肺がん余命宣告されてからの日々

母が肺がんになり余命を宣告された日からぼちぼちと記して行きたいと思います。

独り言 人それぞれの時間の流れ

2012-05-22 19:31:08 | 日記

時間の流れは人それぞれに違うようです。
私にとって母が居なくなってからの時間はずっと昔の事の様に感じています。
でも父や叔母にとってはもう100日たったのだと感じています。

専門家の先生のお言葉ですが
大事な人が亡くなったのはみんな悲しい事に変わりはないのですが今の時間に至るまでに
色々な事が沢山あったりその時間が止まった様に生活をしていたかで感じ方に差が出るそうです。
でもその感じ方は時間が経つと立場が逆転したりする事もあるとの事です。

私の様に家庭を持ち子供がいたりするとその環境には色々な事が起こります。
父の場合は今までホスピスに通う事も終わり家に居るだけの時間が増えます。
変わらない生活状態の為にいつまでも悲しみから離れるきっかけが無くなる訳です。

どちらも変じゃないんです。
そうやっていつかは皆、忘れずに心の中に思い出として大事に出来る日が来るそうです。
確かに私は忘れてしまうのでは無いかと不安に思ったりしていたのですが何かのきっかけで
母を思い出します。
それは悲しく涙が出る事ですが思いだした自分にホッとしたりもしています。

人は悲しみにくれていても数分後には違う事を考えたりするのが普通だと。
それが人なんだと言っていました。
だから私は自分がいつもの生活に戻って体重も増えて満足な生活を送っているのが
薄情に思っていたのですが少し考え方を変えていきたいと思った日でした。

100ヶ日

2012-05-21 12:15:04 | 日記

5月18日に母の100ヶ日がありました。
父と叔母二人、私と夫でお墓参りに行きました。
荒れて変わりやすいと言っていたお天気でしたが青空が出て気持ちの良い新緑を楽しめる日でした。

母は来た事を分かったでしょうか?
仏様になったのでしょうか?
遠くから見ているのでしょうか?

お墓参りが終わってから実家に行き皆でお昼を食べました。
実家のご位牌の前には相変わらず沢山の花で囲まれていました。
そしていつも花を添える父と毎食変わるお供えを用意してくれている兄に感謝しています。
多分、私には出来ないと思っています。

こんな私を母には見られたくないです。
こんな子だったんだって知られたくないです。

次の日に去年、母と一緒に行ったマルシェに行きました。
叔母と父と息子と同じメンバーです。
今年も同じ位に良いお天気に恵まれました。
写真は去年に撮った空。同じ空でした。
去年の今日には母が一緒に新緑の木陰でランチをしていたんだねと話しました。
信じられない位の早さで全てが変わってしまった事に改めて気付かされました。

父の誕生日。

2012-05-03 13:41:43 | 日記

28日は父の誕生日。
お昼過ぎに実家に行き心ばかりのパーティーです。
息子とバスに乗り下準備したお料理とプレゼントを持って行きました。

途中で父に白ワインを調達してくれと電話入れるとボールに白ワインを冷やしてくれていました。
少し遅くなったお昼だったのですぐにオーブンに火を入れて準備します。
この日のメニューは
スペアリブ、小松菜とスモークサーモンのパスタ、ガーリックトーストです。
プレゼントはかっこ悪いウエストポーチでしたので新調しました。
かっこ悪いと言いながら私が雑誌の懸賞で貰ったものですが。。。

太陽が明るく初夏の様な日でした。
ベランダから見える景色はもう新緑に変わっています。
いつの間にかに梅の季節も桜の季節も終わって今は新緑。
こうやってどんどん季節は変わっていくのに父の気持ちは何も変わっていません。
いつも側にいた母の大声で笑っていた時の事をずっと思い出しています。
近所の人が父をいたわりに来てくれますが母の話しになり涙を流していくそうです。
沢山の人に愛されていた母はずっとみんなの心の中にいるのだと思いました。

私は母親っこでしたので実家に電話をして父が出てもママ居る?とすぐに変わって貰っていました。
買い物に行こうよと母と二人で出かけていました。
やはり女同士って楽しかったです。
たいした話しも無いし買い物嫌いな父と行っても楽しくないからと。
でに今の父は一人ぼっちになってしまいました。
救いは兄が一緒に住んでいて料理なども作ってくれますし多少の会話などもしています。

母が残したノートには父の事や叔母の事を気に掛けてねと書いていました。
それが私に出来るわずかな事なんだと思います。
実家に行くと母が居なくて淋しいです。
いつも母と話したくて行っていた私は何しに来たんだろうと思ったりします。
でも今は父と母の思い出話をずっとして時間を過ごしています。
結局、その日も夕方に帰る予定でしたが夜9時前まで居てしまいました。
そして例のごとくお岩さんの目と頭痛で次の日を迎えたのでした。