(22) 日中関係 Ⅰ(幕末・近代前半)の描き方のちがい -17-
■総まとめと考察
総合評価についての説明はすべて上表のなかに書いてあります。
■「印象操作」について
おそらく、これから先、《”当時の日本(軍)は侵略者で、絶対的な悪だ”、という歴史認識にもとづいた記述・表現》が増えていくと思われます。
・このシリーズでは、上記の歴史認識について、著者(私)の歴史認識を基準にして評価することはし(てい)ません。基準は原則として<ウィキペディア>によります。
当然ながらウィキペディアにも著者・編集者がいるのですが、複数者の協議的システムで運営されていること、、また、日本(世界)中の利用者からチェックされ続けているので、”それは嘘だ”と多くの利用者が思うようなまちがいはないでしょう。
ただし、政治的に微妙な問題については、”利用者全員が納得しているわけではない”というレベルの記事はあるようです。確かに、ウィキペディア内の同じような主題の記事を読み比べると、”微妙なちがい”はありますが、そのちがいはおおおむね、”資料の解釈”レベルのちがいであって、”歴史的事象の有無”のレベルではないようです。その場合は、私も《解釈作業に参加》しないと評価できません。しかし、そんな微妙な場合は、私は歴史学者ではないので、原則として《評価の放棄》で対応しています。
・上記の評価方針にもとづいて、”印象操作だ”(=広義の「嘘」)と評価する場合、①本人(著者や編集者)がそう思っていて、”結果として印象操作になっている” 場合と、② ”意図的な印象操作” をしている場合、の2通りが想定できます。しかし、教科書の場合は執筆者が”専門家”なのですから、①はありえないことだと判断します。
もともと、それが意図的かどうかは他者(読者)には分かりようがないこと・・・ですから、各社の意図とは関係なく、”ウィキペディアに照らして、偏向、不公平、重要な事実の無視などによって”引用操作(的)表現になっている” と認識した場合は、粛々と、「印象操作」として評価していきます。
~次回から、日中関係2~
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