非才無才の雄叫び

つぶやくこと、叫ぶこと、すべてボケ防止だ!

東日本大震災 曽野綾子氏の間違いだらけの文章作法

2011-09-17 10:05:57 | 日記
東日本大震災 曽野綾子氏の産経新聞「透明な歳月の光」の怪
東日本大震災 曽野綾子氏と読売新聞の「税と安心」
東日本大震災 曽野綾子氏と文芸春秋「日本はどこで間違えたか」
曾野綾子の「生活保護受給者」攻撃と「自殺のすすめ」
東日本大震災から約半年。曽野綾子さんをはじめとした何人か
の有名な方々の被災者に対する心無い発言に夫の苛立ちは募るばか
りで、少々心配になってきました。


 当ブログのこの記事は過去4度、webサイトから削除を受けた。こ
の記事のタイトルが上位表示されるのをなんとしても阻止したいよ
うだ。(埼玉不動産仲介手数料ゼロ無料メディアエステート社長の日
記のタイトルでもご覧になれます。)その度に固有のキーワードをな
くして他の文言に変えたりして公開し続けている。曽野綾子氏側も
沽券に関わる内容なので必死なのだろう。自らの生命線に関わるこ
とはどうも我慢がならないようだ。これで少しは被災者の心の痛み
が解ってくれれば良いが・・・。
 
 東日本大震災・曽野綾子をキーワードにネットの世界を彷徨ううち
に宇佐美 保という方のブログに出会った。氏のブログを見渡すと多
岐に亘っての評論が氏の博学多識を物語っている。その中で「こんな
事でよいのでしょうか?」の評論集の中に「復興は平和の礎(曽野綾
子氏と石原慎太郎氏)」と題した評論があり週刊ポストに掲載された
曽野綾子氏のコラムが全文掲載されていたので読む機会を得た。宇佐
美 保氏に感謝したい。(曽野綾子で検索のコラム全文をWEBから削除
した模様)※宇佐美保氏のブログ「宇佐美保の世界へようこそ」

さて、この記事は当ブログで紹介した「曽野綾子氏へのおもしろ批判
選集」の中のレスで告発されていたものだ。
 ○こういう時に自分の備え並べ立てて得々と自慢する。あげく見開き
2ペ-ジのスペースで被災された方々への思いは何一つ述べられるこ
とが無い。ただ、日本人は備えが甘かったという。じゃあ、この方は
コンロだの水だの備蓄してるからいきなり津波が襲っても平気だとい
うんだろうか。
○読み取れるのはこの人の現代日本人への憎悪のようなものと、自己
愛(自慢)のみ。
○そりゃ神奈川にいたら慌てないでしょうね。子供に笑われるよホン
ト。震度7の地域にいた人が慌ててるように見えるのですか? 慌てる
暇も無いですよw
○災害に際しても、自分のサハラの経験を振り回して寸豪も疑うこと
が無い。新しい現実を認めない、今ある現実を見て物事を考えようと
しないわけだ

 まず冒頭。「二〇一一年三月十一日午後二時四十六分に起きた
地震が、近年落ち込んでいると言われる日本の凋落に、決定的な追い
打ちをかけるか、それとも、長い間の物心両面の沈滞を打破するきっ
かけになるか、というと、私は後者に望みを託したいと感じている
。」
のっけからこの悪文。「落ち込んでいると言われる日本の凋落に」?
何を言っているのですか?文章になっていないではないか。「凋落」と
いう言葉は平たく言えば「落ち込んでいる」という意味ではないです
か。同義語を重ねて何を表現したいのですか?この場合「落ち込んで
いる」は「凋落」に対する修飾語でしかないので同義語を重ねるのは
適当ではない。通常は「近年落ち込んでいる日本の鉱工業生産」とか
言ったりしているが曽野綾子氏の文章であれば「近年、凋落傾向にあ
る日本の現状に、決定的な追い打ちをかけるか」という表現ならまだ
しも、これはもう論外というしかない。曽野氏くらいの文壇の「大御
所」で「文化功労者」に週刊ポストの編集者もさすがに怖くて添削
なんてできないのだろう。なんという無様!
大先生!もう筆を折る時期ではないのですか?

・・ま、このままでは話が途切れてしまうので先に進めるしかないが、
さて前者の「日本の凋落」に対して後者は「物心両面の沈滞」?こうい
う二者択一の手法もあるのかな?「日本の凋落」という場合、諸外国と
比較した日本国の政治・経済を含めた全般の状況を表すのに対し、「
物心両面の沈滞」とはここでは「日本国民の物理的精神的な状態」を
表している言葉と理解するのが順当であろう。しかし、「日本の凋落」
と国民の「物心両面の沈滞」?の状況は本来、表裏一体のはずなので、
こういう事象の比較や選択手法は普通取らないのではないか。ただ曽
野綾子氏が敢えて分けたところに氏の意図するものがあるのかもしれ
ない。そこで国民の「物心両面の沈滞」?状況とはどういうことかと
考えざるをえなくなる。「物心両面の沈滞」?をそのまま語訳すれば
「物が滞って物が入ってこない、一方心はそのために沈みがちである。
あるいは沈んでいる」とならないか?普通「物心両面」とくれば「物
心両面に亘って支える」とかは良く使われているが曽野綾子氏の場合
はこれが普通の表現ですか?だから「物心両面の沈滞」という言葉は
何を言いたいのか解らなくなる。
氏はなんとなくそう思って書いた
だけですよね、きっと! 要は以前から記述しておられる国民の「甘やか
された
」状況と言いたいのでしょう?ところがその言葉で相当の反発を
受けたので今回は「物心両面の沈滞」?としたのではないのですか?そ
れだったら最初から相変わらずの「甘やかされた状況」と言った方が
解りやすいのですが・・・。ともあれ次の記述。「理由は、日本人がそ
れに耐えうる国民だからだ。長い間の教育(人格形成の部分では、日
教組的な思考の影響をかなり受けて荒廃したが)と、一九四五年以来
疑いた続いた平和のおかげで、日本には地道な国力もついているから
である
もっともらしい言い方に聞こえるがよく読むとなんだかすっき
りしない。「日本人がそれに耐えうる」?つまり「それ」とは「長い間の物
心両面の沈滞を打破する」こと?そしてそれに「耐えうる国民」?前段が
意味不明なだけになおさらすっきりしない。以前のように「甘やか
された状況を打破する」ことに「耐えうる国民」の方が分かりやすい
し少しはすっきりする。しかし、その後の「長い間の教育と・・・」とい
うことと先に述べられた「長い間の『物心両面の沈滞』」とはどうい
う整合性
があるのですか?説明できないでしょう。「長い間の物心両
面の沈滞」状況の中での「長い間の教育」のおかげで「地道な国力も
ついている」から「日本人がそれに耐えうる国民」になったと繋げるの
でしょうか?繋がらないでしょう。こういうと氏の言葉「発言の裏の深い
含蓄が読み取れないと駄目だ
」と仰るでしょうね。
さらに「長い間の教育」で「地道な国力もついている」。特に書く必
要もない文章ではないか。「長い間の・・・」とはいつ頃からのこと
なのか?明治以来のことなのか?それとも終戦後ということなのか?
「明治以来」に決まっているだろうというのであれば、明治以来のど
のような教育でという表現をしないから漠とした印象を与えてしまう。
「長い間の教育」というのはどの国にもあることだ。それで「地道な
国力」?何を言うのですか?戦後の廃墟の中から奇跡的な復興を遂げて、
ついこの間までは世界第二位の経済大国にまで上り詰めたというのに
「地道な国力」?ではないでしょう。「国力」というのは経済力だけで
はなく軍事力なども含めたものになるので自衛隊のことが曽野氏の念
頭にあるのですか?それであれば、そりゃわが国の軍事力は地道です
よ。どうですか?解釈しようのない支離滅裂の文章ということですよ。
それと言わせて頂ければ「物心両面の沈滞」(甘やかされたと言い換
えることができるならば)を打破するなんて、おおげさですよ。そんなこ
とは日本人にとって造作もないこと。もう少し自分の国の国民を良く
見てください。なにしろ終戦前後は空襲のほかにいくつかの大地震に
見舞われた中から復興してきたのですから・・・。
 いずれにしても、芥川賞の候補者になった「作家」で国の教育改革
国民会議の委員をなさり「文化功労者」で最近は「老いの才覚」で
ベストセラー作家の曽野綾子先生の文章に「限りなく非才・無才
の勉強のできない」代表格の当方が筆を加えざるを得ないなんて
情けないかぎりだ
。曽野綾子氏の文章は真剣に読む類のものでは
なく、なんとなくという感じで読むか斜め読みしかないでしょう、これで
は。どうなっているのですか?芥川賞の候補になってから文章力を高
める修行や研鑽に励んでいたのではないのですか?「作家」としての
修行を疎かにしておいて被災者には
甘えるな」ですか?虫が良す
ぎますよ。これでは明らかに売文家と言われても言い訳もできない
でしょう。とにかくこれ以上、世間を騒がすのを止めて一日も早く筆を
折った方が良いのではないのですか?

嗚呼なんと「文化功労者」が
この程度とは・・・・
背筋が寒くなる想いだ。
我が国の「国力」の低下を
目の当たりにしたような
気分で実に哀しい。
曽野綾子氏よ、「文化功労者」を
早く返上して筆を折り給え
・・・だそうです。


※この週刊ポストに掲載された曽野綾子氏の駄文を読むのも甚だ
疲れる。ただ、この後、曽野綾子氏は当方にとって看過できない
ことを仰っているので後の批判文は次回に割愛するしかありま
せん。悪しからず。

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