「小林一三は左遷!で名古屋に赴任したらしい。」51へえ!
「日本財界人物傳全集第5巻 小林一三傳」(三宅晴輝/東洋書館)より
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そーか、一三先生、名古屋にいたことがあるのねえ。
えー、この本によりますと、大阪で、まぁかわいがってくれる上司もいたけれども、どーも当時の支店長に嫌われたらしくって、明治30年(一三25歳)、名古屋に左遷されることになりましたとサ。
左遷にあたって、よくしてくれた上司は、一三に、
「あんたはワガママだとの評判もある。名古屋で同じ過ちを繰り返さないよーに!」(←生意気娘Kによるスーパー意訳でお送りしました)
と、忠告の手紙をくれたらしい。この本では、一三がこの手紙を終生大切にした、とゆー美談に書いてますが、とにかく当時の一三の社内の評判は、すこぶる悪かったことがうかがわれますねぇー。
さて、名古屋にやってきた一三。
じつは、大阪で一三は「文学青年的恋愛」・・・まぁなんだ、要は恋愛にのめりこんでいたらしくってね。名古屋へ行くのはいい機会だから、これで清算だ!と思ってたらしーんですね。この「16歳の愛人」さん、この本にはハッキリかかれていないんだけど、たぶん花街の方だったんじゃないですか??(清算を決意する理由が「堅気の女を嫁にもらおう、このままいけば身の破滅だ」なんですよ。花街入りびたり生活をしてたことを考えると、舞妓さんか芸妓さんかなと思って)それで、清算できたのかというと・・・
綿々たる恋文を書きまくる!
毎週土曜日夕方の汽車で大阪に帰って愛人のもとへゴー!
月曜日の朝にやっと名古屋に帰って出勤!
そのうえ愛人が名古屋についてきちゃったり!!
社内ではどこからともなく「小林、大阪の女を連れてきとるぞ!」とうわさが広まる!
・・・懲りてない!懲りてないよ、一三!!
仕事はまぁ順調だったみたいです。
のち、阪急を起こすときに有用なコネクションも得たみたいだし。
名古屋の平賀敏とゆー支店長に、だいぶ可愛がられたみたいですね。平賀氏も、花柳界に名のとどろく、花街の遊び大好き!座敷外交大得意!な、粋なヒトだったみたいですねえ。あー・・・一三が可愛がられるの、わかるねー。
しかし、そんな平賀氏も、一三の遊びっぷりは心配だったらしい。
平賀が大阪支店長にきまって、一三も「私もゼヒ大阪勤務にしてください!」と頼んだとき、平賀が出した条件が「妻をもらって連れて行くべし!!」だったとのこと。
一三は見合いをします。
ところが、見合いするたびに振られるんだな、これが。
そうこうしているうちに、明治32年、一三の大阪転勤が決まります。
なんとしても結婚しなければならない!!
一三は決意とともに上京し、親戚の世話で東京で最後の見合いにのぞみます。二人と会う予定で、とにかくどっちかに決めていったん帰り、ソッコーで結納したら東京で挙式。新婚旅行をかねて大阪へ花嫁をつれて凱旋、の予定とゆー、「何がなんでも結婚!」のスケジューリング。
さて、計画通りうまく運ぶモノなんでしょーか。番狂わせはあるんでしょーか。
一三結婚編、明日につづく。