肺がん余命宣告されてからの日々

母が肺がんになり余命を宣告された日からぼちぼちと記して行きたいと思います。

骨シンチの結果

2011-09-29 19:54:45 | 肺癌

昨日、母は皮膚科に行くついでに父と美容院に行きました。
まずは美容院の隣にある理容室に父と行きスタイルをお店の方に伝え、母は美容院に父に連れて行って貰い自分もカットです。
父はいつも母にカットして貰っていましたが母の目が見えなくなり理容室に行くように勧めていました。
母は自分が居なくなった時に父が困らない様に理容室に一度連れて行きたかったのです。
二人ともいつもより短くカットし若返った感じです。
皮膚科では毛細血管拡張症の治療で液体窒素の治療でした。

今日は大事な骨シンチの結果でした。
結果は肝臓に2~3センチ程の転移が2か所見つかりました。
胆石も見つかりました。
以前にやったCTの時には認められなかった所見でこの2カ月で転移したとの事です。
脳と肝臓に増えた事でマーカーが上がったのでした。

これからについて4つの提案がありました。
1、タルセバを経口する
2、全脳の放射線で治療してから抗がん剤
3、骨転移を重点にゾメタで骨折の予防とその都度の痛みの緩和
4、ホスピス

タルセバは余り脳には効かないと聞きます。
でもやってみなければ分かりません。
母は全脳の放射線は絶対に嫌だといいます。それは網膜を傷つける可能性があるからです。
今も片目で不自由しているのにこれ以上見えなくなっては辛すぎるのと痴呆の可能性もあるのです。

タルセバはイレッサよりきつい薬なので副作用もそれなりに強く出るそうです。
皮膚障害、粘膜障害、間質性肺炎など辛いものです。
イレッサをやめて指が良くなるかもしれないと期待をしていたのに薬を飲めばまた酷くなりせっかく痛みが
消えてきたのに何も出来なくなってしまう。 

入院も目の見えない母には辛いものです。
一番の理由はそこにありました。
一人で何も出来ずその不安、家族と離れる不安、今の母は一人でいる事が怖く心が壊れそうになるのです。
目が見えていたら。。。目が見えていたら。。。
何百回も聞いたと思います。それだけ切実で大変な毎日を送っているのです。
今まで見えていたから余計にそのギャップに付いていけず慣れようにも慣れない。
前は目が見えていたから入院しても自分の事は自分で出来て散歩など足が弱らない様にと動けていましたがトイレさえ一人で行くのもなかなか出来ません。

毎日、父が母に寄り添っています。
ベットで寝ていたら側に座って痺れた手をマッサージしたりお腹が張ればマッサージしたり不安な時は
ずっと側で話を聞いたり慰めたり。
そんな人が居なく毎日を過ごすのは怖いのかもしれません。

でも今回の先生の提案は担当医だけでは無くて日本でもまだ少ないがん薬物療法専門医がいるので
その先生とも母の性格なども当てはめて考えてくれたものだそうです。
その為にタルセバも2週間の入院で様子を見るのは普通ですがその間に効き目が無いようだと打ち切ると
いう短期間で結果を出す物でした。
副作用をとても敏感に気にする母にとって1ヶ月後の結果より短い期間で決め辛いようならすぐに止めると
いうやり方を考えてくれたのです

母は4つの提案を聞いた時にも治療には気がすすまないようでした。
3つ目の提案をやりたかったようです。
もっと生きて一緒に遊びたかったなと言っていたのに息子と色々行きたかったなと言っていたのに
治療よりも副作用の無い方を選ぼうとしていました。
でも治療をしないと後どのくらいですかね?と先生に母は尋ね先生はこの前にお伝えした通りですが
あれからまた日が経っていますのでその前後はあるとは思いますと、言いました。
母は父にいいよね?決めた事だしね。と言いましたが私は短かったけどイレッサが効いた母がタルセバを
しない事がどうしても勿体無い事の様に思えたのです。
望んでも治療法も選べず治療も出来ない人もいるのだからと。。
なので隣に座っている父にそっとほんとにタルセバやらないの?と聞きました。
母は私にもどう思う?と聞きました。父は私がやって欲しいと分かったようでした。
私は母に嫌なら辞めよう、副作用が出て辛かったら止めよう、だから試してみない?と言いました。
父も母の気持ちを知っていたのですが私が勧めたのもあったせいか嫌なら辞めよう
放射線はしないでいこうねと母の意見をくんだ言い方をして伝えました。
余り気がすすまないな、と最後に母は言いましたが先生も進行してからだと治療も出来ないし今なら
無治療より楽で過ごせる提案をしたと言っていました。
やはり無治療は進むのが早いのだと悟らされました。

10月5日に入院をして6日からタルセバを開始する事になりました。
診察が終わり私が会計の場所にカルテを持って行った短い間に母は大粒の涙を流していました。
父は何か母に言っていました。聞こえませんでしたがそんな事言っちゃだめだよって聞こえた気がしました。
私に聞こえたら悪いからという感じに思え後から私がタルセバを進めた事はどうだったのだろうと思いました。
母は少しの延命より家族と過ごしたい、と思っていたのに。

私は今、何人かの肺がん治療を行っている方のブログを毎日見ています。
残念ながら少し前に亡くなった方がいたのですがご本人がいつもブログを更新していました。
最後の方は治療も止めたのですがそれは諦めた訳では無くその都度最善だと思う治療をしてきたし
今は苦痛の無い方を選び家族と一緒に居たいと言っていました。
ずっと頑張ってきたとも言っていました。
でもあえて頑張れと言った方がいらっしゃった様で凹むとも。
私が今日母に言った事は同じかもしれない。
母は辛かったかも。。
明日、お決まりのお泊まりだから父にそっと本当の母の気持ちを聞いてみようと思います。
母の辛さを知っているのに自分の気持ちを押し付けて駄目な娘だな。



骨シンチ

2011-09-28 08:46:14 | 肺癌

昨日は骨シンチの検査でした。
朝8時半に注射をして検査が始まるのは1時半です。
この間の時間に薬が骨に行きわたりがんの転移の場所が分かります。
待っている間にベットを借りて横になっていたそうです。
検査時間は40分の予定でしたが30分で終わったのですが迎えに
行った時はやはり疲れていました。
ご苦労様でした。

メモからの抜粋2011②

2011-09-27 09:18:09 | 今までの経緯

2011年 6月 1日  肺の病院診察 異常なし
      6月 9日  耳鼻科診察 薬変える
      6月15日  網膜剥離の診察 異常なし
      6月16日  下痢、吐き気、倦怠感、で救急診察
      6月27日   肺の病院診察  CEA上昇

      7月 7日  耳鼻科診察 薬変える
      7月19日  網膜剥離診察 異常なし
      7月21日  MRI
     7月25日  脳転移薄くなる

     8月 4日  耳鼻科診察 薬変える
     8月14日から一泊で両親と家族で旅行
     8月25日  網膜剥離診察 異常なし
     
     9月 5日  肺の病院診察 精神科紹介
     9月 6日  精神科診察
     9月 7日  MRI
     9月13日  精神科診察 薬調整
     9月15日  網膜剥離診察 異常なし
            脳転移増える
     9月18日から1泊で両親と息子で旅行
     9月20日  精神科診察 薬調整
     9月22日  ホスピス面談
     9月27日  骨シンチ

やっと今日までの事を記載出来ました。
本当に忙しく病院に通っていたなと振り返りました。
精神科では不安が多く寝れないので睡眠薬と抗うつ剤が出され量の調節をしています。
強いとふらふらして歩けなくなる程効いてしまうので微量調節です。
先ほど、病院に母を送って来ました。注射を8時40分にして検査は1時半からです。
40分で検査が終わりあさって結果です。
良い結果は望めませんがなるべく思っているより転移が少なく済みますように。。。   
旅行は夏休みに行き、今月は最後かもしれないと調子が良い時に前日予約して行きました。
また行ければ嬉しいな。 

メモからの抜粋2011

2011-09-26 12:22:51 | 今までの経緯

2011年 1月 4日  レントゲンで異常なく退院
      1月 6日  網膜剥離の診察 異常なし
      1月11日  肺の病院診察  異常なし
      1月17日  網膜剥離の診察 異常なし
      1月20日   肺の病院診察  異常なし
      1月21日  肺 CT
      1月25日  MRI
      1月28日  検査結果で影縮小、脳転移薄くなる

      2月 1日  視界が悪くなり病院
      2月 2日  網膜剥離再発で入院
      2月 3日  オペ(15時~20時)
      2月 4日  目薬開始
      2月 5日  眼圧上昇 40で点滴する
      2月 6日  眼圧   46
      2月 8日  眼圧   16
      2月 9日  眼圧   20
      2月10日  眼圧   21
      2月11日  眼圧   16
     2月13日   珍しく雪
     2月16日   眼圧   16
     2月17日   退院
      2月18日  肺の病院診察  異常なし
      2月25日  網膜剥離の診察 異常なし

     3月11日  網膜剥離の診察 異常なし
     3月14日  肺の病院診察  異常なし
     3月18日  血尿が出て病院
      3月20日  イレッサ中止
      3月25日  網膜剥離診察  異常なし 残りガス30%

3月19日に早朝3時、7時に濃茶尿が出る。土曜日なので病院に電話してムコダインをやめ水分を
多く取るように言われます。昼には尿は透明になりました。
3月20日に血尿で塊も。もう一度病院に電話し副作用で出血性膀胱炎の可能性があり危険な為に
イレッサを中止するように言われました。
3月22日に祝日が明け病院に行くと近くの病院に紹介状を持って泌尿器科に行きました。
結果、膀胱炎で2週間イレッサをやめました。

      4月 4日  肺の病院診察 (前の担当医がやめ新しい担当医になる) 
             イレッサを明日から再開
      4月12日  いちご舌を見つけ受診 
      4月13日  近くの病院に紹介状を持って口腔外科に行きました。
              結果、異常なしと言われます。
      4月18日  視界に黒い幕が出て夜に救急で診察
             眼底に出血少しあり。剥離はなし
      4月19日  CT MRI
      4月25日  CT MRI結果でがん減少 イレッサ継続決定


      5月 3日  だるさで病院に救急診察 白血球2900
      5月 4日  一日微熱、だるさなし
      5月 6日  ゴールデンウィーク明け診察 白血球4900
             ウイルスは無く感染症の疑いは消える。
             骨シンチの検査
      5月10日  耳鼻科
      5月14日  近所のフェスティバルに行く
      5月18日  網膜剥離診察 異常なし
      5月20日  泌尿器科診察 異常なし 
      5月30日  骨シンチ結果
             骨転移あり(あばら、仙骨、骨盤、腰椎)脳転移
             CEA216→206 上げ止まりの為にイレッサ継続決定

本当に色々ありました。問題が収まればまた問題。気の安まる時は殆どありませんでした。
これではメンタルが崩れるのも分かります。
こうやって振り返ると良く頑張ったのだと思います。
転移も広がり不安がいっぱいになってきた一番の時だったのではないでしょうか。



           

メモからの抜粋③

2011-09-24 19:16:19 | 今までの経緯

2010年10月 1日  元気 利尿剤やめる
    10月 2日   元気
    10月 3日  微熱
    10月 5日  抗がん剤中止 白血球2050 外泊
    10月 6日  病院に戻る
    10月 7日   白血球3220
    10月 8日  抗がん剤開始
    10月 9日  元気
    10月11日  元気
    10月12日  退院延びる 白血球1200
    10月13日  気持ち落ちる
    10月14日  退院 白血球1300
    10月16日  微熱 37度
    10月17日  だるさ
    10月19日  だるさ減少
    10月21日  少しデパートで買い物
    10月25日  外来 白血球3400
   
    11月 2日  CT
    11月 3日から一泊で旅行
    11月 5日  CT結果 影が薄くなる
    11月 8日から10日まで夫婦で旅行
    11月25日  咳が出ている

    12月 1日  MRI(結果は6日で脳転移をのちに知る)

    12月 4日   網膜剥離で別の病院に入院
            うつぶせの日々が始まる。
    12月20日  退院

     12月20日  退院後に肺の病院に行きレントゲン
            放射線肺炎が少し消える
    12月22日  入院 イレッサ開始
    12月27日  採血異常なしでお正月2泊3日で外泊

これが治療の過程です。
がんの治療が終わり休薬期間で楽しめるはずでしたが網膜剥離になりました。
気持ちも体もぐっと落ちて行き辛かったと思います。 
このままイレッサを続け1カ月に一度診察に行く事になったのです。