肺がん余命宣告されてからの日々

母が肺がんになり余命を宣告された日からぼちぼちと記して行きたいと思います。

入院3日目と母の気持ち

2011-10-08 21:39:09 | 肺癌

今日は父が午後から用事があるので先に行き私は午後から行きました。
病院には2時半に着いて面会の名前を書いていたら私の前に母の名前が!
面会者は以前に一緒の部屋で入院していた方でそれからもお互いに連絡先を教えてお互いの状況を話したりして仲良くさせて頂いてました。
彼女は40代後半で高校生のお嬢さんがいます。
同じ腺がんで同じような点滴の副作用や流れが凄く似ていてお話が
とても良く合っていました。
退院してからはお手紙や電話をくれたりしていましたが本当に良く外来で
偶然あったりしてその確率が異常な程で良くびっくりしたり笑っていました。
話もあるだろうと私と息子はロビーでコンビニで買った軽食を食べて時間を
過ごし彼女が外を歩いているのを気づいてそれから母の病室に行きました。
美味しいりんごを持って来てくれていましたので剥いて皆で食べました。
○さん、ごちそうさまでした。そして会いに来てくれてありがとうございました。

母なベットで横にしていましたがすぐに気が付きました。
左手首には点滴の後があり今日の朝の分は終わり後は夜みたいです。
点滴をしてからの様子を聞きましたが余り変わりは無いそうです。
でもトイレに行く時に昨日より少しだけふらつきが無いかもしれないと
言っていました。
そんな急に聞いたら怖いよ~、少しづつ楽になるんじゃないのかなと
話しました。

土曜日なので先生もお休みですが夕方になって来てくれました。
昨日の今日の点滴でもあるので心配になって様子を見に来てくれたのです。
本当に嬉しかったです。
母に点滴は痺れなどを緩和し炎症を抑える物が入っていると
説明してくれました。
その時に放射線の話で全体的に若干大きくなっているのでまずは
大きな症状が出る前にした方が良い事、症状が出てからでは遅くなるからだと説明をしてくれ母は安心した様子でした。
内診もしてくれ(以前の先生は一度も内診が無かったのです。)指先の痺れに対してもピッチの動きを見る為に親指と人差し指はパカパカと出来ますか?
次の指は?と順にしてくれたり腕をまっすぐにして暫く様子を見たりとかそれを出来た母は安心した顔をしていました。
その後も4日続けて薬を忘れられ凄く不安になった母だったので看護婦さん達に伝えてくれたり便秘の話をしたら薬の調整してくれたりと3回程短い間に
来てくれました。
母は優しい先生だねと言っていました。
以前は前の先生が違う意味で優しく母の気にする性格を理解してマーカーの値を言わなかったり大きな変化を余り言わずにやんわりした方だったしちょっとした冗談をしたりして両親に笑顔をくれた人でした。
その為に今の先生が母にとってはズバズバ言うんだもん。。といつも言っていました。
でも先生はとても真面目な先生でちゃんと伝えないと治療も出来ないんだよ、
安心出来る先生だよと言ってどうにか説得していましたが今日の母は
そう感じた様でした。

先生のお話は余計に心配する大きさや量の事、痙攣に気をつけなければ
いけない事など重篤の事は一切触れず前向きな治療である事とタルセバに
期待をして行きましょうと力づけてくれていました。

夕食が気になったので6時までいました。
その間に窓の外は少しづつ暗くなってお月さまが出てきました。
なんだか夜ってやっぱり淋しい気持ちになりますね。
母は突然小さな声で「まだ70なのよね。もう少し生きていたかった、12月まで
持つかどうか、せめて○ちゃんが高学年になるのを見たかった」と。
そして「ごめんね。色々大変な思いをさせて。こんなんじゃ何にもしてあげれないし介護者にさせてしまった」と大粒の涙を流していました。
なにを言ってるの!今はまだタルセバの結果を待っている状態だし点滴なども
しているんのだからもっと前向きになって良いじゃない、今日だって昨日より
ふらつきが少しは良いんでしょ。そんな事は言っちゃだめだよと話をしました。
こんな話を2年前にするとは夢にも思いませんでした。
叔母が逝き父が逝き最後に自分と思い一人身になった叔母を大阪から側に
引っ越しを勧めたのです。
それが兄弟の中でも一番年下だからみんなのお世話しなくてはと思っていたのに実は自分が一番先だと知り本当にショックでどうしようかと思ったと思います。
そして子供達に申し訳ないとばかり。。。

思う事はこんな話を母とするとは思わなかった事、テレビドラマで見る別室での
余命の宣告、本当に自分の身に起きているとは事実を突き付けられた時以外は忘れてしまいそうです。

母は夕食を全部食べました。
おかずのメインは私が持って行った小さなサバの塩焼きで病院で出された
チキンは食べませんでしたが他は全部完食でした。
嬉しかった。ここで食欲が無くなると凄く危ないですと先生に言われていたからほっとしました。

昔、幼いころに母の家は鶏を飼っていました。
その鶏が凄く自分に懐いて可愛かったそうですがある日食べられる時が
来たそうです。
首が無くなったのに自分の方に走ってきた事や居なくなった事がトラウマで
今でもチキンは食べません。
病院では良くチキンが出ますからメインが無くなり栄養が心配にもなるので何か
家で多めに作った物を持って行ったりしています。
今日は先日買った野菜のマリネをポリポリと美味しく食べていました。
誰か側にいる食事はお手伝いもしてもらえるし美味しく食べられると
笑顔で言っていました。

息子はずっと大好きな本をずっと読んで時間を潰していました。
申し訳ないとも思っていますが今の状態で病院に行かずにいるのは私自身も気になり居てもたっても居られなくなりちゃんと説明はしています。
落ち着いたらどっか行こうね、だから今はばーばが大変な時だからと
好きなご飯を買ったり本を買ったりとごまかしてますがまだ大丈夫です。

タルセバの副作用はまだ出ていません。
これからも出ずに脳に効いてくれますように。