東日本大震災 曽野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末1
東日本大震災 曽野綾子氏と読売新聞の「税と安心」
東日本大震災 曽野綾子氏と読売新聞「編集手帳」
東日本大震災 曽野綾子氏個人的記録という欺瞞Ⅳ
東日本大震災と曽野綾子氏。この二つのキーワードは、しば
らくは夫の念頭から消えることはないのでしょう。
8月19日の朝のNHKのニュース番組の特番だと思われる番組で福
島県いわき市の「じゃんがら」念仏踊りに取り組む青年達の姿を追っ
ていた。この「じゃんがら」念仏踊りは無形民族文化財で350~360
年の歴史があるらしい。いわき市の地区ごとに青年会・保存会等の
若者たちが各地区15人ほどで毎年行なっているという。服装は浴衣
に白襷、白足袋、鉢巻、先頭の提灯持ちだけは浴衣に黒紋付、3人が
太鼓、7~10人が鉦を叩いて8月13日~15日の新盆を迎えた
家に門付けして供養して回るらしい。長崎の「精霊流し」と比べる
と質素で実に寂しい供養だ。それでも大震災以前の「じゃんがら」
念仏踊りの写真を見ると街角に提灯が吊るされて少しは華やかさが
ある。
番組は一人のリーダーを追っていた。途中から見たので、なぜそ
の青年を選んだかは分らない。想像だが地区の青年会や保存会の
人たちの中には今回の大津波で亡くなった人たちもかなりいたもの
と思われる。そういう中で地区によっては「じゃんがら」念仏踊りの存
続さえ危ぶまれるところもあったであろう。そこで立ち上がったのが、
この青年なのかも知れない。この踊りをやったことのない人も加わ
ってお盆に間に合わせようと必死に踊りの練習をしている青年達。
汗だくになって太鼓を叩いているリーダー。
そしてようやく本番を迎えたその場所は、なんと見るも無残な市
街地だった。津波にすべて流されて家々の基礎石だけが残って
荒地と化したとある一画を若者達は「じゃんがら」念仏踊りで
供養する。
傍らには供養を依頼したと思われる遺族のご婦人が一人佇む。
この荒涼とした地で踊る若者達の姿を涙なしには見ることなど
到底できなかった。
踊りが終わると青年達はご婦人に一礼して去っていく。そこには何
か利益を得ようとするものなどなく観る者にとっては清々しい限り
だ。しかしその番組を見終わると言いようのない怒りに包まれた。
「甘やかされた生活がこれからも続くという夢が打ち砕かれた」と発
言した曽野綾子氏に対する怒りだ。そして週刊ポストに記載された
氏のコラムの最後の言葉「地震が近年眠りこけていた日本人の怠
惰で甘やかされた精神を揺り動かしてくれれば、多くの死者たちの
霊も少しは慰められるかと思うのである。」という言葉が脳裏を駆
け巡る。
この青年達のどこが怠惰で甘やかされた
精神なのかッ
そもそも「日本人の怠惰で甘やかされた精神」とは、どういう部分
を指すのか。そんなに日本人は怠けてだらしなく甘えている民族な
のか?そうであるならばきちんと根拠を示して、ここがこのように怠
けている状態で、その上こういうところがだらしない。したがってこ
れは甘えだと指摘した上で記述するのが「文化功労者」というもの
だろう。おまけに「近年」・・・?ということは「ここ数年」ということにな
るが「6年くらい前から日本人は正体なく眠っていた」というのか?
6年くらい前からというのは何か根拠があるのですか?根拠も示さ
ず一人合点の言辞を弄するから「何でもいいから実際のデータを
持ってこい。論拠が空想と人生訓しかないような説教はブログでや
れ」と読む者の怒りを買う。論拠はないけど「なんとなくそう思った」
から記述したのですか?こういうと曽野綾子氏の小言が聞こえそう
ですね。「発言の裏の深い含蓄が読み取れないと駄目」・・・と。
あなたの文章にどれほどの深い含蓄があるというのですか。深い含
蓄がある文章には人は直ちに感情的な反発などはしないものですよ。
論拠に乏しく主観的なうえ貧弱な表現力、加えて幼稚なロジックを
執拗に繰り返す曽野綾子氏の文章に「深い含蓄」などなく氏の意図
が露骨に透けて見えるだけではないか。だから読者から「○保守派
ということで今まで批判したくなかったけれど今回の発言、これは
だめだ。底が見えた。ついでに言うと小説がつまらない。文学的な
満足感も得られないしエンタメでもないし中途半端で毒にも薬にも
ならない。」と不評を買う。
さらに甚だ失礼なことをお尋ねするが、文筆家である以上はご自身
が使われる言葉の意味は理解した上で書いておられるのですよね。
なぜ「高名」な曽野綾子氏にここまで言うかといえば、先のブログで
取り上げた曽野綾子文学板のレスに「○『私はあまりにも多くを聖書
から得ました』普通“あまりにも”は否定的文脈で使われるから、
聖書なんて真面目に読むな、の意味なのかな?」と読者に誤解を
与えておられるからご自身の記述する文言について、果たしてどこ
まで理解しているのか訝しく思うからです。このように根拠に乏し
く自らも明確に説明できないことを書いておきながらこの後段「揺り
動かしてくれれば、多くの死者たちの霊も少しは慰められるかと思
うのである」という言葉は自己陶酔型の言葉で「自分は日本の指導
者の一人だ」という自意識丸出しの言葉でしかない。これは被災し
て亡くなられた方々を冒涜するものだ。今回の大震災で亡くなった
り行方が分からない方々の中には人を救うために命を投げ出した
人も多い。消防士や消防団員、警察官、役場の人たちや救助を使
命としない一般市民の人たち。これらの人たちを含めた二万余の
亡くなった方たちの被災地・故郷への想い、この世に残った者へ
の想いは、ひたすら故郷のいち早い復興を願うもの以外にはある
まい。にもかかわらず「地震が近年眠りこけていた日本人の
怠惰で甘やかされた精神を揺り動かしてくれれば、多くの死者た
ちの霊も少しは慰められるかと思うのである」というような主観的
で自意識過剰の発言はとても許せるものではない。
被災地・故郷の一刻も早い復興を
願う二万余の御霊よ!
このような妄言によって被災地
と皆様を冒涜するこの愚かな売
文家・曽野綾子を許し給え。だそうです。
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東日本大震災 曽野綾子氏と読売新聞の「税と安心」
東日本大震災 曽野綾子氏と読売新聞「編集手帳」
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東日本大震災と曽野綾子氏。この二つのキーワードは、しば
らくは夫の念頭から消えることはないのでしょう。
8月19日の朝のNHKのニュース番組の特番だと思われる番組で福
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家に門付けして供養して回るらしい。長崎の「精霊流し」と比べる
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ってお盆に間に合わせようと必死に踊りの練習をしている青年達。
汗だくになって太鼓を叩いているリーダー。
そしてようやく本番を迎えたその場所は、なんと見るも無残な市
街地だった。津波にすべて流されて家々の基礎石だけが残って
荒地と化したとある一画を若者達は「じゃんがら」念仏踊りで
供養する。
傍らには供養を依頼したと思われる遺族のご婦人が一人佇む。
この荒涼とした地で踊る若者達の姿を涙なしには見ることなど
到底できなかった。
踊りが終わると青年達はご婦人に一礼して去っていく。そこには何
か利益を得ようとするものなどなく観る者にとっては清々しい限り
だ。しかしその番組を見終わると言いようのない怒りに包まれた。
「甘やかされた生活がこれからも続くという夢が打ち砕かれた」と発
言した曽野綾子氏に対する怒りだ。そして週刊ポストに記載された
氏のコラムの最後の言葉「地震が近年眠りこけていた日本人の怠
惰で甘やかされた精神を揺り動かしてくれれば、多くの死者たちの
霊も少しは慰められるかと思うのである。」という言葉が脳裏を駆
け巡る。
この青年達のどこが怠惰で甘やかされた
精神なのかッ
そもそも「日本人の怠惰で甘やかされた精神」とは、どういう部分
を指すのか。そんなに日本人は怠けてだらしなく甘えている民族な
のか?そうであるならばきちんと根拠を示して、ここがこのように怠
けている状態で、その上こういうところがだらしない。したがってこ
れは甘えだと指摘した上で記述するのが「文化功労者」というもの
だろう。おまけに「近年」・・・?ということは「ここ数年」ということにな
るが「6年くらい前から日本人は正体なく眠っていた」というのか?
6年くらい前からというのは何か根拠があるのですか?根拠も示さ
ず一人合点の言辞を弄するから「何でもいいから実際のデータを
持ってこい。論拠が空想と人生訓しかないような説教はブログでや
れ」と読む者の怒りを買う。論拠はないけど「なんとなくそう思った」
から記述したのですか?こういうと曽野綾子氏の小言が聞こえそう
ですね。「発言の裏の深い含蓄が読み取れないと駄目」・・・と。
あなたの文章にどれほどの深い含蓄があるというのですか。深い含
蓄がある文章には人は直ちに感情的な反発などはしないものですよ。
論拠に乏しく主観的なうえ貧弱な表現力、加えて幼稚なロジックを
執拗に繰り返す曽野綾子氏の文章に「深い含蓄」などなく氏の意図
が露骨に透けて見えるだけではないか。だから読者から「○保守派
ということで今まで批判したくなかったけれど今回の発言、これは
だめだ。底が見えた。ついでに言うと小説がつまらない。文学的な
満足感も得られないしエンタメでもないし中途半端で毒にも薬にも
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さらに甚だ失礼なことをお尋ねするが、文筆家である以上はご自身
が使われる言葉の意味は理解した上で書いておられるのですよね。
なぜ「高名」な曽野綾子氏にここまで言うかといえば、先のブログで
取り上げた曽野綾子文学板のレスに「○『私はあまりにも多くを聖書
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まで理解しているのか訝しく思うからです。このように根拠に乏し
く自らも明確に説明できないことを書いておきながらこの後段「揺り
動かしてくれれば、多くの死者たちの霊も少しは慰められるかと思
うのである」という言葉は自己陶酔型の言葉で「自分は日本の指導
者の一人だ」という自意識丸出しの言葉でしかない。これは被災し
て亡くなられた方々を冒涜するものだ。今回の大震災で亡くなった
り行方が分からない方々の中には人を救うために命を投げ出した
人も多い。消防士や消防団員、警察官、役場の人たちや救助を使
命としない一般市民の人たち。これらの人たちを含めた二万余の
亡くなった方たちの被災地・故郷への想い、この世に残った者へ
の想いは、ひたすら故郷のいち早い復興を願うもの以外にはある
まい。にもかかわらず「地震が近年眠りこけていた日本人の
怠惰で甘やかされた精神を揺り動かしてくれれば、多くの死者た
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被災地・故郷の一刻も早い復興を
願う二万余の御霊よ!
このような妄言によって被災地
と皆様を冒涜するこの愚かな売
文家・曽野綾子を許し給え。だそうです。
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