東京都美術館 2009年4月25日-7月5日
最初に入手したチラシは、片面がフジタ、もう片面がカンディンスキー
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☆美術館連絡協議会に加盟している美術館(現在124館)の一覧はこちら
その1からの続きです。2.日本近・現代洋画と3.日本画、版画の2部門にて印象に残った作品:
2.日本近・現代洋画
山本芳翠 『裸婦』(1880) 岐阜県美術館
ちょうどその日の朝の「日曜美術館」でアングル特集をやっていたので、どうしてもアングルやブグローの裸婦像を想起してしまった。西洋人の肌にはよく緑や緑がかったグレーの陰影がつけられるが、油絵の先生に「あれは血管なんですよ」と教えられ、なるほどと思った。この絵でも西洋人女性の白い肌がとても滑らかに美しく表現され、うっとり。こういう作品を観ると、新古典主義も悪くないと思ってしまう。
浅井忠 『グレーの柳』(1901) 京都市美術館
実は初秋の風景なのだが、立ち並ぶ柳(しだれ柳ではない。名前がわからないが)の葉の、輝く緑のグラデーションがとにかく美しい。グレーはフランスのフォンテーヌブロー近くの小村で、浅井は2年間のヨーロッパ滞在中、度々訪れたそうだ。さぞや気持ちよく筆が動いたことだろう。絵からすがすがしい空気が漂ってくる。
藤田嗣治 『アントワープ港の眺め』(1923) 島根県立石見美術館
これは単純に珍しかった。170x224cmもある大きな風景画。と言っても写生したわけではなく、藤田が大量に買い込んだ資料を元に描いたアントワープ港の17世紀の景色だそうだ。アントワープの銀行家から受注した作品とのこと。防波堤や建物の白っぽい石壁の質感が、彼の描く人物像の肌の陰影と同じ描き方なのでおもしろい。
岡鹿之助 『遊蝶花』(1951) 下関市立美術館
はっとするほど美しい絵だった。雪をかぶった教会や塀などが見える雪景色を背景に、緑青色の花瓶にふんだんに挿された色とりどりのパンジーが右手前に大きく描かれている。柔らかい点描の筆遣い、色彩に独特の味わい。雪と華々しい花の組み合わせは非現実的だが、まるで白昼夢を見ているような心持にさせられた。
靉光 『蝶』(1941) 広島市現代美術館
オリーヴ色のグラデーションのような渋い色彩の背景の中、画面中央にねじれて伸びる木の枝にとまる2匹の蝶。アゲハ蝶の羽の白黒の模様だけがくっきりと浮かび上がる。この苔むしたような絵の何かが私の心を引きずりこむ。
国吉康雄 『祭りは終わった』(1947) 岡山県立美術館
一瞬、あらこの馬どうしたの!と思った。どこか上方から落ちてきたかのように、背中を真下に馬が地面に落下する瞬間に観えたから。しかしよく観るとこれはメリーゴーランドの木馬で、胴を貫通する手すりの棒が地面に刺さり、体が宙に浮いている図だった。「祭りは終わった。戦争は終わった。新しい世界を待ち望んだけれど、何もやっては来なかった」とは画家の言葉。あまりに寂寞とした言葉だが、もしこの画家が今に生きていたとしても、同じような絵を描いていたのではないかと思ってしまうのは残念なことである。
牛島憲之 『邨』(1947) 府中市美術館
淡いパステル調の色彩で、藁葺き屋根の連なりを描いた作品。黄味や赤身がかったベージュ色と、陰影の若草色が柔らかく調和している。屋根の形も含め直線は見当たらず、すべてがほんわりとした世界。府中市美術館には何度か足を運んだことがあり、牛島憲之記念館には牛島の生前のアトリエがそのまま再現されていたのを思い出した。画材、イーゼルや座布団などを観ていると画家の息遣いが聞こえてきそうで、そこに画家の魂が宿っているような思いに駆られた。作品のみならずこのような形で画業を記録にとどめてもらえる画家は幸せだと思う。
山口薫 『花子誕生』(1951) 群馬県立近代美術館
母牛の大きな体躯のダイナミックな表現と、その横で生まれたばかりの子牛花子がふらつきながら初めて大地を踏みしめる様子の対比が見事。母牛が花子の体をなめる様子も微笑ましい。複数の色が混ざった微妙な色調で描かれた牛の体と、背景の朱色の調和にも見惚れる。
3.日本画、版画
狩野芳崖 『伏龍羅漢図』(1885) 福井県立美術館
羅漢の顔の表情も印象的だが、彼の膝の上で口を開けてスヤスヤと眠るこんな可愛い龍は観たことがない。強弱の効いた見事な線描にも見ほれるが、背景から浮き立つような羅漢の存在感がすごいと思った。
菱田春草 『夕の森』(1904) 飯田市美術博物館
なんだろう、この胸を締めつけられるような感覚。靄がかかったようにぼんやりと朦朧体で描かれた大きな森。その森の上をうっすらと淡い黄色に染める日の名残り。それを背後に空高く舞う鳥の群れは、森とは対照的に一羽一羽がくっきりと明確な線で描き込まれている。それらはとても小さいのに、飛ぶ姿、群れの様子がこれ以上にないというくらい完璧に映る。この鳥たちが森へ帰ってしまったあとの、しんとした森を想像するから寂しくなってしまうのだろうか?
高山辰男 『食べる』(1973) 大分県立芸術会館
今回の鑑賞でもっとも胸ぐらをつかまれた作品。「生きる」ことの根源をドンと目の前に突きつけられたような気がした。柔らかい暗色も配された朱色で塗りつぶされた背景の中央に、小さなテーブルとそれに向かう小さな子供が浮かびあがる。テーブルの上には飲み物の入ったコップが一つと、ご飯茶わんのような器が一つ。その器を自分の方に引き寄せ、子供は正座した腰を浮き立たせて一心不乱に器の食べ物をかき込んでいる。子供の描写は簡略化されており、まるで影絵のようで顔の表情もわからない。だからよけいにその動作が力強く迫ってくる。生きるのだ、食べるのだ、と。
三橋節子 『余呉の天女』(1975) 京都府立総合資料館(京都府京都文化博物館管理)
三橋の生涯、画業については以前「新日曜美術館」(現「日曜美術館」)での特集で観て感銘を受けたことがあり、いつか実作品を拝見したいと思っていたが、本展がその機会を与えてくれた。この画家は、30代前半で腫瘍のため利き腕である右腕を切断するという画家生命を脅かす不幸に見舞われる。それでも不屈の精神で残った左手で絵を描き続けたが(確か左手で描いた第1作目を、旦那様が「右腕よりいいじゃないか」と褒めたと聞く)、病には勝てず、本作品は35歳で夭折する三橋の絶筆となった。主題は、滋賀県の湖に伝わる羽衣天女伝説。左上に描かれた天女が見下ろす、天女が後ろ髪を引かれる想いで地上に残していく子供の面影が自分の3歳の姪にも重なり、三橋の画家、母としての無念を想い、涙が出た。
恩地孝四郎 『『氷島』の著者 萩原朔太郎像』(1943) 千葉市美術館
「竹、竹、竹が生え」の萩原朔太郎の木版画。教科書の写真でもかっこいい人だと思ったが、この髪が乱れ、シワシワのやつれ顔も絵になるといったら無礼だろうか。
橋本平八 『猫A』(1922) 三重県立美術館
お座りの姿勢で左を振りむいている猫の木彫作品。リアリズムを追求した造形で、猫の丸みのある体が柔らかい鑿の跡を残しながら形作られている。その一彫り一彫りがまるで油絵の筆触のようにも観えた。
キリがないので作品の感想はこのくらいにしておくとして、最後にご紹介したいのはハンディ・サイズの「美連協加盟館ガイドブック」。カタログとは別に300円で販売されている。美連協に加盟する124館すべてを網羅しており、各館のコレクションの紹介と共に代表1作品とアクセス・マップもカラーで載っていて、非常に見やすい。単体では有料だが、カタログを購入すれば付録としてついてくる。
以上であるが、まだ文字数に余裕があるので、締めくくりとしてその他諸々の雑感。この展覧会について思ったことを少し残しておこうと思う。
まず展覧会名とチラシ。ブロガーの皆さんからも意見が出ていたが、「日本の美術館名品展」という名称は(それに落ち着くまで紆余曲折あった旨お伺いしたが)正直なところどうしても"昭和の匂い"がして、アピール度が今一つ弱いという感がぬぐえない気がする。Museum Islandsという文字もあまり目立っていないのではないだろうか。ついでにチラシになぜ藤田嗣治の作品が選ばれたのかもお伺いしたかった。名品の一つに違いないが、一鑑賞者の意見としては、この数年に2度の大規模な回顧展が開かれている藤田の作品は、宣伝のインパクトとしてはやや疲弊感があるように思われる。
例えば、2006年に東京国立近代美術館で開かれた「モダン・パラダイス」展。岡山県にある大原美術館と、東京の近美の所蔵作品が100点以上集められ、"東西名画の饗宴"と謳われた展覧会であった。これも観方が難しい展示内容ではあったが、その名称はインパクトがあり、チラシにも複数の作品が散りばめられていて出展作品の多様性を印象づけられた。今回チラシだけでも各分野から選んだ複数の作品をコラージュのように使ったらよかったのでは?とは素人の考えかもしれないが。
もう一つ思い出すのは、去年釧路に観光で行った際に立ち寄った釧路芸術館の企画展。このとても立派な美術館では、その時地元ご出身の写真家の展覧会が開催中で、個人的には鑑賞して得るものがあったが、いかんせん鑑賞者の姿がなく、本当に閑散としていたのを寂しく思った。しかしながら、日曜日に飲食店が閉まっていたり、夜になるとあまり人気がないなど東京の生活に慣れ親しんだ者には驚くような光景を目の当たりにし、美術館以前の問題のような気もした。これは当然ながら釧路だけの話ではないと思うし、今後ますます美術館同士の多角的な共存体制が必要になってくるのではないかと思ったりもした。
バブル崩壊後は美術館の予算も削られて、作品の購入はおろか運営自体もなかなか厳しいという話を耳にするようになって久しい。そこへきてこの未曾有の経済不況。しばらく厳しい時代が続くと思われるが、「今回集められた作品は氷山の一角であり、美術館側としても今後第二弾、三弾と続けられれば」という学芸員さんの言葉が実現するよう、お祈りしている。ちなみに先に挙げた釧路芸術館から後期に出展される『彩雲』(岩橋英遠)は、私が最も楽しみにしている作品のひとつである。
最初に入手したチラシは、片面がフジタ、もう片面がカンディンスキー
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その1からの続きです。2.日本近・現代洋画と3.日本画、版画の2部門にて印象に残った作品:
2.日本近・現代洋画
山本芳翠 『裸婦』(1880) 岐阜県美術館
ちょうどその日の朝の「日曜美術館」でアングル特集をやっていたので、どうしてもアングルやブグローの裸婦像を想起してしまった。西洋人の肌にはよく緑や緑がかったグレーの陰影がつけられるが、油絵の先生に「あれは血管なんですよ」と教えられ、なるほどと思った。この絵でも西洋人女性の白い肌がとても滑らかに美しく表現され、うっとり。こういう作品を観ると、新古典主義も悪くないと思ってしまう。
浅井忠 『グレーの柳』(1901) 京都市美術館
実は初秋の風景なのだが、立ち並ぶ柳(しだれ柳ではない。名前がわからないが)の葉の、輝く緑のグラデーションがとにかく美しい。グレーはフランスのフォンテーヌブロー近くの小村で、浅井は2年間のヨーロッパ滞在中、度々訪れたそうだ。さぞや気持ちよく筆が動いたことだろう。絵からすがすがしい空気が漂ってくる。
藤田嗣治 『アントワープ港の眺め』(1923) 島根県立石見美術館
これは単純に珍しかった。170x224cmもある大きな風景画。と言っても写生したわけではなく、藤田が大量に買い込んだ資料を元に描いたアントワープ港の17世紀の景色だそうだ。アントワープの銀行家から受注した作品とのこと。防波堤や建物の白っぽい石壁の質感が、彼の描く人物像の肌の陰影と同じ描き方なのでおもしろい。
岡鹿之助 『遊蝶花』(1951) 下関市立美術館
はっとするほど美しい絵だった。雪をかぶった教会や塀などが見える雪景色を背景に、緑青色の花瓶にふんだんに挿された色とりどりのパンジーが右手前に大きく描かれている。柔らかい点描の筆遣い、色彩に独特の味わい。雪と華々しい花の組み合わせは非現実的だが、まるで白昼夢を見ているような心持にさせられた。
靉光 『蝶』(1941) 広島市現代美術館
オリーヴ色のグラデーションのような渋い色彩の背景の中、画面中央にねじれて伸びる木の枝にとまる2匹の蝶。アゲハ蝶の羽の白黒の模様だけがくっきりと浮かび上がる。この苔むしたような絵の何かが私の心を引きずりこむ。
国吉康雄 『祭りは終わった』(1947) 岡山県立美術館
一瞬、あらこの馬どうしたの!と思った。どこか上方から落ちてきたかのように、背中を真下に馬が地面に落下する瞬間に観えたから。しかしよく観るとこれはメリーゴーランドの木馬で、胴を貫通する手すりの棒が地面に刺さり、体が宙に浮いている図だった。「祭りは終わった。戦争は終わった。新しい世界を待ち望んだけれど、何もやっては来なかった」とは画家の言葉。あまりに寂寞とした言葉だが、もしこの画家が今に生きていたとしても、同じような絵を描いていたのではないかと思ってしまうのは残念なことである。
牛島憲之 『邨』(1947) 府中市美術館
淡いパステル調の色彩で、藁葺き屋根の連なりを描いた作品。黄味や赤身がかったベージュ色と、陰影の若草色が柔らかく調和している。屋根の形も含め直線は見当たらず、すべてがほんわりとした世界。府中市美術館には何度か足を運んだことがあり、牛島憲之記念館には牛島の生前のアトリエがそのまま再現されていたのを思い出した。画材、イーゼルや座布団などを観ていると画家の息遣いが聞こえてきそうで、そこに画家の魂が宿っているような思いに駆られた。作品のみならずこのような形で画業を記録にとどめてもらえる画家は幸せだと思う。
山口薫 『花子誕生』(1951) 群馬県立近代美術館
母牛の大きな体躯のダイナミックな表現と、その横で生まれたばかりの子牛花子がふらつきながら初めて大地を踏みしめる様子の対比が見事。母牛が花子の体をなめる様子も微笑ましい。複数の色が混ざった微妙な色調で描かれた牛の体と、背景の朱色の調和にも見惚れる。
3.日本画、版画
狩野芳崖 『伏龍羅漢図』(1885) 福井県立美術館
羅漢の顔の表情も印象的だが、彼の膝の上で口を開けてスヤスヤと眠るこんな可愛い龍は観たことがない。強弱の効いた見事な線描にも見ほれるが、背景から浮き立つような羅漢の存在感がすごいと思った。
菱田春草 『夕の森』(1904) 飯田市美術博物館
なんだろう、この胸を締めつけられるような感覚。靄がかかったようにぼんやりと朦朧体で描かれた大きな森。その森の上をうっすらと淡い黄色に染める日の名残り。それを背後に空高く舞う鳥の群れは、森とは対照的に一羽一羽がくっきりと明確な線で描き込まれている。それらはとても小さいのに、飛ぶ姿、群れの様子がこれ以上にないというくらい完璧に映る。この鳥たちが森へ帰ってしまったあとの、しんとした森を想像するから寂しくなってしまうのだろうか?
高山辰男 『食べる』(1973) 大分県立芸術会館
今回の鑑賞でもっとも胸ぐらをつかまれた作品。「生きる」ことの根源をドンと目の前に突きつけられたような気がした。柔らかい暗色も配された朱色で塗りつぶされた背景の中央に、小さなテーブルとそれに向かう小さな子供が浮かびあがる。テーブルの上には飲み物の入ったコップが一つと、ご飯茶わんのような器が一つ。その器を自分の方に引き寄せ、子供は正座した腰を浮き立たせて一心不乱に器の食べ物をかき込んでいる。子供の描写は簡略化されており、まるで影絵のようで顔の表情もわからない。だからよけいにその動作が力強く迫ってくる。生きるのだ、食べるのだ、と。
三橋節子 『余呉の天女』(1975) 京都府立総合資料館(京都府京都文化博物館管理)
三橋の生涯、画業については以前「新日曜美術館」(現「日曜美術館」)での特集で観て感銘を受けたことがあり、いつか実作品を拝見したいと思っていたが、本展がその機会を与えてくれた。この画家は、30代前半で腫瘍のため利き腕である右腕を切断するという画家生命を脅かす不幸に見舞われる。それでも不屈の精神で残った左手で絵を描き続けたが(確か左手で描いた第1作目を、旦那様が「右腕よりいいじゃないか」と褒めたと聞く)、病には勝てず、本作品は35歳で夭折する三橋の絶筆となった。主題は、滋賀県の湖に伝わる羽衣天女伝説。左上に描かれた天女が見下ろす、天女が後ろ髪を引かれる想いで地上に残していく子供の面影が自分の3歳の姪にも重なり、三橋の画家、母としての無念を想い、涙が出た。
恩地孝四郎 『『氷島』の著者 萩原朔太郎像』(1943) 千葉市美術館
「竹、竹、竹が生え」の萩原朔太郎の木版画。教科書の写真でもかっこいい人だと思ったが、この髪が乱れ、シワシワのやつれ顔も絵になるといったら無礼だろうか。
橋本平八 『猫A』(1922) 三重県立美術館
お座りの姿勢で左を振りむいている猫の木彫作品。リアリズムを追求した造形で、猫の丸みのある体が柔らかい鑿の跡を残しながら形作られている。その一彫り一彫りがまるで油絵の筆触のようにも観えた。
キリがないので作品の感想はこのくらいにしておくとして、最後にご紹介したいのはハンディ・サイズの「美連協加盟館ガイドブック」。カタログとは別に300円で販売されている。美連協に加盟する124館すべてを網羅しており、各館のコレクションの紹介と共に代表1作品とアクセス・マップもカラーで載っていて、非常に見やすい。単体では有料だが、カタログを購入すれば付録としてついてくる。
以上であるが、まだ文字数に余裕があるので、締めくくりとしてその他諸々の雑感。この展覧会について思ったことを少し残しておこうと思う。
まず展覧会名とチラシ。ブロガーの皆さんからも意見が出ていたが、「日本の美術館名品展」という名称は(それに落ち着くまで紆余曲折あった旨お伺いしたが)正直なところどうしても"昭和の匂い"がして、アピール度が今一つ弱いという感がぬぐえない気がする。Museum Islandsという文字もあまり目立っていないのではないだろうか。ついでにチラシになぜ藤田嗣治の作品が選ばれたのかもお伺いしたかった。名品の一つに違いないが、一鑑賞者の意見としては、この数年に2度の大規模な回顧展が開かれている藤田の作品は、宣伝のインパクトとしてはやや疲弊感があるように思われる。
例えば、2006年に東京国立近代美術館で開かれた「モダン・パラダイス」展。岡山県にある大原美術館と、東京の近美の所蔵作品が100点以上集められ、"東西名画の饗宴"と謳われた展覧会であった。これも観方が難しい展示内容ではあったが、その名称はインパクトがあり、チラシにも複数の作品が散りばめられていて出展作品の多様性を印象づけられた。今回チラシだけでも各分野から選んだ複数の作品をコラージュのように使ったらよかったのでは?とは素人の考えかもしれないが。
もう一つ思い出すのは、去年釧路に観光で行った際に立ち寄った釧路芸術館の企画展。このとても立派な美術館では、その時地元ご出身の写真家の展覧会が開催中で、個人的には鑑賞して得るものがあったが、いかんせん鑑賞者の姿がなく、本当に閑散としていたのを寂しく思った。しかしながら、日曜日に飲食店が閉まっていたり、夜になるとあまり人気がないなど東京の生活に慣れ親しんだ者には驚くような光景を目の当たりにし、美術館以前の問題のような気もした。これは当然ながら釧路だけの話ではないと思うし、今後ますます美術館同士の多角的な共存体制が必要になってくるのではないかと思ったりもした。
バブル崩壊後は美術館の予算も削られて、作品の購入はおろか運営自体もなかなか厳しいという話を耳にするようになって久しい。そこへきてこの未曾有の経済不況。しばらく厳しい時代が続くと思われるが、「今回集められた作品は氷山の一角であり、美術館側としても今後第二弾、三弾と続けられれば」という学芸員さんの言葉が実現するよう、お祈りしている。ちなみに先に挙げた釧路芸術館から後期に出展される『彩雲』(岩橋英遠)は、私が最も楽しみにしている作品のひとつである。