落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>

刈り入れをする人たちの後について麦束の間で落ち穂を拾い集めさせてください。(ルツ記2章7節)

三位一体主日説教「主への賛歌」(講談説教「3人の仲間たち」)

2011-06-20 16:27:03 | 説教
S11T01主への賛歌(S)2011.6.19
三位一体主日説教「主への賛歌」

1. 三位一体主日について
聖霊降臨後の季節の最初の主日が三位一体主日である。その意味ではこの主日は聖霊降臨後の季節全体を集約しているとも言える。いろいろな議論をさておき、結論からいうと聖霊降臨後の季節とは神に対する賛美の季節、あるいは感謝の季節であり、賛美と感謝を通して成長する季節であると言えるだろう。ややともすると、三位一体主日には三一の神についての神学的議論になりやすいが、むしろこの主日は唯ひたすら神の偉大さを誉め讃える主日であると、私は定義づける。言葉を換えると、私たちの神は凄いのだぞと自慢する日である。
と言うわけで、今日は旧約聖書のダニエル書に出てくる「私たちの神」を自慢する物語を講談調でお話ししましょう。本職の講談師ならば見てきたように上手く話せるでしょうが、私は素人ですから、そういう訳にはいきません。その点はご勘弁ください。

2. ダニエル物語(3人の仲間たち)

紀元前6世紀ころと言いますから、今から数えてざっと2500年ほど前の随分古いお話です。当時、世界はバビロニア王国に支配されておりました。ユダ王国はバビロニアに滅ぼされ、ダビデ王族を始め大祭司の家族たちなど民族の指導層の人びとは強制的にバビロニアに連行されました。これが世に言う「バビロンの捕囚」です。捕囚民とは言わば奴隷と言うことですが、バビロニアの占領政策は異民族に対して寛容で、バビロニアの政策に逆らわない限り、捕囚民の自由を大幅に認めるものでした。中でもとくに目を惹く政策の一つが、ユダヤ人の中から有能な若者を選び出し、特別な教育を施し、バビロニアにとって役立つ人材を育成するということでした。もちろん、この政策はユダヤ人たちからも歓迎されたようです。選ばれた若者たちはかなり優遇され、宮殿内に宿舎も与えられ、バビロニア風の食事、生活様式、言葉を学ばせました。
ここに一つの面白いエピソードがあります。他民族を自国の民族に従わせる最もよい方法は食生活を変えるということです。言わば平和な同化政策は食事からということです。それで選ばれた少年たちには最良のバビロニア風の食事が与えられました。ところが、自分たちの民族意識を守るために少年たちはバビロン風の食事を拒否したのです。これには王宮の役人たちは困りました。少年たちの健康が損なわれたり、体力が落ちたりしたら大変です。
そのとき、少年たちを代表してダニエルは役人に「どうかわたしたちを10日間試してください。その間、食べる物は野菜だけ、飲む物は水だけにさせてください。その後、わたしたちの顔色と、宮廷の肉類をいただいた少年の顔色をよくお比べになり、その上でお考えどおりにしてください」と提案したのです。それで役人はその申し出を聞き入れ、10日間、いわれたとおりの食事を提供いたしました。それから10日間たって調べてみますと、彼らの顔色と健康は宮廷の食べ物を受けているどの少年よりも良かったのです。それで食事に関する限り、彼らはバビロニア風のものではなく、ユダヤ風の食事を続けることが許されました。
ユダヤ人の少年たちは非常に優秀で、バビロニアの王様から特に目をかけられ、宮廷内でも重宝がられました。中でも特にダニエルは飛び抜けており、未だ若いのに高い地位に抜擢されました。ダニエルの話はまた別な機会に譲るとして、今日の主人公はその仲間3人たちです。3人にはそれぞれユダヤ人としての名前とバビロニア名とがありますが、舌を噛みそうなので、今日は「3人の若者」という言い方で勘弁してください。
ともかくダニエル同様これらユダヤ人の若者たちも優秀でかなり重要な役職が与えられておりました。当然、宮廷内にはこのことに不満を感じているグループもありました。彼らは何とかしてユダヤ人の若者たちを陥れようと裏で策動し、ついにユダヤ人たちの弱みを探りあてます。ユダヤ人たちはひそかにユダヤ人の神を信じ、拝み、バビロニアの宗教を受け入れようとしません。
それで、早速、作戦を練り、ネブカドネツァル王に一つの提案をいたします。彼らはネブカドネツァル王にさも忠実な家来であるかのように、もみ手をしながら、
「王様がとこしえまでも生き永らえられますように。王様、あなたは偉大な王様です。あなたのご威光は全世界に知られ、人びとはあなたを尊敬しています。つきましては、町の中央広場にあなたの大きな金の像を建ててはいかがでしょうか。そのためには多くの人びとは喜んで金や銀をお献げすることでしょう。おそらく、海外からも贈り物が届くことでしょう」。
これを聞いたネブカドネツァル王、悪い気はしません。早速それを了承します。
「良きに計らえ」
たちまちのうちに町の中央広場に大きな像の建築工事が進められます。完成間近になった頃、王様の命令として
次のような布告が発せられます。
「諸国、諸族、諸言語の人々よ、あなたたちに告げる。金の像が完成したら、盛大な除幕式が行われる。ついては、角笛、横笛、六絃琴、竪琴、十三絃琴、風琴などあらゆる楽器による音楽が聞こえたなら、この国に住む者はすべて王の像にひれ伏し、これを拝め。ひれ伏して拝まない者は、王の命令に逆らう者として直ちに燃えさかる炉に投げ込まれる」。
さて、いよいよ除幕式が行われる日、3人の若者たちを陥れようとする家来たちは密かに3人の若者たちの行動を監視させます。
賑やかな音楽が鳴り響くと国中の人びとは、王の命令に従い、一斉にひれ伏し金の像を拝みました。しかし、あの3人の若者たちは王の像に向かって跪くことも拝むことをいたしません。その結果3人の若者たちは逮捕されて、王様の前に引き出されます。王様は彼らに
「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴ、お前たちがわたしの神に仕えず、わたしの建てた金の像を拝まないというのは本当か。もし、何かの間違いなら、今からでもいいから、金の像の前に跪いてくれ。そうすれば赦す」
と言います。しかし3人の若者たちは、王に答えました。
「確かに、私たちは金の像を拝みませんでした。私たちがお仕えする神様は、その燃え盛る炉や王様の手からさえわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。たとえそうでなくとも、御承知ください。わたしたちはこの国の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません」。
それを聞いた王様は3人に対して烈火の如くに怒り、炉の中の火力をいつもの七倍も熱く燃やすように命じました。そして兵士の中でも特に力強い者に命じて、3人の若者を縛り上げ、燃え盛る炉に放り込ませました。この時の様子をダニエル書は次のように述べています。
「王の命令は厳しく、炉は激しく燃え上がっていたので、噴き出る炎はシャドラク、メシャク、アベド・ネゴを引いて行った男たちをさえ焼き殺した。シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの3人は縛られたまま燃え盛る炉の中に落ち込んで行った」(ダニエル3:22-23)。
さて、話しがかなり長くなりますので、ここでしばらく中断して休憩といたします。

3.幕間に
さて、本日読みました「主への賛歌」という詩は、その時の情景を描いたものです。この詩は旧約聖書続編に含まれているダニエル書補遺の「アザルヤの祈りと三人の若者の賛歌」の28節から33節までにおさめられています。ダニエルの仲間3人が、ネブカドネツァル王の像を拝まないということで逮捕され、燃えさかる炉の中に放り込まれたときに炉の中で歌った詩です。

そのとき、三人は、炉の中で声を合わせて賛歌をうたい、神に栄光を帰し、賛美していった。
われらの先祖の神、主よ、あなたは賛美され、代々にほめたたえられ、あがめられますように。栄光の聖なる御名は賛美され、代々にほめたたえられ、あがめられますように。あなたは聖なる栄光の神殿の中で賛美され、代々にほめたたえられ、栄光をお受けになりますように。ケルビムの上に座し、地下の大海を見通される神よ、あなたは賛美され、代々にたたえられ、あがめられますように。御国の玉座におられるあなたは賛美され、代々にほめたたえられ、あがめられますように。天の高みにおられるあなたは賛美され、代々にたたえられ、栄光をお受けになりますように。(新共同訳による)

この詩は祈祷書では「夕の祈り」の火曜日の詩(祈祷書72頁)に掲載されています。そしてこの詩は三位一体主日の詩編としても指定されています。この詩の内容は
「あなたは賛美され、代々にほめたたえられ、あがめられますように」
という言葉の繰り返しで、ただひたすら神をたたえる詩となっています。

4.物語の後半
さて、ダニエル物語に戻りましょう。炉の中がえらい賑やかなので王様は不審に思い、部下に
「確かにあの3人を放り込んだ炉に火は入っているんじゃな」
「はい、確かに。しかも王様が御命じになったようにいつもより火力を7倍も強めております」
「じゃ、あの賑やかな声はなんじゃ。炉の中から歌声が聞こえるようじゃが」
それで、王様は恐る恐る炉の中を覗き込みますと、火は盛んに燃えております。そのとき、王様の顔がみるみる真っ青になります。
「炉に放り込んだのは3人ではなかったのか」
「王様、そのとおりでございます。私たちが炉の中に放り込んだのはユダヤ人の若者3人に間違いありません」
「お前たちが放り込んだのは確かに3人じゃったな。炉の中の3人はとても元気そうに歌を歌いながら歩き回って居るぞ。あっ、もう一人いる。全部で4人だ。しかもあの4人目は神様のように神々しく輝いている。さぁ、すぐに炉の扉を開けて、彼らを炉の外に出せ」
部下たちは、大急ぎで王様が言われるとおり炉の扉を開きますと、3人の若者たちは元気に炉から出て参りました。王様は、
「わしが見たのは4人だったぞ。あとの一人はどうした」
3人は何事もなかったように、
「あの方は炉の扉が開くと、『じゃぁ、またね』と声をかけてどこかに行ってしまわれました。あの方は確かに私たちの神様でした。私たちの神様は普段は目に見えませんし、形もありませんが、確かに生きておられます。特に私たちが不当な扱いを受けて苦しんでいるときに、私たちの側に来られ、共に苦しみを分かち合ってくださいます」
それを聞くと、バビロニアの王様は胸をかきむしり、
「私はえらいことをしてしまった。もう少しで生きた神様を焼き殺すところだった。私もあなた方の神様を拝みたい。どこに行って、どっちを向いて拝めばいいのじゃ」
「ご心配はいりません。私たちの神様は目には見えませんが、どこにでも居られ、どこででも、いつでも拝むことができるのです」
そこで、ネブカドネツァル王は改めて宣言しました。
「3人の若者の神様をたたえよ。彼らは王の命令に背き、体を犠牲にしても自分の神様に依り頼み、自分の神様以外にはいかなる神様にも仕えず、拝もうともしなかったので、神様はこの若者たちを救われた。わたしは命令する。いかなる国、民族、言語に属する者も、彼らの神様をののしる者があれば、罰せられる。まことに人間をこのように救うことのできる神様はほかにはない」。
こうして王様は3人の若者たちを以前にもまして信頼し、さらに高い要職に就けました。

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