肺がん余命宣告されてからの日々

母が肺がんになり余命を宣告された日からぼちぼちと記して行きたいと思います。

冬眠

2012-01-30 16:17:45 | ホスピス

起きたらやっぱり頭と喉が痛いです。。。
でも息子の方は元気な様で学校に行きました。
一クラスは学級閉鎖の連絡がありました。

お昼に母の所に行きました。
寝ていました。
父に聞くと良く目を覚ますようです。
昨日と違って今日は返事をしないと言っていました。
風邪が移ると困るので刺繍を母の前に見せて声を掛けました。
スミレの模様だよ、ハートで囲ってるんだよ。
愛がいっぱい詰まってるからね、ハートだよと何度も言いました。
母はうっすら開いていた目を閉じ寝てしまいました。

父は人が話しかけると寝ちゃうんだよ、ホッとするのかねと言っていました。
長居は禁物なので帰る時に風邪移っちゃうと大変だから早めに帰るね、と言ったら
わずかに頷きました。
父に頷いたよと言ってまた母に移ると困っちゃうもんねと言うとまたわずかに頷きました。
あぁ、分かってるんだ、それじゃさっきの刺繍の事も分かってくれたのかもと嬉しかったです。

風邪引きだからたまには送ってあげようと父が一緒に病室を出ました。
午前中に兄が来たそうです。
その時に先生も来たので3人で話をしたそうです。
今の状態のままで良いのか?などを聞いた所、母にとっては一番なんだそうです。
母の体はもう食べ物などを受け付けない様になっているそうです。
そんな体の時に水分や栄養などを取ると体のあちらこちらに散り貯まってむくんだり病気になったり
するそうです。
人の体はその様な状態だと自分のエネルギーをなるべく使わない様にするそうです。
そして自分の体を守ります。
それを理解していない病院の先生などもいるそうでパンパンにむくんでいく患者さんがいるそうです。

動物が冬眠をする前に沢山食べてゆっくり消費して春を迎えます。
それを思い出しました。
母も一時びっくりする位食べていました。
お正月も沢山食べたしホスピスに入ってから5キロ以上は太ったと思います。
まるーくなったねと話していました。
不思議な事と思いますが体は準備していたのでしょうか。
意識があるうちに叔母達を呼んだり何か魂が動かすのでしょうか。

先生がよく頑張ってるね、まだまだ大丈夫だよと母の前で言ってくれたそうです。
その話を聞いて私も母とまだまだ一緒に居れると本当に思い悲観していた気持ちが晴れたようでした。

過去と今

2012-01-29 22:10:11 | ホスピス

街中を歩いていると殆どが母と一緒に歩いた場所です。
日常で出かける所は勿論ですがちょっとした買い物をするデパート、前は良く洋服や物産展など
行きました。
朝、母と駅で10時頃に待ち合わせると必ず夕方の4時頃まで遊んでいました。
父は良くそんなに遊べるねといつも言っていました。
私は友達と出掛けるのも好きですが母との時間の方が親子だったので楽だったせいか良く誘いました。
デパートで働いていたせいかセンスが良くていつも素敵な女性でした。
なぜか母の周りには人が集まり楽しい雰囲気がありました。

先日、母の病室での事ですが父が母に言いました。
○ちゃんの周りにはいつも人が集まるね、皆に好かれているねと。
でも誰にも言って無いからね、言ったら忙しくて大変になるから呼んでないんだよ。
母の病気の事を知っているのは本当に数人の人達だけです。
今でも心配してくれ手紙やらを送ってくれて励ましてくれています。
母は一冊のノートに子供達に綴ったノートがあると以前記しましたが父にも沢山の事を残している様です。
一度、まだ治療の病院の時に枕元におぼつかない字で父に対して走り書きがありました。
内容は余り見なかったのですが病気になってごめんね、とか大事なパパへと熱い思いが書いてあり
見てはいけない様な気がして知らないふりをしました。
ホスポスと違い泊まれない病院での相部屋でも一人ぼっちと感じ夜は淋しかったのだと思います。
お葬式は家族だけで誰にも知らせないでやって欲しいなど何もかも残った人が困らない様に癌との
不安の中でずっと考え残していました。

いつも綺麗にしていてはつらつしていて笑ったり怒ったりと喜怒哀楽をはっきりとしていながら
可愛らしく映る母は凄いなぁと思っていました。
笑う時は豪快に大きな声で笑いこちらまで楽しくなりたいして面白くなくても大笑いで母の周りは
笑いが絶えない事が多かったです。
でもそれは私が一部の部分しか見ていなかった事でもあります。

仕事をしていれば色々あります。
良く胃を壊して夜中に胃痛で苦しんだり胃カメラを飲んだり救急車を呼んだりとそれなりにストレスからと
思われる症状も抱えていました。
綺麗好きで心配性で家の事、子供達の事、父の事、癌になった叔母の事などいつも何か心配を
抱えていたのです。
自分の事より人の事ばかり考え病気が分かってからは何故自分がという事に対して後悔と不安ばかり、
初めて自分の事を人の事を考える事は癌の事だったかもしれません。

今日、電話で母の様子を父に聞き11日も食べていないのだと話しをしていました。
返事をする事すら大変だろうねと話します。
栄養も水分も取らずに自分の体重が減っていく感じは分かると思います。
それを見ているしか出来ない父はいつも母に声を掛けていますが最近は泣けてきそうなるそうです。
可哀相で可哀相でそれを何もしてやれず見ているしか出来ない。
今日は38,2度の熱があったそうです。
汗をいつも沢山かいています。熱も微熱が出たりしてます。
それを今の衰弱した体から消費しているのです。
どんどん体の力は弱っていくに決まっています。

蛾死をされる方が今の世の中にもまだいます。
その方達はどんな思いでいたのでしょうか。
お腹は空いていたでしょうが最後の辺りでもお腹が空いたり喉が渇いたりしたのでしょうか。
もうそんな事は分からなくなっていたのでしょうか。
母はお腹空かない、喉乾かないと頷きます。
では何を望んでいるのでしょうか。
もう何もそんな難しい事は考えずにふわっとした気持ちで過ごしているのでしょうか。
どうせならば後者であって欲しいと思うばかりです。

11日目。

2012-01-29 19:44:30 | ホスピス

今日で11日、食事も栄養補給も水分補給もしていません。
日ごと痩せていく母の体を正面から見る勇気はありません。

水分を取るとむくんだり肺に水が貯まるのでしないそうです。
苦しさを取る事や脳のむくみを取る点滴以外しません。
ろうそくの炎の様にそっと消えていくのでしょうか。
これが治療をしないホスピスでの結果なのでしょうか。
分かっているつもりでしたがこんな終わり方なんてとどうしても無念に思ってしまいます。

金曜の夜から息子が風邪を引いていて今日は私も喉の調子が。。。
昨日の夜には母は父を呼んでいたのですが今日は頷くだけだけだったそうです。
息子の風邪の為に土日を家で過ごしていたので昨日の朝から新しい刺繍を作りました。
朝には出来上がって持って行きたかったのですが二人の風邪っぽさが心配でいきませんでした。
その代わり、大き目の刺繍も頑張りましたがまだまだ終わりそうにありません。

明日の母に数日前と変わり無く過ごしている事を祈りながら会いに行きたいと思います。
マスク忘れない様にしなくちゃ。

今日の出来事②

2012-01-27 21:50:45 | ホスピス

今日の母は朝、熱が37.5度ありました。血圧は126位と68位で酸素も94で健康な数字です。
でも汗をてもかくのでお風呂にさっと入れて貰ったそうです。
その方がぐっすり眠れるかもとの配慮もありました。
残念ながら寝る事は出来ませんでしたが夕方には36.4度に下がっていました。

一昨日は兄が休みだったので母に会いに行ったようです。
兄は介護の仕事をしています。
母の周りにある機械を見たり叔母も一緒にいたそうですが泣いてばかりいる姿を見て後で父に
臨終じゃないんだから泣いてる姿を見せるのは良く無いと言っていたそうです。
そして顔に産毛が沢山あるから剃ってあげてとも言っていた様で以前の兄からは想像出来ない言葉です。
たまたま次の日に私が剃刀を持って行ったので綺麗に出来ましたが兄もそんな事まで意識が行くのだと父と
二人で感心していました。
兄はぶっきらぼうで話し下手で無口な人です。
話しても怒った様な、頼んでもまず一言文句を言ってから始めます。
仕事場では違うのでしょうがでも母の事を心配しているのだなと感じます。
父のご飯を毎日欠かさず時間を掛けて何品も作り仕事に行きます。
夜勤もあります。大変だと思います。
私はいったい何が出来ているのでしょか。
今の私は役に立っていません。たまに時間が会う時に車に父や叔母を載せているだけです。
自分の家に帰れば家族と過ごします。
楽しい会話もします。
でも母と父はずっと戦って苦しんでいます。
その時に私は友達と会ったりも食事に行ったりもしています。
やましい。私ってどこまで本当に母の事を考えているんだろうと思います。
大好きなのに自分の事も優先している事になんて薄情なんだろうと嫌にもなります。

私は母が居なくなった時にどうしているのでしょう。
以外に普通に過ごせているのかもしれません。
哀しんでいる自分に酔っているのかもしれません。
私の母に対する愛情は本当はどれくらいの物なのでしょうか。
でも大好きです。とても大事です。それに偽りはありません。
でも私の気持ちと行動にはギャップがあります。
嫌な自分に向き合うのはきついですね。
とても愛情深かった母の子供とは思えないと感じて気持ち悪くなります。

母の声

2012-01-27 19:42:06 | ホスピス

今日の母は昨日と違い目をしっかり開けていてウトウトは余りありませんでした。
昨日の夜に眠る薬をやめる事にしたのですが11時になっても起きていたらしく薬を出して
貰ったそうですが父が見た朝4時にも母は目を開けていたみたいです。
看護師さんは寝ていましたよと言ってたそうですが。

少なめの薬だったので寝れなかったのかもしれません。
母に声を掛けたら頷きました。
母の意識はしっかりしていて話しかけたら頷いてくれる事が今日は多くありました。
手を繋いでいたら肉が減り骨が浮いていました。
足にクリームを塗ったら足の骨も浮いていました。
顔がふっくらしていたので余り痩せていないと思っていたのですが足を持ち上げた時の骨が
余りにくっきりしていて胸が詰まりました。
今日で8日食べていないのですから痩せて当たり前です。
喉乾かない?湿らそうか?と聞くと返事をせずいらないの?と聞くと頷きます。
もう何も受け付けないのでしょうか。
点滴の分の尿が出るだけです。

ずっと動かずにいた母がわずかに足と手が動きました。
どうしたの?苦しいの?と聞くと頷きます。
看護師さんを呼んで薬の量を増やして貰いました。
酸素も少し増やしてくれました。
それでも苦しいらしく深い呼吸をしています。
薬が効くのに30分位掛かるらしくそれまでが辛そうでした。

病院に行った時に父が今、ママがしゃべったよと言いました。
パパ、と声にならない程の大きさだったそうです。
私がお話したの?と聞くと頷きました。
今日はたまに口を動かし何かを話そうとしていました。
残念ながら何を言っているかは分かりませんでした。
何も食べず力も出ませんよね。病気で体も凄くだるいんだと思います。
数日前に看護師さんが母にかったるい?と聞いたら頷いていました。
声を出すのも凄く大変なんだと思います。
母は本当に頑張ってくれています。
聞こえているし見えてもいます。
苦しそうで可哀相でした。

夜にドラえもんを見ていたらウイルスをミクロの大きさになって体の中に入り吸い取っていました。
本当にそんな物があればと思ってしまいました。
体中の癌をすべて取り除き元の体に戻してあげたい。
もう神様はいないと思っている私ですが病院に行く道にお地蔵さんが数体あります。
横に水仙が沢山咲いています。
なぜか赤い着物を着たお地蔵さんを見ると穏やかな気分になります。
多分、仰々しく無く可愛らしく見えるからでしょうか。
通る度にしっかり見てから母の元に向かう日々です。
今日は母と会話が出来た様でとても嬉しかったです。