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玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

1995年の暗示

2021-03-26 11:05:56 | 近現代史

1994年の細川連立政権が脆くも崩落した後は、単なる利権集合の自民・社会・さきがけ連立政権となる。

翌年、1995年は戦後50年という節目の年だった。ところが、この年に何か盛大な記念行事が行われたのだろうか。

1月の阪神淡路大震災、3月のサリン事件と、とてもお祝い気分にはなれない。

大災害や大事件が無くても、記念行事をやっただろうか。実は戦後50年と言うが、裏は敗戦50年でもあった。

村山首相は「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。・・・」という『村山談話』を残した。社会党左派の血の一滴であろう。

他方、これに反発するように、自民党の「歴史・検討会」は『大東亜戦争の総括』を刊行し、「大東亜戦争は侵略戦争ではなく、自存・自衛の戦争で、アジアの解放戦争だった」と主張した。

『村山談話』が自民党の守旧世襲派を呼び覚ました。

この時の屈辱感が、世襲派自民党員の右傾化への原動力として蓄積され、近年の改憲行動へマグマ化されたのではないか。

単に50年という節目だが、次代への転換や暗示を感じさせる

【参照文献:中野晃一『右傾化する日本政治』岩波新書、小森陽一『天皇の玉音放送』五月書房】

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