新谷研究室

新谷研究室の教育・研究・社会活動及びそれにかかわる新谷個人の問題を考える。

日中老若男女共生社会フォーラム

2005年06月07日 18時07分38秒 | 教育・研究
 本日は人間環境学研究院と上海大学外国語学院の共催で「日中老若男女共生社会フォーラム」が九州大学西新プラザで行われた。実にいいフォーラムであった。学生、教員、市民がわんさと押しかけ、殊にmarronさんのプレゼンの時は写真のように押すな押すなの盛況であった。さすがmelonさんの人気っていうか、すごいねぇ。
 まあ、市民へのプロパガンダというのは今後の課題であるのかもしれない。melonさんお疲れさま。そして協力していただいた学生諸君ありがとう。近々marronさんがケーキくらいは御馳走してくれるみたいよ。
 本日は久々に身体を動かした。気持ちいい。
 明日は「大学とは何か」の講義を六本松でしなければならない。明日は私立大学についてやるのだが、九大生にとって私立大学について学ぶことはどういう意味を見いだしているのだろうか。また、私立大学の果たしてきた歴史的役割と現代的役割とはどういうことなのだろうか。あらためて考えてみなければなるまい。
 私立大学の場合、「建学の精神」というのがどうしても出てくる。講義の柱はどうしても光の部分としてそのあたりを語ることになる。早稲田然り、慶応然りである。しかし、それらは私学のごく限られた一部でしかない。それを美化して語ることは逆に私学の理念を否定することではないかなという気がする。早稲田の建学の理念は学の独立であったが、それは学の大衆化と背中合わせであった。いつの間にか「偏差値一流大学」と化した早稲田大学にその建学の精神はいかばかり残っているのだろうか。『青春の門』を見てみるといいのかもしれない。あそこに出てくる早稲田はたぶん早稲田らしい早稲田なのだろう。かつて司法試験の合格者が大量に出たとき早稲田の同窓会は嘆いたという。そう、東大に並ぶようではダメなのだ。それぞれに私学は美談ではないところに私学の真に誇るべきところがあるのだ。それを九大の学生に理解してもらえるだろうか。いや、私学の学生にすら理解されないのかもしれない。偏差値社会で根本から誇りを奪われているからだ。これは私大生のみならず、九大生も同じなのである。結局は東大や京大には及ばなかったという程度の自己評価でしかない。そこに活を入れようとしたのがこの講義を開設した趣旨だったのだが、果たしてそうは行っていないのが現状に思える。だってこの講義、おいしい単位でしかないようなのだから。おっと、愚痴を言うのはまだ早い。明日の学生はちがうかもしれないシィ。
 

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2 コメント

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ご協力ありがとうございました! (melon? marron? )
2005-06-08 15:06:23
昨日は、遠方をお出かけくださいました皆様、ありがとうございました。

教授には圧力(?)をかけ、学生さんたちには参加を強いてしまいました。今度なにか良いことがあると思いま~す。

? or ?

ところで、次世代育成、先行世代との共生の共有化というユートピア(こう言うとまさに理想的だが、要は育児も介護も家事も仕事も皆が関わりあうということ)はかなり難しいことだ、と、またまたひしひしと感じてしまった次第です。現行制度とそれを支える固定観念を壊さないかぎりは、ですけど。

壊す、と言っても、アナーキストではあるまいし、全てを無にすることはできない。考えてみれば、その固定観念というけれども、一体どこから固定観念なのか、何が固定観念なのか、どんな問題点を巻き込んで固定化しているのか、ということは、実はあまり明確になっていないのだ。ということで、私たちの研究の意義があるはずだと思うのですけどね。

しかし、提言、提案をだしていくことがメインの場においては、「ではどうしたらいいのだ??」という疑問と批判に晒されることとなる。



まあしかし、地道にやりましょう。

というか、やらなくちゃ…。

とにかく、ご清聴ありがとうございました。
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ごめん (yasmikan)
2005-06-08 20:06:03
marronのほうやったね。
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