肺がん余命宣告されてからの日々

母が肺がんになり余命を宣告された日からぼちぼちと記して行きたいと思います。

最近の事

2012-09-13 18:22:34 | 日記

今日、父と叔母と野菜を買いに行きました。
母がまだ元気だった頃は毎日の様に父と母が散歩として歩きついでに八百屋さんに行っていました。
私は予定の無い週末などは息子を連れて土日に泊まりに行き一緒に散歩に出ていました。
行き帰りで起伏もあり1時間半位かかり運動としてはかなりよかったと思います。

でも母が居なくなってからはバタバタしていたり元気がなかったり色んな事が重なって
行っていませんでした。
でも先々月位から毎週の火曜日に父と叔母と3人で買い物に行く様にしました。
こうすれば父や叔母の様子も見れるし暑いなかを歩いたり重い物を買って帰る事も
苦痛ではありません。
これは私自身も同じで本当に徒歩だとつらいです。。。

皆の様子も見れるし毎週家に上がってのお互いのわずらわしさも無く気持ち良く
過ごせるのだと気が付きました。
余り踏み込まず、だけどお互いが分かる関係にはちょうどだと思っています。

多分、母が相手だったら違う行動をとっていると思うのですが今はこれがちょうど良い。
付かず離れずっていう間隔でしょうか。
私は母が大好きだったのでいつも一緒に居たり出掛けたりが大好きでした。
やはり同じ様な人には出会えないしこれからも母の様な側に居るだけで楽しく居られる人も
出会えないと思ったりしています。
でも今、残された家族にとってはちょうど良く過ごせていると感じますし毎日を変わらずに過しています。

長くなっていた父の髪の毛が今日はさっぱりと短くなったいました。
78年生きてきて、結婚してからは一度も理髪店に行った事が無く母にカットして貰っていた父ですが
終わりの頃に母が近所の駅前の散髪屋を探し父を連れていきカットの仕方などを伝授?してからは
遺言の通りにきちんと3カ月に一度が通っているようです。
あれだけ理髪店が大嫌いで行かなかった父が約束と言って行くのには本当にびっくりしたのと
心からの沢山の愛を感じました。
しおれたらすぐに花束を買っていつも写真の周りにいっぱいの花を生けている父を見ていると
母は愛されているんだと感じ嬉しくなる気持ちです。

私の今は、母の存在がどんなものなのかはっきり分かっていません。
本当は側にいるのか、それとも本当に居ないのか。
はっきりと判断が出来ないでいます。
病気が分かってから2年位でしたが少しづつ買い物に出かける時が減り、旅行も減り続けました。
それが1年ちょっと続きずっと病院の行ききで自分が意識しない間に今まで絶対に嫌だった
一人での買い物が出来るようになっていたのです。
だから今の自分が違和感なく買い物をしているのは母がゆっくりと時間を掛けて私が一人でも
出かけられるように準備をしてくれていたのではと思っています。

なにが良いのか悪いのかは分かりませんが。
居るのか、居ないのかも実際に実感がないのでいつも宙ぶらりんの気持ちのままです。
確かにずっと会って居ないのですが入院を続けていたので会えない事も仕方ないのかと思ったり
現実とは感覚が違う気がしていて淋しさを余り感じていません。
ちょっと前に会った様な気がして居たりしたりするし、でも一緒に居た頃の笑い合った事を思い出して
悲しくなったりと今でも混乱したような気持ちで過ごしています。

旅行

2012-09-07 11:34:41 | 旅行

今年の夏に父と叔母と息子で旅行に行きました。
毎年、夏に母と一緒に行っていました。
母が最期に書き残したノートには父は温泉が好きだからたまには連れていってあげてねと
書いてありました。
いつもの旅行は母が居なくてやっぱり淋しかったですが思い出話をしながら過ごしました。

夜には部屋から花火が見れました。

久しぶりに近くでの花火に皆で喜んだ日でした。