非才無才の雄叫び

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「太平洋戦争の大嘘」という荒唐無稽24

2020-10-29 06:27:57 | 日記
「日本はハワイではなく、極東ソ連を攻撃して挟み撃ちにする
べきだった」

藤井君
君の論旨から判断すると、こんなの蛇足だろ?
戦後、アメリカの将軍が回想したからと言って、戦後だから
言えることだ。
戦時中に日本軍の中で、対ソ連戦の構想もあったようだが、
日中戦争の泥沼化で戦費を費やした日本には、その余裕は
なかったはずだし、
松岡らはこの同盟政策を発展させ、日独伊、そしてソ連を
加えたユーラシアブロックによって米英を牽制しようとした

という構想で松岡外相らが、ドイツやソ連を説得しようと試みた
が、独ソ戦によって、その構想は頓挫した。
また「日本軍は対中国・対ソ連に兵力を集中させ身動きで
きない状況にあった
・・・・」

ところが藤井氏、曰く
もし、イギリスだけを選んでやるのであれば、これはどうにか
なったかもしれません

なんだ、これはー。
歴史書の著者が、個別の事柄に
自分の感想を述べるなんて
あるのか?
おまけにこの好戦的な記述はなんだ?
君自身の右翼的体質か
?

そして
「ついに一緒の船に乗ったー安堵して眠りについたチャーチル」

パールハーバー奇襲の報を受けて、チャーチルが言った有名な
言葉があります。「we are on the same boat(ついに一緒の船に
乗った
)」

藤井君
君は資料も確認しないで、自分の記憶を頼りに書いてるのか?
読者に失礼だろ

その言葉を言ったのは、ルーズベルトだよ。
国民をバカにしているのか
?

1941年12月7日(日本時間で12月8日)の日本軍の真珠湾攻撃に
より太平洋戦争(開戦直後の閣議決定における日本側の呼称:
大東亜戦争)が勃発し、翌日(12月8日)には、
「Pearl Harbor Address to the Nation」(=真珠湾攻撃を国民に
告げる)として、日本への宣戦布告を議会に求めた(演説の
冒頭で「a date which will live in infamy="屈辱の日"」の表現を
用いた。このため、この演説は「屈辱演説」と呼ばれる)。
アメリカ議会の上院は全会一致、下院は1人が反対したのみで、
宣戦布告を承認した。その後、ルーズベルトがイギリス首相
ウィンストン・チャーチルに「我々は同じ船に乗りました、
日本は攻撃してきました」と報告した
際、チャーチルは手を
叩いて喜んだ


そして、相変わらずの論調
日本軍が真珠湾を攻撃した直接の意味は・・・・アメリカに
参戦の絶好の口実を与えたのです。・・・日本の首脳陣は誰も
この謀略の深さを理解していなかった
・・・」
藤井君
何を言っているのか、自分で分かっていないのだろ?
それくらい日本はバカだったと

ルーズベルトの日本人に対する発言や政策を間接的に
認めていることにもなるのだ。

ルーズベルトは、スミソニアン博物館の研究者であるアレス・
ハードリチカによる、日本人の頭蓋骨は「われわれのより
約2000年、発達が遅れている」という見解を紹介した上で、
・・・この様な自らの人種差別的感情と、第二次世界大戦以前
からのアメリカにおける日本人に対する人種差別的感情を背景
に、1941年12月の対日開戦後には妻・エレノアからの反対を
も押しのけて、大戦中にアメリカ国内とアメリカの影響下に
あったブラジルやメキシコ、ペルーなどの中南米諸国におい
て、ヒトラーのユダヤ人強制収容と同様の日系人の強制収容
政策を推し進め、自由を束縛するとともに財産を放棄せざる
を得ない状況に追い込んだ


さらに1944年6月13日には、アメリカの新聞が「ルーズベル
ト大統領が、フランシス・E・ウォルター連邦議会下院議員か
らレターオープナーを贈呈されたが、それが日本兵の腕の骨
から作られたものである」と報じた。なおルーズベルトは、
このような猟奇的な行為を隠しも恥じてもいなかった


このくだりを読んで小生はルーズベルトが嫌いになった。
しかし人の好悪と歴史的事実に対する対応は峻別すべきだ。

おのれっ
ルーズベルトめっ


返す刀で
おのれっ
藤井厳喜めっ

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