l'esquisse

アート鑑賞の感想を中心に、日々思ったことをつらつらと。

吉川龍 展 -そこからみえるもの-

2009-11-20 | アート鑑賞
日動画廊本店 2009年11月13日(金)-11月23日(月・祝)
10:00-19:00 (土日祝は11:00-18:00、最終日は16:00まで)

本展のご案内はこちら

銀座の日動画廊で開かれている、吉川龍(よしかわ・りょう)さんの個展、及び11月16日(月)に行われたご本人によるギャラリー・トークに足を運んだ。

私が初めてこの作家さんを知ったのは、2007年に損保ジャパン東郷青児美術館で開催された「DOMANI・明日」展2007にて『Crocevia(交差点)』と題された作品を観た時だった。

197x325cmの大きな画面に出現する交差点の風景。自転車にまたがる人、歩く人、バイク、車、街路樹、建物。すべてが逆光の中のシルエットで描かれていた。遠目には白黒のモノトーンのように観えるけれど、影の部分には赤や青などが散りばめられていて、そこに漂う大気の運動が視覚化されているような肌触り。

その時の自分のメモにはこんなことが書かれている:

この作品は鑑賞者をとても不思議な時空間に放り込む。まるで昼寝から目覚め、定まらない視点で焦点を合わせようと一点を見詰めている時に、だんだん知覚が覚醒していく過程のようにも。自分の中にある記憶の断片がシンクロし、心象風景のようでいて妙に現実感のある、不思議な感覚を呼び覚ます。

作品の前にはソファーがあり、そこに座って絵としばらく向き合っている男性が多かったのも記憶に残る。

そして2008年、日動画廊で開かれていた個展で再びこの作家さんの作品を観る機会に恵まれた。森の中、木漏れ日があちらこちらの作品から溢れていたイメージが残っている。それぞれグリーンやブルーや暖色などを基調とした上に様々な色が心地よく入り混じり、『Crocevia』しか知らない私にはとてもカラフルに観える作品群だった。逆光の中に舞う光の粒子を捉えた、瞼の裏の残像のような世界も不変。

前置きが長くなったが、やっとここから本展のお話。

その吉川龍さんの、新作35点が並ぶ大がかりな個展が再び日動画廊で開かれている。2008年の個展の時は地下の展示室だったが、今回は1Fのフロアを吉川作品が全て埋め尽くす。

入り口の扉を開けてすぐ出迎えてくれる数点の作品からいきなり、私の知っている吉川ワールドがいろいろな方向に進化していることを知らされる。森はさらにカラフルになり、鹿や小鳥などの動物たちの姿も。今までの表現とは異なる、木の梢や草花を至近距離的に切り取り、木漏れ日ではなく”空”という面で光を取り込んだ構図にも目を引かれる。

しかし中に入ると、更に驚くような作品が。

まず目に留まった『Floating Blaze』。闇を吸いこんでたゆたう海(のように私には観えた)の向こうに広がる夜景の、人工的なイルミネーションを表現した横長に大きな作品(F50+F50)。自然児(?)の吉川さんが描く都会の夜景。やっぱり光の表現が美しい。

『銀夜流』は、F50の縦長の画面に、暗闇の中上方から流れてくる川の動きを、水面に映る銀色の反射光で表現している。作家さんにお伺いしたところ、上記の夜景とこの川の作品は「ある意味挑戦したもの」だそうで、新境地を開いた作品といえるのかもしれない。ちなみにこの『銀夜流』は表面にプラチナ箔を貼ってあるのだが、画面上下には銀箔を貼ってあり、時間が経つとともに銀箔部分だけが硫化していき、奥行きが増していくのだそうだ(いつか表情を変えたこの作品にまたお目にかかりたいものです)。

『水描線』も初めて知る作風。画面全体が白く塗られ、浜辺の水打ち際で戯れる幼い子供二人と子犬がパステル調の淡い色彩で浮かび上がる。のどかで微笑ましい作品だが、微妙な色が混ざった子供や犬のシルエットで陽光の眩しさが見事に表現されている。

勿論、お馴染みの森の木漏れ日や逆光の中に風景を捉えた作品群も健在、というよりますます冴え渡っている。全体的に色彩の力強さが増している印象。

。。。と思うままにつらつらと書いてきたが、いかんせん作品の画像もなく、私の拙い文章ではほとんど何もお伝えできないので(この記事に目を留めて下さった方には、是非会場で実作品を観て頂きたいと切に願います)、このへんでギャラリー・トークで伺った話をまとめておきたい。

今回の出展作品は今年の7月から描き始められ、ひと月8点ほどのペースで描き上げられたとのこと。100号の作品が4点ほど並ぶが、展覧会の構成を考えてまず描き上げられたのがそのうちの1点、『日々-風-色』。DMにも使われているその作品の前で(と言いながら私には持ち合せがないのだが)、作家さん独特の作品の制作プロセスが説明された。私が理解した限り、その手順はざっと以下の通り:

1) アクリル画用の目の細かいキャンバスに和紙を膠で貼り付ける。
2) そこにアクリル絵具やグァッシュを10~20層にも重ね塗りして下地画面を作成。色が濁らないように、かつ薄すぎないように、そして深みが出るよう色を選んで重ねていく。
3) 自分で撮影した写真を片手に、金色のアクリル絵の具を使ってフリーハンドで下絵を描き、光の表現部分に白色などのアクリル絵の具をそのまま盛り上げていく。

更に言えば、和紙は70~80cmくらいなので、大きな作品になると継ぎ目がある。2003年にこの手法を始めて以来、「職業が違うじゃねーか」(ご本人談)というくらい貼りまくっているとのこと。作品をそばで観ると、光の表現部分のマチエールは確かにかなり盛り上がっている。

吉川さんはもともと油絵をやってらっしゃったので、アクリル絵具を使って絵を描くことには抵抗があったそうだ。でも、吉川作品の場合は下絵にこれだけ手間をかけている分、通常のアクリル作品とは一線を画しているように思う。

そして技法上で大きく分けるともう一つ説明が要る。先に挙げた『水描線』など全体が白塗りされている作品。下絵までの作業は同じだが、違うのはラッカー・スプレーで全面を塗装し、ペインティング・ナイフを研いで刀にしたものでそのラッカーを削っていく手法。削ることによって下の和紙の部分が露出し、繊細な色が絡み合ったモティーフが立ち上がってくる(これも実際観てみないとわかりにくいと思うが)。

さて、作品には圧倒的に森や木々が描き込まれた風景が多い。ご本人が生まれ育った豊かな自然環境が根底にあるようだが、今回は鹿、小鳥、蝶などを画中に取り入れた作品もたくさんある。これも後で伺ったお話だが、森に入ると「視覚以上に聴覚に神経を注ぐ」そうで、「目に見える映像以外のものを込めようとした」そうである。

また、絵のモティーフには実在の場所を写真に収めたものを使うが、自転車置き場などおおよそ絵にならないようなところを選ぶとのこと。「心象風景に意味を持たせたい」ともおっしゃっていたが、誰もがそれぞれの記憶と重ね、様々な感情を喚起させられる「ありきたりの風景」を切り取って表現できるのは、やはり作家さんの力量。『Crocevia』に出会った瞬間を思い出す。

最後に、作品のタイトル。「余り説明的にならないように」つけられたそれらは、詩的な余韻を残しつつ作品の世界を言葉で美しく表現する。『風織る』『虹色に浮く』『緑に射す』『VELVET FLOW』『はるかぜのはなし』 etc etc

もしこの連休中、銀座界隈にお出かけであれば是非お立ち寄りください。11月23日まで。

作品の画像も観られる吉川龍さんのサイトはこちら。制作の様子が率直な口ぶりで語られるブログも作品の理解に役立ちます。

吉川龍 (よしかわ りょう)
1971年 栃木県益子生まれ
1997年 東京藝術大学絵画科油画科専攻卒業
1999年 東京藝術大学大学院修士課程美術研究科絵画専攻修了