肺がん余命宣告されてからの日々

母が肺がんになり余命を宣告された日からぼちぼちと記して行きたいと思います。

入院16日目

2011-10-21 20:47:40 | 肺癌


今日は朝から先生と連携室の看護婦さんとのお話がありました。
結果としては在宅の先生は止めて今の病院で最後まで面倒を見て貰います。
家で何かあった時には救急車で病院に行き緩和をして頂き動ければホスピスに行きます。
タイミングは難しいのですが本人の希望が一番ですが母には決断が難しいので外来などでの
様子などや体力、精神力などの兼ね合いを見ながらで勧める事にしました。

家に帰るまでが不安だったせいか母はとても沈んでいました。
そして昨日よりふらつきがひどく歩くのが大変そうです。
先生達との話し合いに後から来たのですが眠る様に死にたいとかいつ死ぬか分かればいいなど
いっていました。
看護婦さんがそんな事をいったら皆が悲しむよ、ほんとに分かった方が良いの?と話してそれより
残された一日を大事にした方が良いと思うよと話していました。
外泊手続きが終わり薬を貰っていると朝にデパスを飲んだようです。
多分、不安でいっぱいになり薬を飲んだんだと思います。
車の中でぐったりと横になり寝ていましたが家についたらホッとした顔をしていました。
あぁ、景色が見える、やっぱり良いわねと言っていました。
人の目を気にしなくて良いし椅子に座って外を眺めたりソファに寝転んだり新聞を読んだり
好きな時間に好きな事が出来ると気持ちも違ってくるとおもいます。

私は子供が帰宅するまでに一度うちに帰り夕飯の準備をしました。
その後に実家に息子と行きました。
こってりした様な物が食べたいとのリクエストでしたので牛の赤ワイン煮、マッシュルームのアヒージョ
ガーリックトースト、 和風で鰤の照り焼きと大根おろし、なめこと豆腐の味噌汁を作りました。
病院の味気無い薄味に嫌気をさしていたので母は喜んで食べてくれました。
叔母も来てくれて久しぶりの食卓は楽しかったです。
明日には病院に戻らなくてはいけないのが残念な位にゆっくりしている母を見て嬉しかったです。

2時半にケアマネの方が来て1時間程話をしたそうです。
看護と介護を週に2回づつとお風呂の椅子の手続きをしてくれたそうです。
母も家で過ごすのをホッとしたかもしれません。


入院15日目

2011-10-21 01:14:32 | 肺癌

今日は夕方から行きました。
いつも父はお昼前から行き4時に帰ります。
その後がとっても長いのと母は言っていました。
私も行くのは昼ですが夕食のお手伝いとして行ける日だけ行っています。
食後の歯磨きなど水を運ぶのも大変で私が行けない時は父がコップに水を入れてベットで歯磨きの準備をしています。
でもその後の片付けやおトイレなどあるので母は私が行くと助かると前々から言っていました。
今日は遅くなりましたがギリギリ夕食に間に合いました。
体調や気分など聞いて過ごしていたら先生が来てくれました。
娘さん、ちょっとお話があるんですが。お話し中に申し訳ありませんと言いました。
何か怖いお話があるのではと不安になりましたが母の前で私を呼ぶのだから最悪の事は無いと
思いつつ不安でした。

お話はホスピスから初めての空きの電話があった事から始まりました。
面会をして一カ月から一ヶ月半でまず一回目の電話があると聞きました。
そして昨日、電話が会ったそうで父は今回は入所しないと返事をしたそうです。
どの様な言い方でしたかは分かりませんが治療をしているから延ばすと言う形でホスピスも
受け止めたそうです。
そうすると治療をやめる前提で面会を受けているのに治療を始めたという矛盾になります。
担当医にホスピスやケアマネの方から連絡があり初めて先生は知ったという流れです。
担当医と患者との繋がりや周りとの連携が取れていないとの判断をされてしまい先生も母も
良くない状況になるのです。
病院を通して行動を移す事が基本なのに分からず患者自身達が勝手に動いてしまいました。
以前にも独断でホスピスの面会をして先生に一度話を通してと言われた事もあり2回目の注意になりました。
私も認識不足でしたし父もやはり歳を取り今がいっぱいいっぱいでこれでいいのかと勝手に思い込み
それが良いと思っていたのですが手順が違い、先生や病院とホスピスの関係に対しての繋がりや信頼などを
壊す行動だったのだと知らされて先生に申し訳ないし周りを振り回してしまい勉強不足に後悔ばかり。

明日の午前中に一時退院でしたがそれよりも前にご家族と話をしたいので地域連携室に来て下さいと言われました。
母自身もこの先の不安が多く先生が言うにはホスピスに行く気持ちはまだ成熟していないと感じた様で
まだ体の調子が悪くなったなど不安を先生に相談するのはまだ自分の中で決めかねているのでは無いかと。
確かに母は「こんなになってもまだ未練があるのよ」と涙を流します。
でも治療に関して、いつまで続くのだろうと不安ももらします。
これが先生の言う決めかねていて悩んでいると言う事でしょう。
確かにあと数カ月と言われればその気持ちの想像は普通つきません。
実際には今日のお話でやはりマーカーは上がり続けていていつ何があるか分からないと言われました。

夕方に母の所に行ったら今日は頭がフラフラするのと一番に言いました。
マーカーが上がっているのを知っていたのでそのせいかもと思い不安でいつからかと聞いたところ、
今までもそうなのと返事がありました。
でもいつもより気になる位なの?と聞くといつもそうなのよと母は言いました。
今の母は体温が高くなっても自覚出来ないので頭のふらつきの変わり具合が余り分からないのかなとも思いました。
その事を先生に話したら先生も母から聞いたそうです。
これからはそうゆう事が起こります、昨日は調子が良く今日は調子が悪いという事は良くある事だそうです。
では、これから先の母はどのような事が一番起こりやすいかと聞くと、痙攣、意識障害、意識が無くなると
いった様な事だそうです。
その時は救急車で運んで貰う事でしが家にいるのだから対応は出来ません。
しかし、一度延期をお願いしたホスピスが次にいつ入れるか分からないなかでの自宅での生活に不安があります。
先生の提案で先生の病院でこれからもお世話になりギリギリまでタルセバを自宅で飲み続け駄目になるようなら
病院に運びその間にホスピスに空きがあれば移動するとの話もありました。
ただその場合は移動する体力があるかどうかとの事です。

とりあえずは明日、朝に父と先生と看護婦さんとの話で母が一番安心する一本の道を決めたいと思います。
先生の行った通り母は命の終わりに対して決断はまだ出来ていません。
その為に母が不安を感じずにいる居場所を作るのが一番良いと言われました。
今の母はその場所が不安定な為に気持ちがいつまでたってもどこに居ても変わらないのだろうとも言われ
本当に納得出来ました。
せっかく一時退院や退院を言われたのに昨日もその前からもずっと先の事ばかりを考え不安だったのを
理解していたのは実は家族では無くて先生だったのかもしれませんね。
どうか先生と話が上手く進み母が気持ちをゆったり過ごせる日々を退院後に過ごして欲しいと思います。
確かにタルセバはまだ効いていませんがイレッサも効き目は遅くに出たので今回も同じ様に効いてくれればと思います。
とにかく明日は母が退院後にも不安を感じずにいられる道をしっかりと決めればと思います。