非才無才の雄叫び

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東日本大震災 許せない曽野綾子氏の傲慢。その9・だって

2011-06-04 01:55:15 | 日記
東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末1
東日本大震災 曽野綾子氏と読売新聞の「税と安心」
曽野綾子の「生活保護受給者」攻撃と「自殺のすすめ」
東日本大震災に被災された皆様に心より
お見舞い申し上げます。
亡くなられた方のご冥福をお祈りし、
ご遺族に心からお悔やみ申し上げます。
そして、一刻も早く行方の分からない方々が発見されることを
お祈りします。

曽野綾子氏はいつ頃から私たち庶民に向かって「甘やかす」というよう

な感情的で主観的な言葉を使うようになったのだろうか。

平成16年(2004年)の台風23号の被災者に
学校その他に避難した人たちは、ラベルのついた新しい毛布を支給さ
れていた。一晩のことに何でそんなに甘やかさねばならないか私はわか
らない。避難したら新聞紙を床に敷いて、何枚も重ね着をして眠って当
たり前だ。それがいやなら、早めに毛布や蒲団(ふとん)を背負って避
難するだけの個人の才覚の訓練が要る。お弁当なども行政は配る必要は
ない。天気予報を聞くことができるシステムがあるのだから、自分で歩
けない老人や障害者は別として、避難する時、食料は自分で持って来る
のが世界の当然だ

避難命令が出て豪雨の中を避難する時、毛布や布団を担いで行けという
のか。10月の寒い時期に濡れて避難してきた人たちに毛布など支給する
なとは恐れいいる。これはまるで「女帝」気取りだ。

さらに同年の中越地震では
避難所で救援物資を当てにして待っている避難者は甘え過ぎだ。避難
する時に寝具を担いで逃げるのは当たり前。自分ならガス漏れの心配の
ない所ですぐに火を熾して米を炊く。必要なものが手元にないのなら、
その辺で調達してくる才覚も必要だ


そして今回の東日本大震災でも前に述べたように同じようなことを、

いやもっとひどいことを月刊誌「WILL」で言っている。

平成15年の「文化功労者」がこの程度かと思うと腹立たしくなるだけで

はなく、面と向かって論戦を挑みたくなる。何度も述べたように曽野綾

子氏はどうして物事を一面的にしか見ないのだろう。アフリカの人たち

と比較して「日本人は甘やかされている」と言うのは笑止千万だ。

OECDがどうして「相対的貧困論」で統計を取っているか考えたこともな

いのでしょうか?「絶対的貧困論」でやると日本の貧困層はアフリカでは

大金持ちになるからですよッ。解ります?

関連して前にも述べたように租税負担が比較にならないでしょう。

例えば避難者に「新しい毛布を配った」のだってアメリカの真似ですよ。

それなのに国民負担率はアメリカよりも高い。国民負担率は租税負担率

と社会保障負担率を合計したものらしいのだが2008年のOECDの調査では

日本の国民負担率は租税負担率24.3%、社会保障負担率16.3%の計40.6

%となっている。一方アメリカは租税負担率24.0%、社会保障負担率が

8.6%計32.5%。社会保障はアメリカと比較しょうがないとしても租税

負担率では0.3%日本が多い。それなのにアメリカと同じように「新し

い毛布を配った」らどうして「甘えかす」ことになるのでしょうか?

「文化功労者」がこういうことを知らないはずはない。知っていて、そ

れを無視して敢えて一点突破主義的に発言し発信しているとしたら、明

らかに為政者の立場に立っているとしか言いようがない。曽野綾子氏は

2000年に「教育改革国民会議」の委員に任ぜられ2003年に「文化功労者」

に列せられた途端に為政者然として「甘やかされた」などという不遜極

まりない発言をするようになったのではないか?歴代の文化功労者に尋ね

たいものだ。「あなたも文化功労者になって曽野綾子氏と同じような発言

を国民に発していますか」と・・・

因みに歴代の文化功労者といえば湯川秀樹をはじめ、文壇では谷崎潤一

郎、志賀直哉、斉藤茂吉、武者小路実篤、永井荷風、佐藤春夫、吉川英

治、川端康成、大仏次郎、山本有三、野上弥生子、井伏鱒二等々教科書

に出てくるような作家ばかりだが、その後に曽野綾子氏の名前を挙げる

と「おやっ」と思いたくなる。「ド素人」がこんなことを言うのは誠に

不遜極まりないことだが、曽野綾子氏は彼らと同レベルの作品を世に出

しているのですか?「ド素人」の耳目にも飛び込んでこない作品しかまだ

ないのではないのですか?例えば村上春樹氏の「1Q84」とまではいかなく

ても。それくらいの話題性のある作品はないのですか?

あなたと一緒に、確か作家で評論家の臼井吉見が「才女時代」の一人と

して取り上げた有吉佐和子。有吉の作品は文学青年でなくても皆が注目

した。「恍惚の人」「複合汚染」は本を買ってまで読んだものだ。有吉

存命の頃は曽野綾子氏はすっかり世間から忘れられていた?。有吉佐和子

の1967年第6回女流文学賞受賞作品「花岡青洲の妻」から遅れること13

年後の第19回女流文学賞の受賞を曽野氏は辞退している。「自分は女流

の域を超えている」という自負があったのかどうか知らないが、世間は

必ずしもそうは受け取らない。「才女時代」を飾った一方の有吉佐和子

から13年目にして認められた屈辱感以外になかったのではないか。

この屈辱感の反動から「文化功労者」に列せられたことが文壇の頂点に

立ったという錯覚と自惚れになり、その余勢を駆ってペンを武器に無防

備な私たち庶民に切りかかってきているのではないか?あるいは有吉が

没したおかげで重しが取れ開放された挙句なのですか?そんな馬鹿なと

仰るかもしれませんが、「著名人」「有識者」「文化功労者」という絶大な

立場から私たち庶民へ向けられた言葉は刃のような鋭さと勢いを持っ

ていることをご存じないのでしょうか?よくテロや暴力に対し「ペンを

武器に闘う」などとジャーナリストや文化人の方達が言ったりしますが

そのペンを私たちに向かって投げつけているのですよ。

曽野綾子さんは・・・。

まあ、そのことを氏はきっと言下に否定されるでしょう。では「文化功

労者」になったことが「甘やかされた」などの一連の発言の動機ではな

いとすると、やはり1995年から2005年まで日本船舶振興協会(現日本財

団)の会長を務めていてアフリカの支援活動に携わってアフリカで見聞

したことが最大の動機ということなのでしょうか?

ではお尋ねしますが、お父様といわれる笹川良一氏らが作った社団法人

「全国モーターボート競走会連合会」俗っぽく言うと「競艇というギャン

ブル。笹川良一氏の意に反して?多くの経済破綻者を生み出してきたはず。

ギャンブルのために破産し一家離散の憂き目に遭った人たちは数え切れ

ないだろう。競艇は日本人を「甘やかす」道具となっただけではなく、

日本男児を骨抜きにした。競艇は「大和魂」を失わせるのに一役買った

といわざるを得ない。笹川良一氏はそのことには頓着なかったであろう

が、曽野綾子氏はどうお考えになるのでしょうか?

ギャンブルの競艇で国民の一部であっても彼らを「甘やかし」悲劇を味あ

わせてもいる組織の長
でありながら、一方で自然災害に遭われた方々に

甘えるな」とは、どういうことですか?とても矛盾を感じます。

日本人に「カツ」を入れたいのでしょうが、お節介はお止めください

それよりもあなたの古巣「日本財団」に日本男児を「甘やかさない」よ

う「骨ぬき」にしないよう仰せ付けください。・・だって



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