保護される表現の範囲

2014-05-13 04:15:06 | 基本権

[NHK NEWSWEB:2014年5月12日12時51分より]

美味しんぼ 福島県が「容認できず」

雑誌に連載されている漫画「美味しんぼ」の12日に発売された内容の中で、登場人物が「福島県内には住むな」とか、「人が住めるようにすることはできない」などと話す場面があり、福島県は「断固容認できない」とする見解を12日朝、公表しました。

小学館の週刊ビッグコミックスピリッツに連載中の「美味しんぼ」では、先月28日の発売分で、主人公の新聞記者たちが東京電力福島第一原子力発電所を取材したあと、原因不明の鼻血を出す場面などが描かれました。
さらに12日発売の続編で、地元の双葉町の前町長や大学の准教授が実名で登場し、鼻血などの理由について「被ばくしたから」と断定し、「福島県内には住むな」とか、「福島は広域に除染して人が住めるようにすることはできない」などと語っています。
これについて福島県は12日の朝、見解をホームページで公表し、「特定の個人の見解があたかも福島の現状そのものであるような印象を与えかねず、大変危惧している。福島県への不安感を増長させ、風評被害を助長するものとして断固容認できず、極めて遺憾だ」と抗議しています。
この漫画の表現を巡っては、地元の双葉町が「福島県全体にとって許しがたい風評被害を生じさせている」などとして、今月7日に小学館に抗議文を送っています。
一方、小学館は今月1日付けの雑誌の公式ツイッターで、「今月19日発売の雑誌とホームページで、識者の見解や批判を含む意見を集約した特集記事を掲載する予定です」とコメントしています。

[引用終わり]

 

今回の鼻血記述について、ブログ主は当否を判断できない(恥ずかしながら知識を持たない)。ただ、この騒動に対する皆さんの反応が興味深い。

 

あらかじめ述べれば、今回の美味しんぼの記述は、「科学的言説」といえるだろう。このような表明に対しては、法律家は近づくべきではないと思う。物理学者や医学者の守備範囲として、彼らのフォーラムで真偽が決せられるべきだと思う。小保方さんの代理人弁護士も、この意味で戦略を間違えている。

 

あえて法律家が語るとするならば、表現権論(とりわけ国家による表現規制の是非)だろう。アメリカの議論を拝借すれば、表現の保障根拠をどうみるかで、保護される「表現」の範囲が捕捉される。おなじみの「自己統治の価値」からは、政治的言論が特に厚く保護される。他方、「自己実現、自律の価値」からすれば、保護されるべき表現の範囲はより広くなろうか。浜田純一・憲法学の争点114頁参照。ただ正直言って、この種の議論はいまだによくわからない。

 

今回の美味しんぼ騒動に戻る。ブログ主を含んだ素人が科学的言説を論評することの当否は置き、市場に置かれた表現(美味しんぼ)が読者の批判にさらされるのは当然だ。しかし、当該マンガの流通の是非(=政府による規制の当否)を論じる者は、その結論を、「東電批判/東電批判批判」という自らの立場から無意識に導出していないか。

表現の自由の原理論から、「表現内容に応じて自由度がスライドする」との議論は十分成り立つ(むしろ、価値序列を認める見解が通常だろう)。ただしそのことに自覚的であれば。

いい加減な感想だけど、左右の論者は、「対美味しんぼ」と「対在特会」とで規制の方向を変えていないか。無自覚にアドホックな対応がおこなわれることは、自由を阻害する。

 

追記:多くの同業者にも怒られるだろうけど、原発政策の内容とはまったく離れた「法律による行政」という観点から、原発稼働をめぐる最近の空気にはちょっと不安を感じている。静岡や新潟の県知事は、仮に政策論として正しいことを語っているのだとしても、怖い。法律の融通のきかなさは、時に自由を擁護するのだ。

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