やおよろずの神々の棲む国でⅡ

〝世界に貢献する誇りある日本″の実現を願いつつ、生きること、ことば、子育て、政治・経済などについて考えつづけます。

フランス「言論の自由」テロ事件 ~日本人も「世界平和」のためにしっかり考えたほうがいいのでは~

2015年01月21日 | ~h27 生き方/文明

 《自由と規制(=不自由)》の問題を理解するのは簡単ではありません。
 同様に、《「言論の自由」と「言論の規制」》の問題についても一刀両断とはいかないようです。

■「表現の自由」は無制限か?

 他者が非常に大切にしている事柄に対して、《わざわざ人前・公開でからかったり馬鹿したりする》ことは、日本民族の文化伝統からすると、はなはだ「思いやり」「慈悲」にかけることです。

 例えば、日本人のあなたは、外国人から《意図的な「皇室」や「神社」や「日本」への侮辱》をされても(※中韓・米英はかなりしている。日本の多くのメディアが意図的に報せないだけ。)、「表現の自由」だからしかたないさ、ですませきれますか? 

 日本人のほとんどを占める日本民族(=千年ほど昔にほぼできあがっていた日本人集団の子孫)系のうちの、ほとんどの日本人は怒ったり嫌な気持ちになるでしょう。
 ※最近は日本人の90%ほどが中国嫌い、70%ほどが韓国(朝鮮)嫌いになっている。

 フランスでも40%ほどの人々は「やりすぎ」(=風刺画の掲載を支持できない)と思っているようなので、《「表現の自由」は尊重すべきだが、無制限ではない》という考え・行動指針は、人類全体のなかで
それなりの位置を占めていると思われます。

 ※もちろん、中国共産党:中共を筆頭とした《「表現の自由」は権力(=武力・暴力・抑圧など)により自由に規制できる》という考え・指針は、この数世紀にわたる人類の進歩を完全に逆行させるもので、とうてい許せるものではありません。

 日本人の私としては、イスラム法学者の「あの風刺画は一線を越えている」という認識に違和感はありません。

 したがって、《絶対的言論の自由》を唱える欧米の方々には、《優越者としてのおごり》の影を感じてしまいます。


■「表現の自由権による、許せない侮辱」への対抗手段の問題

 今回の「射殺」は「一般犯罪の殺人」なので、人類の道徳規範により、絶対に許せません。

 では、例えば仮定の問題として、サウジアラビア国がフランス国に正式に宣戦布告して「戦争による殺人」をした場合はどうなのでしょうか?
 国際法違反ではないはずですね、開戦の理由に制限はないようですから。

 つまり、人類には、《国内法にはある「侮辱・名誉棄損」に対する罰則》が、国際法の世界では(まだ?)ないので、《国際的な侮辱・名誉棄損事件の実行者に対する罰の請求を平和的に行う方法》はないということでしょう。
 (※「国際司法裁判所」はあるが、肝心の「法」がないので裁けないと思う。)

 日本対韓国の問題で言えば、例えば「従軍慰安婦問題」について、韓国(など)がどんな嘘をつこうが、日本は《反論を述べる》しかない、という現状です。
 ※戦前であれば「宣戦布告」をするぐらいひどい《国家間の侮辱》だと思います。(例:「性奴隷は天皇のプレゼントだ。」)

 したがって、世界の先進国は、「反テロ運動」だけでなく、国内でしているように、「侮辱された民族や宗教団体や国家などの平和的な名誉回復の方法」についても、真剣に考えるべきだと思いますがいかがでしょうか。


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