落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>

刈り入れをする人たちの後について麦束の間で落ち穂を拾い集めさせてください。(ルツ記2章7節)

<講釈> 変わるものと変わらないもの  使徒言行録4:32~37

2009-04-27 13:47:48 | 講釈
2009年 復活節第4主日 2009.5.3
<講釈> 教会における変わるものと変わらないもの  使徒言行録4:32~37

1. 初期の教会の姿
使徒言行録は初期の教会の姿を描かれている。その中でも特にいくつかの箇所でいわゆる事件の報告とは異なって一般的な状況をまとめて描いている箇所がある。特に2:42~47、4:32~35、5:12~16の3カ所は比較的詳細に描いている。6:7や9:31も短いがこれに加えることもできるだろう。単に人数の増加や断片的な叙述としては、11:21,12:2~4,14:1,16:5,19:20などもまとめの句として数えることもできるだろう。
最初に現われるのは2章42節から47節までのところで、こういう言葉がある。「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである」。本日の箇所と非常によく似ている。
本日のテキストも並べて書き出しておこう。「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである」。
3番目のテキスト5章12節以下の所にはこういう言葉がある。「使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議な業とが民衆の間で行われた。一同は心を一つにしてソロモンの回廊に集まっていたが、ほかの者はだれ一人、あえて仲間に加わろうとはしなかった。しかし、民衆は彼らを称賛していた。そして、多くの男女が主を信じ、その数はますます増えていった」。
これらの3カ所を通して読むとき、初期の教会の発展において、変わらないものと変わっていったものとがはっきり見えてくる。
一つの点は、「信者たちは皆一つになって」(2:44)、「毎日ひたすら心を一つにして」(2:46)、「信じた人々の群れは心も思いも一つにし」(4:32)、「一同は心を一つにして」(5:12)とあるように、教会内部における人間関係の良さということであろう。もう一つの点は、「民衆全体から好意を寄せられた」(2:47)、「皆、人々から非常に好意を持たれていた」(4:32)、「民衆は彼らを称賛していた」(5:13)とあるように外部に対する評判の良さということであろう。要するに、これが教会において変わらないものであり、使徒言行録の著者は教会の発展のエネルギーをこの点に見ていたということが分かる。そして、この点については今日の教会でも変わらないものであり、あるいは変わってはいけないものである。
ところが、5章13節には「ほかの者はだれ一人、あえて仲間に加わろうとはしなかった」という謎めいた不吉な言葉が記録されている。これについては後ほど少し考えてみたい。
2. 共同生活について
初期の教会の人々は共同生活をしていたようである。当時の信徒数について、4章4節に「男だけでおよそ5千人」という数字があるが、これを否定する資料はないが、これらの人々が全員「共同生活」をしていたとは考えられない。しかし少なくとも教会を形成する中心的な人々は共同生活をしていたのであろう。彼らの共同生活を支えていた経済は信徒たちの献金であった。その献金もかなり厳しいものでほとんど全財産と言ってもいいような献金であった。共同生活とはそういうものである。日本では京都山科にある一灯園とか、三重県に本部があるヤマギシズムというようなものを見れば分かる。キリスト教の歴史では修道院がやはりそうである。つまり、共同生活とはそれぞれが私的財産を供出することによって成り立つ組織である。
本日のテキストの中に「信者の中には、一人も貧しい人がいなかった」という言葉がある。この言葉が当時の教会の「美しさの」バロメーターとされている。彼らはそれぞれ私有財産を売って、共同生活をしていたのであり、「彼らの中に貧しい者はだれ一人いなかった」ということは、その共同生活が決して豊かであったということよりも、むしろ共同生活がスムースになされていた、ということを述べているのであろう。ここに述べられている信者の共同生活を一つの理想の実現として、それを再現しようとする運動もある。いわゆる「私有財産制の否定」という理想である。
しかし一つの理想が実現したとき、それは同時に一つのより根本的な問題の発生でもある。それが人間の社会の現実である。ここに一人の人物の行動が記録されている。バルナバという人物である。彼がしたことは当時の教会においては普通のことであり、多くの行為の一つの実例として取り上げられている。彼は彼が「持っていた畑」を売って、その代金を全て教会に捧げた。問題は彼が売った畑である。畑というのは耕して、つまり労働して実を上げるものである。いわば経済を産み出す資産である。これを売ってしまったらもう何も産み出さない。後は消費するだけである。考えてみると、初期の教会の共同生活を支えていたものは、信者たちが資産を売った金である。彼らはそれをただ分配して消費していただけで富の再生産を行わなかった。彼らはその必要がないと考えていたのであろう。恐らく、こういう生き方を支えていた思想はいわゆる「終末意識」であったと思われる。遅かれ早かれこういう共同生活は閉鎖的になり、破綻する。それを暗示するかのように、5章のまとめの言葉では「共同生活」のことには一切触れられず、「ほかの者はだれ一人、あえて仲間に加わろうとはしなかった」という謎のような言葉は、このような「共同生活」の閉鎖性を示唆しているのではなかろうか。さらに、6章では「そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである」(1節)という問題が提起されている。こんなことは当然の結果であり、消費だけの共同生活というものは、一時的な緊急状況の中では成り立つが継続的な生活にはなり得ない。
3. アナニアとサフィラ事件
ここに、初期の教会の事件が記録されている。アナニアとサフィラの献金問題であった。彼らはバルナバの献金のことを知り、それを真似した。つまり、彼らの持ち物であった土地を売り、その代金を教会に献げたのである。その時に一つの誤魔化しがなされた。誤魔化しそのものは些細なことであったが、その結果は非常に大きなこととなり、アナニアとサフィラとは粛正された。事件の締めくくりに「教会全体とこれを聞いた人は皆、非常に恐れた」(5:11)とある。ペトロはこの事件をサタンのそそのかしであると断じている。
4. パウロのメッセージ
さて、こういう教会の問題状況を最も敏感に察知し、批判したのは、パウロである。丁度このころ書かれたとされるテサロニケ第1の手紙でパウロはこう言っている。「そして、わたしが命じておいたように、落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働くように努めなさい。そうすれば、外部の人々に対して品位をもって歩み、だれにも迷惑をかけないで済むでしょう」(4:12)。さらに、同じ第2の手紙では「実際、あなたがたのもとにいたとき、わたしたちは、『働きたくない者は、食べてはならない』と命じていました。ところが、聞くところによると、あなたがたの中には怠惰な生活をし、少しも働かず、余計なことをしている者がいるということです。そのような者たちに、わたしたちは主イエス・キリストに結ばれた者として命じ、勧めます。自分で得たパンを食べるように、落ち着いて仕事をしなさい」(3:10-12)。
パウロ自身はこういう勧めをはっきりと言うことができるために、敢えて自分の生活費を稼ぐために労働しながら伝道したのである。彼は自分の生活を省みて、「だれからもパンをただでもらって食べたりはしませんでした」(2テサロニケ3:8)という。
教会という団体は「キリストの体」と呼ばれるように神の属するという面とあくまでも人間の共同体という面とがある。人間の共同体という点においてはこの社会に属している限り、経済の問題は無視できない。基本的には教会は信徒たちの献金によって支えられるものであるが、しかし同時にその献金は信徒たちの生活の中から出てくるものであって、信徒たちの生活を犠牲にして献げられるべきものではない。そこに無理があると必ず教会という組織に日々が生じる。教会を支える本当の力は畑を売ってその代金を全て献金する「熱心な信徒」ではなく、むしろ、その周辺において日々の労働にいそしみ、ということは時には教会の礼拝を休まなければならない状況に置かれていた人々、この世の様々な人間関係の中で汗を流し、苦労して家族を養いながら、その一部を献金する人々である。

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