前回書いた稽古のやり方を「見取り稽古」という。これは古来より武道の世界では重宝されてきた稽古法である。
この稽古、要は「見て学べ」ということなのだが、ポイントがいくつかある。
一、目指す姿を見よ。
前回は、自分の射形についても見ることを勧めたが、本来の見取り稽古は、主に師匠や先輩の姿を目で追って行うものである。
そうすることで、自分のありたい姿がイメージとして焼きつき、そうなって初めて自分の身体で表現できるということである。
逆にいえば、イメージできない姿を自分の身体で表現しようとしても、それは無理な話ということだ。
二、感覚をイメージせよ。
見取り稽古は、ただ見ているだけでは効果は少ない。大事なことは、その人に自分もなりきって、特に感覚を想像することである。
今、どこに、どのくらいの力がかかっているのか?どこに力を入れて、どこに力を入れていないのか?どういうイメージで引いてきているのか?など。言葉ではなく、あくまで感覚を感じ取るのである。
これが分かってくると、途端にこの稽古の醍醐味を理解するようになる。
三、自分の身体で再現せよ。
観察によって得たイメージと引く感覚の両方を、今度は自分で再現してみる。簡単に言えば、真似をするということである。
良射を真似ることほど上達の近道は他にない、と私は思う。
以上をあわせて「見取る」といい、見取る稽古法を「見取り稽古」と呼ぶのである。
この稽古、要は「見て学べ」ということなのだが、ポイントがいくつかある。
一、目指す姿を見よ。
前回は、自分の射形についても見ることを勧めたが、本来の見取り稽古は、主に師匠や先輩の姿を目で追って行うものである。
そうすることで、自分のありたい姿がイメージとして焼きつき、そうなって初めて自分の身体で表現できるということである。
逆にいえば、イメージできない姿を自分の身体で表現しようとしても、それは無理な話ということだ。
二、感覚をイメージせよ。
見取り稽古は、ただ見ているだけでは効果は少ない。大事なことは、その人に自分もなりきって、特に感覚を想像することである。
今、どこに、どのくらいの力がかかっているのか?どこに力を入れて、どこに力を入れていないのか?どういうイメージで引いてきているのか?など。言葉ではなく、あくまで感覚を感じ取るのである。
これが分かってくると、途端にこの稽古の醍醐味を理解するようになる。
三、自分の身体で再現せよ。
観察によって得たイメージと引く感覚の両方を、今度は自分で再現してみる。簡単に言えば、真似をするということである。
良射を真似ることほど上達の近道は他にない、と私は思う。
以上をあわせて「見取る」といい、見取る稽古法を「見取り稽古」と呼ぶのである。