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l'esquisse

アート鑑賞の感想を中心に、日々思ったことをつらつらと。

内海聖史展 ― 千手 ―

2009-07-22 | アート鑑賞
ギャラリエ アンドウ 2009年7月7日-7月25日



「個展が決まると、まずその展示場所の模型を作り、全体でどう観せるかという大枠を捉えて出展作品の大きさ、色彩のバランスを構想します」

この個展に先立ち、6月30日から7月12日までスパイラルガーデンで開かれていた内海聖史さんの個展「色彩のこと」を観に行った際に、ちょうど会場にいらした作家さんご本人から伺った言葉の一つである。

そんな作家さんの新作を、初めて行くギャラリーで拝見できるのだから胸が高鳴る。今回はどんな色彩空間に誘ってくれるのだろう?

ギャラリーのドアを開けた瞬間、ふわっと何かに包まれたような感覚がした。変形した台形のような形の、床も壁も天井も真白な小さな空間。壁の高い位置に、同じ大きさ(70x64cm)の色とりどりの12枚の作品が、四方を取り囲むように整然と並んでいる。観上げているとギャラリーの方がいらして、照明の照度を上げて下さった。展示位置が高くて照明に近いため、作品への負担を配慮して調節しているとのこと。

右手の壁から、青味の強い紫→紫→赤紫→赤→ピンク→オレンジ→山吹→レモン→黄緑→緑→濃緑→青、と色彩の移り変わりが心地よく流れていき、一周するとまた最初の1枚に戻りたくなる。当初、個展のタイトル「千手」にある通り、千手観音の四方八方に伸びる手のように、壁にランダムに展示する構想だったが、実際に現場に足を運んでから再考し、このように壁の高い位置に横一列に並べる形に落ち着いたそうだ。3枚、3枚、4枚、2枚、とそれぞれの壁の幅に合わせた枚数が同間隔で収まっている。まるであつらえたかのように。

内海さんのドット作品には、大き目のドットを筆で描いていくものもあるが、今回はすべて綿棒で絵の具をキャンバスの上に置いていく手法の作品群。下から観上げることによってそのクレーターのようなマチエールが見て取れる。パレット上で絵の具を混ぜ、綿棒でそれをすくい取って慎重にキャンバスに置いていく作家の息遣いが聞こえてきそうだ。今回の新作では、それぞれ基幹の色に入り込む色も増え、隣接色も補色も画面をより芳醇にしているように感じた。

内海さんはまさに「色彩の人」。

「千手」は今週土曜日、7月25日までの開催。残るところあと三日しかないが、サイト・スペシフィックな内海ワールドは個展ごとにその場に立ち会わないと味わえないので、是非観に行かれることをお薦めします。どうしても足を運べない方には、Takさんのこちらの記事がお薦め。スパイラルガーデンでの「色彩のこと」と合わせ、画像とともに内海作品の魅力を余すことなく伝える素晴らしいレポートとなっています。

尚、来月は京都のeN artsというギャラリーで内海さんの次の個展が開催されます。8月1日から30日まで、金土日のみの開廊だそうです。

かたちは、うつる 国立西洋美術館所蔵版画展 その2

2009-07-20 | アート鑑賞
国立西洋美術館 2009年7月7日-8月16日



その1からの続き。

うつせみⅠ ― 虚と実のあいだの身体
西洋の古典主義において、人体は特別な関心であり続けた。それは可視的な形態でありながら、生の肉体を越えた精神性を帯びるものでなくてはならず、15世紀にローマで発見された『ベルヴェデーレのアポロン』は、身体表現の規範とされた彫像。その理想的形態は、デューラーなどによって作品に応用されていく。

『ベルヴェデーレのアポロン』 ヘンドリク・ホルツィウス (1592頃)



『アダムとエヴァ』 アルブレヒト・デューラー (1504)



うつせみⅡ ― 身体の内と外
ルネッサンス以降の芸術にあっては、理想的身体像の輪郭を剥ぎ取り、その内部を可視化しようとする視線も顕在化。カラッチ一族が創設したアカデミーでは、芸術科の教育のために死体解剖が実演されていたとも伝えられる。一方で、アルプス以北では「死の舞踏」という主題において「死」の擬人像がたびたび描かれるようになる。

『死と名声の寓意』(ロッソ・フィオレンティーノの原画) アゴスティーノ・ヴェネツィアーノ(アゴスティーノ・デ・ムージ) (1518)



中央の有翼の骸骨と隣の両性具有の人は何を論じ合っているのだろう。骸骨が指し示す本には何が書かれているのか?右側に群がる人々は、レオナルド・ダ・ヴィンチの『東方三博士の礼拝』の引用だそうだ。

『エゼキエルの幻視』(ジョバンニ・バッティスタ・ベルターニの原画) ジョルジョ・ギージ (1554)



旧約聖書「エゼキエル書」からの主題。エゼキエルは骨の散らばる谷で神に促され、復活を宣言。すると骨には筋と肉が生じ、皮で覆われ、群衆となった。骨や筋の描写が標本的。空の雲や背景の岩場の描写もなんだか人体の部位に観えてしまったりして。

『線路の上で』 (死についてⅠ)より マックス・クリンガー (1889)



『通称ミネルヴァ・メディカ神殿』 ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ (1764頃)



ピラネージの作品中、最も有名な連作「ローマの景観」からの一点。建造物でありながら、まるで生き物がうごめいているような、えもいわれぬ妖気が漂う。ピラネージには建築家、考古学者としてのバックグラウンドがあり(画面左下の解説では”ここの内部はかつて大理石で装飾されていた”等、書き記されている)、この一見壮大な妄想的世界も確固たる足場の上に堂々と構築されているように観える。

第2部 回帰するイメージ
主題、意味は異なりながらも、さまざまな作品に見出される類似し合う定型的な「かたち」を観ていく。細かくセクションが分かれるが、平易なセクションのタイトルに見合った作品群が並ぶ。

落ちる肉体

『イクシオン』(コルネリス・ファン・ハールレムの原画) ヘンドリク・ホルツィス (1588)



すごいアングルである。円の中心からの強力な吸引力にこちらも吸い込まれ、イクシオンと一緒に落下していきそうだ。

受苦の肢体
キリストの鞭打ちなど、キリスト教の受苦を主題にしたデューラーらの作品や、ゴヤの「戦争の惨禍」シリーズからの作品などが並ぶ。

暴力の身振り
文字どおり、暴力のシーンのオンパレード。聖書、神話の主題から、椅子を振り上げ、夫に殴りかかる妻を描いたオノレ・ドーミエの風刺画までさまざま。ちなみに本記事のあたまに画像を取り入れているチラシの表面の7作品は、すべてこのセクションから。皆いろんなものを振り上げて、怖いでしょう?

人間≒動物の情念
古代から西洋にある、動物学的な観相学(動物の外見の中に人間的な性格を見出し、人間の相貌の中に動物の性格を映しみるという思考)の観点から作品を観る。

『人間観相学について』 ジョヴァンニ・バッティスタ・デッラ・ポルタ (1586)



このように図鑑のごとく大真面目に作品にされると余計おかしみが増す。この作品の前でクスクス笑う人、私以外にもいました。性格はともかく(そもそも馬とか犬とか、種別で性格のカテゴライズをするのは無理な話)、確かに馬面なんて言葉もあることだし。

『安息日の夜、馬を駆るファウストとメフィストフェレス』 (ゲーテ『ファウスト』より) ウジェーヌ・ドラクロワ (1828)



ほとんどバランスを崩しそうになりながら疾駆する2頭の馬がいかにもドラクロワだと思ったが、よく観ると顔の表情が人間っぽい。

踊る身体
文字通りドレスを翻して踊るダンサーを描いた、ジュール・シェレ作の『フォリー・ベルジェールのポスター:ロイ・フラー』から、岩場に縛り付けられてもがくアンドロメダを描いたウィレム・ファン・スワーネンブルク『ペルセウスとアンドロメダ』まで、身を躍らせているシーンを描いた作品が並ぶ。

『悪魔つきの女』 ジャック・カロ



悪魔に取りつかれて自分の体をコントロールできなくなったのだろうか。覚束ない足元で後ろにしな垂れかかり、背後の男性に抱きかかえられる女性の顔は口を大きく開き、正気を失っている。画面を装飾するフレームに並ぶ顔も不気味な様相。オカルティックな感じすらする。

輪舞
ルネッサンスの画家たちが古代芸術の中に見いだしたものの一つが「輪舞」。ゴヤはこの循環の形態にこだわった。「妄」シリーズから2作品が出ているが、不思議な世界。

『女の妄』 フランシスコ・ゴヤ (1820-23年頃)



『陽気の妄』 フランシスコ・ゴヤ (1820-23年頃)



以上、記事で取り上げた作品はほんの一部。観覧料420円で楽しめますので(部屋も暗めでヒンヤリと涼しいです)、夏の日のそうめんのごとくお薦めです。

かたちは、うつる 国立西洋美術館所蔵版画展 その1

2009-07-19 | アート鑑賞
国立西洋美術館 2009年7月7日-8月16日



国立西洋美術館開館当時、24点であった版画コレクションは、現在3,747点。ルネッサンス期のデューラーらに始まり、17世紀のカロやレンブラント、18世紀のピラネージやゴヤ、19世紀のドーミエやクリンガーなど、西洋版画史を代表する優品を多数所蔵している。紙とインクというデリケートな作品の性質上、常設展示は難しいが、開館50周年を記念して、選りすぐりの127点を一挙公開。

構成は以下の通り:

序 うつろ―憂鬱・思惟・転写

第1部 現出するイメージ

   うつしの誘惑Ⅰ ― 顔・投射・転写
   うつしの誘惑Ⅱ ― 横顔・影・他者
   うつしだす顔 ― 肖像と性格
   うつる世界Ⅰ ― 原初の景色
   うつる世界Ⅱ ― 視線と光景
   うつせみⅠ ― 虚と実のあいだの身体
   うつせみⅡ ― 身体の内と外

第2部 回帰するイメージ

   落ちる肉体
   受苦の肢体
   暴力の身振り
   人間≒動物の情念
   踊る身体
   輪舞

かなり細分化された構成で、それぞれの説明パネル(しかも往々にして概念的)も結構なヴォリューム。一つ一つ丁寧に読み、考えていると時間がかかるが、時間が許すならそれらを吟味しつつゆっくり観られればベストだと思う。が、出展数も多く、作品も小さいので、まず作品の前に行って版画の手触りを楽しんでもよろしいのではないかと。版画作品も、印刷物で観るのとは質感が全く違います。

では、各章ごとにざっくり記していきたい:

序 うつろ―憂鬱・思惟・転写
頬杖をつくポーズは西洋美術史上に繰り返し登場する定型。中世においては、多くは「怠惰」「憂鬱質(メランコリー)」に結びついていた。デューラーの時代になると、卓越した創造者としての意味も与えられ、両義性を持つように。これ以降、異なる文脈の中で解釈され、形象化されていく。

『メレンコリアⅠ』 アルブレヒト・デューラー (1514)



本展は、いきなり真打登場で幕を開ける。石段の上に腰を下ろし、大きなコンパスを片手に頬杖をついて思索にふける女性の眼光の鋭さ(画像では取り込めないが、実作品では迫力満点)。それぞれどんな意味を持つのか、周りを取り囲む種々の事物。線や点で表現された繊細な陰影。濃密な画面の前からなかなか動けない。

『理性の眠りは怪物を生む』 フランシスコ・デ・ゴヤ (1799)



作品の制作途中で机の上に突っ伏して眠るゴヤの自画像。眠りによって理性が解除されると、背後にこうもり、ミミズク、山猫のような怪物が跳梁跋扈。傍らのミミズクもどきがペンをゴヤに差出し、制作を促す。非理性の想像力がゴヤの創造の霊感源であることを示唆している、と解説にあった。要するに頭で抑え込まず、感性を解き放て、ということだろうか?

『貧しき食事』 パブロ・ピカソ (1913)



「青の時代」の画風そのままの雰囲気。左側の盲目の男性は両手を隣の女性の体に添え、その引き伸ばされた長い指で女性の存在を確かめているふう。互いに顔を背けているが、男の右手と女の左手、男の左手と女の右手が呼応している。ピカソは版画作品を2000点ほど残したそうだ。

第1部 現出するイメージ
日本語の「うつる」は様々な漢字に転換できる。「映る」(反射、投影する)、「写る」(転写する、刻印する)、「移る」(移動する、伝染する)。これら三つはすべて同語源であり、「ウツ(空/虚)」の活用。そう考えると、「うつる」とは、目に見える像が生まれること、次いでそれが変化していくこと。

英語では、projection(投影、映写、突出)、imprint(刻印、印象、面影)、reflection(反射、影響、反省)。projectionと imprintの違いは、前者には「距離」が前提とされ、後者は「接触」「内面化」が必要とされること。

例えば、ナルキッソスが覗き込む泉の中の自分の投影や、大プリニウスが博物誌に述べる「絵画芸術の起源は人の影の輪郭をなぞったこと」という逸話はprojectionであるし、ヴェロニカの聖顔布などの遺物はimprintといえる。このように古代の神話や逸話の中の中に含まれる起源的なイメージと、中世のキリスト教的思考が生み出した原型的な像とでは、その現出の仕方が異なる。この章では、そのような「現出するイメージ」とその変容に焦点があてられる。

うつしの誘惑Ⅰ ― 顔・投射・転写
「友情がそうであると同様、不在の人を現出させるばかりでなく、死んだ人を、ほとんど生きているかのようにする神のような力をもっている」というアルベルティの言葉が引用され、彼が「絵画」の発明者の地位に据えたナルキッソス主題の作品としてジャック・カロ、オノレ・ドーミエの版画作品が並ぶ。その他アンリ・マティスのずばり『版画を彫るアンリ・マティス』((肝心の手元の描写がぞんざいなのはなぜ?)、エドヴァルド・ムンク『眼鏡を掛けた自画像』なども並ぶ。私はカリエールの闇から浮き出るヌメ~っとした肖像画が一番印象に残った。

『ポール・ヴェルレーヌ』 ウジェーヌ・カリエール (1896)



うつしの誘惑Ⅱ ― 横顔・影・他者
前出の、大プリニウスの記した逸話「ある娘が、壁に投影された恋人の影をなぞったことから絵画が生まれた」が引き合いに出され、それが横顔であり、ナルシスティックな自己愛ではなく、「他者への愛」である点に注目。『シルエットを描くための確実で簡便な機械』なるものが紹介されていた。横顔の肖像画は15世紀のイタリアで描かれるようになり、16世紀になると版画においてもプロフィール形式の肖像が描かれるようになる。デューラー、カロ、ゴヤなどの横顔の作品が並ぶ。

うつしだす顔 ― 肖像と性格
版画という複製メディアで肖像画が盛んに制作されるようになったのは16世紀のドイツ。統治者、学者、宗教者などの顔が多く描かれ、大衆に広められた。この宣伝効果を持つ肖像版画は版画家自身もモデルとなっていく。

『ザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒ寛大公』 ゲオルク・ペンツ



毛皮の質感や凝った袖のデザインなど人物像自体の細かい描写ですら大変だと思うが、周りをずらりと取り囲む沢山の紋章もよく入れこんだものだと芸の細かさに感心してしまう。選帝侯の肖像画としてはそれらがなくては意味がないのでしょうけど。

『ジャック・カロの肖像(ヴァン・ダイクの『イコノグラフィ(肖像版画集)』より)』 ルカス・フォルステルマン(父) 



何年か前に、西美で観た『戦争の惨禍』が強烈な印象だった版画家カロの肖像。タレ目気味ながらなかなか理知的で、おしゃれな印象。背景の処理にも工夫が見られる。今回初めて知ったが、肖像画家アンソニー・ヴァン・ダイクは『イコノグラフィ』という著名人の肖像版画集を残しており、この作品はそこからの1枚。ヴァン・ダイク自身の手によるエッチング作品は18点しかなく、残りはエングレーヴィングの専門家に委ねられており、このカロの肖像は、ヴァン・ダイクの下絵を元にルーベンス作品の複製版画家として名高いルカス・フォルステルマン(父)が彫版したもの。

『柔らかい帽子と刺繍付きの外套をまとった自画像』 レンブラント・ファン・レイン (1631)



『東洋風を装った自画像』 レンブラント・ファン・レイン (1634)



自画像といえばこの人。版画作品でも当然コスチュームでポーズ。

うつる世界Ⅰ ― 原初の景色
18世紀のヴェネツィアに生まれたジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージやクロード・ロランらによる古代ローマの世界と、西洋美術史上初めて純然たる「風景画」を生み、森に古代的なものをみた16世紀初頭のドナウ派の流れをくむドイツの版画家たちの作品が並ぶ。ルカス・クラナハ(父)の繊細な画風の『聖ヨハネス・クリュソストムスの改悛』(1509)、頭上で踊る二体の骸骨が印象的なロドルフ・ブレダン『死の喜劇』(1861)、動感のあるピラネージ『骸骨』などが観どころ。

うつる世界Ⅱ ― 視線と光景
「うつし」とは人間を映し出すイメージばかりではない。人間の主体的な意図とは無関係に生じるもの。例えば差し込む光、移ろう映像、浮かび上がるシルエット。ここでは、画家の光への関心、変幻する世界を構築しようとする意志という観点から、風景、都市の景観などを写し取った作品が並ぶ。

『三本の木』 レンブラント・ファン・レイン (1643)



主役は3本の木としながら、それらが落とす影、左上に現れる斜線、空模様の陰影など光や大気の表現に重点が置かれているように思う。

『写真術を芸術の高みにまでひきあげるナダール』 



ドーミエの風刺画。写真によって肖像画家の地位は脅かされた。ナダールは風刺画家から肖像写真家に転身した人物で、1858年には気球からのパリの眺望を空中撮影することに成功したそうだ。傾く気球もなんのその、帽子を吹き飛ばされてもカメラのファインダーからは絶対目を離さない。眼下の建物はPHOTOGRAPHIEの看板だらけ。

ざっくりと言いながら思いのほか長くなってしまったので、文字数の関係上いったんここで切り、その2に続く。

やまと絵の譜

2009-07-11 | アート鑑賞
出光美術館 2009年6月6日-7月20日



前回の水墨画に続いて、今回は出光美術館で「やまと絵」のお勉強。公式サイトにとてもわかりやすい説明があったので、ここにそのまま抜粋しておく:

「やまと絵」という言葉の発生は、平安時代にさかのぼります。古くは、中国の風景を描いた絵画を「唐絵」と呼んだのに対し、「やまと絵」はこの国の様子を写した絵画でした。その後、鎌倉時代に中国より水墨画の技法が伝わってからは、様式や流派までをも含む言葉へと広がってゆきます。このように、本来「やまと絵」は、水墨画のように特定の技法や主題とははっきりと結びつかない言葉でした。それゆえ、用いる立場や時代によってその意味は大きく揺らぎ、さまざまな解釈を生みます。

本展では、時間の経過にその変遷を追うのではなく、自ら「やまと絵」の継承者だと主張した江戸時代の浮世絵師たちから展観をはじめます。その上で、江戸時代以前に誕生した作品を眺め直し、「やまと絵」の新たなイメージを探ります。

本展の構成は以下の通り:

第一章 「うつつ」をうつす―「やまと絵」と浮世絵
第二章 「物語」をうつす―「やまと絵」絵巻の諸相
第三章 「自然」をうつす―「やまと絵」屏風とその展開

では、各章ごとに印象に残った作品を挙げながら記していきたい:

第一章 「うつつ」をうつす―「やまと絵」と浮世絵
この国に暮らす人々の身近な題材を取り上げるという伝統に惹かれ、自らを「やまと絵」の画家と位置付けた浮世絵師たち。このジャンルを大成させた菱川師宣、その誕生に大きな役割を果たした岩佐又兵衛、都市の風俗を描く英一蝶などの作品を中心に、「やまと絵」の系譜をたどる。

『二美人図』 伝菱川師宣 江戸時代
屏風の前の女性は、ちょっと変わった態勢で座って思案顔(着物の袖から手が出ていないが、中で腕組みでもしているのだろうか?)、対面する小間使い風の少女は正座して一生けん命硯で墨を擦っている。画讃の中に「すずりのうみのふかきおもひを」とあり、女性は恋文の文面を考え、お付きの少女にその恋文をしたためるための墨を擦らせているらしい。自分で擦ったら、より想いがこめられそうだが。

『立姿美人図』 菱川師宣 江戸時代



いかにも師宣といった感じの、S字型に立つ美人図。文様も細かく描き込まれた赤い着物が鮮やかで美しく、モノクロームで御所車が描かれた帯も風流な感じ。やっぱり師宣の美人画は美しいものだ。

『江戸風俗図巻』 菱川師宣 江戸時代

  *部分

扇屋さん、桶屋さんに始まって、お花見、屋形船など江戸のさまざまな情景、風俗が季節を追って描き込まれた絵巻。たくさん人物が描き込まれているが、とてもすっきりした画面。人物も一人一人丁寧に描かれていて、特に後半で男女入り交って円になって踊っているシーンは見事だと思った。

『四季日待図巻』 英一蝶 江戸時代
「日待(ひまち)」とは、特定の日に夜を明かして日の出を拝む神事。画面を見ると結構どんちゃん騒ぎで、神聖というより楽しそうな行事だ。庭では鳥をさばいている人、日本酒を天秤棒で売りに来る人、はしゃぐ子供たち。家の中では煮炊きしたり、太鼓を打ち鳴らして踊り狂う人々。南蛮風の仮装をした人もいる。2階では、そんな騒ぎに朝までついていけない二人の老人が寝入っていて、子憎が起こしにかかるところ。でもほら、左の方に、もう太陽が顔を出そうとしている!これは、一蝶が流罪先の三宅島で描いた作品だそうである。

『桜花紅葉図』 英一蝶 江戸時代



春と秋の風情が対になった双幅の作品。右幅には桜と、2羽の燕。一羽は桜の枝に結わえられた短冊と戯れ、もう1羽は背を下にアクロバティックな態勢で宙に舞う。横を桜の花びらがはらり。頭頂がほんのり赤くてかわいい。左幅には葉が紅に色づいた楓と、その枝に止まって横の短冊に目をやる鶺鴒(せきれい)が1羽。こちらは落ち着いた風情。左端に描かれている幹は、解説にある通りなるほど狩野派っぽい。一蝶は、はじめ狩野派(狩野安信)に学んだそうだ。

『職人尽図巻』 岩佐又兵衛 江戸時代
猿回しや獅子舞の一団など、芸人集団が活き活きと描かれている。獅子の頭を振りまわして踊る人の背中で、風をはらんでふわりと舞う布、その周りで踊りながら太鼓を囃す人たち。中にはバック転をする人まで。その横で体をくの字にして笑う大黒様はいかにも楽しそうだ。笑う門には福来たる。

『野々宮図』 岩佐又兵衛 江戸時代



「源氏物語」の「賢木(さかき)」の段に題材を取った作品。六条御息所への未練から、光源氏が嵯峨野の野々宮までやってきたところ。体を後ろに反らし気味にし、口を軽く開ける源氏の視線の先には何が見えるのだろうか。源氏の着る着物の、モノクロームながら繊細な表現に観入った。

『江戸名所図屏風』 筆者不詳 江戸時代
八曲1双の図屏風で、横幅が一つ5m近くある。金地着色のきらびやかな屏風。"新興都市"江戸を俯瞰した絵画として現存最古の作品だそうで、上野、浅草から芝浦辺りまでを網羅してある。街中では、大勢の従者を引き連れ通りを行く殿様、建築現場で働く人々、荷を牛に曳かせる人など様々な仕事に従事する人から通行人まで大勢の人々が行き交う。川にも大小たくさんの船が浮かび、釣り糸を垂れる人、貨物を運搬する人、遊覧する人さまざま。建物の中ではそばを打つ人、鍛冶を打つ人、囲碁を打つ人、膝枕で耳掃除をしてもらっている人、観劇に興じる人々、踊る人々、などなど。とにかく家の中も外も、川の上も橋の上も、働く人々、遊ぶ人々でぎっしり。何とその数2000人以上。よくもまぁこれだけ描き込んだものだ。しかも人々の表情が皆明るく、生活を楽しんでいる様子。東京にこんな活気が戻るのはいつのことか?

第二章 「物語」をうつす―「やまと絵」絵巻の諸相
平安時代以降、日本に生まれた物語が隆盛し、12世紀にその内容が「やまと絵」と結びついて絵巻に描かれるようになる。説話や社寺の成り立ちにまつわる霊験譚など、人々が親しみ、語り継いできた物語の絵巻を眺める。

『福富草紙絵巻』 筆者不詳 室町時代
この『福富草紙』は、高向秀武の放屁の芸を真似て失敗する福富という男の物語を描いた絵巻であるが、今回展示されていたのは、夫秀武を騙したとしてその妻が街中で福富に襲いかかり、噛みついているシーン。妻は後ろから福富に掴みかかり、不意打ちを襲われて振り向く福富の帽子は頭からずり落ち、肩の上着もはだけている。そして大きな口を開けて絶叫状態。獰猛な動物のごとく噛みつく秀武の妻の形相のすごいこと。そしてその様子を、指さしたり手を叩いたりして大笑いする周りの通行人たちも活写されている。

『木曽物語絵巻』 伝住吉如慶 江戸時代
木曽義仲の説話。色とりどりの鎧を身にまとい、馬にまたがる武士たちの合戦の場面が描かれている。よく観ると、義仲の率いる武士たちの中に白馬にまたがる女武者が。色白のその人は巴御前。劣性の義仲に生き延びるよう命じられるも果敢に敵陣に切り込み、敵兵の首をねじり切るシーンが展示されていた。

『雪月花図』 冷泉為恭 江戸時代

*右幅は綴じ目に当たり、右端が切れてしまった

双幅の画で、左幅は『枕草子』の「香炉峰の雪」、右幅は『源氏物語』の「若菜」の段に主題を取っている。最初目に入った時にちょっと変わった画風だと思ったのは、人物のみ鮮やかに彩色されていて、あとの部分、例えば遠景の山並みや家の中の調度品、手前の木などすべてモノクロームで表現されているから。その上に金泥がたなびき、独特な味わいがあって美しい。

『異形加茂祭図巻』 田中訥言(とつげん) 江戸時代

  *部分

擬人化されたさまざまな「異形のものたち」が、動物の上にまたがったり、車を引かせたりしながら行進するさまは理屈抜きに観ていて楽しい。

第三章 「自然」をうつす―「やまと絵」屏風とその展開
「やまと絵」の主要な一側面が四季への共感、自然への関心。この章では主に屏風絵に描かれた身近な自然の情景を追う。近世以降その自然の光景は、様々な流派を巻き込み、展開していく。

『松竹に群鶴図屏風』 狩野安信 江戸時代
六曲1双の図屏風で、横幅が一つ350cm近くある。右幅にはマナヅルとタンチョウが1羽ずつ、左幅にはマナヅルが2羽に飛翔するタンチョウが1羽。両幅とも松と竹が繊細な筆遣いで描かれているが、余白の金地が圧倒的に大きく、とてもさっぱりした画面である。飛翔するタンチョウのしなるフォルムが大胆、しなやかで、思わずポストカードを買ってしまった。

  

土佐光起『須磨・明石図屏風』が展示替えで観られなかったのは、至極残念であった。

ネオテニー・ジャパン―高橋コレクション

2009-07-10 | アート鑑賞
上野の森美術館 2009年5月20日-7月15日

  

本展は、公式サイトから引用すると「日本屈指の現代美術コレクターとして知られる精神科医・高橋龍太郎氏が収集したコレクションにより、世界から注目を集める1990年代以降の日本の現代美術の流れと動向をたどる」展覧会。

展覧会のタイトルとなっている「ネオテニー」とは「neoteny=幼形成熟の意」だそうで、そのネオテニーをキーワードに「90年代以降の日本の現代美術にみられる特徴―幼さ、カワイイ、こどものような感性、マンガ、アニメ、オタク、サブカルチャー、内向的、物語性、ファンタジー、過剰さ、日常への視線、技術の習熟、細密描写、巧みなビジュアル表現など、日本の現実や若者の心象風景とリンクした世代のアーティストたちが生み出してきた新たな世界を多角的に読み解く」のが趣旨。

高橋氏のコレクションは1000点を超え、今回はその中から33名の作家による平面、立体、映像等、様々な形態の作品約80点が展示されている。その33名の出展作家を、以下の通り公式サイトから転載しておく:

会田誠、青山悟、秋山さやか、池田学、池田光弘、伊藤存、小川信治、小沢剛、小谷元彦、加藤泉、加藤美佳、工藤麻紀子、鴻池朋子、小林孝亘、佐伯洋江、さわひらき、須田悦弘、高嶺格、束芋、千葉正也、照屋勇賢、天明屋尚、できやよい、奈良美智、名和晃平、西尾康之、町田久美、Mr.、三宅信太郎、村上隆、村瀬恭子、村山留里子、山口晃(50音順)

まさに錚々たる顔ぶれ。「日本現代美術史美術館」なるものがあったら、1990年代以降のパートは高橋氏個人のプライベート・コレクションでかなりまかなえてしまえそうである。

美術館の入口前に、高橋龍太郎氏のインタビュー記事を載せた新聞のパネルがあった。「美術館の鼻を明かしてやろう」と思って始めたコレクションだが、2000年以降は予算削減により美術館の方は作品購入が難しくなってしまった。そこで「僕が集めるしかない」との使命感に変わり、コレクションを続けているそうだ。都内に5か所もクリニックをお持ちで、生活費以外はすべて美術品購入に充てておられるそうである。このご時世に、日本にこのような気概のある美術品コレクターが存在することにまずは驚きを覚えずにいられない。

と、ここまで書きながら、実は現代美術は私にとって鬼門。高橋氏が以前コレクションを公開していた神楽坂や白金のギャラリーに足を運んだこともないし、美術館クラスで開催される大規模な展覧会くらいなら観に行く、という程度である。それとて、中にはすんなり「いい」と思える作品もある一方、う~ん、と唸ったり、作品の前でどうしていいやらわからず立ち往生するものも多い。

ついでに、アニメ、マンガの風潮を映した作品群も私はおおむね苦手である。とはいえ、現代美術作品は世相を映す鏡。通勤電車の中を見渡せば、かつて新聞を広げていた背広姿の人々も漫画を夢中で読んでいたり、MANGAという単語がよその国でも通じる昨今。100年後、200年後には、このようなアニメ風の絵も、今の時代にありがたく鑑賞されている浮世絵のような地位を築いているのかもしれない。Who knows?

ずいぶんグダグダ書いてしまったが、そんな現代美術オンチの私でもすんなり楽しめた作品を挙げておく:

池田学 『興亡史』 (2006年)


ミヅマアートギャラリーで購入したカタログから。見開きなのできれいにスキャンできないが。。。


2006年にミヅマアートギャラリーで観たのがこの作品との出会い。確かフレーミングされていなかったと思う。「ペン、インク、紙」で構築された、人間技とは思えないほどの緻密で濃厚な2m四方の世界に言葉も出ず、ただひたすら画面の上を縦横無尽に目を走らせるのが精一杯。戦国時代の戦の場面、連なるクレーン車、観音様の手、桜の大木、etc,etc。脈略のない事象の連なりのごった煮的な、荒唐無稽の世界ともいえるが、離れて観てみると完璧に1枚の絵として成立している。下描きなしに左下方からどんどん描き足して最後にこのように絵としてまとまる、という制作方には驚愕するしかない。この作品が高橋コレクションに入ったことは喜ぶべきことだと思う。ヨーロッパやアジアでも注目されるという池田の個展が日本で開かれたら、海外から観に来る人もたくさんいるのでは?

鴻池朋子 『Knifer life』 (2000-2001)
2007秋に私の地元のギャラリーでグループ展を観たことがあり、平面、立体作品ともに大型の作品をもって展開されるその壮大な独特のファンタジーの世界と、鉛筆画に観られる、一筆一筆手仕事のぬくもりの伝わる丁寧な描き方が印象に残った。ナイフが渦巻く『Knifer life』も、異様といえば異様な世界だが、大きな画面に作家の画力が発揮されている。

小林孝亘 『Dog』 (1998年)
横幅5mを超える大作も出展された、2007年の横須賀美術館での《生きる》展をはじめ、この作家は今まで何度か作品を観てきた。この作品では、魚眼レンズで観たような犬の顔のアップが画面いっぱいにドンと描かれているが、《生きる》展で観たガスレンジや白いお茶碗一つだけを描いた作品などと同様、モティーフの朴訥感と、その色彩にアクリルではなく油彩ならではの時間をかけた深みが感じられるのが魅力かもしれない。

奈良美智 『green mountain』 (2003年)
本来なら苦手である分野の絵であるが、2007年に水戸芸術館で開催された「夏への扉―マイクロポップ展」で観た『The little star dweller』(2006年作)の穏やかな世界はとても好きだった。描かれた具象の造形は単純だが、作品に近寄って観ると、女の子の髪の毛など複雑に色が絡み合っていて美しい。今回奈良作品は4点出展されているが、そのうちの本作『green mountain』は、私の好きな画風への転換過渡が観てとれるような気がして興味深い。

あとは、名和晃平の作品をもう少し理解してみたいと思った。ちょうどメゾンエルメスで個展を開催中だそうなので、近いうち足を運んでみるつもりである。



内海聖史「色彩のこと」

2009-07-07 | アート鑑賞
スパイラルガーデン(表参道)2009年6月30日-7月12日

今日は倒れそうに暑かったが、所用をさっさと済ませ、私はオアシスを求めるような心持ちで表参道のスパイラルガーデンに向かった。そこに展示されている内海聖史さんの作品が、きっとこのじめじめした鬱陶しさを払いのけ、私を涼やかな気分にしてくれるに違いない、と思いつつ(それにしても、今年早春のラディウム-レントゲンヴェルケでの内海さんの個展「十方視野」では一足早く春を感じさせて頂いたが、あっという間に夏である)。

建物の中に入ると、横幅17mにも及ぶそのお目当ての大きな作品『色彩の下』が、奥の方に展開しているのがすぐ目に入る。でも、お楽しみはそれだけではない。内海作品の色彩のさざ波が、入口からもう始まっている。各々の画面で色とりどりのドットが絶妙に集散する、大小取り混ぜた作品が全部で28点、リズミカルに、楽譜の音符のように、『色彩の下』に至るまでの白い壁にズラリと並ぶ。またしても一つ一つの作品にじっと観入ってしまうが、離れて全体を俯瞰すると、色彩としては右から紫、青、緑、橙、ピンク、赤と移ろいゆくさまがまた美しい。

  「十方視野」のカタログから

そうやってドットの色彩をしばらく楽しんだあと、いよいよ私が再会を楽しみにしていた『色彩の下』。私が初めて内海聖史さんのお名前を知り、作品を拝見したのは、2008年に東京都現代美術館で開催されていた「屋上庭園」での展示だった。この『色彩の下』と『三千世界』の二つの作品が出展されていた。突然目の前に現れた、3.8mx17mに及ぶ大きな作品『色彩の下』に何の前知識もなく対面したときの、新鮮な驚きと感動を昨日のことのように思い出す。ほとんど同系の緑の濃淡で、大小さまざまな丸の形を連ねることで、こんな大きな画面が作り出せるのか、と。

その時は作品の展示場所が高めであり、仰ぎ観るような鑑賞だったので、まるで森の中で木を見上げているような感覚だった。また、その時は長方形のフラットな画面として展示されていたのが、今回のスパイラルガーデンでは画面の端が内向きに角度がつけられているので新たな趣がある上、地面の高さに置かれているため、前回仰ぎ見た木に今回は自分がよじ登っているような、あるいは梢に止まった鳥のような視点を味わえるといおうか。今回この作品が置かれたエリアの上は天窓になっていて、私が行った時間はまだ外が明るく、午後遅くの柔らかい自然光の中で観るこの作品の味わいも格別だった。

さてさて、すっかり清々しい気分になって入口の方に戻ると、なんと受付のところに内海さんがいらっしゃるではないか!引いた汗が再び出てきそうだったが、こんな機会を逃してはいけないと思い、お声をかけさせて頂いた。ちょっとお話を伺うつもりが、わざわざ立ち上がり、作品の前で懇切丁寧に私の稚拙な質問に答えて下さった。

本当は伺ったことについていろいろ書きたいところだが、また別の機会に譲ろうと思う。

このスパイラルガーデンでの「色彩のこと」は12日までの開催だが、この暑苦しい時節柄、本当にお薦めですので是非。

最後に、本日から内海さんのもう一つの個展「千手」が渋谷のギャラリエANDOで始まりました。こちらは7月 25日(土)までですので、こちらも是非!

鈴木理策 WHITE

2009-07-03 | アート鑑賞
ギャラリー小柳
2009年5月18日-7月11日

私が鈴木理策を初めて知ったのは、2007年の東京都写真美術館での個展「鈴木理策:熊野、雪、桜」だった。この写真家が自分の生まれ故郷、熊野で切り取ったさまざまな景色、情景が並んでいた。観始めてまず強く印象づけられたのは、熊野の山の中で撮った木立や水の情景が、私が知る日本の湿り気のある木や水の質感と異なる乾いた肌ざわりを持っていることだった。その印象は、続く熊野の夜祭りを撮った作品でさらに増幅した。そこで炊かれる火が、気体と言うよりぬめぬめと液体のような感触を放っていたからだ。

そして、その夜祭の暗い展示室から次の部屋に足を踏み入れた時の立ちくらみは、未だに忘れることができない。まさに夜の闇から、目もくらむような眩しい雪原に放り込まれたような感覚。床も、壁も、天井も真白の展示室に足を踏み込むと、壁に並んだ雪の風景の中に入り込んでしまったようだった。

今回は熊野ではなく、北海道の雪。そして雪オンリー。

霧雨がじめじめと大気を舞う、梅雨空の鬱陶しい気候のせいか、汗ばんだ体で雪景色に対面しても、はじめ心にすんなりと入ってこなかった。しかし汗も引き、思考が落ち着いてくると、やはり鈴木理策の世界に惹きこまれていく。北海道の雪の中を動き回って撮影したという今回の展示作品は、大型の雪景色を撮った作品群がWHITE、雪の結晶を撮った小作品群がSNOW LETTERと名付けられていた。

WHITEシリーズでは、とりわけ二つの作品が心に残った。一つは、焦点が外されてふわふわと雲のように映る周囲に囲まれ、1本だけくっきりとした梢をのぞかせる針葉樹を撮ったもの。他の作品でもそうだが、ぼやけた背景の中、フォーカスされた木だけに与えられた硬質な存在感は独特だ。笑われそうな例えだが、そのパリパリとした輪郭には薄く衣をつけてさっくり揚げた大葉か何かのような物質感が想起された(空腹だったわけではない、念のため)。

もう一つは、地面に降り積もった雪の表面を撮ったもの。離れて観ると真っ白な大きな画面であるが、目を凝らせば真ん中だけフォーカスされ、水分を含んできらめくざらめのような雪の粒、それらが積もってささくれ立ったような表面のザクザク感が伝わる。

SNOW LETTERシリーズは、7cmくらいの円の中に一片の雪の結晶を拡大して作品にしたもの。レセプションの横にはずらりと7枚並び、そのひとつひとつに様々な結晶が現れる。どのように制作されたのかわからないが、結晶をそのまま顕微鏡で拡大撮影したようなものもあれば(六角形の結晶の、幾何学的でありながらこの上なく複雑で繊細な造形はヴァリエーションに富み美しい)、輪郭がペン画のようであったり、水彩のようであったりと趣の異なる写真が並ぶ。中でも青い色彩が映り込んだ1枚が気に入った。その青さはスコットランドを流れる川の濃紺の水を想起させ、水の巡回を思わせた。

最後に、本展とまったく関係ないチラシを1枚。同じ日に上野の美術館で入手したものだが、このぼやけた背景から浮きあがるフォーカス具合が、鈴木理策のWHITEシリーズに通ずるものを感じさせた(本当です)。



ちなみにこの「かたちは、うつる」展は、国立西洋美術館で今月7日から8月16日まで開催。西美所蔵の西洋版画の展覧会です。デューラー、カロ、レンブラント、ピラネージ、ゴヤ、ドーミエなどなど。楽しみ!

「美連協25周年記念 日本の美術館名品展 」 2回目

2009-07-02 | アート鑑賞
東京都美術館 2009年4月25日-7月5日



いよいよ残すところあと3日となった「美連協25周年記念 日本の美術館名品展」。

前期の鑑賞(その1その2)に続き、今回は後期の展示(6月2日-7月5日)にのみ登場した作品を中心に、さっくりと感想を留めておきたい:

マックス・エルンスト 『風景』 (1939) 岡崎市美術博物館



ぱっと眼に入った瞬間、色彩がきれいな絵だと思った。が、よく観ると不思議な絵肌のこの作品は、パネルの説明によれば艶のある紙などに絵の具を塗り、紙を重ねて剥がした時にできる偶然の染みを眺め、そこから自然に浮かび上がった光景に見えるように少しだけ加筆して制作されたもの。その技法をデカルコマニー(転写技法)と呼ぶそうだ。”自分が描くのではなくて、見えてくるものに寄り添う感覚”で描くことは、心の芸術表現を追い求めるシュールレアリズムの思想を体現したもの、と解説にあった。図録には更に、レオナルド・ダ・ヴィンチの「壁の染みからインスピレーションを得て描くべき」という教示にもつながる、とあった。レオナルドの言葉はすんなりと理解できるが、本作で使われたようなデカルコマニーという技法は、思想以前に絵の制作過程としてはなんだか他力本願的なものを感じずにはいられなかった。出来上がった作品はそれなりに美しいが。

竹内栖風 『散華』 (1910) 京都市美術館



なんともまぁ、ふわふわと軽やかな天女の舞。10人のふくよかな顔をした天女が、琵琶、太鼓、笙、琴、横笛などの楽器を奏でたり、花びらを撒いたりしながら、艶やかな羽衣をなびかせ、金地の空をふわふわと飛翔している。その浮遊感が何ともいえず心地よい。しばらく観入ってしまった。余談ながら、『散華』というタイトルを、英語訳の『Heavenly Maidens Scattering Flowers』を見て初めて納得されるというお恥ずかしいていたらくであった。

横山大観 『漁村曙』 (1940) 埼玉県立近代美術館



まず驚いたのが、この縦長の画面によくこのようなスペース感を表現できるものだ、ということだった。左上方から眼下の浜辺を見下ろす構図で、景色は斜めに(波が水平ではなく、右上がりに)切り取られている。その絶妙の角度のおかげで、たった50cmしかない幅の中に横に延々と続く海岸線がイメージされる。奥行き感も見事。手前に松の生える岩山、その下にこちらに打ち寄せる、青く美しい波。この波の表現も、筆触、色の階調ともに技あり。さらに奥へ眼をやれば、霞む沖合に2艘の船が浮かぶ。再度手前に目を凝らせば、波の上を小さなカモメたちが飛翔している。この作品が地元の美術館にあるというのは嬉しい。

小茂田青樹 『秋意』 (1926) 川越市立美術館



観た瞬間、とても心が惹かれた墨画のモノクロームの世界。画面左に、輪郭もおぼろげに白く浮かぶ大きな月。それを背景に、右側から左上方へ伸びる葡萄の蔓。葡萄の房に実る実の一粒一粒も墨の濃淡でリズミカルに描かれ、月の光を浴びて房全体の輪郭が輝く。葉の染みや虫食い部分の無数の小さな穴なども写実的に捕えられ、画家の高度な技量がうかがえる。じっと観ていると、夜のしじまの、ひっそりと静謐な時間に身を浸しているような感覚を覚えた。

徳岡神泉 『鯉図』 (1922-24頃) 奈良県立美術館



実は私は黒い鯉が苦手。フォビアに近い。特に深いお堀や池などの濁った水の中に揺らめく姿はぞっとする。以前中国の青島に出張で行った際に、現地の中国人の同僚がシーフード・レストランに連れて行ってくれたが、黒い鯉がそのまま丸ごと載せられたスープの大皿が出てきた時は卒倒するかと思った。

しかし、日本画には鯉がつきものである。この作品のように見過ごしてはいけないものがあるのだ。

画中には体をしなやかにくねらせながら泳ぐ3尾の黒い鯉がいる。手前の2尾は左方向へ泰然と泳ぎ、右上からはもう1尾が体をひねってこちらに向かってくるところ。斜め上、ほぼ真横、真上、と3尾とも異なる角度で捉えられ、それぞれの鱗も丁寧に描かれている。鯉の体や水に溶け込む尾や背びれなど、くぐもった色調で美しく描かれ、写実的でありながら幽玄な雰囲気すら感じる。普段ちゃんと見ない分、鯉というのはこのような柔和な顔をしているのか、と見つめてしまった。

岩崎英遠 『彩雲』 (1979) 北海道立釧路芸術館



この作家さんは存じなかったが、前期に入手した図録で目にして以来、実作品を観るのをとても楽しみにしていた。果たしてそれは想像以上に大きく(149.8 x 210.cm)、迫力ある作品だった。また、なぜか油彩画だと思い違いをしていて、日本画であることが驚きでもあった。この画面いっぱいに描かれた大きな雲の塊は、画家が取材旅行中に洞爺湖畔で実際に目にしたものだそうだ。右の方にうっすらと透けて見える太陽を背景に、みるみる右の方が虹色に変化していったという。そんな神秘的な自然現象をダイナミックに留めたのがこの作品。私もいつかそんな「彩雲」をこの目で観てみたい。

以上になるが、それにしても私が上に挙げた作品のポストカードは全くないのだった。

没後80年 岸田劉生-肖像画をこえて-

2009-07-01 | アート鑑賞
損保ジャパン東郷青児美術館 2009年4月25日-7月5日

    

岸田劉生(1891-1929)の『麗子像』。初めて観たのは、やはり美術の教科書だっただろうか。その異様さは一度観たら忘れられず(試みに美術にほとんど関心のない会社の同僚に、『麗子像』って知ってる?と聞いたら、「知ってるよ。あの座敷童子みたいな絵でしょ?」と即答だった)、誰かから本当の麗子はこんな顔じゃないそうだと聞いて子供心に安心しつつ、でもなぜあのような肖像画を描いたのかとか、のちに彼の静物画や『道路と土手と塀(切通之写生)』を観て、"こんな絵も描いたのか"と瞠目するも、岸田の画業についてはついぞあまり知ることなく来てしまった。

38歳で夭折したその岸田の、自画像や家族、知人らの肖像画に焦点を絞って80点ほど集めたこの展覧会は、そんな私にこの画家の、私なりの理解を深める機会を与えてくれた。

本展の構成は、肖像画の分類ということで以下の通り:

Ⅰ. 自画像
Ⅱ. 友人・知人
Ⅲ. 家族・親族

では、章ごとに追っていきたい:

Ⅰ. 自画像

最初の展示室には、眼鏡をかけた岸田の自画像ばかりがずらり10点以上並ぶ。全30点の自画像のほとんどが22~23歳に描かれているとある通り、そこにある油彩画は全て1912~1914年の期間に描かれた作品。

1912年制作の一作品目は、緑など大胆な色彩を太く力強い直線でエイッとばかりに引きながら顔を造形していて、本人も後述している通りいかにもゴッホ風。あとの作品群では、1作品目のような大胆さは影を潜めて、粗めの筆跡が残る描法ながら落ち着いた肖像画となっている。

話が逸れるが、作品を観る前に押さえておきたいポイントが二つあった。一つは、岸田が成人した頃は明治末期であるという時代背景。パネルの説明にあった通り、日本では急激な西洋化により新旧の習慣、価値観が混乱した時代で、それは岸田を「自分とは何か」「人間とは何か」という根源的な問いに深く向き合わさせる。そんな風潮の中、19歳にして白樺を通じてゴッホ、セザンヌの洗礼を受け、また白樺の思想である"自我の確立"を目指し、「自己を生かす道」として岸田は芸術を選んだ。そんな岸田の生み出す肖像画は、よって人間探究と同義と言っていいかもしれない。また、16歳の時に父を亡くし(ついで母も)、キリスト教に入信して一時宗教家を目指したという事実からは、岸田には若くして彼なりの死生観もが備わっていたことが想像される。

もう一つ、私をはっとさせたのは、"独特の写実"という言葉。岸田のいう写実は、対象物を本物そっくりに支持体の上に再現するということを目指したものではない。そこを超え、対象物と対話する中で対象物から表出してきた、岸田の眼が捉えた「内なる美」「無形の美」を表すことを指す。こうして観ると、岸田は「言葉で表現できないから何はともあれ絵に想いを託す」といった感覚の画家ではない。全10巻にもなる全集ができるほど膨大な量の随筆や日記を残した多弁な人で、絵を描く以前にまずは思想ありきだったのだと思う。

こうして自分探しの旅は自画像を描くことから本格的に始まったのだろう。作品には1913年5月14日等、月日まで入っている。まるで克明に自分との対話の記録を残すかのように。

余談ながら、コンテで描いた自画像(1917年作)の日付が間違っていると説明があった。誕生日に描いたのでJune 23が正しいところをJuly 23と描き込んでいる、と。やや抜けたところがあったのかな、とクスリと笑ったのは、私と岸田の誕生日が同じだからである。

Ⅱ. 友人・知人

「一体人間の顔程、画家にとっていろいろな美術的感興を興させるものは他にない」と語る岸田は、自画像だけでは物足りなくなり、様々な技法を試しながら友人を片端から描いて「首狩り」「千人切り」と言われたそうだ。初期のゴッホやセザンヌ風は影を潜め、北方ルネッサンスの写実描写の巨匠アブレヒト・デューラーにその範を求めたり、肉筆浮世絵の生々しく官能的な生命感を指すという「デロリの美」を取り入れたりと独自の画業を展開する。

『Aの肖像』 1913年7月8日 (油彩、キャンヴァス) *前期のみ
「木彫でもするように一筆ごとに対象にぶつかる。跳らせながら筆をおいていく」という画家の言葉があったが、この作品における顔の上のハイライトの入れ方が跳っているように観えた。

『芝川照吉氏之像』 1919年7月10日 (木炭・チョーク、紙)
岸田の肖像画の顔を観ると、目につくのがその不自然といえるほど強調された(と私には思える)ハイライトの入れ方である。外から光が当たっているというより、まるで顔の内から発光しているようにすら観えることもある。油彩画のみならず、この木炭画においても鼻筋などに目立つ白チョークが引かれており、これは岸田のクセともいえる描き方なのだろうと思った。

『古屋(こや)君の肖像(草持てる男の肖像) 1916年9月10日 (油彩、キャンヴァス)



滑らかな筆触の、北方ルネッサンス風の写実的な肖像画。肌の下のおでこや眼窩など頭蓋骨の形までわかりそうな描写だ。制作年の数字やサイン、題名の英字も装飾的で、デューラーの影響が伺える。モデルの古屋氏は、草を手にどれほどポーズをとり続けたのだろう。全般に言えるが、岸田の描く手や指の形はどこかぎこちない。

Ⅲ. 家族・親族

描写が細密になるにつれ、モデルは劉生の無理が聞き入れられる者に限られていく。要するに妻や娘、近しい親族ということになり、この章では彼らの肖像画が並ぶ。セザンヌもモデルの拘束時間が長いという逸話が残るが、岸田のモデルになった家族も長時間じっとしていることを強いられたことだろう。とりわけ麗子は5歳から16歳まで(岸田の死の半年前まで)モデルを務め、大まかに言ってデューラー風の写実→グロテスクの味→デロリの美、と様々な表現様式で描かれた。悪く言えば岸田の画業探究の実験台、もう少しましな言い方をすれば運命共同体だったと言えるかもしれない。

『麗子肖像(麗子5歳之像)』 1918年10月8日 (油彩、キャンヴァス)
チラシに使われているこの作品は、麗子像の記念すべき1作目。写実表現からのスタートである。祭壇画のような枠が描き込まれ、モノグラムのサインもデューラーを思わせる。とはいえ、頬の膨らみの不自然な強調や喉元のいびつさなどデフォルメされていて、その2年前に描かれた前出『古屋君の肖像(草持てる男の肖像)』からの変遷が観て取れる。

『笑ふ麗子』 1922年5月18日 (油彩、板)
この絵が目に入った瞬間、こちらも思わず笑ってしまった。これは『寒山拾得』の、口元が歯をのぞかせながら左右に大きく引き伸ばされた、あの独特の笑顔の表情を取り入れたもの。岸田は「寒山のグロテスク」として”一見醜く卑しい姿の裏にある複雑な美意識”を表現しようとしたようだが、それにしても『寒山拾得』だから違和感なく鑑賞される顔であって、これを実の娘に重ね合わすことのできる岸田の感性はやはり独特である。

『麗子十六歳之像』 1929年6月1日 (油彩、キャンヴァス)
岸田が亡くなる年のお正月に、日本髪を結って着物を着た麗子を描いた肖像画で、これが最後の麗子像となった。鼻筋の白いハイライトは相変わらずだが、肌の色、顔の描き方もそれまでの作風に比べて普通で、肖像画としては恐らくこれが一番自然で麗子その人に似ているのではないだろうか。前年に描かれた『岡崎義郎氏之肖像』の、唇が艶めかしく赤い"デロリの美"からの流れながら、官能性の強調は影を薄めているように観えた。

国立トレチャコフ美術館展 忘れえぬロシア

2009-06-21 | アート鑑賞
Bunkamura 2009年4月4日-6月7日



激しい気候の変化についていけなかったのか、5月中旬から咳が止まらなくなり(折しも巷ではインフルエンザで大騒ぎだったが)、夜も咳き込んで眠れず、以来会社に通うのがやっとの体たらくで美術館やブログから遠ざかってしまった。6月も1週目を過ぎる頃やっと復活し、はたと気づけば見落としそうな展覧会多数。これはいかん、一つでも観に行かねばと急に夏日になった今月7日の日曜日、私は日傘を握りしめて渋谷の雑踏をBunkamuraに向かった。数ヶ月前から「いつ観に来てくれるのよ?」と言わんばかりの熱い視線をチラシから投げかける美貌のロシア人女性に会いに、閉会日ぎりぎりに。

前置きが長くなるが、2007年に東京都美術館で観た「国立ロシア美術館展」が、私がロシア絵画(油彩画)を意識した最初だった。不勉強でほぼ何の予備知識もなく出かけたそれは、それ故になおさら私にとってまさに鮮烈な驚きだった。ジャンルとしては肖像画か風景画、もしくは風俗画がほとんどだったが、私は特に彼らの風景画を描く技量に魅了された。とりわけ雪景色はロシア人の画家に限る、とすら思ってしまった。ユーラシア大陸の積雪の多い土地で、長らく雪に覆われた景色をじっと見詰め続けた眼が捉えた雪景色の美しさは比類がないように思えた。同時に、1年の間に短い期間しか享受できないであろう陽光に対する感受性も研ぎ澄まされているように感じ、ロシア人画家の描く風景画に発揮される「鋭敏な観察眼」は強く私の心に残った。

その「国立ロシア国立美術館展」で私の心を魔法のように取り込んでしまった1枚。習作ということは、どこかに完成作品があるのだろうか。
  イヴァン・シーシキン 『セリの草むら、パルゴロヴォにて(習作)』(1884/85)

さて本題。今回のトレチャコフ美術館展は、そんな思いを抱いた「国立ロシア国立美術館展」と基本的に同じような印象を受ける作品群だったが、主眼は19世紀半ば以降の作品に置かれており、38作家による75点の油彩画で構成。そのうち50点以上が日本初出展とのこと。大作はないが、ぺローフ、シーシキン、ポレーノフ、クラムスコイ、レーピンなどをはじめ見ごたえある作品が並んだ。中でもチラシに使われているイワン・クラムスコイの『忘れえぬ女(ひと)』は随一の呼び物となったに違いない。

本展の構成は以下の通り:

第1章 抒情的リアリズムから社会的リアリズムへ
第2章 日常の情景
第3章 リアリズムにおけるロマン主義
第4章 肖像画
第5章 外光派から印象主義へ

今回は細かくメモを取る気力もなく、図録も買わなかったので、作品リストを追いながら印象に残った作品だけ挙げておく:

第1章 抒情的リアリズムから社会的リアリズムへ

『眠るこどもたち』 ワシーリー・ペローフ (1870)
遠目に観ると、まだ年端のいかない男の子が二人並んですやすやと寝ている図。暗い部屋に差し込む柔らかい光が、右側の子どもの全身を浮かび上がらせる。何となくカラヴァッジォの『眠るクピド』が浮かんだが、近寄るとそれは薄暗い納屋の中、ほつれた粗末な服を着た二人の足の裏は汚れている。その日の労働から解放され、藁の敷物の上にぼろ布を敷いて、倒れこむように眠ってしまったのだろう。社会派の視線でペローフが描いた、美しくも哀しい絵。

第3章 リアリズムにおけるロマン主義

『帰り道』 アブラヒム・アルヒーポフ (1896)
ほとんどクレーの色調で描かれた殺風景な草原を、2頭の馬が引く荷馬車が走っていく。馬車を引く茶色い馬も、白馬も、乗っている男も、空の荷台も皆後ろ姿。砂埃を上げながら走る馬の足元、風になびくたてがみを観ていると、彼らが今目の前を走って行くような独特の叙情性に包みこまれる。彼らの向かう先にも、どこにも、何か特別なものが描かれているわけではないのだが、毎日特別なことなど何もないのだ、という彼らの日常を一緒に味わっているような気持ちになる。

『髪をほどいた少女』 イワン・クラムスコイ (1873)



ブロンドの長い髪を垂らし、ソファに寄りかかる少女の表情は優れない。病み上がりなのか(それは私か)、恋わずらいか、多感な年頃にありがちな理由なきふさぎ込みか。私にはそれほど魅力的な少女には映らないが、ただひたすら、光を反射するブロンドの髪やまつ毛の描写に魅入った。

第4章 肖像画

『忘れえぬ女』 イワン・クラムスコイ (1883)
女の着る漆黒のドレスの、襟や袖口などの縁を装飾する毛皮や光沢あるサテンのリボン、帽子についているフワフワの白い羽飾りなどディテールの質感描写が見事。女の顔も美しく描けている。だが、どうしたことだろう、皆が賞賛しているように見受けられるこの”ロシアのモナリザ”は、思いのほか私の胸に迫ってこない。馬車の高い座席から地上の我々に落とされる視線は、釣り上がった太い眉(ゲジ眉と言ったら言い過ぎか)や、やや被さり気味の上瞼のせいか、あるいは単純に自分が同性であるためなのか、私を寄せつけてくれない。瞳には確かに憂いが漂うが、観ている私には感情移入というか、共鳴することができない。チラシでは女の姿態がアップになっているので気にならなかったが、実際は横長の画面におぼろげな雪景色の街が背景に描かれている。その淡い色調とこのくっきりした人物像のバランスがやや唐突に思えもした。近寄ったり、離れたり、振り返ったりして何度も観たのだけど、印象変わらず。私の体調が万全でないため、感受性が更に鈍感になっていたのかもしれない。元気なときに再度観たら、また違った感想になるだろうか。

第5章 外光派から印象主義へ

『モスクワの庭』 ワシーリー・ポレーノフ (1877)


この画家は繰り返しこの絵と同じタイトルの絵を描いたらしく、国立ロシア美術館展にもこれより後に描かれた同題の作品が展示されていた(調べると他にも人物が描き込まれたものもあったが、風景だけの方がいいように思える)。後景に小さくのぞくクレムリンの黄金の玉ねぎ屋根がちょっとエキゾチックではあるが、主題となっている何の変哲もない芝地の庭にこそこの画家は美を見出していたのだろう。ポレーノフといい、冒頭に挙げたシーシキンといい、ロシア人画家の”緑色さばき”が私は好きである。

『三月の太陽』 コンスタンチン・ユーオン (1915)



真っ白な雪がしんしんと積もる真冬の銀世界もいいが、この雪解け間近の雪景色も素晴らしい。徐々に伸びる日照時間、少しずつだが確かに日々上昇していく陽光の温かさ、青みを増していく空。そして何より、今なお地面全体を覆っているが、溶けてなくなる日が近いことを伺わせるブルー・グレーの雪の色。光と影の諧調が素晴らしく、瑞々しい大気が画面から漂ってくるようだ。

『劇作家レオニード・アンドレーエフの肖像』 イリヤ・レーピン (1904)
背景の塗り残し部分も多く、モデルの着る白いシャツも勢いのある早描きで仕上げられているのに対し、顔だけ丁寧に色が塗り込められている。ともすればアンバランスになりそうなほどの落差だが、その手法はこの作品においては人物の存在感を見事に引き出しているように思う。『忘れえぬ女』の緻密な描き込みと対照的な肖像画であり、この日の私にはレーピンに軍配が上がった。