅ぼしかねない武器」に衝
撃を受け兄からは広島に落とされた新型爆弾が原子爆弾であることを
教えられ化学の恐ろしさを知ったという。また沖縄戦で自分と同年の
少年兵が多数死んだことを知り「生き残った者の責任」を考えたこと
が小説を書く契機になったそうだ。京都大学在学中に「原爆を投下し
たアメリカに対する反感からの「反戦平和」を唱える共産党に共鳴し
ての入党であり(三高以来の親友が、印鑑を偽造し、小松の知らない
ままに入党届けを出したという)、共産主義思想を真に信奉してのも
のではなかった。そのため、ソ連の原爆開発にショックを受け、共産
党の活動に疑問を抱き、後に共産党を離党した」り、モリミノルのペン
ネームで漫画を書いたり、卒業後はラジオのニュース漫才などの台本
も執筆したりして多才だったようだ。注目したいのは小松氏の発言だ。
代表作「日本沈没」を書いた動機は、戦後復興から高度に経済成
長した日本に対する「警告」だったといわれている。また「科学を制御
できなけれは文明は滅ぶ」と原発事故を予見したとも取れる発言もあ
るようだ。作品「日本沈没」では奇しくも3月11日が作中で日本列島の
水没の可能性が発表される日付だったそうで、驚きだ。また高速
道路が倒壊するシーンは耐震工学の大学教授から批判されたが、阪
神大震災で現実となった。また氏は「先生、と呼ばれることを嫌うと
てもシャイな人」で亡くなる直前、東日本大震災や原発事故について
「このようになったのは我々の世代の責任だ。・・今は大変な時期
かもしれないけれど、この危機は必ず乗り越えられる。この先、日本
は必ずユートピアを実現できると思う。日本と日本人を信じている」
とのメッセージを残したという。ご冥福をお祈りします。
さて、どうして小松左京氏を最初に取り上げたか?もちろん曽野綾子
氏と比較したいからだ。小松左京氏は京大を卒業して作家の道に入り、
豊かになった日本と日本人を戒めるために「日本沈没」を世に出
したといわれている。これこそ小説家の小説家たる所以だ。
ところが曽野綾子氏はどうだろう。平成16年の豪雨の時の被災者へ
の暴言「学校その他に 避難した人たちは、ラベルのついた新しい毛
布を支給されていた。一晩のことに何でそんなに甘やかさねばならな
いか私はわからない。避難したら新聞紙を床に敷いて、何枚も重ね着
をして眠って当たり前だ。それがいやなら、早めに毛布や蒲団(ふと
ん)を背負って避難する だけの個人の才覚の訓練が要る。お弁当な
ども行政は配る必要はない。天気予報を聞くことができるシステムが
あるのだから、自分で歩けない老人や障害者は別として、避難する時
食料は自分で持って来るのが世界の当然だ」テレビを見ながらの高み
の見物で茶の間で話すべきことを堂々と公共性の高いメディアで発言
したり読売新聞のインタビューでは国民に「甘やかされた生活」など
と低レベルの表現しかできない「エリート意識過剰」のこの「コラム
ニスト」は「無才」としか言いようがない。当方のこの程度の
批判は大したことではない。曽野綾子氏に対するもっと辛辣な批判が
ネット上には溢れている。「板」といわれるもので2chをはじめとし
たスレッドやレスポンス。とりわけ文学レスには大学教授や院生と思
しき書き込みがあってそのレベルの高さは、まるで哲学教室に最初に
入ったかのような驚きがある。究極の批判、曰く「皇后様の友達みた
いなことを言いやがって・・・曽野が卒業した聖心女子大なんて偏差
値がたかがせいぜい54程度じゃないか。曽野の時代だったらもっと
低いだろう。それなのに『エリート意識』丸出しで・・・・女は得だ
よね。男だったら、その程度の学歴では何を言っても世の中相手に
されない」等々辛辣かつ痛快だ。
三浦朱門氏のいう「勉強のできない非才・無才」の代表格の当方
でさえ曽野綾子氏ほど滑稽で、批判しやすい文筆家もいない
と思っている。幼稚なレトリックといい論理のなさといい、自己撞着
の甚だしさといい無学な輩の代表格の当方にとって格好の餌食だ。
曽野綾子氏批判をライフワークにするとちょうどよいボケ防止にな
りそうだ。
さて、おなじみとなった曽野綾子氏の「甘えるな」発言。また再考
してみたくなった。このての発言が文士の口から今まで発せられたこ
とがあるのだろうかとつらつら考えた。一介の文士が国民に向かって
「甘やかす」だの「甘えている」などとあれこれ物申すことは、かつてな
かったことではないのか。強いて言えば文士ではないが福沢諭吉以来
なのではないか。しかし福沢諭吉は思想家で教育者なので言って当た
り前だ!ただ福沢諭吉は日清戦争を前にして政府・官僚と自由民権運
動家や藩閥政治家や思想家たち、またそれに連なる国民の争いが絶
えない中で大同団結を呼びかけたというものだ。明治27年の日清戦争
前の新聞に「戦時下国民の心得」と題して次の3カ条を掲げた。
一つ、官民共に政治上の恩讐を忘れること
二つ、事の終局に至まで謹んで政府の政略を非難すべからず
三つ、人民相互に報国の念を奨励して、その挙を賞賛し、また銘々に
堪忍すべきこと
この時、福沢諭吉が国民に「甘えるな」などと言ったら直ちに暗殺さ
れたに違いない。もっともそんな低レベルの発言は福沢諭吉がするは
ずもないが・・・これも時代なのだろうか、一介の文士が国民に向かっ
て「甘えるな」などと高言を吐けるのは国が堕落した証拠なのかも知
れない?国民に、もし「甘える」ということがあるならば「甘やかした」
側も当然居る。政府や自治体、それにギャンブルをはじめとしたサービ
ス業等の民間企業は国民を「甘やかした」側になるだろう。「甘やかし
た」政府や自治体それから曽野綾子氏のお父様と言われる笹川良一
氏。笹川良一氏は競艇を作って国民を甘やかし骨抜きにし大和魂
を奪ってきた張本人の一人だ。これらの「国民を甘やかした」側の
責任を不問にしたまま政府や大企業におもねて、挙句の果ては原発
事故の東電をも庇い国民には「甘えるな」と感情的な発言をして卑しさ
浅ましさ丸出しの曽野綾子氏は文士としても堕落したということでは
ないか。同じことを言うにしても文学者であれば、先の読売新聞で論説
した山内東大教授のように「問題にすべきは、消費者が限りなく豊かさ
を求める欲望の当否に他ならない」少なくともこれくらいの表現はすべ
きであろうが、それができない理由が他にあるようだ。
次の記述は山田和夫医師のブログの抜粋
「主な病気の解説」ブログー作家 曽野綾子・三浦朱門夫妻の場合ー横
浜クリニック院長 山田和夫医師
「転機は三浦がアイオワ大学に留学することになり、親子三人でアイオ
ワ州に住む事になったことです。日本という「閉所」から開放され、文
壇ジャーナリズムからの好奇な視線からも開放され、徐々に自分を取り
戻し、台所で再び小説を書き始めました。それが「無名碑」であり、う
つからの開放となる記念碑的作品ともなりました。睡眠薬や安定剤は服
用したようですが、かなり自力でうつ病を克服していった形跡がありま
す。そのためか、その後の言動や著作には反動的な確信に満ちた
挑戦的な叙述が多く見られるようになります。人間の「悪」を見つめ、
「善」の欺瞞を糾弾し、日本人として強く生きていくことを主張してい
ます。不安障害やうつ病の体験と、そこから逃げない自力での克服体験
はその人をとても強くするようです」
つまりこの反動的な確信に満ちた挑戦的な叙述こそカタルシスそ
のものではないか。他を攻撃することによって溜飲を下げている。言
い換えれば他を攻撃することによって「安心している」ということではない
か。これが彼女の被災者に対する無慈悲な発言を繰り出す深層心理だ。
国民には「安心したがる」とか「安心病に罹っている」とか批評し
ながら氏は自らが「安心病」に罹っていることに気付かないでいる。
滑稽極まりない。
曽野綾子氏の「安心病」を治す手立て
はないものか。
そして最後に
読売新聞の小松左京氏についての記事「東日本大震災後は(病床
にあって)『取材に行けない自分には語れない』と発言を避けてき
たが来月(8月)刊行のSF作家らの寄稿集に寄せた序文では、震
災への直接的な思いをつづっていたことが明らかになった」(前述
部分と思われる)
曽野綾子氏よ「取材しなければ語れない」と言った小松左京氏の
言葉をかみしめよ・・・・だそうです。
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東日本大震災 曽野綾子氏と読売新聞の「税と安心」
東日本大震災 曽野綾子氏個人的記録という欺瞞Ⅳ
東日本大震災 曽野綾子氏と文芸春秋「日本はどこで間違えたか」
東日本大震災以来、曽野綾子さんについての話のネタは次から
次へと出てきて尽きそうもないし、ひょっとするとライフワークになり
そうだと申しております。
SF作家の小松左京氏が亡くなった。80歳だったという。小松氏の
作品「日本沈没」は映画化されて大ヒットしたので現在50代以上の
人は知らない人はいないだろう。当方のように氏の小説や映画を見な
かった者でさえプレートの移動で巨大地震が発生し日本列島が沈没し
ていくという物語だったことは記憶している。
小松氏は終戦後の中学生の時、移動途中の駅から広島の変わり果てた
風景を目の当たりにして「生命系すべてを滅ぼしかねない武器」に衝
撃を受け兄からは広島に落とされた新型爆弾が原子爆弾であることを
教えられ化学の恐ろしさを知ったという。また沖縄戦で自分と同年の
少年兵が多数死んだことを知り「生き残った者の責任」を考えたこと
が小説を書く契機になったそうだ。京都大学在学中に「原爆を投下し
たアメリカに対する反感からの「反戦平和」を唱える共産党に共鳴し
ての入党であり(三高以来の親友が、印鑑を偽造し、小松の知らない
ままに入党届けを出したという)、共産主義思想を真に信奉してのも
のではなかった。そのため、ソ連の原爆開発にショックを受け、共産
党の活動に疑問を抱き、後に共産党を離党した」り、モリミノルのペン
ネームで漫画を書いたり、卒業後はラジオのニュース漫才などの台本
も執筆したりして多才だったようだ。注目したいのは小松氏の発言だ。
代表作「日本沈没」を書いた動機は、戦後復興から高度に経済成
長した日本に対する「警告」だったといわれている。また「科学を制御
できなけれは文明は滅ぶ」と原発事故を予見したとも取れる発言もあ
るようだ。作品「日本沈没」では奇しくも3月11日が作中で日本列島の
水没の可能性が発表される日付だったそうで、驚きだ。また高速
道路が倒壊するシーンは耐震工学の大学教授から批判されたが、阪
神大震災で現実となった。また氏は「先生、と呼ばれることを嫌うと
てもシャイな人」で亡くなる直前、東日本大震災や原発事故について
「このようになったのは我々の世代の責任だ。・・今は大変な時期
かもしれないけれど、この危機は必ず乗り越えられる。この先、日本
は必ずユートピアを実現できると思う。日本と日本人を信じている」
とのメッセージを残したという。ご冥福をお祈りします。
さて、どうして小松左京氏を最初に取り上げたか?もちろん曽野綾子
氏と比較したいからだ。小松左京氏は京大を卒業して作家の道に入り、
豊かになった日本と日本人を戒めるために「日本沈没」を世に出
したといわれている。これこそ小説家の小説家たる所以だ。
ところが曽野綾子氏はどうだろう。平成16年の豪雨の時の被災者へ
の暴言「学校その他に 避難した人たちは、ラベルのついた新しい毛
布を支給されていた。一晩のことに何でそんなに甘やかさねばならな
いか私はわからない。避難したら新聞紙を床に敷いて、何枚も重ね着
をして眠って当たり前だ。それがいやなら、早めに毛布や蒲団(ふと
ん)を背負って避難する だけの個人の才覚の訓練が要る。お弁当な
ども行政は配る必要はない。天気予報を聞くことができるシステムが
あるのだから、自分で歩けない老人や障害者は別として、避難する時
食料は自分で持って来るのが世界の当然だ」テレビを見ながらの高み
の見物で茶の間で話すべきことを堂々と公共性の高いメディアで発言
したり読売新聞のインタビューでは国民に「甘やかされた生活」など
と低レベルの表現しかできない「エリート意識過剰」のこの「コラム
ニスト」は「無才」としか言いようがない。当方のこの程度の
批判は大したことではない。曽野綾子氏に対するもっと辛辣な批判が
ネット上には溢れている。「板」といわれるもので2chをはじめとし
たスレッドやレスポンス。とりわけ文学レスには大学教授や院生と思
しき書き込みがあってそのレベルの高さは、まるで哲学教室に最初に
入ったかのような驚きがある。究極の批判、曰く「皇后様の友達みた
いなことを言いやがって・・・曽野が卒業した聖心女子大なんて偏差
値がたかがせいぜい54程度じゃないか。曽野の時代だったらもっと
低いだろう。それなのに『エリート意識』丸出しで・・・・女は得だ
よね。男だったら、その程度の学歴では何を言っても世の中相手に
されない」等々辛辣かつ痛快だ。
三浦朱門氏のいう「勉強のできない非才・無才」の代表格の当方
でさえ曽野綾子氏ほど滑稽で、批判しやすい文筆家もいない
と思っている。幼稚なレトリックといい論理のなさといい、自己撞着
の甚だしさといい無学な輩の代表格の当方にとって格好の餌食だ。
曽野綾子氏批判をライフワークにするとちょうどよいボケ防止にな
りそうだ。
さて、おなじみとなった曽野綾子氏の「甘えるな」発言。また再考
してみたくなった。このての発言が文士の口から今まで発せられたこ
とがあるのだろうかとつらつら考えた。一介の文士が国民に向かって
「甘やかす」だの「甘えている」などとあれこれ物申すことは、かつてな
かったことではないのか。強いて言えば文士ではないが福沢諭吉以来
なのではないか。しかし福沢諭吉は思想家で教育者なので言って当た
り前だ!ただ福沢諭吉は日清戦争を前にして政府・官僚と自由民権運
動家や藩閥政治家や思想家たち、またそれに連なる国民の争いが絶
えない中で大同団結を呼びかけたというものだ。明治27年の日清戦争
前の新聞に「戦時下国民の心得」と題して次の3カ条を掲げた。
一つ、官民共に政治上の恩讐を忘れること
二つ、事の終局に至まで謹んで政府の政略を非難すべからず
三つ、人民相互に報国の念を奨励して、その挙を賞賛し、また銘々に
堪忍すべきこと
この時、福沢諭吉が国民に「甘えるな」などと言ったら直ちに暗殺さ
れたに違いない。もっともそんな低レベルの発言は福沢諭吉がするは
ずもないが・・・これも時代なのだろうか、一介の文士が国民に向かっ
て「甘えるな」などと高言を吐けるのは国が堕落した証拠なのかも知
れない?国民に、もし「甘える」ということがあるならば「甘やかした」
側も当然居る。政府や自治体、それにギャンブルをはじめとしたサービ
ス業等の民間企業は国民を「甘やかした」側になるだろう。「甘やかし
た」政府や自治体それから曽野綾子氏のお父様と言われる笹川良一
氏。笹川良一氏は競艇を作って国民を甘やかし骨抜きにし大和魂
を奪ってきた張本人の一人だ。これらの「国民を甘やかした」側の
責任を不問にしたまま政府や大企業におもねて、挙句の果ては原発
事故の東電をも庇い国民には「甘えるな」と感情的な発言をして卑しさ
浅ましさ丸出しの曽野綾子氏は文士としても堕落したということでは
ないか。同じことを言うにしても文学者であれば、先の読売新聞で論説
した山内東大教授のように「問題にすべきは、消費者が限りなく豊かさ
を求める欲望の当否に他ならない」少なくともこれくらいの表現はすべ
きであろうが、それができない理由が他にあるようだ。
次の記述は山田和夫医師のブログの抜粋
「主な病気の解説」ブログー作家 曽野綾子・三浦朱門夫妻の場合ー横
浜クリニック院長 山田和夫医師
「転機は三浦がアイオワ大学に留学することになり、親子三人でアイオ
ワ州に住む事になったことです。日本という「閉所」から開放され、文
壇ジャーナリズムからの好奇な視線からも開放され、徐々に自分を取り
戻し、台所で再び小説を書き始めました。それが「無名碑」であり、う
つからの開放となる記念碑的作品ともなりました。睡眠薬や安定剤は服
用したようですが、かなり自力でうつ病を克服していった形跡がありま
す。そのためか、その後の言動や著作には反動的な確信に満ちた
挑戦的な叙述が多く見られるようになります。人間の「悪」を見つめ、
「善」の欺瞞を糾弾し、日本人として強く生きていくことを主張してい
ます。不安障害やうつ病の体験と、そこから逃げない自力での克服体験
はその人をとても強くするようです」
つまりこの反動的な確信に満ちた挑戦的な叙述こそカタルシスそ
のものではないか。他を攻撃することによって溜飲を下げている。言
い換えれば他を攻撃することによって「安心している」ということではない
か。これが彼女の被災者に対する無慈悲な発言を繰り出す深層心理だ。
国民には「安心したがる」とか「安心病に罹っている」とか批評し
ながら氏は自らが「安心病」に罹っていることに気付かないでいる。
滑稽極まりない。
曽野綾子氏の「安心病」を治す手立て
はないものか。
そして最後に
読売新聞の小松左京氏についての記事「東日本大震災後は(病床
にあって)『取材に行けない自分には語れない』と発言を避けてき
たが来月(8月)刊行のSF作家らの寄稿集に寄せた序文では、震
災への直接的な思いをつづっていたことが明らかになった」(前述
部分と思われる)
曽野綾子氏よ「取材しなければ語れない」と言った小松左京氏の
言葉をかみしめよ・・・・だそうです。
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