l'esquisse

アート鑑賞の感想を中心に、日々思ったことをつらつらと。

細川家の至宝―珠玉の永青文庫コレクション

2010-07-03 | アート鑑賞
東京国立博物館 平成館 2010年4月20日(火)-6月6日(日)
*会期終了

   

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私は永青文庫に一度も足を運んだことがないし、戦国時代の知識も情けないほどにあやふやという体たらくであったので、今回は細川家の歴史を少しばかり学びつつ、その所蔵のお宝について超ビギナーの観賞会となった。最終盤(7期)に行ったので、チラシに使われている菱田春草の黒猫には会えなかったが、所詮一度に観られるようなコレクションではないので仕方なし。お勉強のために買った図録の重さは2kgもあり、作品リストがホチキス留めというのも初めてです。

ということで、まずは細川家とそのコレクションについて端折りに端折ったメモを残しておきます:

細川家の歴史は、鎌倉時代に足利義季(よしすえ)が三河国額田(ぬかた)郡細川郷を本拠とし、名字を細川としたことに始まる。旧熊本藩主・細川家はその分家の一つで、細川藤孝(幽斎 1534-1610)を初代とする。その細川家に伝来する文化財の散逸を防ぐために、16代目の細川護立(もりたつ)によって1950年に設立されたのが永青文庫(えいせいぶんこ)。所蔵品は8万点を超え、今回はその中から総数350点余りが展示。ちなみに元首相の細川護煕は18代目当主。

本展の展示構成は以下の通り:

第1部 武家の伝統―細川家の歴史と美術―
 第1章 戦国武将から大名へ―京・畿内における細川家―
 第2章 藩主細川家―豊前小倉と備後熊本―
 第3章 武家の嗜み―能・和歌・茶―

第2部 美へのまなざし―護立コレクションを中心に―
 第1章 コレクションの原点
 第2章 芸術の庇護者
 第3章 東洋美術との出会い

では、観た中で印象に残ったお宝を挙げていきます:

第1部 武家の伝統―細川家の歴史と美術―

前半の第1部では、武家としての細川家に伝来する品々が並ぶ。甲冑や刀剣など武器・武具類に加え、武人としての教養を示す茶道具や能関連の作品、歴代当主の肖像画、書状など。

『時雨螺鈿鞍』 鎌倉時代 13世紀 *国宝



うっとり見とれるような螺鈿細工が施された鞍。櫛の歯のように細い線で表された松と、丸味のある葛の葉が流れるように絡み合う柄が何とも言えず美しい。

国宝なので、図録の解説からうんちくを少々。この図柄には、王(わ)・可(か)・恋・染・原・尓(に)の文字が隠されており、文字と図柄で「新古今和歌集」に収められている慈円の歌「わが恋は 松を時雨の染かねて 真葛が原に風騒ぐなり」を表現したもの。このような作品を「葦手絵(あしでえ)」と呼ぶそうだ。

『黒糸威(くろいとおどし)二枚胴具足』 細川忠興(三斎)所用 (安土桃山時代 16世紀)



細川家二代目、忠興(ただおき)が関ヶ原の戦いで用いた具足。まず目を引くのは兜の上の飾り。頭立(ずたて)と呼ばれるそうで、山鳥の羽で出来ている(遠目には竹ぼうきかと。。。)。これなら、戦の最中もトップがどこにいるのかすぐわかりますね。

今こうして書きながら、時節柄、ピッチ上で目立つためにブロンドに染めたと言う現代のサムライ、本田圭佑選手を思い出した。本田選手と間違われて「ホンダ!ホンダ!」と南アフリカの人々にサインを求められる稲本選手はちょっと可哀そうだったが。

話を東博に戻して、このコーナーにはこのような具足や鎧がズラリと並び、見渡しているうちに細川家が武家であることを実感すると共に、ちょっとぞくぞくしてしまった。

『幟(のぼり) 白地紺九曜に引両』 (江戸時代 17世紀)



細川家の家紋、「九曜星」が染められた幟。熊の足跡のような、向日葵のような、ちょっと可愛らしい感じに見える。双頭の鷲やら猛々しく立ちあがるライオンやらが目白押しの西洋の家紋と比べ、やはり我々農耕民族の家紋は大人しいですね。

『毛介綺煥(もうかいきかん)』 (江戸時代 18世紀)

  部分

18世紀の日本は博物学が大いに盛んとなった時代で、大名たちの間に動植物などを図鑑としてまとめる作業の流行をもたらしたそうだ。8代当主、細川重賢(しげかた)も熱中し、ここに並ぶ様々な写生図はその一端。朱色も鮮やかな蟹の迫力もさることながら、狼の毛並みもデューラーとは言わないが、とても写実的に描き込まれている。

『縫箔 黒地花霞模様』 (江戸時代 17~18世紀)

   クローズアップ

ボーッとなるほど幻想的で美しかった。大小の花々が敷き詰められているが、そのランダムさ加減(に見せながら全体の風景がちゃんと計算されている)が絶妙。作った人の美的感覚に脱帽です。

『唐物尻膨茶入れ 利休ふくら』 (中国 南宋時代 13世紀)



その形から尻膨(しりふくら)と呼ばれる茶入れ。千利休所持の伝来を持つ名品で、細川家の茶道具の中でも最も名高いものの一つだそうだ。関ヶ原の戦いの軍功として、徳川秀忠から細川忠興(三斎)が懇望して拝領したとある。6cmほどの小さい茶入れなのに、何やらとてもパワフルな存在感。

第2部 美へのまなざし―護立コレクションを中心に―

後半の第2部では、永青文庫の創立者である細川護立(1883-1970)のコレクションを紹介。「いいものはいい」と、分野を問わず気に入った作品を蒐集したというそのコレクションは、考古学的な出土品から近代絵画まで幅広い。

『乞食大燈像』 白隠慧鶴 (江戸時代 18世紀)

 

いきなり白隠慧鶴の作品が沢山並んでいて嬉しい驚きだったが、実は護立コレクションの出発点が白隠の収集にあったそうだ。そのきっかけは、重病の護立が熊本出身のジャーナリストに薦められて病床で読んだという、白隠著の『夜船閑話(やせんかんな)』。実はこのセクションの最初にその実物が展示されているが、ドイツ人医師にかかっても全快しなかった護立が、この本に「何物にも比す可からざる尊さを覚え」、その後回復していったというからよっぽど勇気づけられる内容だったのでしょう。

『落ち葉』 菱田春草 (1909) 重要文化財

 左隻の一部

護立は10代の頃から、新進の日本画家であった横山大観や菱田春草に注目していたそうで(私が行った時は横山大観の作品が多く観られた)、これは菱田春草の重文作品。実物を初めて観たが、想像以上に美しい作品だった。まだ枝に残る葉の、緑から茶へのグラデーション、地面に散る色づいた葉、写実的に描かれた手前の幹の木肌、霞んで立つ奥の木々。朝靄がかかっているのか、淡い色彩で丁寧に丁寧に描き込まれていて、おぼろげで夢想的な情景にも思えた。

ついでながら、今回の東京展には出品されていなかったが、普段は東京国立近代美術館に展示されているお馴染み安井曾太郎『金蓉』(1934)が、護立の注文で描かれたことを初めて知った。護立は、古美術蒐集のみならず、同時代の芸術家と交流し、その活動を支援する偉大なるパトロンでもあったのですね。

『桃花紅合子(とうかこうごうす)』 (中国 清時代 康煕年間 1662-1722)



護立の眼は東洋美術にも向けられ、そのコレクションには国宝となった、細川ミラーと呼ばれる『金銀錯狩猟文鏡(きんぎんさくしゅりょうもんきょう』(中国 戦国時代 前4~前3世紀)なども。そんな凄いものが並ぶ中で、私はこの直径7cmほどの、景徳鎮窯で焼かれた一組の合子に吸い寄せられた。そのまろやかな形といい、桃色と緑の微妙な混ざり具合といい、なんとまぁ可愛いらしい。しかし実は非常に高価だそうで。。。

『菩薩坐像』 (中国 唐時代 8世紀)



白隠や仙の絵画に始まり、刀、日本画・洋画、東洋の古美術品ときて、今度は仏像。次々にジャンルを超えて立ち現れる出展作品に、改めて護立の関心の幅の広さを思う。

この菩薩様にはとりわけ親しみを覚えた。身体や首の傾け方、何かを語りかけてきそうな口元が、人っぽいからだろうか。

本展は、以下の通り巡回予定です:

【京都展】
京都国立博物館
2011年10月8日(土)-11月23日(水・祝)

【福岡展】
九州国立博物館
2012年1月1日(日・祝)-3月4日(日)