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玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

三年目の冬

2022-11-09 13:38:11 | 雑感

どんなに嫌な、都合の悪いことでも、三年も経てば認めざるを得ない。

一年に一回あった高校のクラス会、オリンピックの年にやろうと決まっていた中学校のクラス会、一年に一回ぐらいは行っていた外国旅行、月一回の古文書の会、定期的な昔の友人たちとの飲み会、・・・全て流れた。

今、何となく認めざるを得ないことは、WITH CORONAの範囲ではない。

ワクチン10回打っても終わりそうにない。また別のが出てくる可能性もある。

どうもWITH VIRUS,WITH WAR,WITH・・・、だということだ。

先月、三年ぶりに墓参りに行ってきた。帰りの途中、吉祥寺に寄った。この町は裸電球で露店でモノを売っていた頃から知っている。ロンロン、サン・ロード、伊勢丹と発展してきたが、・・・。

今は、もうわからん、街になった。 

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軽い「平和」感

2022-08-10 14:31:19 | 雑感

かねてから、決まってこの8月になると、急にマスコミ界では「平和を祈る」「平和を守る」という言葉が氾濫する。

皆が手を合わせていれば原爆が落ちてこない訳ではなく、平和というモノがあってみんなでしがみ付いて抱いていれば世の中が平和になるものではない。

同じようなモノがある。憲法九条があれば、戦争しない訳でもなく、他国から攻撃されない訳でもない。憲法改正をせず、守っていれば、警察や国家権力からの暴力を受けないというモノではない。また基本的人権が広く認められるわけではない。

何処か、他人事で、上っ面で、真実を回避している、最近の此の圀の状況です。

1941(昭和16)年12月8日に真珠湾攻撃をすることを知っていた者は、実際の攻撃を行った連合艦隊や軍隊を別として、大日本帝國内で十数人だったと言われている。戦争はある限られた人間の意思決定と行動によって引き起こされる。

その証左が、ウクライナ侵攻のプーチンとその側近の意思決定である。また、ごく最近、アメリカの下院議長の台湾訪問の個人的決断が無用な緊張を生んだ。こんな些細なことからでも、戦争が生まれるかもしれない。

戦争がないこと、遠く離れていることが、平穏ないつもの生活が予定されることであり、それを感じる時間や日にち多ければ、「平和」という状態に近いということが、やっと余った時間が少なくなったこの年齢になって分かった。

みんなが注文するので頼んでみたけれど、具が多いだけだった。

パイナップルは入っていたけど。どうも・・・?

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21世紀型の貧乏

2022-06-24 16:26:50 | 雑感

一つの間違いやほんの一段の踏み外しで、すべり台のように貧困に落下するという。近頃の大学の学資は、その教える内容に比べてかなりの高額だと思う。それでもやっと大学出ても、何かで一回失敗すると、すべり台のように落ちて行く。

その危険性は現代の今に限ったことではない。抑々が、この国は再スタートが遣り辛い社会になっている。

『反貧困』の著者の湯浅誠は、「一旦躓いたら、必ず誰か親身になって手助けしてもらえること、または、それに代わる機能や役割が必要になってくる。簡単に、すべり台のように貧困に落下することを防ぐには“溜め”が必要だ」と言う。

その“溜め”の機能は、言い換えれば、“猶予”期間でもある。

正規雇用が減少し、次の再就職まで、失業保険の給付を受けて猶予期間を持てる人が絶対的に少なくなったことが、今日的なすべり台貧困の典型でもあるネット難民を産んだ一つの要因だと思う。

ネット喫茶は昔で言うならば簡易宿泊所であろう。昔はそこまで落下するには結構時間がかかった。今は親兄弟、親戚の助け合いが昔に比べて希薄化や遠隔化して、失業保険対象でなければ、又は日頃の貯えがなければ、簡単に貧困層に落下するようになった。

現在さかんに言われている「賃金を上げること」も急務だが、再就職を国が応援していくシステム、具体的には新たな職に対応できる技術・技能の習得のための充実した学習機会を設け、その期間は国が生活を保障する、と云った再就職のための生活保護受給システムを構築することが本論であろう。

こうした地道な提案をすることが、批判ばかりだと言われる野党に求められている。

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歴史は反面教師か、道標か

2022-05-06 19:00:48 | 雑感

第二次世界大戦は1939年のドイツ・ポーランドのバルト海の港町ダンツィヒの帰属問題に端を発して、ポーランドの後ろ盾となった英仏の独への宣戦布告によって幕を開けた訳である。

この時のアメリカの態度が微妙であった。ルーズベルトが異例の三選を目指す選挙活動中であり、「あなた方の子供を戦場に送ることはない」と高らかに宣言していた。

歴史は全く同じに繰り返すことなどない。しかし教唆に富む前例となることは往々にしてあるようだ。

今回のロシアのウクライナ侵攻はどうだろうか?第二次世界大戦と同じにアメリカ国民の戦争への忌避感を受けてか、当初の段階からアメリカは参戦しないと明言している。

たぶんプーチンはそれを信じて、原爆の脅しを使って侵攻したのだろう。

彼は喜劇役者上がりのゼレンスキーを鼻からバカにしていたのではないだろうか。即座に亡命でもするだろうと高を括っていた。ところが、全く逆に彼は敢然と戦う道を選択した。そして、ロシアの戦い方はまるで20世紀、いや19世紀的な残虐で略奪的な戦いだったが、それがSNSで世界に発信されたところで、ロシアの國自体の文化・精神性の荒廃を暴露させる結果となってしまった。欧米人は「やっぱりロシアはヨーロッパの仲間に入れられない野蛮な国だ」と再認識したに違いない。

結果として、欧米は自らの血は流さず、兵器はふんだんに供与している。

兵器といっても、AIのような人間以上能力があるモノもある。これじゃ派兵と大して変わらない、むしろ人間以上だとプーチンが嘆いた。しかし、プーチンは一旦振り上げた拳は降ろせずに、自らの権力と威勢の保持の為に原爆や化学兵器を使うかもしれない。若し使ったならば、「核の(戦争)抑止力」そのものが無いということになる。

にもかかわらず、核の共有を言う自民党のアベ系議員たちは、…だ。そんな人たちが多額の議員報酬を受けているとは、勘弁してもらいたい。この國は武器を持たせれば、軍隊を持たせれば、(敵基地)攻撃力を容認すれば、前とおなじの軍事国家になる。ほんとうに失敗に懲りない子孫たちだ。

119回も嘘をつく人は永くてもこの程度の足跡だろう。

 

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戦争を知らない爺さんと婆さんたち

2022-05-03 19:16:57 | 雑感

かつて「戦争知らない子供たち」として第二次世界大戦後を生きてきたが、苦労していないことを以って、何処かで戦前や戦中の先人や先輩たちに引け目があった。

確かに、何も気付かない度し難いほど間抜けで鈍い戦後の子供たちだった。

大学の時になんでうちの大学の教授には、杖をついた人が居るのか全く気付かず、ベトナム戦争反対に気を取られていた。後から考えれば、彼らは若くして戦争に行った人たちだったわけだ。そういえば職場でも足の悪い人はけっこう居たものだ…。

総論として、振り返れば、戦後世代はけっこう楽ちんな生涯だった。

しかし、10年ぐらい前から事情は変わってきた。

関東大震災を知らなかった我々戦後人は、阪神淡路、東日本の二つの大震災を見た。広島・長崎を知らない我々世代は3・11の福島原発事故で放射能の恐ろしさを知った。そして、2年前に全世界が新型コロナという感染病に襲われた。また、つい最近、ヒットラーやスターリンと時間を共有しない、まさに戦争を知らない爺さんと婆さんたちが、プーチンと云う思想・主義に拠らない、単にヒトとして異様で異能な独裁者の実在を知った。

たった一人の人間によって、下手をすると第三次世界大戦に入るかもしれず、果ては原爆のボタンを押されるかもしれない。

振り返れば、この国に落とした原爆は何の為だったのだろうか?

トルーマン政権は原爆を落とさなければ、この國の戦争を止めれなかったと説明するが、そうではあるまい。この國は長崎への原爆投下に関わりなく、ポツダム宣言の受諾を決めている。(『木戸幸一日記(下)』8月9日の条)

アメリカは立派な理由があって原爆を使ったのではないだろう。

どうであれ、ともかくも、20世紀以降の人間は、遅かれ早かれ、大なり小なり、同じような人類の過ちと暗愚の選択の報いや苦しみに遭遇しながら、その人生を終わらせていくことになるのかな。

1945年8月15日の新聞

 

 

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