肺がん余命宣告されてからの日々

母が肺がんになり余命を宣告された日からぼちぼちと記して行きたいと思います。

診察日

2011-10-31 19:12:47 | 肺癌

今日は診察日でした。
迎えに行くと母はフラフラしていて元気が全くありませんでした。
声も小さく力が入らない様子でこれから先、話が出来なくなっちゃうかもしれないとお金の入った封筒を
渡されました。
今までお世話ありがとうと不自由な手で書いてありました。
わずかだし兄にも渡したのだから受け取りなさいと言いました。
何の希望も無いという気持ちがオーラとして出ていて母のなぜそんなに生き急ぐのかと感じてしまい
悲しくなります。

病院で採血をしたら外来のベットでお休みをさせて貰いました。
1時に採血をして診察を呼ばれたのは3時でした。
呼ばれて先に私だけ入りマーカーの結果を聞いたら少し下がっていたので母には結果を
伝える事になりました。
一度、診察室から出たらたまたま父が順番を見に来ていました。
結果を話し母には先生から直接お話しをして貰う事にしました。

母はこの所、食欲がぐんと無くなりました。他に、喉の痰も取れない、手足がとても冷たくなる、
胃がむかつく、お腹を壊した、舌がざらざらした感じ、力が入らない、枕元で寝がえりするだけで
頭がぐるぐるする、今日から太ももが痒くなり湿疹が出来た、など先生に伝えました。
薬の多さにとても敏感な母に処方が変わりました。
院外処方になりましたが三粒飲まなければいけない物が一粒になったり減らせるものは減らし
新たに必要になった湿疹の薬など増やしたりしましたがそれでも飲む数は減りました。
食道が細くなったせいで薬を一粒づつしか飲めない為に水をいっぱい飲みます。
その為にお腹がいつもいっぱい?
ゼリー状の物を勧められました。これなら水分を取り過ぎずに楽になるかもしれません。

血液検査の結果は肝機能は大丈夫、腎機能は許容範囲内、マーカーは前回1005でしたが
今回は874でした。
2週間で100ちょっと下がりました。
すぐに効く人もいるようですがだいたい3週間位から効き出すそうです。
前回の時に効き目が無く上がっていたのでショックだったですが今回の結果は嬉しかったです。
5以下の基準値なので問題大有りですが下がった、効き目があったという事に安堵したのです。
先生はまだ気持ちもはっきりと決められていないようだし薬も効いているようだから
もう少し続けて飲んだ方が良いのではないかと提案してくれました。
父もその方が良いと言っていましたが本人はなんだか余り嬉しそうに見えませんでした。
続けた方が良いのかしら?また薬を飲み続けなくてはいけないのかと不安だったのかもしれません。
帰りの車の中で母は「パパに続けてみようと言われたの」と言っていました。
母は皆と一緒に居たいと思っていますが治療も苦しくて体が自由に効かない事が辛くて仕方ないのです。
タルセバが効いて痺れなどが軽くなると良いのですが。
次回の診察は2週間後になりました。

実家でお泊まり

2011-10-29 17:40:59 | 日記

金曜の夕方から実家に行きました。
やはり体がだるくベットで横になっていましたが午前や午後にケアマネの方や区役所からの認定の方が
来たりなどでずっと座っていたようで疲れたみたいでした。
認定はまだですが、月曜と金曜に看護と介護の方が来てくれるみたいです。
二つを合わせると父も散歩に出かけられる時間にはなるようです。
早速、お風呂に入れて貰ったみたいで余計疲れたのかもしれません。

夜は兄もいて久しぶりの家族での食事でした。
〆サバ、さんまの胡麻揚げ、さつま揚げ、洋風でニョッキのトマトソース、ガーリックトースト、カルビステーキで食事を食べました。
母は少しづつを食べ最後に兄が作ったおじやを食べました。
本当に食が細くなりました。
食道が細くなり飲みこみづらいんだそうです。
その日は早めに寝てしまいました。

母はやはりホスピスに入りたいようです。
こんな何も出来ない体で生きていたって仕方ない、変に意識があるから変な事とか考えちゃうんだから意識なんて無ければ良いのに。ママの最後はほんとにみじめで最悪だと言っています。
でも皆の顔も見たい、でもこんな体じゃ何の楽しみも無いから早く終わらせたいととても揺れています。
今日もデパスを朝から飲んだようです。
タルセバは余り効いていないのかしら。
せめて入院前の様に歩ければ外での気晴らしも出来るのに。

退院後の様子

2011-10-27 20:01:16 | 日記

昨日は息子の学校の事や旦那のお休みなどで実家には行きませんでした。
夜に電話で父に様子を聞いたところ、朝からデパスを飲んだ事、早くホスピスに入ってしまいたいと
言って次の外来までが長く感じる事、気分の落ち込みは相変わらずでした。
その為に今日はお昼ご飯を一緒に食べる事にしました。

実家に行ったら母はベットに横になっていました。
背中と腰が痛くて父にさすって貰っていました。もしかしたら骨の転移のせいでしょうか。。
それとも寝てばかりなので痛いのでしょうか。

お昼御飯を一緒に食べたのですが何が食べたい?と聞いても食べたいものが分からないと言います。
最近は胃がお腹とくっついた感じで苦しいそうです。
いつもお腹がいっぱいみたいで食欲もありませんが一生懸命食べようとはしています。
結局、白菜の卵とじ、カップラーメン、アジフライとキャベツ、たらこおにぎりを少しづつ食べました。
その後は父が買い物と散歩を兼ねて出かけました。

私が掃除機を掛けている間、母はベットで座っていました。
掃除が終わりソファに座って母と話をしました。
何かテレビ見てる?と聞くとテレビを見る気がしないと答えます。
何に対しても興味が無くなってしまったと言い、テレビ、読書、音楽、食べる事全てがつまらないそうです。
病気が少しでも回復に向かうなら気持ちも違うんだけどねと言われ何て答えたら良いのか分かりませんでした。
でも2時間位座っていられましたが疲れて横になりました。
その後、叔母が来てくれましたので私は息子が帰宅するので帰りました。

明日は泊りに行きます。
入院中は恒例になっていたお泊まりも無く久しぶりです。
母が少しでも気晴らしになり楽しく過ごせたら嬉しいです。

退院の日

2011-10-25 16:34:26 | 肺癌

今日、退院しました。
買い物袋いっぱいの薬を持ち帰り母はその多さにがっくり、気分が落ちます。
病室に行った時から頬がピンクで熱っぽい顔をしていました。
熱は微熱だったのですが体がだるくてフラフラしたりして歩くのも大変です。

車に乗って自宅の近くに来たら、「あぁ、おうちが見えてきた」とやはり嬉しさが伝わります。
うちに帰ってすぐにパジャマに着替え横になるとベットで横になりました。
その間に入院の荷物を片づけていたのですがホスピスの用意が気になるらしく一緒に用意しました。
終わるとホッとした様子でした。
薬も朝、昼、10時、夜、眠前と仕分けして分かりやすく箱に仕切りをつけました。
これで母も安心したようです。

お昼御飯の用意が出来て一緒に食べるのでベットから起きた母は入院なら食べたらすぐに横に
なるのに今日は2時間弱は座って一緒に話したり薬の整理を見ていたりしたりしました。
手の治療で毎日洗って薬をつけて包帯してるのですが手を洗った後に父に支えられながら椅子に
座ろうとしたのですがふらついて椅子から落ちてしまいました。
父が手を支えていたのでお尻から落ちずに済み大事に至りませんでした。
こんな感じの事がこれから増えて行くのかと何となく思ってしまったら悲しくなりました。
「一緒にご飯作ったり掃除したいなぁ」と言う母の言葉を思い出しました。

お昼過ぎには叔母が来てくれました。
家の掃除などをしてくれ、その間に父は弱らない為に散歩、私はお惣菜作りをしました。
かぼちゃの煮つけ、ニンジンとジャガイモの千切りサラダ、かぼちゃとエリンギのローズマリー炒め
白菜と豚肉の重ね蒸しなどお野菜を中心にしました。
叔母は掃除機を掛けた後に床拭きやトイレなどのお掃除など腰をかがめて大変なのにやってくれました。
こうやって皆で力を合わせて母を支えていって母自身も安心して過ごせる毎日が続くと良いです。

入院18日目

2011-10-24 22:00:52 | 肺癌

今日は用事があったので行くのが6時過ぎになりました。
エレベーターの所で偶然、先生にお会いしたらお話がありました。
父には先ほど実家の方に連絡をしたそうですが母の退院後の事でした。

今の母はやはり決められずにいます。
母の事を考えたらホスピスに行った方が居場所としては良いのではないかとの事でした。
決めかねている母ですが自分ではやはり決められない。その事を先生は良く分かって下さいます。
家に帰っても父の負担を考えて苦しくなるし一人では不安になり居られない、ケアがいらしても
料理や掃除などは受けられないのも父が大変と気になっています。
救急車で運ばれるのも嫌みたいでその事を先生と母は夕方に話したそうです。

今の母には今の病院の体制よりホスピスの様にマンツーマンでついて下さりいつでもお話を聞いて
下さる所が良いのではないかと言われました。
確かに最近の母は薬の時間が少しずれただけで不安でナースコールを呼んだりします。
呼んでもすぐに来てくれないとか車いすでトイレに行っても立つ時など知らんぷりだしとつぶやきます。
この様な状態を今の病院ではかなえて欲しい事は無理です。
母はじっくりと自分の事を考えてくれていると感じる人がいる場所が必要なのだと感じるのですが
病院から離れたら治療も無くなり不安にもなる。
それが家族にはどうすれば母に良いか分からず困っていました。

先生は母にはやはり決められないだろうからと、でも家族から言われても駄目だろうし私から言いますと
言って下さいました。
でもそれは、退院後に1週間たったら外来の予約がありますのでその時の様子や気持ちや
検査結果などを聞いてからの判断です。
この一週間の家で負担に感じずにいたら次の外来まで延ばすとの処置もしてくれます。
先生は自己の判断が出来る状態の時に母がホスピスを選んだという事に重きを置いてくれています。
希望がかなうようにといつも考えて下さっていてその都度その都度より良い方法をと思ってくれている
事に感謝してます。

結果としては、次回の外来の時に母の様子を見て聞いて辛そうな事を言うならホスピスを先生が
勧めると言う事になりました。
だいたい他の患者さん達は本人や家族の希望からですがうちはそれが出来ないので本当に気持ちが楽になりました。

その後に病室に言ったら母が先生にあとどの位かと聞いたら1カ月から2カ月と言われてショックだったと
デパスも飲んでました。
先生はズバズバ言うからショックで嫌と言いましたが、それはママがきいたんでしょ?そうしたら今は本人告知もしてるしホスピスの希望をしている人には伝えないといけないから言うんだよ、
でもそれを聞いてもデータでしかないし人それぞれ違うのだから当てにはならないとは言いました。
聞いたところで後何日だろうとばかり考え余計に心配だかりして不安な毎日だけになるなら聞かない方が良いと思うとも言いました。
昼に父が来た時に二人でなるべく早く明日にでもホスピスの予約をしたいと先生に言うと言っていました。
それはまた、先生に言われた物とそぐわない事になります。
どうしてそんな話になるのか不思議というかなぜ先ばかりで今の状態を見てから判断出来ないのだろう。
退院して一週間は家で過ごし看護と介護のケアも入る予定なのにその経験もせず家での居心地なども
経験しないですぐにホスピスなんて私には考えられませんでした。
ホスピスは運が良ければ明日、あさってもあるだろうし1週間や2週間待つ事もあると思います。
でももし次の日だったら家で過ごす事も出来ません。それは母の希望ではありません。
少しは家で過ごしてからホスピスに行きたいと今日話していました。
それが母には不安なのですが家で、もしかしたらゆっくりした気持ちを少しでも過ごせるかもしれない。
だから一週間家で過ごしてから次の外来の時に自分の気持ちに負担や父に対しての負い目ばかりで辛いなら先生にお話ししてホスピスに行こうと話しました。
だから明日先生に話す事では無いとも言いました。
これも先生と直前にお話しが出来たから言えた事だったので会えた偶然に感謝しました。

先生も外来の時の様子でお話をするし元気でいれていそうならその話はまた次の外来にするしと様子を見ながら言ってくれるようです。
正直、難しい局面に入り始めたと感じるようになりました。
先生もお話していましたし家族も感じていますが母はやはりホスピスで過ごすには難しい感じです。
今日も薬がなかなか来ない事が気になって不安になりしばらく我慢していましたがナースコールしました。
こんな状態でホスピスに行って気持ち良く過ごせるのでしょうか?と、先生は母がもっと自分の事をちゃんと
見てほしいとも思っている様なので今の病院の体制よりホスピスの方が余計な心配も無く過ごせるのではないかとのお話にやっと納得が出来るようになりました。
母もホスピスはいっぱい話を聞いてくれたり救急車で運ばれたりとか急な心配も無いし安心と言い何が
一番希望しているのかはっきりと分かった来たように感じました。