肺がん余命宣告されてからの日々

母が肺がんになり余命を宣告された日からぼちぼちと記して行きたいと思います。

最近の事2

2012-10-27 22:29:54 | 日記

9月のお盆を行いました。
叔母は日を間違った為に父と息子と三人で行きました。
お墓でお経を聞くのは初めての息子は緊張してお焼香の時にびっくりする位に
手がガタガタと震えていました。
余りにマンガの様に震えているのでふざけているのかと思った位です。

帰りには私が以前から勧めていたお蕎麦屋さんに行ってきました。
父と母はお散歩ついでにそのお蕎麦屋さんに数回行っていたので思い出の場所になりました。
母はアナゴの天ざるが気に入ったのを覚えています。
父はいつも食事に行くと何でもいいと言って母に決めてもらっていましたが
今はそれを決めてくれる人はおらず何がいい?何がお勧め?と何度も聞きながら決めています。
母がアナゴ天が美味しかったと言っていたよと伝えると、そうなんだと懐かしそうな顔をしていました。
関西出身なのでうなぎよりアナゴ派だった母のお寿司にも必ずアナゴが入っていました。

時間はどんどん過ぎていきます。
大きめの駅で買い物をする時などお店が変わっていたりビルが無くなっていたりと変わっています。
気がつくとあった場所に全く違う建物が建っていたりと時間の経過を感じたりしています。

車になど乗っていたり一人で町を歩いていたりする時にふと母の事を考えていたりします。
今思えば本当に後悔ばかりです。
母の立場になって考えてあげれていなかったとつくづく今になって感じています。
イレッサやタルセバをやめたがっていたのに恵まれているんだよ、飲める人は少ないんだよと言い、
飲まない事に対してきつい感じで話したりもしていました。
母の気持ちの不安を取り除く事に対して全く出来ていませんでした。
理解しているとカン違いし大丈夫だよとそればかり言って何の根拠があったのでしょう。
自分だけが寂しく一人で苦しみながら死んでしまうという母の地獄の様な苦しみと
先を受け入られない現実に対して私が理解出来るはずないのに。

良く夢を見るのですがたまに母が出てきてくれます。
元気だったのは亡くなった最初の時だけでその後はずっと足が悪かったり亡くなったのに
生きて出てきてびっくりしたりするのですがやっぱり癌を抱えていたりしています。
それでも母の腕に抱きついたり話をしたりしています。
本当に元気だった母には夢では会えないみたいで悲しいのですが話せている実感もあるんです。

旅行に良く行ったのですがその時のビデオが残っています。
病気になってからも旅先では逆に母を撮る事が多くなりました。
忘れたくない、居なくならないでと想いながらいつもより多く母を被写体にしていました。
でも病気になってから一度も思い出としてみんなで今までの様にビデオを見ていません。
母も元気だった自分を見て辛くなるだろうと勝手に思い込んでもいました。
そのままのビデオをいつ見ればいいのかまだ考えられませんが見るとやはり涙なしでは
見られないだろうと思って先延ばしになっています。

今も沢山の方が癌で苦しんでいると思います。
当人もそうですしその家族の方も胸を痛めていると思います。
私のブログは全くその方々には役には立たず逆に亡くなるという辛い結果を見なければ
いけないので辛いし嫌かもしれません。
ごめんなさい。
でもこれは私の気持ちの整理をするブログだと思って許してください。