肺がん余命宣告されてからの日々

母が肺がんになり余命を宣告された日からぼちぼちと記して行きたいと思います。

新盆

2012-07-16 17:06:33 | 日記

13日に霊園で合同供養が行われました。
気が付けば5カ月が経過していてそれがまだこんだけしか経ってないんだって思う反面、
私の記憶ではずっとずっと前の事の様に感じてます。

毎日、家族との日常に追われ何故、母に会えないのかと深く考える事を止めてしまいました。
記憶をさかのぼると元気で一緒に出かけていた事、病気が分かり辛い思いをして戦っていた
母を思い出し悲しい気分にしかなりません。
それでもふっとした事でちょくちょくと頭の中であの時は・・・と思いだします。
楽しい事もありますが後悔の方が多いです。

イレッサの継続を勧めたりタルセバを勧めたりは今になって母がどれだけ毎日が辛くて
苦痛だったかを分かっていませんでした。
もっと苦しんでる人がいるとか飲みたくてもこのお薬を飲めない人もいるんだから勿体無いと
言い、止めたがっている母に強く言っていた自分はその時は正しいと錯覚していました。

今なら勧めていませんがこの気持ちは今だからそう思うようになっただけです。
どうしてもっと母の気持ちに添った考え方が出来なかったんだろう。
今日も母の夢を見ましたがいつも病気で元気が無く歩いていても支えていたりと
病気が前提の母ばかりで悲しい夢が多いです。
父や叔母などは元気な母が出てきたりするそうで羨ましく思います。

先月に母の姉が大阪に住んでいるのですが亡くなりました。
今月の終わりに49日があります。
去年の暮れから風邪っぽいとだるさがあり家で寝たりしていたのですが今年の2月に
食欲も無くなり寝たきりになったそうです。
5月に近所の病院からお腹に水が貯まっているからと大きな病院に移った所、肺がんで
ある事が分かりました。
随分と衰弱していて手術も出来ずに6月に亡くなりました。

本人はがんと気付かずにいました。
母に可哀相に。代わってやりたいと何度も電話をしてくれていました。
もう年でこちらの方には来れなかった分、電話や手紙などまめによこしてくれて母も慰められ
泣きながら電話で良く話してしました。

結果的に母の姉妹はすべて癌になってしまいました。
今は近所に住んでいる2番目の姉は大腸がん、千葉に住んでる3番目も肺がん、どちらも摘出して
治りました。
そして1番上の姉が今回亡くなり末っ子の母です。
親族や親にも癌の方は居なく家系だねなんて話ではありません。

今は2人に1人が癌の患者さんと言いますが今までは他人事でしたが本当に身にしみました。
自分自身もいつなるか分からないんだとしっかり頭に入れて毎年人間ドックに励んでいます。
癌は無いけれど色んな所にガタがきています。

乳腺症は5年位前からででっかいのでずっと要観察、びらん性胃炎、腎のう胞、腎結石、子宮筋腫疑い、
子宮石灰化、子宮ナボット疑い、コレステロール高値などありありです。


4月の終わりは父の誕生日でした。
ちょうど兄いて私と息子で祝いました。
母が居なくなってから洋服も困るだろうとシャツをプレゼントしました。
リバーシブルで着れるので2着分と考えたら良いですね。。