続・弓道の極意

私が一生をかけて極めようとしている弓道について、日々の気づきを積み重ねていくブログ

身体と語らう

2008年10月04日 | 極意探求
弓の稽古をするとき、忘れてはならないことがある。それは、身体(からだ)と語らうということだ。

どうしても的前に立つと、的に意識がいってしまう。しかし、どんなに当てようと意識しても、射が正しくなければ当たりは出ない。逆に、正しい射で放たれた矢は、必然的に的に行くものである。

このことは当たり前のことであるが、極めて重要なことである。つまり、稽古のとき、最も大事なことは「自分の身体と語らう」ということなのだ。

自分の身体と語らうというのは、自分の身体にこそ意識を向けるということである。たとえば、身体の各部の位置は正しいところにあるか?正しい運行をしているか?力はどこに入っていて、どこに入っていないのか?不自然な感覚はないか?などである。

こういうことは、意識を向けさえすれば誰でも感じ取ることが出来る。しかし、意識が違うところに行っていたのでは、実は感じているようでもそれに気づけないのだ。

これは精神的な話をしているのではない。極めて科学的に、人は意識を向けることでそれを感知することが出来るのである。

これは機械によく使われるセンサーによく似ている。センサーはそれを感じ取ることができても、それをモニターや数値計で見ない限り、どんな状態なのかを知ることは出来ない。

身体も同じである。感覚は常に働いており、たとえ初めて弓を引く人でもそれを持っている。しかし、そこに意識を向けない限り、その感覚を捉えることはできないのである。

弓の稽古は、ただただこの身体のセンサー(感覚)に意識を向けること。これが肝要である。そして、その感度は、日頃から意識を向けていることによって格段に高まっていくのである。