etceterakoの勝手にエトセトラ

「生意気娘Kの勝手にエトセトラ」は改題いたしました。カテゴリ「ブログ改題について」をご覧ください。

星組「愛するには短すぎる/ネオ・ダンディズム!-男の美学ー」

2006年09月02日 | 宝塚歌劇

 べつに忘れていたワケじゃぁないです。作品感想は、書くの時間かかるんだわねー。わたし、書くスピード遅いんかいな・・・。

 じゃ、いつものように2本に分けていってみましょー。今日は作品の話。明日がキャストの話です。

※ネタバレ全開です※
*****************************
【愛するには短すぎる】
●野暮を承知で申し上げます。
 あのー・・・。わたるくんのサヨナラ公演として、また、「ワタトウ」コンビ作品として、ナイスあてがきの佳作だってことはもちろん承知、同意ですとも!すごく楽しみましたとも!だから、そーゆー作品にツッコミを入れるっていうのは、どうも野暮な気がしてうしろめたいんですけど、でも勇気を出してつっこむぞ!

 ちょっと・・・あまりにも男性に都合が良すぎませんかねえ、この物語は。

 物語の恋愛の部分の筋を抜いてみましょう。 
 ①主人公(わたるくん)は婚約者もいて、養父の会社も継ぐ予定で、人生順風満帆。(しかしそれでイイのかと、青年期の憂鬱にとらわれている)
 ②船のうえで同郷の踊り子(となみちゃん)に再開。
 ④踊り子への想ひを自覚した主人公は、「これが本当の恋だ!」「決められた人生でなく、自分で決める人生をいまここから!」と、熱くオノレの人生と恋愛を考える。
 ⑤踊り子にモーションをかけるが、踊り子は「ダメよ、あなたには婚約者が」とキッパリ断る。どんなに熱心に口説いても、踊り子は冷静で、ふたりは船をおりたら日常に戻る約束で、つかのまの愛に身を焦がしたのだった。(愛するには短すぎる、なんてことはない!めでたしめでたし。)

 ・・・それだけっちゃー、それだけの話です。それがイイ、というのはわかる。わたしもこーゆー話は好きだ。
 でも、ちょっとわたしにはあと味(?)が悪くてねー。わたしはね、てっきり婚約を破棄して、踊り子とのあたらしい恋愛を大切にするラストだと思ったんだよ。ところが、ヒロインのほうからガンとして断って、おかげで主人公は何も失わずに、きれいな恋愛のおもひでが手に入ったというわけ。主人公、ずるいと思うの。

●これは「後悔しない《舞姫》」じゃないかね。
 これってさぁ、アレに似てませんか。鴎外の「舞姫」ね。
相手が踊り子である。
・非日常空間(船、異国)限定である。
・主人公がエリ~ト。
 なんとなく主人公像(性格や行動)も似てる気がする・・・。
 舞姫の豊太郎は、キッパリと女を選ぶおかげで、仕事やら地位やらを(一時的にとはいえ)失って、最後はけっきょくそれらを捨てきれずに、女性よりステイタスを選びます。その「決定」ひとつひとつに、思い悩むサマが「文学」なわけですわね。
 まー、宝塚歌劇は娯楽だから、べつに「文学する」必要はないし、愛短のフレッドに「あんたも何かを失って後悔ぐらいしてみなさい!」とは言いませんよ。言いませんけどねー、ちょっと最初っから最後までラクしすぎかなーと。となみちゃんバーバラからガンとして交際を断ることで、主人公ははじめから苦労する選択肢をつぶされてるんですよ。一見、気の毒に見えますけど、長期的に考えれば、どーみたって、バーバラのことは忘れて、婚約者とくっついたほうが苦労せず幸せが手に入るわけでしょ。主人公が苦労(と後悔)の海原に漕ぎ出さずに済むよう、ヒロインを使ってお膳立てしてあるんですね。

 そういう視点でみると、これはどちらかというと「男性のためのおとぎ話」かなーと。わたし、バーバラはともかく、婚約者さんかわいそうだなーと思っちゃったもん。船のうえで、バーバラに「一生愛するよ!」って言ったその口で、陸に戻れば婚約者にやさしさを振りまいて結婚の誓いを述べちゃったりするわけでしょ。女性のためのおとぎ話なら、フレッドは本当の恋愛とは何かに気づく→婚約破棄してバーバラとの恋愛へ!って展開になると思うのね。

 だから、男性に見せるのに適したストーリーじゃないですか、これは。

●男性のためのおとぎ話を、女性向け娯楽で見るフシギ
 まぁしかしね。わたしはそれを非難したいワケじゃないんです。「男性に都合よすぎるでしょ、ブーブー!」ってブーイングをしたいわけじゃないの。作者は何書いても自由だよ、べつに。わたしもそれがイカンとか不愉快とかは思いません。小林公平氏の「あこがれ」をカタチにしたらこうなった、と。ただそれだけの話でしょ。

 ただねえ、宝塚って圧倒的に女性客に支えられてるモノでしょ。女性向け、とキッパリ言うのは抵抗がありますけど、それでもやっぱりどちらかというと、女性を意識して発信されてる文化だと思うのね、昔はともかく現代では。

 その「女性向け」な文化に、こういう「男性のためのおとぎ話」が書かれて、それを女性がうっとり見るという構図に、ちょっと「へえ」と思ったの。女性向け文化だと、(少女漫画とかー)フツーは女性に都合のいい、女性だけが幸せになるっぽい(?)展開を使うのがスタンダードだと思ってたから。

 ・・・あのー、これはレヴューのトリビアコーナーとかはじめちゃった動機のルーツでもあるんだけど、宝塚って、世間(非ヅカファン)が思っているよりずっと保守的で健康的な趣味だよねぇ。(制度に対して懐疑的じゃないというか)・・・あー、えーと・・・何がいいたいか伝わる??これだけじゃ伝わらないよね??・・・うーん、でもこれ以上書いてあんまりカドがたつのもイヤなので、ここまでにさせてください・・・。(じゃあ最初から書くなよ!)

●その他雑感
 小林公平氏原案、正塚先生演出ということでしたが・・・いやぁ、なんか小林家のお人が原案して、自分とこの劇団で上演だなんて、いかにも私企業お抱え劇団ってカンジでイイね(笑)←いやみじゃなくて。小林家あってのタカラヅカだもんね。

 たぶん、主人公2人の恋愛の部分を公平氏が書いて、二番手以下の書き込みは正塚先生じゃない?(トップ、二番手の濃い友情とか、銀の狼を思い出しまくりました)

 今回は原案があるせいか、肩のチカラが抜けた娯楽作品で、気楽に楽しめるよい作品でしたねー。正塚作品では、わたしが見た(しょぼい観劇歴の)なかではエスペランサが一番好きだったんだけど、今回抜いたね。キャラクターの造形、対比、絶妙でしたね。おもしろい演劇でした。セットの使い方もイイね!またさー、演技指導もイイんだと思うんだけど、メインキャストも脇役も、キッチリと演技をかためてるんで、よけい面白いのね。

 「愛するには短すぎる」・・・となみちゃんと組んでわずか2作とか、ワタトウの引継ぎ予定がっちりトップ二番手芝居とか、サヨナラ公演であることをチラチラ意識させるつくりもステキですね。これが「サヨナラ公演」というものなのね・・・としみじみいたしました。

【ネオ・ダンディズム!ー男の美学ー】
●This is the TAKARZUKA REVUE!
 ・・・わたしは岡田先生の古きよき「ロマンチック」なレビューを、敬愛をこめて「岡田レビウ」と呼んでおります。(要は古いんじゃないか、とちょっと思ってたわけですが)
 今回も従来ならば、「岡田レビウの粋だったね!」って感想になると思うのですが、うぐぐ・・・例の「レビューの王様」って本を読んでしまったいま、幕があいた瞬間からわたしの頭をよぎったのは「これが宝塚レビューなんだぁ!」って感慨だったんでございます・・・。

 うーん、ショーとかレビューってのは、アタマ使って楽しむべきモノじゃなくて、「なんとなく楽しい」「なんとなくうれしい」「なんとなくウキウキ」って、快感さえ持ち帰ればそれでイイんじゃないか、とは思うんですけどね・・・。

 あのー、小娘が推測でモノ言うんで恐縮なんだけども、もしかして岡田先生って、白井先生かそのお弟子さんに師事なさったんじゃありませんこと??(白井先生はさすがに無理?世代的に)・・・なんつーか、ものすごーーーーく、白井先生が完成された白井レビューの系譜を感じるんですが・・・。(白井レビューっつっても、わたしも本で読んだだけだからアレなんだけどサ)

 美学の置き方、狂言回し(・・・とまでは言わないけど、ダンディズムって何だろう!っていう序詞師が出ましたね)の存在、ダンスでゴリゴリ押すより、朗々と歌い上げる場面が中心の展開、スペクタクル感・・・。
 狂言回しってのはだいたい、白井先生以前、岸田先生の「モンパリ」から出てたらしいよ??そんで、それは外国のレビューにはなく、日本の芸能の伝統に根差したものではないか、と「レビューの王様」には書かれているんです。

 いろんな意味で、岡田レビウというのは、宝塚レビューの原点と申しますか、伝統を(わかりやすいかたちで)色濃く引き継いでいる存在なのだなぁ、と思いましたね。

●ダンディズムって何なの?
 岡田レビウには、「毒」がないですね。
 ほんとうに善良。衣装の色目もさることながら、世界がパステルカラーか甘い砂糖菓子でできているみたい。

 そういうなかに、「ダンディズムってなんだろう。ダンディズムってのは、社会に対する批評でもある」みたいなセリフが出てきて、わたしは岡田レビウの善良な世界観と「批評」という言葉のミスマッチに、思わず笑ってしまいましたね。批評ね・・・。なるほど、社会制度に対するアンチテーゼで、つっぱっているんだということですか(笑)

 ・・・で、このレビューを見終えて、「で、けっきょくダンディズムって何だったんだろ?」って考えたんだけど、なんですか、要は「伊達男」ってことー?
 
 ふーむ・・・社会にはちょっと斜にかまえて、(不特定多数の)女性相手にイキに遊ぶことを知ってるって感じ??ふーむ・・・それがダンディという男の美学である、と。

 たしかに、現実にはいないねー、ダンディねえー。すくなくともわたしの周囲では、ダンディな男性なんて見かけませんね。まさしく夢の世界の男性だぁね。宝塚男役にふさわしい美学とは言えましょう。

 主題歌の歌詞スゴいね。スゴすぎ。「ダンディ それは美しき剣」ときましたからね。開演前にパンフレットの歌詞よみはじめて、すげぇポエムだな!とビビりましたね。(なんだか、真夜中に書いた手紙のようだと思いませんか?)しかし、岡田先生・・・こういうぶっちぎり方はわたしは好きですけども、どうなんでしょう、これってドコまで本気で書いてるんでしょうか・・・。作者が(ピュアでロマンチックな)岡田先生じゃなければ、「これは・・・ダンディを賞賛しているようで、じつは揶揄しているのでわ!」と疑っちまうところでしたよ。(←そんなワケない。根性曲がったモノの考えの生意気娘K。)

●その他雑感
 群舞のフォーメーション、美しかったねー。大階段にざざざっと男役が並ぶサマは圧巻!またこれが、星組の濃~いアツ~い男役でやるから、舞台からものすごいエネルギーが放射されてるのね!(入れ込んでみたら、すごい疲れた・・・)
 ああいう群舞の動かし方って、近年あまり見ない「スペクタクル感」だなと思いました。なんてゆーか、作り手側の「これが宝塚だ!これが男役だ!これが宝塚レビューだ!どうだっ!!」という声が聞こえてくるような。

  後半はダンディズムというより、わたるくんのサヨナラ仕様というかんじで、うまく作ってありましたね。名前なんだっけ・・・トウコちゃんが歌い上げて、わたるくんが丁寧なソロダンスを見せてくれるところ、えーと、いまパンフみたら、どうやらその名もずばり、「オマージュー惜別ー」ってトコロ?あそことか、サヨナラ公演にうまく岡田レビウのきれいな美学がのった、イイ場面でしたね。

 ポスターが出たとき、「なぁんでこんな(フツーの)衣装なのかなぁ」「なぁんで芝居のポスターにしないのかなぁ」って思ってたんですけど、見てみて納得でした。あー、たしかにこのレビューは、サヨナラにふさわしい、目玉になるレビューだね。

 芝居もショーも、宝塚らしい正統さ、シンプルさで、わたるくんの男役の集大成を堪能させていただきました!