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占領体制下の国制

2020-03-20 10:31:55 | 国制・現代政治学

[敗戦と降伏の憲法史的意味]

・日本政府は、1945(昭和20)年8月14日にポツダム宣言を受諾し、9月2日に降伏文書(Instrument of Surrender)に調印した。→《ポツダム宣言の受諾》

〔降伏文書〕

下名は(We)ここに、日本帝国大本営並びに何れの位置にあるを問わず一切の日本国軍隊及び日本国の支配下にある一切の軍隊の連合国に対する無条件降伏を布告す。

下名はここに、何れの位置にあるを問わず一切の日本国軍隊及び日本国臣民に対し、敵対行為を直ちに終止すること、一切の船舶、航空機並びに軍用及び非軍用財産を保存しこれが毀損を防止すること、及び、連合国最高令官又はその指示に基づき日本国政府の諸機関の課すべき一切の要求に応ずることを命ず。

下名はここに、日本帝国大本営が何れの位置にあるを問わず一切の日本国軍隊及び日本国の支配下にある一切の軍隊の指揮官に対し、自身及びその支配下にある一切の軍隊が無条件に降伏すべき旨の命令を直ちに発することを命ず。

下名はここに、一切の官庁、陸軍及び海軍の職員に対し、連合国最高司令官が本降伏実施のため適当なりと認めて自ら発し又はその委任に基づき発せしむる一切の布告、命令及び指示を遵守しかつこれを施行することを命じ、並びに、右職員が連合国最高司令官により又はその委任に基づき特に任務を解かれざる限り各自の地位に留まりかつ引続き各自の非戦闘的任務を行うことを命ず。

下名はここに、「ポツダム」宣言の条項を誠実に履行すること並びに右宣言を実施するため連合国最高司令官又はその他特定の連合国代表者が要求することあるべき一切の命令を発しかつかかる一切の措置を執ることを、天皇、日本国政府及びその後継者のために約す。

下名はここに、日本帝国政府及び日本帝国大本営に対し、現に日本国の支配下にある一切の連合国俘虜及び被抑留者を直ちに解放すること並びにその保護、手当、給養及び指示せられたる場所への即時輪送のための措置を執ることを命ず。

天皇及び日本国政府の国家統治の権限は、本降伏条項を実施するため適当と認むる措置を執る連合国最高司令官の制限の下に置かるるものとす。

・ポツダム宣言受諾と降伏文書の調印という歴史的事実は、次のとおり「実質的意味の憲法」が変更されたことを意味する。→《憲法と憲法典》□大石憲法史321-6

[1]独立の停止(主権の喪失):「天皇及び日本国政府の国家統治の権限」は、連合国最高司令官の制限の下に(subject to)置かれることとなった(ポツダム宣言6~7項、降伏文書)。

[2]領土の縮小:日本国の統治権は「本州、北海道、九州及び四国並びに吾等の決定する諸小島」に限局された(ポツダム宣言8項)。□佐藤387

[3]軍隊の解除:明治憲法下では天皇が軍令権(陸海軍の統制権;大日本帝国憲法11条)と軍政権(軍備を維持するための臣民への命令権;大日本帝国憲法12条)を有していたが、日本国軍隊は完全に武装解除されることとなった(ポツダム宣言9項)。□美濃部93-4、小嶋大石22

[4]基本的人権の尊重等:連合国が戦争犯罪人に対する厳罰を加えること、日本政府が「国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化」に対する一切の障害を除去すること、「言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権」の尊重が確立されること、が求められた(ポツダム宣言10項)。

[5]国民主権の確立(?):「国民の自由に表明せる意思に従ひ、平和的傾向を有し且つ責任ある政府が樹立される」に至れば、占領軍は日本国から撤収する(ポツダム宣言12項)。この一文の意義につき、単に「占領軍の無干渉」を意味するという解釈(当時の日本政府、松本委員会)と、「国民主権の確立の要求」を意味するという解釈(宮沢俊義)がある。□小嶋大石30-1

・安念潤司は「1945(昭和20)年9月2日から1952(昭和27)年4月28日までの間、日本国の実質的な最高法規は降伏文書であった」と評価する(後述の占領下の最高裁判例の実質もこの理解か)。尾吹善人は「占領下の最高裁判例を検討する際には占領軍の影に注意しなければならない」と指摘する。□安念ほか8-9、尾吹35

 

[連合国の統治体制]

・連合国による占領は、日本本土には間接統治(ポツダム宣言10項)、沖縄には直接統治が採用された。□福永a21、大石憲法史328-9

・アメリカ本国政府は連合国最高司令官にダグラス・マッカーサーを任命し、「降伏後のアメリカの初期対日方針(U.S. Initial Post-Surrender Policy for Japan) (SWNCC150/4/A)」「日本占領及び管理のための連合国最高司令官に対する降伏後における初期基本的指令(Basic Initial Post Surrender Directive to Supreme Commander for the Allied Powers for the Occupation and Control of Japan) (JCS1380/15)」を初めとする具体的な指示を与えつづけた。これを受けたマッカーサーは、日本政府に対して約1万件に及ぶ命令を発した。□福永a31,39-41、大石憲法史328-9

 

[占領体制の法形式(その1):議会法]

・敗戦後、帝国議会は次のとおり開会された。□帝国議会会議録検索システム

第88回:1945(昭和20)年9月4日~9月5日

第89回:1945(昭和20)年11月27日~12月18日(改正衆議院議員選挙法の成立) □大石憲法史344

第90回:1946(昭和21)年6月20日~10月11日(いわゆる制憲議会) □大石憲法史344

第91回:1946(昭和21)年11月26日~12月25日

第92回:1946(昭和21)年12月28~1947(昭和22)年3月31日(憲法附属法の成立) □大石憲法史369-70

・この占領下の帝国議会において大日本帝国憲法の規定(37条など)を根拠に法律(議会法)の形式で成立したものとして、「労働組合法(昭和20年法律51号;日本政府主導の労働改革)」「自作農創設特別措置法(昭和21年法律43号;政府とGHQ協働の農地改革)」「教育基本法(昭和22年法律25号)」「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(昭和22年法律54号;GHQ主導の財閥解体の一貫)」などがある。□北川456-7、福永b322-7、美濃部212、佐藤64

 

[占領体制の法形式(その2):命令]

・明治憲法下では、天皇に緊急勅令大権が与えられていた。□美濃部89-90

第8条 天皇は公共の安全を保持し又はその災厄を避くるため緊急の必要に由り帝国議会閉会の場合に於て法律に代るべき勅令を発す。

2 この勅令は次の会期に於て帝国議会に提出すべし。もし議会において承諾せざるときは政府は将来に向てその効力を失ふことを公布すべし。

第70条 公共の安全を保持するため緊急の需用ある場合に於て内外の情形に因り政府は帝国議会を召集すること能はざるときは勅令に依り財政上必要の処分を為すことを得。

2 前項の場合においては次の会期に於て帝国議会に提出しその承諾を求むるを要す。

・1945(昭和20)年9月20日、大日本帝国憲法8条1項に基づき、「昭和20年勅令542号(いわゆるポツダム緊急勅令)」が公布即施行された。これは広汎な授権法であった。→《授権法の成立》□佐藤64

政府は「ポツダム」宣言の受諾に伴ひ、聯合国最高指令官の為す要求に係る事項を実施する為、特に必要ある場合に於ては命令を以て所要の定を為し、及、必要なる罰則を設くることを得。

・日本国憲法施行から約1年後(占領下)の最高裁(最大判昭和23年6月23日刑集2巻7号722頁)は、次のとおり「降伏条項の実施のためには広汎な委任もやむを得ない」との理由付けでポツダム緊急勅令の合憲性を肯定した。□北川457

「我が国がポツタム宣言を受諾して、同宣言の定むる諸条項を誠実に履行すべき義務を負い、且つ降伏文書に調印して同文書の定むる降伏条項を実施するため適当と認むる措置をとる聯合国最高司令官の発する命令を履行するに必要な緊急処置として制定されたものである。…降伏条項の実施は広汎の範囲に亘つている。その実施に関する聯合国最高司令官の要求はその時期と内容を予測することができない。しかも、その要求があれば迅速且つ誠実にこれを履行することを要する。そのためには急速に所要の法規を設けることが要請され、到底いちいち議会の協賛を経る手続をとることは不可能である。…政府はこの緊急の必要に応ずるため、緊急勅令を制定し、これに基く勅令、閣令、省令によつて、従前の法律、命令の改廃、新法令の制定を行うこととしたのである。…緊急勅令が命令に委任した立法の範囲は広汎である。しかしながら、降伏条項の誠実な実施はポツダム宣言の受諾及び降伏文書の調印に伴う必然の義務であり、その実施が広汎で且つ迅速を要することを考慮するときは、緊急勅令が委任立法の範囲を「ポツダム宣言ノ受諾ニ伴ヒ聯合国最高司令官ノ為ス要求ニ係ル事項ヲ実施スル為必要アル場合」と定めたことはまことに已むことを得ないところであつて、これを目して旧憲法第八条所定の要件を逸脱したものと言うことはできない。」

・ポツダム緊急勅令を媒介として、「ポツダム宣言>最高司令官の指令>ポツダム緊急勅令>個別の勅令政令省令など(いわゆるポツダム命令)」という管理法令の体系が出現した。代表的なポツダム命令として、「就職禁止、退官、退職等に関する件(昭和21年勅令109号)(いわゆる公職追放令)」「昭和21年勅令第118号(物価統制令)」「公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令(昭和22年勅令1号)(いわゆる改正公職追放令)」「警察予備隊令(昭和25年政令260号)」などがある。□北川456-7、佐藤164

 

[日本国憲法施行と従前法令の効力]

・アメリカや日本も批准していた「陸戦の法規慣例に関する規則(陸戦の法規慣例に関する条約の付属書)(いわゆるハーグ陸戦規則)」は、「国の権力が事実上占領者の手に移りたる上は、占領者は、絶対的の支障なき限、占領地の現行法を尊重して、成るべく公共の秩序及生活を回復確保する為施し得べき一切の手段を尽すべし。」と規定する(43条)。総司令部や極東委員会はこの規定を意識し、大日本帝国憲法と日本国憲法の法的連続性が確保されることにこだわった。そのため、日本国憲法の制定は、大日本帝国憲法73条に則った「最初で最後の憲法典の改正」の形式で実施された。□安念ほか10、小嶋大石29

・新憲法と抵触しない従前の法令一般の取扱い:1947(昭和22)年5月3日に施行された日本国憲法には、明治憲法下の法令の取扱いについて明確な経過規定が設けられなかった(大日本帝国憲法76条1項参照)。この論点につき、占領下の最高裁(最大判昭和24年4月6日刑集3巻4号456頁)は、日本国憲法98条1項が「その条規に反する法律、命令、詔勅」等の効力を有しないことを規定している点を取り上げて「その反面解釈として、憲法施行前に適式に制定された法令は、その内容が憲法の条規に反しないかぎり効力を有することを認めているものと解さなければならない」と述べ、同条に経過規定的な意味を読み込んだ。□稲452-3

・法律事項を定める等の命令の取扱い:新憲法と同時に「昭和22年法律第72号(日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律)」が施行された。同法は次のルール群から構成されており、原則として明治憲法下命令の今後の取扱いは、日本国憲法下のルールに則った個別の取扱いに委ねられた。□高橋編255

[1-1]明治憲法下の命令(※)で法律事項を定めるものは、暫定的に、1947年(昭和22年)12月31日まで法律と同一の効力をもつ(1条)。もっとも、いわゆるポツダム命令の効力には影響しない(1条の2)。

※なお、ここでの対象は「1947年5月3日時点で『命令』の効力を有するもの」に限定される。「明治憲法前の太政官布告等」のうち、旧憲法76条2項を根拠に明治憲法下で法律の効力を有すると扱われていたものは、同法の適用を受けない(最大判昭和36年7月19日刑集15巻7号1106頁)。→《日本国憲法施行以前の立法権小史》

[1-2]組織法を定める命令は、国家行政組織法の施行前日まで効力を有する(1条の3)。

[1-3]個別列挙される命令等は法律に改められて1948年(昭和23年)7月15日まで暫定的に効力を有し、それまでに個別法によって改廃されなければ失効する(1条の4)。

[2]他の法律が「勅令」と呼ぶものは「政令」と読み替えるが、内閣等に憲法外の命令発令権限を付与したものではない(2条)。

[3]「命令ノ条項違犯ニ関スル罰則ノ件(明治23年法律84号)」(※)や身分事項に関する特定の法令は、廃止する(3条)。

※「命令ノ条項違犯ニ関スル罰則ノ件(明治23年法律84号)」は命令へ罰則の一般的委任を行なっていた。同法の廃止に伴い(3条)、同法を根拠として罰則(=法律事項)を定めている命令は、1947年(昭和22年)12月31日までは法律と同一の効力を持つものの(1条)、1948年(昭和23年)1月1日以降も有効に存続するためには新たに個別法からの委任を受ける必要が生じた。主権回復後の最高裁は、同法を根拠として罰則を設けていた銃砲火薬取締法施行規則につき、同規則に罰則を委任した個別法が見当たらないとして、1948年(昭和23年)1月1日以降の失効を宣言した(最大判昭和27年12月24日刑集6巻11号1346頁)。

・ポツダム緊急勅令の絶対:日本国憲法施行から主権回復までの間(1947年5月3日~1952年4月28日)も、ポツダム緊急勅令に基づく政令の制定と適用はつづいた。主権回復後の最高裁は、最大判昭和28年4月8日刑集7巻4号775頁[政令201号事件]は、ポツダム緊急勅令は「連合国最高司令官の為す要求に係る事項を実施する必要上制定されたものであるから、日本国憲法にかかわりなく憲法外において法的効力を有する」としてその超憲法的効力を肯定し、それに基づくポツダム命令も「憲法の規定にかかわりなく有効である」とした。□北川456-7

 

[占領終了後の管理法令の効力]

・1952(昭和27)年4月28日、「日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)(昭和27年条約5号)」が発効し、連合国による占領管理体制(+戦争)は終結した。同日には「(旧)日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(昭和27年条約6号)」も発効した。□大石憲法史379-81、安念ほか8

・さらに同日、「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律(昭和27年法律81号)」が施行され、ここにおいてポツダム緊急勅令が廃止される一方、個別のポツダム命令は原則として180日間に限り法律としての効力を有するとされた。個別のポツダム命令の効力について述べたものとして、最高裁自身の「独立宣言」と評される最大判昭和28年7月22日刑集7巻7号1562頁[政令325号事件]最大判昭和36年12月20日刑集15巻11号1940頁。□北川456-7、尾吹35、高橋編257

 

美濃部達吉『憲法講話〔改訂版増刷〕』(岩波文庫)[2018,底本1924]

尾吹善人『解説 憲法基本判例』[1986]

小嶋和司・大石眞『憲法概観〔第5版〕』[1998]

稲正樹「判批」芦部信喜・高橋和之・長谷部恭男『憲法判例百選2〔第4版〕』[2000]

北川善英「判批」芦部信喜・高橋和之・長谷部恭男『憲法判例百選2〔第4版〕』[2000]

大石眞『日本憲法史〔第2版〕』[2005]

安念潤司ほか『論点日本国憲法』[2010]

佐藤幸司『日本国憲法論』[2011]

高橋和之編『新・判例ハンドブック憲法』[2012]

福永文夫『日本占領史1945-1952』[2014a]

福永文夫「終戦から占領改革へ」筒井清忠編『昭和史講義2』[2016b]


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