いまさら~ですが、書きたいので書きました。すみません。
・・・っていうか、書いても書いても終わらないんですけど・・・(遠い目)
しかも10000字制限に引っかかって、BOLEROのことが入らなかった・・・。あと二千字ぐらいで終わるはずなのにー!ちょっとはみ出すためだけに、もう一記事たてなきゃいかんのか・・・。
でも今日はもう眠い・・・。明日は中日劇場いくし、もう今日はここまでで寝る・・・。Ⅰって記事タイトル入ってますが、もしⅡがUPされなかったらすいません。(自信なし)
ネタバレ全開です。あと、キャストのことに具体的に触れられてません。(Ⅱを書けたら、そっちに少し入るかも)
【ハプスブルクの宝剣 -魂に宿る光-】
●懐かしのハプスブルクの宝剣
むかーし昔、「宝塚っていうの、見てみたあい」と思っていた十数年前。藤本ひとみ作品を断続的に読んでいた時期に、「ブルボンの封印」がタカラヅカになったって知って、「いいなあ。見たいなあ・・・」(←これは「見られるワケがないんだけどね」というあきらめの裏返し)と心中ひそかに思っていました。
なつかしい・・・。
なので、「ハプスブルクの宝剣」がラインアップで発表されたときは、楽しみとかそういうの以前に、感慨深かったですよ。
「ああ・・・。わたしは本当に宝塚ファンになって、こうやって原作モノの宝塚歌劇化をチェックしてリアルタイムで見られる身分になったんだなあ」と。
昔の自分に教えてあげたら、すごく喜ぶと思います。ベルばら見るたびにもコレは思う。おおげさだなーとお思いかもしれないですが、十代の頃のわたしにとって、タカラヅカってそれぐらい「遠い」存在だったんですよ。
というわけで、遠い昔に読んだハプスブルクの宝剣。読んだはいいけど、昔なんであんまり細かいこと覚えてなかったのであった・・・。
●景子先生・・・読みまちがってるよーっっ!
それで、原作の読み直しはせずに出かけた大劇場。
見てまず思ったのは、
「自分の居場所探しをして、ホントに具体的に居場所が見つかる話ーーーっ!!」
ってこと。
なんかイマドキの感覚だと、話の中で自分だの居場所だのを探すと、最終的にはグレーゾーン決着するのがデフォルトだと勝手に思っとったんですよ。
「トモダチもいる、居場所も微妙にある。でも、ほんとうの居場所は無いのかもしれない」
みたいなトコロに落とすもんだと思ったわ。
ラストがえらい大団円だったんで、ちょっとビックリですよ。(なにせ原作の細かい内容ぜんぜん覚えてなかった。)
まあしかし、気持ちのいい終わりかただったので、わたしは見た直後は結構満足してたんです。
で、満足してたからこそ、原作も買って帰るや、ソッコーで読み始め・・・。で、数十ページ読んだだけで、天に向かって叫んだーーーーーーっ!!!
「景子せんせーーーーーーっ!!ちがーーーーーーーーう!」
景子せんせい・・・原作のテーマを読み間違えてるよおおお(泣)
これ、そんな話じゃないし、エドゥアルトはそんなキャラクターじゃなああああいいいーっ!!
●エドゥアルトの孤独を理解してあげようよおー!
藤本ひとみは、マンガ原作とか少女小説とか、「ティーンに向けた競争市場」に身を置いていた方なので、小説のつくりも描写もとーっても親切ですよね。
「かもしれない」「ーという解釈もできる」
とかって議論をする間でもなく、読者が間違わないように迷わないように、ナニゴトもハッキリ書いてあるワケなんですよ。心理描写なんかも、これでもかと細かいんですね。
で、上巻から読みながら、
「ああああああ、景子せんせいはどうして肝心な部分を読み違ってるんだ!オチに誤解させるような何かがあるのかっ!」
っと、イライラを募らせていたところ、下巻ではついに、この小説のテーマがキッパリと語られている箇所が出現しました。文庫の323ページです。
すでにアンドラーシも手元にはおらず、金も地位も名誉もなく、戻る家庭もない。剣ですべてを築いたオイゲン公子は死ぬ前に、剣を持たずに祖国に帰りたいと言い残したが、エドゥアルトには、その故郷もなかった。彼はそれを憎悪し、自分の内から摘出したのだ。それなくしても生きられると信じ、生きていきたいと切望した。ユダヤの支配に対して、エドゥアルトはどれほど戦ってきたことだろう。そして今、打ち破られ、すべてから顔を背けて、何とか息をつないでいる。
自分の人生は失敗だったのだろうか。ユダヤ以外の者になりたいと望んだことは、誤りだったのか。ユダヤの中に落ち着き、あの屈辱と差別の因習を受け入れて生きていくことが正しかったのか。この敗北と絶望は、反逆の代償なのだろうか。あれこれと考えながらエドゥアルトは、眠りの底に引き込まれた。
下線は生意気娘Kによる。
眠り際のエドゥアルトのココロのつぶやきの体裁をとってますが、これ、作品テーマの「まとめ&解説」ですよね。ラストに向けての。
で、一番大事だと思うのは、下線引いた、
自分の人生は失敗だったのだろうか。ユダヤ以外の者になりたいと望んだことは、誤りだったのか。
のトコロだと思うんです。
こういう人生の苦みみたいなもの、景子せんせいの舞台からは全く取り除かれてたように思ったんですよー。
景子先生の脚本でみると、
「よかった・・・僕にはまだ、帰るところがあった・・・バンザイ」
っていうふうに見えるんだよー!原作、そんな単純なハッピーじゃないし!
うーん・・・。前々から思ってたけど、景子せんせいって本当にネガティヴなことが苦手なんだなあ・・・。ご本人、前向きな性格でいらっしゃるんでしょうねえ。(想像)
タカラヅカのためにわざと前向きな解釈にアレンジした(「確信犯だ」)とは、わたしは個人的には思わないです。景子せんせいの適性と得手不得手の問題だと思うな・・・。
まあ、なんかね。
舞台をはさんで、「クリエーター・景子せんせい」と思わず会話してしまった生意気娘Kでありました。
「景子せんせい・・・彼(エドゥアルト)が不幸だったと、どうして認めてあげないんですか?」
と、思わず問いかけてしまいましたよ。
なんか、タカラヅカ版はエドゥアルトがシアワセを得たみたいに見えるんだもん。あれ、違うと思う。エドゥアルトは最後まで不幸だったんだと思いますねえ。実力あって、篤い友情に守られて出世し・・・エドゥアルトの気持ちの持ちようによっては、とてつもなく幸福な人生だけど、でもエドゥアルトはずっと幸福とは感じてなかったじゃん。それが上に引用した「自分の人生は失敗だったのだろうか」っていう問いかけに結実してるんじゃんね。
実際、ユダヤ人であることで、いろんな心労が降りかかってくるんじゃんね。
彼は苦労したし、不幸だと思ってたってことを、もうすこし詳しく書き込んであげないのかなぁ、とわたしは思いましたねえ。
●エルアルコンと較べてみると
で、この小説は歴史小説だし、ユダヤとかの重いテーマも扱ってるわけですが、サービス精神の藤本ひとみが書いてるから、小説としての面白さの根っこは、キャラクター小説としての面白さだと思うんですよ。まあ、エドゥアルトありきじゃんね。そーゆー意味では、青池保子の「エル・アルコン」に近いとわたしは思っとります。
それでしみじみと、齋藤せんせいの「エルアルコン」を思い出して考えこんでしまいましたよ。
わたしは、齋藤版「エル・アルコン」は結構スキだし、偉そうな言い方だけど評価してます。あれは「アリ」だと思ってるんですよ。まあ時間の制約はあるにせよ、ティリアンっていうアクの強いキャラクターを中心に据えて、最低限、必要なエピソードは盛り込んだなーと。トウコちゃんが格別に上手かったってことを差し引いても、「作品にとってティリアンがすべて」ってところを貫いたのは良かったなーと思うんだよー。
エドゥアルトは、それに較べると描かれ方がフツーすぎて泣けてくるっ。
でも、一方で、こーゆー悪役(ヒール)的なアクの強いキャラはねえ・・・ほんらい主役になるキャラクターのカタチじゃないからー。真ん中に据えても、共感を得にくいとも思うんですよねー。エドゥアルトを原作に忠実に、存分に可愛げなく描きこんだとして、それで作品に対する好意を示す観客の数が増えるかっていったら、ビミョ~な気もしますな~!
●宝塚歌劇化がむずかしい人間関係
あ。それから、これ、たしかに宝塚歌劇化するには、難しいんだよね。原作だと、マリア・テレジアがエドゥアエルトと不倫(ていうか、両思い?)する話なんだよね。マリア・テレジアはユダヤ嫌い。だけどエドゥアルトに惹かれていて、でもフランツとは良い夫婦。最後にはエドゥアルトはじつはユダヤ人じゃなかった的なエピソードも出てきて、さらにさらに、エドゥアルトは最後にですね・・・。(このネタバレはさすがに言うまい。)
清くも正しくも美しくもない恋愛なので、どうやってタカラヅカ風にするかが難しいですな。景子せんせいが悩むのもよくわかります。
わたしは・・・個人的意見としては、フランツ&マリア・テレジアの夫婦愛のハナシにしちゃうのが一番、てっとり早いと思いましたけどねえ。主役をフランツにしちゃうんですよ。もともとエドゥアルトは主役向きキャラじゃないし。主演のちえちゃんも、腹黒?なエドゥアルトより、まっすぐで二枚目王子様なフランツのほうが似合うと思うんだよねー。
で、二番手をエドゥアルトにすればいいと思うんだよ。かなめちゃん、クールなエドゥアルト似合うと思うし。
ストーリーとしても、「やっぱりアナタが(夫婦が)大切」っていうふうに、うまくまとめられると思うんですよねー。だって原作の最後の最後は、マリア・テレジアが締めるんだし。エドゥアルトは原作通り・・・・・・・に・・・・・・されて・・・で、いいじゃんか。
なんか景子せんせい、歯切れが悪いというか、誤魔化し方がヘタっ。してみると、ベルばらで紳サマの「不倫?それが何か?」っていう開き直りと誤魔化しかたは最強だったんだなあ。やっぱりベルばらって面白いよ。うまくできてるんだよ。
●小池せんせいみたいだった。
作りとしては、
「あー。小池せんせいみたいな感動ミュージカルがやりたかったんですかね」
というね・・・。
シルヴェスター・リーヴァイさんの曲はステキだし、感動的にもりあがる場面がいくつもあって良かったとは思う。見てる最中はふつうに感動したんだけどさー。
見終わってから思ったのは、「感動が目白押しすぎる」 ということです。景子せんせいが強調したい場面(「ここ感動的でしょ!」場面)がわかりやすすぎるっ。たしかにイイ場面なんだけど、もーちょっと引いたほうが、具体的に言うと、感動場面の時間を少し削ったほうがいいと思うなー。そのぶんを、日常的ななにげないエピソードに振り当てて、メリハリがあったほうが、キャラクターに深みが出せるし、感動もいや増すと思うんだけどねー。とにかく、「感動しよう。感動させよう」っていうことを意識しすぎだと思ふ。
あと、もういっこ苦情をいうと(苦情が多くてすみません。)。
キャラクターをねえ、まあ脚本はさて置いて・・・演技の部分で、もうすこし景子せんせいが作り込みできる部分があるんじゃないかなーと感じました。景子せんせいの作品では、たびたび思うことなんだけど。演者たちの演技の方向性に、景子せんせいの意図が薄いなと感じます。なんかもっとこう、ストーリー解釈を揃えて欲しい~。上でゴチャゴチャ書きましたが、まあ原作と違っちゃっても、それは景子せんせいのクリエイト上の自由だし、いいからさ、舞台の上にもっとハッキリと景子せんせいの思想が行き渡るようにして欲しいなあと・・・。生徒さんたちが、それぞれに解釈したものを、もっと景子せんせいの演出家の目線で「すりあわせ」できるんじゃないかなーと思いました。
●イイところはポジティヴ
あ、でも、なんか・・・景子せんせいって家庭の感動シーンつくるのが異様に上手いですよね。家族シーン作らせるとピカ一だと思います。今回も家族っぽいモノやヒトが絡む場面は、えらい印象にのこる・・・。
あー・・・えーとね。わたしは自分が「イマイチな家庭」に育ったので、しょーじき、ああいうのはよくわからん・・・つまり「家庭って、そんなにイイですかあー!?」とか思ってしまうのですが。でも、そういう個人的感情を差し引いて客観的に考えると、景子せんせいは家庭ドラマっぽい場面は脚本上、いちばん盛り上がるし上手いと感じます。
あと、ポジティヴっぽい場面が良いですよね、景子作品は。今回はオルガの場面ですよねえ。
「私たちには、希望があるわ!!」
っていう、あそこ。この超ポジティヴ感。そーそー。景子せんせいは、こうこなくっちゃ。景子せんせい作品は、こういう前向きな場面がいちばんいいよね。ネガティヴ場面はハラハラしちゃうんだもん。
●余談
原作の「ハプスブルク~」を読んだら、なんか懐かしくなって、昔の藤本ひとみの少女小説を引っ張り出してきて読み直したりしました。数冊だけど持ってるんですよ。
愛にささげるトルソ―まんが家マリナ逃亡事件 (コバルト文庫)
マリナシリーズは、さいしょの方の巻のほうが圧倒的に好きなんですが、とりあえず出てきたのがコレ(「愛にささげるトルソ」)だったのでコレ読んだ・・・。
これって、流行ったの1980年代後半ぐらいじゃないですか?
わたしが小学校高学年~中学ぐらいの頃に、クラスメイトが読んでたような記憶が。わたし自身が読んだのは、ブームも一段落して、藤本ひとみも大人の小説に移行しつつあった90年代真ん中ぐらい(高校生ごろ)なんですが。
それで、今回の舞台みるまでスッカリ忘れてましたけど、わたしは何やかやと藤本ひとみのエッセイとかも読んでいて、作家としてのキャリアのこととか、藤本ひとみの人生の道のりの具体的なこともイロイロ読んであったんですよ。
ほんっとに忘れてたんだけど、今回、ハプスブルクの宝剣にふたたび出会って、舞台をみながら、過去に読んだいろーんなモノからの「藤本ひとみ情報」が脳裏をグルグルして、エドゥアルトっていうキャラクターが出来上がった所以みたいなものに思いをいたして、ちょっとしみじみした気分になったりしましたよ。
あとねえ、藤本ひとみと言えば・・・。
藤本ひとみのミーハー英雄伝 (G BOOKS)
っていう本があってねえ。藤本ひとみが、真摯かつ面白おかしく(これが両立するのが藤本ひとみの魅力だな。)、世界史に登場する英雄たちを紹介するエッセイ・・・?コラム・・・?なんだろう。なんか学習誌(Vコースだっけ?)で連載してたヤツの書籍化なんですよ。これ、のちに角川スニーカー文庫で文庫化したんだけど、わたしはこのノベルス版で1巻をたまたま古書店で見つけてですね、
「うーん。これは面白い!勉強にもなるし!」
(↑大学受験で世界史は勉強しなきゃな文系高校生だったんで)
と思って、ネット書店なんか無い時代だから、そこらじゅうの古書店&書店を探し回って4巻揃えたのを思い出します。勉強のお伴の読み物にけっこうオススメ。面白いです。高校生の方がココ読んでるかどうかわかりませんが、おすすめしときます。
そういえば、つい最近、職場で「なつかしのマンガ」みたいな話題が出てて、わたしの背中のほうで、
「なんかさー。中学ぐらいにマンガより小説はやらなかった?薄くてすぐ読めるやつ」
「シャルルっていうの、いなかった?」
「きゃー、シャルルー!」
「あれ、何て本だっけね?」
っていう会話が聞こえてきまして、わたしは、
「集英社のコバルト文庫で、80年代にヒットを飛ばした藤本ひとみの代表作ですよ。シャルルは白金髪の天才青年で、漫画家マリナシリーズに出てくるんですよ。
のちに一般文芸で『鑑定医シャルル』っていう大人になったシャルルのシリーズも書かれてますよ!」
見知らぬ遊戯―鑑定医シャルル (集英社文庫)
※「鑑定医シャルル」は、たしか「スタジオライフ」が舞台化したことがあったような・・・?
と、よっぽど解説して差し上げたかったですが・・・ココロの中にとどめときましたとさ。
うーん。わたし、けっこう読んでたんですねえ、藤本ひとみ。意外にファンだったのか。(全作読んでるわけじゃないし、そんな自覚なかったですけど・・・。)
あれっ。気付いたら一万字(ブログの限界)に近い・・・。
ボレロのことが書けなかったじゃないか!
ああああ、ひさびさにⅡに続いてしまう。(あとはボレロのことだけだけど。)