新谷研究室

新谷研究室の教育・研究・社会活動及びそれにかかわる新谷個人の問題を考える。

第一回目

2006年10月04日 13時07分51秒 | 教育・研究
 後期の講義・演習の第一回目が終わった。全部月曜と火曜にまとめたので、一週間の教育活動のある部分はここでおしまい。後期は非常勤で行くところもないので、精神的には楽である。
 そろそろ学会発表の成果などを論文にまとめていく時期だが、問題を立てる、先行研究を読み、位置づける、ということについてよく考えてほしい。
 問題を立てるときに必要なことは、まず問題が何かを自分でよく理解すること。そしてその問題を解くとどういう成果が出るかをはっきりと自覚することが肝要である。何が問題かが曖昧なまま「あきらかにしたい」「あとづけてみる」なんていう言葉だけを使うのはやめよう。成果については研究としての成果がある。それは近・現代史の場合は現代につながる問題でもあるので問題意識は非常に重要である。へぇぇ、そうなんだ、というトリビアリズムのために歴史研究をやるのではないのだ。
 先行研究の位置づけもそうだ。自分の研究がどういう場所にあるのかを説明するために先行研究の紹介をする。だから効果的に提示しなくてはならない。ところが、だらだら関連論文を並べる人もいる。そりゃあ無駄というものだ。当然、俎上に載せる限りにはあげた先行研究と自分の研究との関係性は明確になるはず。もしかしたら書き方次第で喧嘩になるかもしれないのだから。
 それと研究というのは新しいことを見つけることだ。人の書いたものを持ってきて解説したり、意見を述べたりすることは研究ではないのでよくよく承知しておくことだ。オリジナリティということだ。研究論文は自分で集めてきた史料によって説明することだ。そうでないものは評論にすぎない。評論が悪いわけではない。「学校は軍隊に似ている」のように優れたものもあるが、僕もあの本をもって研究です!とは言わない。卒論、修論、博論、紀要論文…、これらのものは学術論文であり、オリジナリティ以外は評価されない。

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4 コメント

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Unknown (元助手)
2006-10-05 00:04:13
>「学校は軍隊に似ている」のように優れたものもあるが



研究の「評価」というのは他者がなすべきものと思いますが・・・というより、そう教わったような気がします。



>僕もあの本をもって研究です!とは言わない



では、あの本は、ただの読み物と思っていいのでしょうか?。

「とは言わない」というところに、どうしても「逃げ」のようなものを感じてしまいます。

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どこの誰だか知らないが… (shinya)
2006-10-05 00:23:23
文脈のわからないやつがいらんことを言うものではない。

第一点;君がそう教わったとするならば、君の水準に合わせて君は教わったのだろう。

第二点;読解力の不足。妄想を感じるならご随意に。但し、人のブログに自分の妄想を書き込むものではない。ただのブログ荒らしでしかないぞ。
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Unknown (元助手)
2006-10-07 15:39:26
>中傷まがいのコメント



とまで書かれてはしょうがないのでもう1回だけ書き込みします



>第一点;君がそう教わったとするならば、君の水準に合わせて君は教わったのだろう。



では誰が評価するのでしょう・・・

自分自身と他者以外に評価する主体が見つかりません・・・



>第二点;読解力の不足。妄想を感じるならご随意に。



ことば足らずでした

あの本自体は非常におもしろいとは思います

その上でですが、なぜ単刀直入に「エッセイである」なり、「読み物である」と書かないのか疑問を抱いたということです



>但し、人のブログに自分の妄想を書き込むものではない。ただのブログ荒らしでしかないぞ。



ブログとして公開している以上は、赤の他人からのコメントが書き込まれるのは当然のことだと思いますが・・・

それが嫌であればお考えの通りmixi等のある程度クローズされたところでやるのがよいのではないでしょうか(mixiのIDを持っていないので残念ながら見られなくなってしまいますが)
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マナー (shinya)
2006-10-08 01:43:57
他人が書きこめるからといって場を弁えない書き込みをするのを「荒らし」という。それを知らないのなら基本的なマナーがなってないということだ。さもなきゃ、悪質ないやがらせとみざるをえない。

そうでないことを願おう。
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