etceterakoの勝手にエトセトラ

「生意気娘Kの勝手にエトセトラ」は改題いたしました。カテゴリ「ブログ改題について」をご覧ください。

「コロッケの唄」はホントは歌詞が7番まであるらしいよ

2010年05月20日 | レヴューのトリビア

 「大須浅草三文オペラ」で、トリに歌われたのが超有名(と思われる)「コロッケの唄」でした。これは、「カフェーの夜」っていう演目の劇中歌として有名になったもので、面白おかしいコミックソングなんです。

 浅草オペラ関係で有名な曲ではありますが、「レヴューの王様―白井鉄造と宝塚 (1983年)」」で高木史朗せんせいが語るところによると、もともとは帝劇女優劇(川上貞奴とかの提案でできた、当時の日本で珍しい、女優による現代劇の公演)で歌ってた曲のようですね。それが「カフェーの夜」で使われて再ヒットしたってことらしい。

コロッケの唄


 CDキングアーカイブシリーズ「懐かしの浅草オペラ」収録されてるのは3番まで。(たしか大須浅草三文オペラの公演でも3番までしか歌ってなかった)

****************************

1 ワイフもらってうれしかったが いつも出てくるおかずがコロッケ
  きょうもコロッケ 明日もコロッケ これじゃ年がら年じゅう(ウィー)コロッケ

2 亭主もらってうれしかったが いつもちょいと出りゃ めったにゃ帰らない
  きょうも帰らない 明日も帰らない これじゃ年がら年じゅう(エーッくやしい)留守居番

3 さいふ拾ってうれしかったが 開けてみたらば金貨がザクザク
  株を買おうか 土地を買おうか 思案最中に(ハッハッハッハクション)目がさめた

※CDの歌詞カードから引用ですが、「アッハハハハハハハこりゃおかし」とかのコーラス部分は省略してあります。
****************************

 一方、高木史朗せんせいの「レヴューの王様―白井鉄造と宝塚 (1983年)」に載ってる歌詞は7番まであって微妙にちがう!
****************************

1 ワイフ貰って、嬉しかったが、いつも出てくるおかずはコロッケー
  今日もコロッケー、明日もコロッケー、是ぢゃ年から年中(ゲープ)コロッケー

2 亭主貰って、嬉しかったが、いつもチョイト出りゃめったに帰らない
  今日も帰らない、明日も帰らない 是ぢゃ年がら年中(マ随分だワ)留守居番

3 夜店ひやかし、おはち買ったが たった二十銭ぢや滅法界に安い
  家へ帰って、フタをとったら 安いはづだよ(アッしまった)底が無い

4 ちょいと紳士に、成ってみたいと 無理にさんだんして自動車借りて
  乗るにゃ乗ったが、ぢきに止まって 仕方なくなく(皆さんすみませんが手を貸して下さいな)エンサカホイ

5 晦日近くに、財布ひろって 開けてみたらば金貨がザクザク
  株を買うか、地所を買うか 思案最中に(ハクショーイ)目がさめた

6 英語習って、訳も知らずに チョイト西洋人にアイラブユーと言ったら
  急に抱きつき、顔をなめられ つけた白粉が(オーきたない)むらだらけ

7 私しや洋食が好きと云ったら 直ぐに呼ばれて、出されたものは
  牛の脳みそ足に尻っぽ 肝になめくじ(モウ結構です)豚の腸


****************************

 高木先生が本に載せているこの歌詞、白井鐵造が持ってたコミックソングの楽譜集に載ってたもんらしいです。それをみて、高木せんせいも「コロッケの唄は7番まである」ことを知ったそうです。

 まあ、浅草の小屋でかかった昔の曲なんて、いろんなパターンの歌詞あって、変化もしてそうですが・・・。それにしても、いまCDとして残されているものは、いかにも毒がないよね。7番まであるヤツのほうが、なんというか・・・浅草っぽい。(あくまでイメージですが)

 それにしても、こんな貴重な資料を白井先生が持ってらしたとは。この資料、宝塚歌劇団が受け継いでいたりするんじゃないの??だとしたら、宝塚レビューの現場は、なんて恵まれているんだろう!って思ってしまった。

 で、このコロッケの唄を作詞したのが益田太郎冠者ってヒトなんだけど・・・って話は次回につづきます。

★へえボタン★ 

浅草オペラを聴いてきたよ

2010年05月16日 | レヴューのトリビア

 ゆうべ、妹ふたりぶんの愚痴を一晩かかって聞いていたから、今日は眠いー眠いー!
 眠いけど、明日は星全ツ見に行っちゃうし、書き損ねたくないのでさらっと書きとめておきます。またちょっと書き直すかも・・・。

****************************

「大須浅草三文オペラ」っていう公演を見てきました。
セントラル愛知交響楽団と名古屋二期会のコラボレートで、懐かしの浅草オペラの楽曲をひたすら歌ってくれるっていう、わたしのための公演ですかこれは!みたいな。

 場所は大須演芸場。大須の下町風情の商店街にある、ちっさーいとこです。「小屋」って呼ぶのがぴったりな。2階は桟敷になってます。


 
 内容はこんなかんじ。
****************************
オッフェンバック/喜歌劇『天国と地獄』より「序曲」
ビゼー/歌劇『カルメン』より 
 山本みよ子 「ハバネラ」 
 石川保 「闘牛士の歌」
スッペ/喜歌劇『ボッカチョ』より
 森本ふみ子・石川保・鈴木俊也 「ベアトリ姉ちゃん」
 渕本晴都子 「恋はやさし」
 渕本晴都子・鈴木俊也 「トスカーナの二重唱」
プランケット/喜歌劇『コルネビーユの鐘』より 
 貞平純子「波をけり」 
 森本ふみ子・合唱「りんごの唄」
 夏目久子「わたしゃ公爵の」
アイヒベルク/喜歌劇『アルカンタラの医者』より
 貞平純子「恋のために」
 藤田桂子 「み寺の壁には」
オドラン/喜歌劇『マスコット』より
 藤田桂子・加藤智「グルグルベー」
オベール/喜歌劇『フラ ディアボロ』より
 加藤智「岩にもたれた」
オッフェンバック/喜歌劇『ブン大将』より
 水谷和樹・男声合唱「ブンブン」 山本みよ子・鈴木俊也・合唱「連隊の歌」
益田太郎冠者『カフェーの夜』より
 夏目久子・水谷和樹・合唱「コロッケのうた」
ヴェルディ/歌劇『リゴレット』より 鈴木俊也「女心のうた」

セントラル愛知交響楽団のHPからコピペ。
プログラムもらったんだけど、眠いので打つ気力がないよ・・・。
歌った順番は違うかも。
****************************

 いやはや、これらをナマで聴ける日が来るとは・・・。
 ナマで聴いて目から鱗なのは、コミックソングたちですよ。ベアトリ姉ちゃんって、あんなオモシロイ歌だったのか!!

 「笑い」って難しいよねえ。
 オペラだから劇中歌なわけで、ストーリーがあってこその笑いってこともあるし・・・。

 キングアーカイブシリーズ「懐かしの浅草オペラ」

 ↑このCDで、有名曲はひととおり聴いてったわけですが、コミックソングはねえ、当時を知らんヒトが聴いても、いまいち笑いドコロがわかんないんですよね。

「♪ベアトリ姉ちゃん まだねんねかい
  鼻からチョーチンを 出して
  ねぼすけ姉ちゃん 何をいってるんだい
  ムニャムニャ 寝言なんかいって
  歌はトチチリチン トチチリチンツン
  歌はトチチリチン トチチリチンツン
  歌はペロペロペン 歌はペロペロペン
  さあ はやく起きろよ♪」

って歌われても、なんかよくわかんないじゃないですか!
この曲に関しては、歌詞と曲だけではコミックソングなのかどうかもわからん。

しかしですねえ、今日、舞台で衣装つけて振付つけて歌ってるのを見たら、もーどっからどう見てもコミックソング!で、しかも笑える!!

 丸めがねつけて、アタマ・・・はチョンマゲ(?)、顔にはチョビヒゲ。衣装も変なら、姿勢も変で、すんごい珍妙な格好で3人が歌うんです。なんというか、ドリフみたいだったよ。

 喜歌劇ボッカチョって、どういう話なのかなあ。こんどちょっと調べてみようと思いました。いままでわたしにとっての浅草オペラって、あくまでも「レビュー史のついで」に興味を向ける程度だから、代表作の内容とか気にしたことなかったんだけど、けっこう面白そうだなあと今日はじめて思ったよ。

 今日の企画公演はよくできていて、ちゃんと劇団からやってきた演出の方がキチッと演出してくれてですね、さらに司会者(俳優さん)付き。曲の合間に、寸劇やトークで、浅草オペラについて説明してくれてます。劇場の性質もあると思うけど、あまり堅苦しくなくって、イベントっぽい雰囲気で楽しかったですよ。

 浅草6区興行街のことを説明するとき、レビューのレの字も出てこなかったのがレビュヲタ的には寂しかったですが・・・。(剣劇、マジック、寄席、見せ物・・・とかが例にあがってた)

 細切れに歌だけ聴いた限りで、「ブン大将」っていう演目はなかなか面白そうだと思いました。これ、宮沢賢治が故郷にかえって劇かなんかやったときに、参考というか影響を受けまくったものらしい。そう。宮沢賢治はペラゴロ(浅草オペラの熱狂的ファン)だったらしいよ。

 休憩時間には、出演者さんが駄菓子を席に配りにきてくれました。配ってくれた男性たちが、ドラゴンズタオルを首にかけ、ドラゴンズ帽子かぶってたのが、ほのぼのと可笑しかった(笑)
 舞台では「浅草にお連れしましょうー」とか言ってるのに、休憩時間にドラゴンズグッズをまとって現れては・・・ねえ(笑) 圧倒的に明らかに名古屋じゃんー!っていう(笑)

 最後の最後が「コロッケの唄」でした。やっぱこの曲はトリなんだねえ。

 ・・・もうだめだ。眠くてもたん。
 公演データを書き取っておこうと思ってたのに、眠くてムリ。今日はもう寝ます。おやすみなさいー!!

追記:公演データ

2010.5.15~16(計3公演)

セントラル愛知交響楽団(14名)
名古屋二期会(加藤智・山本みよ子・渕本晴都子・森本ふみ子・鳴海卓・石川保・貞平純子・藤田桂子・鈴木俊也・夏目久子)

司会:桑原博之(総合劇集団俳優館所属)
演出:右来左往
衣装:中矢恵子
照明:古川博
編曲:山本雅士


「植田紳爾せんせいが、マンガ原作をしたことがあったらしい」48へえ!

2010年03月24日 | レヴューのトリビア

「植田紳爾せんせいが、マンガ原作をしたことがあったらしい」48へえ!

ばらよ美しく咲け―宝塚スター物語 (1977年) (マーガレット・コミックス)」(南雲慶子・植田紳爾集英社より


※中古でまだ手に入ります。

******************************

 ベルばらブームの頃に、マーガレットに宝塚スター物語のマンガが連載されていたらしいですね。
 原作は我らが紳サマ・・・植田しんじ先生です。

 これ、お借りした資料で当時のマーガレットの「切り抜き」で一部を読ませていただいたことがあったんですが、まさかコミックスになっていると思いませんでした。

 わたしが子供のときに、親戚の家で読んだ漫画雑誌に「大浦みずき物語」が載ってたのが鮮烈に印象に残ってて、ソレをもう一度読みたいと思ってるんですよ。
 で、それどっかにないかなーと思って探していたら、大浦みずき物語はなかったけど、このコミックスを見つけたっていう。


 いわゆる「ベルばら四天王」をモデルにした漫画です。
 ざっと内容をご紹介ー。

****************************

榛名由梨「ばらよ美しく咲け」(初出:昭和50年 週刊マーガレット49号)
 ウエストサイドストーリーを契機に、自分の力を発揮することを覚えた榛名。
 つらい父との別れを乗り越えて舞台でスターとして輝く!
 努力の人「榛名由梨」の物語。


●安奈淳「ひびけ心に」(初出:昭和51年 週刊マーガレット9号)
 両親が宝塚ファンで、ものごころつくころから観ていた安奈。
 別科から音楽学校へ、そして入団。
 シャンゴは大変だったけど、大評判に。しかし彼女は悩んでいました。
 「追憶のアンデス」で演技の壁にぶち当たっていたのです・・・。

●鳳蘭「はばたけ世界へ!」(初出:昭和51年 週刊マーガレット16~17号)
 中国人社会で育ち、学校の友人たちに心配されながら宝塚へ入った鳳。
 ボーイフレンドを振り切り、見合いを断って宝塚の舞台に賭けます。
 緊張したパリ公演を成功させ、ベルばらフェルゼンが決まって張り切っている・・・っていう話。

●汀夏子「炎の妖精」(初出:昭和51年 週刊マーガレット51号)

 中学一年のときに宝塚にハマッてしまった汀。
 宝塚にあこがれを募らせていたある日、母が別科を進めてくれました。
 母に経済的な負担をかけることから気持ちに迷いがありましたが、「
宝塚の別科」のゲタ箱に自分の名前があるのを見ただけで胸は高鳴り、彼女は生き生きとレッスンに通うように。
 トップで音楽学校を卒業し、入団。母や祖母に感謝しながらスター街道へ!

****************************

 ・・・と、まあ、こんな感じです。
 単なるマンガとしてみると、いちばん面白いのはツレ様だな。
 ボーイフレンドとか出てきて、ストーリーに少女漫画としての華がありますな。

 音楽学校一日ルポとか、汀さんの宝塚語りとか、企画ページも読み応えありました。
 企画モノとして一本ぐらいはともかく・・・一冊のコミックスにできる分量、4本(ツレ様のは2回だからそれを2カウントにすると5本ですね。)にもわたって企画されたっていうのがスゴイなと思います。

★へえボタン★
 


ああ、タアキイ様!水の江滝子様の訃報について

2009年11月21日 | レヴューのトリビア

 ショックすぎて、ツイッターでつぶやくだけでは足りず、ブログにもソッコーで出てきてしまいました。ああ、わたしの憧れ、タアキイ様・・・!

 森繁さんや、大浦さんに関しても、ブログで面白い文章や書籍をいつものように紹介しながら、追悼の意をあらわしたいと思っていましたが・・・。なかなか思うように時間が取れなくて放り出したまま。

 タアキイ様のことも、このブログで功績や人生をざっとまとめて紹介したいと思ってます。浅草で撮ってきた写真も含めて。タアキイ様についてまとまった本は主に2冊だから、それ読めば全部わかるんだけど、わたしはwebというツールを使って、なるべく多くの人にタアキイ様のことを知ってもらいたい!と本気で思っちゃってるイタい人なので、近いうちに絶対書きます。

 全国初の断髪(宝塚より早い)で、男役の歴史を変えたターキー様。
 男役史上に、歌劇史上に、レビュー史上に燦然と輝く伝説のスター、水の江瀧子様!

 心よりお悔やみ申し上げます。

Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091121-00000509-san-ent

朝日新聞
http://www.asahi.com/obituaries/update/1121/TKY200911200510.html

毎日新聞
http://mainichi.jp/enta/music/news/20091121k0000e040019000c.html

サンスポ
http://www.sanspo.com/geino/news/091121/gnj0911210935010-n1.htm

共同通信
http://www.47news.jp/CN/200911/CN2009112101000107.html

時事ドットコム
http://www.jiji.com/jc/c?g=obt_30&k=2009112100099

nikkan
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20091121-568111.html

中日新聞
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2009112101000107.html

東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009112102000216.html

読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20091121-OYT1T00322.htm

スポーツ報知
http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20091121-OHT1T00063.htm


「日劇レビューの終焉はサラリーマン的首脳部が悪い!?」50へえ!

2009年11月07日 | レヴューのトリビア
「日劇レビューの終焉はサラリーマン的首脳部が悪い!?」50へえ!

日劇レビュー史 ―日劇ダンシングチーム栄光の50年」(三一書房/橋本与志夫)より

※この本の装丁は、日本レビュー衣装界の第一人者「真野誠二」さんによるものだそうです。

******************************

 実際のところ、何が悪いかというのはねえ・・・。わかんないですよねえ・・・。けど、この本には、「首脳批判」と取れる記述が幾度も出てきます。日劇末期のイマイチな戦略やイマイチなレビューは、「サラリーマン的」な東宝首脳部と現場が噛み合わなかったことも原因ではないか、と。

「東宝首脳部がもっとしっかりしていれば・・・」
「秦豊吉が設立したNDTの精神を忘れずにいれば・・・」


 NDTを観劇したことすらないわたしには、判断できないですが、言いたくなる気持ちはわかる。本を読んでみると、末期は想像以上にグダグダだもんねえ・・・。

 阪急東宝グループだから、もうすこし「伝統とレビューを大切に」してくれてるかと思ってましたよ。ベルばらでヒットを叩きだしたタカラヅカが例外だったんだね・・・。ベルばらがなかったら、タカラヅカも危なかったんじゃあ。
(無くなったとは思いません。阪急の神様、一三の息がかかった劇団だから、なくしたとは思わないけど、ベルばらでの盛り返しがなければ、「規模縮小」や「レビュー放棄」はあったかもしれないね。特に金食い虫の「レビュー」放棄・・・ありそう!おそろしやおそろしや!植田しんじ先生ありがとうー!)

 では、今日はオマケとしてNDTがミュージカル路線になるときの東宝からの発表文を読んでみようと思います。この日劇本に載ってるのを引用です。発表は昭和52年4月1日。

 「レビューからミュージカルへ! 日劇の公演形態転換について」

 日劇では昭和26年3月、第一回「春のおどり」を開幕して以来「夏のおどり」「秋のおどり」のタイトルのもとに、年三回グランド・レビューを定期公演し、有楽町名物として多くのファンから親しまれてきました。これらは何れも、日劇ダンシング・チームを主軸に、それぞれ時代の要望をいち早く先取りした構成によって、あまたの傑作シーンやスターを生み出してきたものです。しかしながら、近年、世界的な風潮としてのレビューの衰退は我が国に於いても例外でなく、これを打開しようと様々苦心してまいりましたが、スタッフや出演者の努力にもかかわらず、必ずしも満足すべき好結果を生んだとは言えません。ここに於いて、私どもは現状を厳しく受け止めた上で、更に新しい飛躍をめざすために、前記〝三大おどり〟公演形態を再検討し、根本的な方向転換を図る時機に至ったと判断した訳であります。そのため、しばらくの期間、レビューの上演を見合わせ、今後の企画の中心をミュージカルに置くことにいたしました。具体的なプランとしては、6月に木の実ナナ主演の「踊る幽霊船」、8月に岡崎友紀主演による作品を、そして11月には、現在ブロードウェイで大ヒットを続けている傑作ミュージカル「グリース」の上演を予定しております。これと同時に、日劇ダンシング・チームも従来の本質から脱皮し、踊り、唄のみならず、総合的な演技力を身につけた〝オール・ラウンダー・プレーヤー〟のミュージカル集団として、日劇を本拠に各東宝舞台縦横の活躍が可能なチームをめざして積極的な発展を念願しています。尚、本年度は団員の新規募集をひかえ、現在員に対するより一層の質の充実を図るためのレッスンに専念する方針ですが、その一応の成果をみた上で、将来新たなる団員を求めることといたします。レビューからミュージカルへ・・・・・・、日劇および同ダンシング・チームの新しい積極的な転換に際して、平素NDTを御支援いただいている各位の、十二分なご理解ならびにご協力をお願い申し上げる次第でございます。


 昭和52年4月1日 東宝株式会社 専務取締役 雨宮恒之

 これを読んだNDTのファンが、どんな気持ちだったか、察して余りあります。
「これと同時に、日劇ダンシング・チームも従来の本質から脱皮し、踊り、唄のみならず、総合的な演技力を身につけた〝オール・ラウンダー・プレーヤー〟のミュージカル集団として、日劇を本拠に各東宝舞台縦横の活躍が可能なチームをめざして積極的な発展を念願しています。」
って書いてるってことは、本質がレビュー劇団だってこと、よくよくわかってるんじゃんねえっ。

 NDT劇団員たちは、「NDTだけのレビュー公演を年一回はつくってほしい」とか、「ミュージカルでもなるべく踊りを多く」とか、要望書を出したようですが、首脳部の回答は「当分はとにかく、レビューはムリ」だったそうです。

 SKDの解散は平成8年だから、NDTはずいぶんと早い「脱落」だったということですね。(SKDは「浅草名物」というポジションで開き直った、という事情もあるようですが。浅草名物としての少々の「見物客」の入りが見込めたんですね。) 
 
 レビュー中止の発表が出てから、竜居竹之介さん(橋本さん同様、レビューに強い愛情を持つレビューファンだったそうです)という元日刊スポーツの記者さんが「NDT問題に寄せて」として、以下のような文章を発表されたそうです。日劇レビュー史の著者である橋本さんが、おおいに共感するとして、この本で紹介しているものです。

 日劇のレビューが消えるという。東宝側は、しばらくお休みいただくので、決してやめてしまうのではない、といっている。その間NDTメンバーは、日劇で公演するミュージカルなどに出て頑張って貰うのだそうだ。ステージショーのダンサーから、ミュージカルタレントへの昇格でもするかのような雰囲気である。しかし、一見親切心ふうの会社首脳部の言葉とは逆に、第三者の眼には、まずい撤退作戦というか、態のいいレビュー抹消策としかうつらない。レビューは客が呼べない、客が来ないから人気がない、人気が出ないから入団社も集まらない、人出不足だから華やかなステージが創れない、ぱッとしない作品が続くから客が来ないーーー確かに一つ悪く考えたら、日劇のレビューほどないないづくしもないものだ。けれどもちょっと待って欲しい。こんなことは昔からいわれ続けてきたことである。しかし、その度に東宝という会社は、一度だって真剣に対策を講じたことがあるというのだろうか。いつもズルズルと次の公演を開けることしか考えていなかったではないか。

(中略)

 ミュージカルへの転向という案も、東宝にしてみたら、おだて上げの切換え策のつもりだったのかも知れない。しかし現在のミュージカルの中で、最も恵まれないのがダンサーであることは、会社のお偉方以上に当のダンサーの方が百も承知なのだ。主役が虚名ばかりの若手歌手であり、脇役がロートルのスターで占められ、その面への進出の可能性が先ず無いことも・・・。現在のNDTが、レビューの、それも大踊りを対象とした集団であることは誰しもが認めるところだ。基本的にもまったくミュージカル・タレントへの全員移行など無理もいいところである。レビューを棚上げする前に、ないないづくしの中でレビューの可能性を考えることが先決ではないのだろうか。年に一回でもやってみようという姿勢もないことは、所詮雑誌でいえば休刊の名のもとに廃刊するのと同じことだ。まアサヨナラ公演を行わないということは、皮肉な目でみれば、やっぱり再開したいのだという暗示でもあろうか。ともあれ、このままNDTが、そして大踊りが消滅したら、それは世界的なレビュー衰退現象が原因とは決して思えない。やはり生みの親であった東宝が、愛児を自らの手で葬り去ったのだとしか言いようがないのである

   ※掲載は日刊スポーツのようですが、掲載月日は書いてないので不明
   ※下線は生意気娘Kによる

 ものっすごく、いろんなことを考えさせられる文じゃないですか?
 まあ、ミュージカルの主役が「虚名ばかりの」云々のあたりは、レビューファンの逆恨みってヤツで、気持ちはわかるけど、完全な同意はいたしかねますね・・・。

 態のいいレビュー抹消策、というのは、その通りだと思いますよ。東宝としても、レビューは赤字続きで、(経営者としては)早くヤメたかったんじゃないかなぁ・・・。

 まあ、そりゃもちろん、戦略や作品のマズさというのは、あるでしょう。
 しかしけっきょくね・・・。「レビューファン」という人種が日本中(あるいは芸能業界において)激減したことがいちばん原因ですよねぇ。昭和50年代になると、レビューという形態に愛情を持っている人(レビュー支持者)が、業界内にも東宝内にも少なくなった、と。レビューというモノをわかってる人が、どんどん減っている!というのが、レビュー衰退に拍車をかけたんじゃないのかなあ。理由はいろいろあると思います。娯楽の多様化(機器さえあれば無料で見られるテレビの登場)もそうだし、時代がストーリーのあるものに移っていったこともそうだし。

 レビューって、ミュージカルや歌劇以上に「技術と愛情」が占める割合が多いんじゃないかな・・・と思うわけですよ。ストーリーがあれば、それをヒット作から借りてきたりするだけで、華をつけたり、話題を作ったりできるけども、レビューにはソレがないわけだから・・・。曲の始まりがどうだとか、あそこのテンポがグッと来るだとか、そういうのって感覚的なノウハウですよね。それを継承できなかった・・・。(上層部の企画力を含めて)レビューを創る、という技術が、発展進化どころか存在を守るのに精一杯で、衰退の一途だったというね・・・。

 で、やった積極策が、お金をかけて海外のレビュー団から踊り子を呼ぶとか、ブロードウェイミュージカルをやる、とかね。「海外直輸入だぞスゴイだろう、どうだどうだ!」的なやり方は、昭和50年だと既に通用しないですよね。情報技術が発達して、海外情報がバンバン入ってくるし、海外はどんどん身近になっていったから。外国から踊り子が来て、すごいすごいと大盛況だったのって、東宝経営になる前の日本劇場がマーカス・ショウを呼んで当たって・・・って半世紀も昔のことですよ。レビューを海外からの輸入文化(輸入=すごい)という認識でいること自体が、古かったんだろうなあ。

 竜居さんのおっしゃる「レビューを棚上げする前に、ないないづくしの中でレビューの可能性を考えることが先決ではないのだろうか」は、まったく正しいと思いますが、それをやるだけの底力が、レビューという業界自体に、もう残っていなかったんだなあ・・・。(まあ、わたしも含めて、外野はアレコレ言うだけで気楽な立場ですが、創る側はいろんな制約があるしタイヘンだよね・・・)
 わたしが思う「底力」というのは、ある程度の数のことです。レビューを創りたい、と志す人(企画者、現場、上層部ふくめて)の絶対数です。かんたんに言うと、レビューに対して野心を持つ若いレビュー作家志望が少ない!ということですよ。

 まー、レビューってお金かかるし、野心があっても予算がなかったらどうにもならんわけで・・・。そのあたり、どうにもこうにも・・・。身勝手に「レビュー作家を増やしさえすればいいんだよ」とも叫べないのがツライところです。

 まあ、とにかくこうして日劇レビューの灯は消えてしまった・・・。
 いまのわたしたちにできることは、今あるレビューの灯を守ることですよね。
  
 レビューファンを含むレビュー業界におきましては(?)、レビューの伝統を守るだけじゃなくて、2009年に必要とされる、現代人が楽しめるレビューはどんなものか、未来型レビューってどんなものなの?っていうことを、夢想や空想でもいいから、すこしずつ考えていくことが重要だとわたしは思います。実現できなくてもね、そういう前向きな空想が、何かにつながると思うんですよね、うまくいえないけど。伝統芸能として、オーソドックスなものを残していくことも、もちろん大事だと思うんですけどね。

 これからも若いレビュー作家が育っていきますように。タカラヅカも、若手演出家には芝居の作家は多くても、レビュー作家志望らしき人がなかなか少なそうなので気をもんでるんですよ。タカラヅカの藤井先生とか、(退団したけど)荻田先生なんかは、そこらへんをすごく意識して考えてレビューを創ってくれてるな、という気がする。藤井先生は、若手で唯一、グランド・レビューを創る実力がある作家だと思いますよ。ぜひ予算をつけてもらって、いちど派手な作品をお願いしたいです。タカラヅカ100周年の折りにでも、どうですか劇団様ーーー!?

 なんかとりとめなく書き散らしましたが・・・。わたしは今から結婚パーティに行くので、とりあえずUPします。あとで読み直して気になる部分は加筆修正するかも。イキオイで書いてしまった。

 ★へえボタン★

「NDTだってミュージカル劇団を目指していた・・・らしい」75へえ!

2009年11月06日 | レヴューのトリビア

「NDTだってミュージカル劇団を目指していた・・・らしい」75へえ!

日劇レビュー史 ―日劇ダンシングチーム栄光の50年」(三一書房/橋本与志夫)より

※この本の装丁は、日本レビュー衣装界の第一人者「真野誠二」さんによるものだそうです。

******************************

 SKDだけじゃない・・・NDTもまた、ミュージカルこそが劇団再生の道だ、と信じていたワケです。(SKDも活動休止期間を設けてまで、ミュージカル劇団への変身をはかりましたが不評で続かず、けっきょく解散へ)
 安易な!・・・と2009年の世で勝手に怒るのはカンタンですが、じゃあ当時のNDTレビューがどうすればよかったのかって聞かれたら・・・わたしは回答を持ち合わせません。

 昭和49年にNDTがはじめて上演したミュージカルは「足ながおじさん」だったそうな。


 その後も、NDTは「最後のあがき」をしてるんですよ。
 昭和51年2月、アメリカはラスベガスからダンサーを呼んで、日米合同レビュー「ビバ!アメリカ」を華々しく上演。チケット代は3000円(普段より高めに設定したらしいです)。製作費は日米ともに2億円・・・てことは、計4億円!?4億円かけたレビューで勝負に出たっ!!
 ※ちなみに、これには「トップレス」の場面がありました。
 ※そしてアメリカから呼んだダンサーは、実力が「いまいち」で不評だったっぽい。総じてNDTメンバーのほうが踊れていた、とのこと。

 さらに翌年、昭和52年にはワールド・レビュー第二弾として「ボンジュール・パリ」を上演。これにはフランスのムーランルージュから踊り子を呼んでいます。もちろん呼び物はフレンチ・カンカンですね。前年のアメリカからのダンサーたちに較べると評判はまあまあだったようですが、けっきょくコレが大赤字のもと!

 もうダメだ!・・・という悲鳴が聞こえてくるようじゃありませんか。ああその先に待っているのは・・・待っているのは・・・。

 ボンジュール・パリの公演中に、「レビュー公演打ち切り」発表が出ました。

 日劇レビューの終焉ということで、スポーツ新聞などで大騒ぎだったそうです。

 しかし劇団首脳部は「いやいやいや。NDTがなくなるワケじゃないし。ミュージカル劇団になりますから。」という見解。芝居はイヤだといって、やめたダンサーもいたそうです。

 それでも残った劇団員たちは、東宝系の舞台に「脇役」として貸し出し(?)されたり、熱海のクラブに長期出張したり、あとは日劇の歌手芝居や歌手ショーの脇役ですね。ばら売りされて命脈をつないでいたそうな。劇団首脳も必死で仕事を探してきては、劇団員に仕事を作っていたらしい。ミュージカル路線っていっても・・・これでは単なるタレント事務所じゃんねえ。
(ブロードウェイミュージカルとか「NDTミュージカル公演」もちゃんとやってみたけど、赤字でダメだったっぽい。で、公演が打たれなくなって「個別売り」が多くなっていったと)

 それでも西川純代真島茂樹たちは、
「私たち、明日からやれといわれても、いつでも踊れるようにしています」
 と、自分たちでレッスン代を払って、訓練を決してやめなかったそうです。泣ける話だーっ。

 そして3年あまりが過ぎ・・・。

 昭和56年、日劇ビル自体の取り壊しが決まって「サヨナラ日劇フェスティバル あ々栄光の半世紀」で、個別売りされてた劇団員さんは久々に一同に会して華々しくレビュー上演。客入りは上々、ニュースにもなりました。しかしその時にはすでに相当劇団員が減ってて、人数が足らんかったらしい。OGまで出演してレビューが上演されたとのこと。

 どうやら、NDTに関しては、具体的な「劇団解散号令」はなかったようですね。レビューが終わり、団員さんは個別売りされていろんな仕事をするようになって、そのまま劇団としては「なしくずし的フェイドアウト」・・・なのかな。

 日劇の建物が消え、レビューが一瞬復活した「サヨナラ日劇フェスティバル」は、最後の花火ということで、あそこが一応の「終わり」の地点のような印象ですが。
 ただこれ、NDTのサヨナラ公演じゃなくて、「日劇」のサヨナラ公演ですからね。ここでレビューのサヨナラ公演を持てたのは、日劇が取り壊しになる瞬間に、まだ「ダンサー」が(OGの助っ人は要るけど)レビューできるぐらい現役で最低限の人数が残ってたという「幸運」ですよね・・・。運でしかない、ということです。(運やタイミングによっては、二度と日劇レビューは復活しないままフェイドアウトだったかも・・・)

 ミュージカル路線って何なんだろうねモヤモヤ・・・という気持ちを抱えたまま、この記事は明日、補足があります。

 ★へえボタン★


「昭和48年、NDTにラインダンスの無いレビューがあったらしい」85へえ!

2009年11月04日 | レヴューのトリビア
「昭和48年、NDTにラインダンスの無いレビューがあったらしい」85へえ!

日劇レビュー史 ―日劇ダンシングチーム栄光の50年」(三一書房/橋本与志夫)より

※この本の装丁は、日本レビュー衣装界の第一人者「真野誠二」さんによるものだそうです。

******************************

 日劇レビュー史、すごい資料です。年度ごとに上演作品がずらーーーーっと並び、作品ごとに概要(公演評のついてるものとないものがある)と、年度ごとの総括が書かれます。

 これを順に読んでいくと、レビューが斜陽になっていき、

お客さんが減る→予算がない→レビューにお金をかけられない→作品いまいち→ファン離れが加速

 の悪循環が徐々にスピードを上げていく様子が、手に取るように感じられて胸が痛いですよ。
 劇団への世間の関心が薄くなると、NDTを受験する人数がすごいイキオイで減っていって、さらに予算もないからたーいへん!

 で、昭和48年「日劇秋のおどり」にはラインダンスが無かった・・・!

 思い出してくださいよ!NDTといえば昭和11年の昔にNDT創設者の秦豊吉さんがラインダンスをしごきまくって売り物とし、日本レビュー界におけるラインダンスの地位向上にひと役かったというアノ伝説が・・・!

 そのNDTが、ラインダンスのないレビューを上演!!

 こ、これはいただけませんっ。ファンじゃなくても怒りますよ。わたしも本読んだだけで怒りました。由々しき事態っ!
 いちおー「駝鳥のラインダンス」っていうのが申し訳程度にあったんだけど、駝鳥のぬいぐるみをつけた男性8人がおどけて踊っただけだったそうな。

 要するに・・・人がいないのです!
 男女混淆レビューだから、女性はもともと劇団員の半分ぐらい。女性ダンサーをズラリと並べてラインダンスするだけの「(女性ダンサーの)人手」が足りなかったということのようです。なるほど女性が足りないとは・・・男女混淆レビューの落とし穴でしたな。

 NDTに人材が来なくなった背景には、NDTとレビューの斜陽ぶりのほかに、TVタレントのほうが圧倒的にカンタンで稼げる!という時代の流れもある、とこの本に書いてありました。

 レビュー団に入っても、最初は給料安いし、下積みがあるし訓練きびしいし、昭和48年にもなると、「容姿端麗でスポットライトに憧れる女の子たち」には他に多くの誘惑というか、選択肢があったということなんですねえ。

 日劇がラインダンスのない「おどり」を迎えた翌年の昭和49年、宝塚歌劇ではかの「ベルばら」が初演となります。ベルばらを契機に、タカラヅカはレビューの呪縛から抜け出して、歌劇・ミュージカルの劇団として新たな地位を築いてゆくんですね。こうして較べてみると、タカラヅカの幸運っぷりには改めて目を瞠る思ひですよ。

  ★へえボタン★

 ほんとは今日から「タアキイ」シリーズと「浅草」シリーズを書く予定だったのに、日劇本が衝撃的すぎて、衝動的にこっちを先書いてしまった。。。


「松本清張は「レビューなんか見てもしょうがない」と池波正太郎の誘いを断ったらしい」70へえ!

2009年09月30日 | レヴューのトリビア


「松本清張は「レビューなんか見てもしょうがない」と池波正太郎の誘いを断ったらしい」70へえ!

 中日新聞夕刊 2009年9月25日 連載「全身怨念作家 編集者の見た松本清張」より
******************************

 中日新聞に細か~いレビューネタが出てきましたよ。
 夕刊で佐野眞一が、松本清張についての連載をやっとるのです。清張がどんな性格かなんて、まったく知らんかったですが、読んでると・・・すごい。清張、いい性格しとるなぁ・・・。恐るべきヘンクツぶりです。(だからこの連載は面白いです。変わった人の話って面白いわ。)

 たとえば清張は司馬遼太郎をライバル視してて、納税者ランキングで司馬が上にいるのをみつけたら「司馬くんの本は最近あまり売れてないはず」とかって言い出したり、連載を持っている雑誌は真っ先に目次をみて、自分が何番目に掲載されてるか確認!とか・・・「全身怨念作家」とゆー連載タイトルにふさわしいエピソードがざくざく出てきますよ。

 で、25日は、清張は小学校卒業の苦労人だけど、同じような境遇を通った池波とずいぶん違う性格だった、つう話なんです。

 池波は「大学なんか行かなくてよかった。おかげで働いた金で、好きな映画見られるし、うまいもの食べられるし」って言ってるんだけど、清張は正反対で学歴コンプレックスがすごかったらしい。

 そんな清張が「西海道談綺」とゆー本を出したとき、
「池波さんの感想が聞きたい」
 と言い出したんですね。そんで編集者があいだに入って、池波正太郎が感想を送ったそうです。

 感想を送りついでに池波は、
「一度、私の育った浅草周辺をご案内します」
 と、清張を誘ったらしい。

 それに対する清張の回答は。
「浅草でレビューなんか見てもしょうがない」

 佐野眞一は書きます。

 清張にとって浅草は、自分とは無縁の遊興の巷でしかなかったのだろう。苦学力行の典型といえば聞こえはいいが、この余裕のなさは息がつまる。

 で、ここからは「性格的欠点」がある清張だが、優秀な編集者が彼のもとに集まったのは、彼にそれだけの「磁力」があったのだ、と結ばれて明日へ続くんですが・・・。

 浅草に誘われて、「レビューなんか」ってコトバがとっさに出てくるんだから、浅草のレビューの隆盛っぷりが忍ばれますねえ。

 清張さん、かたいこと言わんと見に行くと、レビューって面白いと思うよ?(←と、新聞の前で清張に話しかけた生意気娘Kであった)

 ★へえボタン★


新美南吉記念館と門付け萬歳

2009年09月21日 | レヴューのトリビア
 上の記事のつづきになっています(いちおう)。

 そんなわたしは、さいきん寝る前に昭和芸能史の本を読むのがシュミです。(しょーもない・・・。)芸能史になると、もはやレビュー関係ないよーな話がいっぱいですが、おもしろいです。特に「門付け萬歳」に興味しんしん。門付け萬歳って、漫才のルーツなんだってねえ。これ、有名な話なんですかね?わたし、知らんかったんですよ(「萬歳」を「漫才」と表記を変えて登場させたのが吉本興業らしい。)

 1970年代まではけっこう残ってたみたいだし、わたしと同年代でも、見たことある人は見たことあるんだろうなあ。

 正月に、鼓弓とか鼓を奏でつつ、めでたい歌を一節歌ったりして家々を巡りあるいた門付け萬歳。全国にあったそうですが、なんと現在の漫才(お笑い)の直接のルーツは尾張萬歳なんですってねえ。尾張!愛知県!
 住んでるとぜんぜんお笑いってカンジしないですがね、愛知・・・。

 特に知多の辺りが有名だったらしい、と読んで「なぬっ。尾張っ!知多っ!」と想像を巡らす日々を送っていたんですが、連休初日のおととい、たまたま知多の新美南吉記念館に出かけたところ、わたしの目の前にいきなり門付け萬歳ネタ登場。



 いきなり門付け萬歳に使う楽器の現物展示が目の前に!
 ど、どーしてコレ見たかったの知ってるの・・・?ああ、レビューの神様ありがとう!(これはレビュー関係ないけどね・・・)

 新美南吉が書いた童話の中に「最後の胡弓弾き」という作品があって、それが「門付け萬歳ネタ」なんですねー。

 「新美南吉童話集」がね、むかーしウチにあったんですよ。どこかから、もらったものだったと思います。それが、ケース入りで超分厚い&重いもんだから、我が家ではドアの押さえ道具として使われていたんですよ。(不憫な本だ・・・)
 当たり前のように、ドアの重しになっていたので、幼少のみぎりにはソレが本だという認識すらなかったわけですが、だいぶ大きくなって、
「これは本だぞ。読めるんじゃね?」
って気づいて、ひととおり読んだはず・・・。「最後の胡弓弾き」も入っていたと思うんですが、まったく記憶にありませんでした。

 それで昨日は本屋で新美南吉童話集を探して買ってきて読んでました。岩波文庫に入っとるんですね。

 ふむふむ。「手袋を買いに」はやはり名作だのう・・・。

 ところで、「ごんぎつね」に出てくる「兵十(ひょうじゅう)」っているじゃないですか。兵十はモデルがいるらしいですよ。「江端兵重」さんがモデルなんですって!(記念館に説明書きと江端兵重さんの顔写真があった)



 これは新美南吉記念館のそばの矢勝川。「ごんぎつね」の舞台と思われるところ。兵十はここで「はりきりあみを使って、お母さんのためにウナギをとっていた」んですねえ。

 矢勝川は堤防沿いに彼岸花がたくさん植えられていて、名物になっているそうです。



 たぶん来週がピークですね。今週は3割咲きぐらいだったな。

 新美南吉記念館、入場料が200円なのにけっこう充実した展示で良いところです。建物が地下にうまっていて(?)、面白い構造なんですよ。「なんとか記念館」は過去にイロイロ見ましたが、かなり印象に残る記念館のひとつでした。知多・半田って、けっこう良い観光地なんだなあ。子供時代に少しだけ住んでたことがあるんですが、知らんかったわ。

 と、知多観光は楽しかったんですが、こんなことをしているヒマがあったら、裁縫を練習すべきだ!と、きょう友人Nに会ってだいぶ反省したわたしであった・・・。新美南吉童話集を読んで喜んでいる場合じゃないっす!

八條篤子さんのお写真

2009年08月29日 | レヴューのトリビア

 昔のトリビア記事(古雑誌「戯場」に載った松竹笑の王国の広告について書いたもの。元記事はココ→「昭和十四年、松竹笑の王国は、モダン東京新名物だったらしい」 、にコメントをいただきました。

 なんと、この広告に名前が出ている音楽家の方のご親戚の方とのことです。うわあ。すごいー!

 八條篤子さんと、松川喜以治さんのお身内の方とのことっ!

 で、八條さんに関しては、紹介した広告に顔写真が入っているので、あらためてそれをUPしてみたいと思ったのです。



 これが八條さん。

 これは、雑誌内の紹介記事についていた、おそらくこの公演の場面の一部を写したと思われる写真。このなかに、松川さんも写ってらしたりするのかなーと思うとワクワクしますね!

 なんか、貼り方がイカンのか、PCからだとクリックしても写真が大きくならんのですが・・・。携帯だとすこしは大きく見られるようです。よかったら携帯で大きくしてじっくり見てみてくださいな。(ブログ左下にQRコードがついてます)


「植田しんじ先生は、ターキー様の大ファンだったらしい・・・!」90へえ!

2009年05月08日 | レヴューのトリビア

「植田しんじ先生は、ターキー様の大ファンだったらしい・・・!」90へえ!
 「づかファンの鑑」(鈴木田鶴子・著 潮出版社 ゼロ・ブックス)より

******************************

※けっこう前に書いてあったのに、UPするの忘れてたわ・・・。

 この本は、お借りして読んだのです。
 お、面白い!この本、超おもしろい!
 宝塚の内輪的~なファン本で、劇団関係者(OG・演出家)から、文化人、政界の人などなど、いろんな業界の人が語る「わたしの宝塚」な声を集めたものです。
 とにかく、出てくる面子が豪華なんだよー。読み応えあるねー!

 ぜんぶ面白かったんだけど、植田しんじ先生の「宝塚ファンとしての僕」っていう文章は、植田先生らしい歌劇への愛情表現いっぱいで、たいそうツボでございました。
 その中で、なんと植田せんせーは水之江瀧子様(ターキー)のファンだったとハッキリ書かれていたのに、たいそうビックリ!

 僕が宝塚を初めて観たのは、もう三十年以上も前のこと、戦後宝塚大劇場が昭和二十一年の四月に『春のをどり』で再開されたその年の八月、高木史朗先生の『人魚姫』を観たのが初めてである。もちろんそれ以前の戦前は松竹歌劇団、それもターキーこと水の江瀧子の大ファンで、人力車に乗り膝に赤毛布をかけられて国際劇場に観に行ったという記憶があるが、今回は宝塚の話なので省略する。
 ※下線は生意気娘Kによる。

 ひえーっ。ターキー様ファンだったんだ!
 どーりでわたしと趣味が合うはずだ・・・。この先ももう少し引用してみます。

 それ以来三十年、途中、早稲田大学に入学し新劇などにかぶれた時期以外はずっと宝塚を見続けてきた。もちろん、中学、高校が神戸であったという地の利を得ていたせいもあるが、よく学校をさぼっては宝塚通いを続けたものである。その頃は戦後のこと、娯楽といえるものはラジオ、映画しかなく、劇場も大阪歌舞伎座、朝日会館、大手前会館、神戸には八千代座という古い小屋が一つという、本当に数えるほどしかなかったのである。そんな世相と時代の中で、一年中美しく華麗な夢を与えてくれる宝塚という存在がいかに貴重なものであったかは、筆舌に尽くしがたいものがあった。本当にあの当時の敗戦日本に、色彩といえるものが存在したのは宝塚の舞台だけであったのである。 

 どうですか、この最後の文。「本当にあの当時の敗戦日本に、色彩といえるものが存在したのは宝塚の舞台だけであったのである。」って、大げさだけども、グッと来る文章じゃありませんか。

 まあ、植田せんせーがあっちこっちで書いたりしゃべったりしてる内容を総合的に考えて、「この方、タカラヅカ以外の歌劇やレビューも好きなんだろうなあ」とは思ってたんだよ。具体的に言ってしまえば、松竹系レビュー、好きだったんだろうなあーと思ってました。それに触れる時は、えらいデリカシーのない書き方をしてたりして、「これじゃ伝わらないよなあ。でも、悪気はなくて、本当に好意的に見てるんだろうなあ」と思ってましたよ。

 ハッキリ「ターキー様のファンだった」と書いてあるのを見つけるのは、嬉しいですねえ。ま、立場が立場だけに、タカラヅカ以外の歌劇に関して、表だって具体的に語る機会は少ないんだろうな。植田先生の著書二冊読んだけど、(タカラヅカ本だから)そんな記述はなかったはずだもんな。

 植田先生の作品を見れば、レビュー時代の少女歌劇黄金期への懐古と誇りがあふれてるのがわかりますもんね。サービス精神旺盛なときの「洋風うえだ歌劇」(ベルばらも含めて)には、オープニングやフィナーレに、すごくしっかりレビューを入れてますしねえ。

 「芝居」の作家をやってますが、植田先生って今日び数すくない「レビュー信奉者」にして、古きよき純朴な少女歌劇の大ファンなんだと思いますよー。この本に収録された植田せんせいの文章からは、レビューと歌劇に対する愛情をヒシヒシ感じて感動しちゃったよ!

★へえボタン★


「ムーラン・ルージュの風刺は税金とか大臣とか!」69へえ!

2009年04月16日 | レヴューのトリビア

「ムーラン・ルージュの風刺は税金とか大臣とか!」69へえ!

キングアーカイブシリーズ「ムーラン・ルージュの灯は消えず」
引用はすべて、このCDの歌詞ブックレットより
******************************

 「歳末ブギ」は、こんな感じ。以下一部を引用します。

 忙がし 忙がし とにかく忙し
 商店売出し 会社はボーナス
 役所は宴会 電車はストライキ
 仕方がないから テクテク歩いて
 税金納めて あゝしんど!


 曲調といい歌い方といい、あきらかに笠置シヅ子様の買い物ブギを意識しているけど・・・曲をパクッてパロディにしてるわけじゃなくて、いちおー別の曲だな。作詞、作曲は山本浩久。何年の作品かは不明です。戦後編に入ってるから、戦後なのは間違いないけど。

 歳末ブギの「税金納めて あゝしんど!」は、ぬるいほうで、税金とか大臣とかの風刺ネタでは、もっと一曲まるまる風刺な曲があるよー。

 タイトルっから税金が出てくる。その名も《猫と税金》税金ネタのコメディなのだ!

・猫がデモ(!)をして騒がしい。
・猫いっぴきごとに税金が課されることになりそうなのだ。
・そのデモを聞きながら、大蔵大臣夫人と病院長が会話。
・院長「大臣から依頼を受けて、猫をねずみ算式に増やすクスリを開発したのです!」
・注射一本で猫が多産になる。(そうすると猫の頭数が増えて、猫税の収入が増える、という企み)
・院長「それなのに畜生のあさましさ、すっかり誤解をしましてな、あのようにデモったりしておりますのじゃ」
・夫人「ほんとにねえ。税金を払うのは飼主の人間さまときまってますですのにねえ、おほっ」

 で、締めくくりは司会者(?)が、「なるほどなるほど、猫に税金・・・・・・まったく、どこかの国の大臣に教えてやりたいようなグッド・アイディアですなあ」で終わります。

 ほかにCDに収録されている中では《そうじゃない・そうじゃない・わからない》っていう小品が、「GHQ」とか「関東配電」とか「三鷹事件の真相は」とか、「(電話かけて)総理大臣を」なんてフレーズ満載で、全編これ風刺です。
 
 伊馬春部さんは解説文で、吉行エイスケなどの文人たちが脚本を寄せたことをあげて「つまり〝初めに文芸部ありき〟である」と書いてます。

・商業主義に煩わされることなく、文学青年の同人誌のように、それぞれ自由に書きたい放題ができた。
・(自由ゆえに)テーマは「満州事変以来の非常時態勢下のもと抑圧された小市民の反撥」になった。そのための風刺であり、現実逃避のための朗笑だ。

 そして観客はインテリ層で、それを理解して喝采する、すばらしい循環だったそうなんですね。

 ★へえボタン★


「ムーランルージュの演目は・・・ダジャレもパロディも最高!」79へえ!

2009年04月15日 | レヴューのトリビア

「ムーランルージュの演目は・・・ダジャレもパロディも最高!」79へえ!

キングアーカイブシリーズ「ムーラン・ルージュの灯は消えず」
引用はすべて、このCDの歌詞ブックレットより
******************************

 ムーランの演目、CDにおさめられた細切れ歌曲を聴くだけで、
「こ、これは面白い!ていうか、わたしのツボにストライクすぎる!」
 と思った。大ファンになっちゃったよっ。

お気に入りポインツ
・ハイカラで明るい楽曲(外国志向の軽音楽)
・ストーリーが複雑すぎない
・泣かせるところはベタベタで
・笑わせるところは、これでもか!
・風刺、皮肉を練り込んだ笑い。
・ダジャレが最高!

 うん。そうなの。笑いのオチがねえ、わたしのツボを狙い打ちなんだよね!

 たとえば、こんなダジャレ。

 CDに収録されている《お経の合唱》より。(青字は引用です。黒字は要約)

 お坊さんがお経を上げるだけのストーリーです。
①結婚式でお経をあげーの。
②つぎはお葬式でお経をあげーの。
「やれ、花嫁さんのお次は仏様か。なんと忙しいこっちゃ」
③お経をあげ終わる。

合唱:なんまいだ、なんまいだ・・・
小坊主:和尚様、お布施です。
和尚:おうおう、お布施か。どれどれ、チョッと軽そうじゃな、開けてごらん。
小坊主:はい、一枚ー、二枚ー、三枚
和尚:なんまいだー
小坊主・コーラス:おしまいだー


 和尚さんが「(お布施は)ナンマイダー(何枚だ)ー?)」と尋ねて、小坊主は一枚、二枚・・・と数えて札がなくなったら「おしまいだー(お経の調子で)」。

 はっきり言って、これ最高じゃないでしょうか!(真顔)
 こりゃ面白いね~。ウケただろうね~。こういう、くだらなーい罪のない笑い、大好きなんですよねえっ。

 わたしのツボに最もヒットしたのは《歳末娯失譜(やりくり バラエティ)》の曲たちだっ。

 引用してみます。
 「きよしこの夜」の曲で歌ってみてくださいよ(笑)

 きよしこの夜

 苦しこの暮 欲しい物ばかり
 すくいの神は 現れそォもなく
 越すに越せぬ おゝ晦日ー


 ジングルベルの替え歌もヒドイ(笑)
 
 ジングル・ベル ジングル・ベル
 金がない
 貴方も私も 金がない!
 ジングル・ベル ジングル・ベル
 金がない
 貴様も俺も 金がない!


 そして、最後は「ジングル・ベル ジングル・ベル 金がない ないないづくしの年の暮ー」で終わるんですよ。ああ、腹抱えて笑ってしまう~(笑)
 くだらない!くだらないけど、面白いんだよっ。曲が明るいので、聴いてるとスゴク笑えるんですよねえ。(字だけじゃあんまし面白くない・・・?)

 歳末娯失譜はもう一曲収録されてて、それは「歳末ブギ」というんです(笑)

★へえボタン★


「舞台の定番、芝居+ショーの組み合わせはムーランの発明?」91へえ!

2009年04月14日 | レヴューのトリビア

「舞台の定番、芝居+ショーの組み合わせはムーランの発明?」91へえ!

キングアーカイブシリーズ「ムーラン・ルージュの灯は消えず」

******************************

 平井賢さんの解説からまだまだトリビアが!
 宝塚歌劇はもちろん、演歌歌手の舞台興行ナドで定番の、

 一公演を芝居+ショウの組み合わせで!

 っていう形式は、ムーランルージュが定着させたものなんだそーです。
 平井さんの解説から引用してみます。

 幾多の名優、珍優や歌手を生み、数多い名作を残した優秀な作家を育てはぐくんだムーラン・ルージュ。
 ドラマとヴァラエティー・ショーの組合わせは、四十余年前のムーランが創作した公演形式である。これが現在の美空ひばり、三波春夫、江利チエミ公演に受け継がれている。思えば斬新な企画だったものである。ヴァラエティーという言葉自体も、ムーランが初めて使い出した言葉である。当時、「ヴァリエテ」というドイツ映画が、大ヒットしていて、それからヒントを得て、山本浩久氏が名付けたといわれている。


※四十余年前のムーラン・・・レコードは1974年に出て、解説も当時のものなので、1974年の四十余年前です。

 オドロキだよね!
 「ヴァラエティー」って言葉も、ムーラン発だというんですよ。

 まあ、「芝居+ショウ」の組み合わせというのは・・・ムーラン以前にも当然、存在はしてたと思うんですよ。探せばあると思います。
 ただ、当時の宝塚のプログラム見てると、3本立てとか平気であるし、踊りばっかりのこともあるし、「芝居とショウの二部立てで行くぜ!」という意志はまだ芽生えてないんですね。この解説が言いたいのは、

「芝居とショウの二本立てを、『意識的に』やって、それが広まっていったのはムーランがキッカケなんだよ」
 ※追記:すいません。「二本立て」とは限らなくて、複数本立ても入れてのニュアンスかも。芝居とショーをいっぺんにやるっていうのが新しかった?

 ってことだとわたしは解釈します。
 座席数500の小さな劇場だし、時代が時代だから、いまと違って「全国から詰めかける」ような興行ではなかったと思いますが、東京に住んでいる文化人がいっぱい見ていたから、クリエイティヴな業界に、影響力があったんでしょうねえ。

 どんな人が見てたか、このCDの解説書に出てくる具体的人名をひろうと・・・。

・志賀直哉(熱中して毎公演並んだ時期があった)
・菊池寛(よく2階席にいたそうな)
・吉屋信子(よく2階席にいたそうな)
・新居格(わたし、この方を知らないんですが・・・)
・斎藤茂吉(ムーランを詠んだ歌があるらしい)

 さらに「学生」・・・っていうと、当時はすごいインテリ層ですよね?・・・がすっごく多くて、学生さんが軍事教練の帰りにムーランによって、ダンシングチームに声援を送っていたそうな。学生が多いことといったら、六大学それぞれの席がおのずから決まっていたほどだそうですよ。すごいねー! 

★へえボタン★


「ソーラン節を広めたのは新宿ムーランルージュだった!?」85へえ!

2009年04月13日 | レヴューのトリビア
「ソーラン節を広めたのは新宿ムーランルージュだった!?」85へえ!

キングアーカイブシリーズ「ムーラン・ルージュの灯は消えず」

******************************

 ムーラン・ルージュの曲やオペレッタを収録したCDが、「キングアーカイブシリーズ」から出ましたね。このアーカイブシリーズ、新聞で記事になった時から「何が入るかな♪わくわく!」と、ヨダレたらして待ってましたが、まさかムーランルージュのレヴューが入るなんて!(感激)

 インテリが愛した新宿ムーランルージュ。文人たちが熱い思いで書いた台本の数々がいまよみがえる・・・!(←そうゆう売り文句はキングレコードが考えるから、ただの視聴者は黙ってろって!)

 そんな音源、よく残ってたな・・・と思ったんですが、1974年にレコード録音したもののようです。そりゃそうか・・・。さすがにライブは残ってないわな。

 で、ついてる冊子には、思い出話がついてるわけですよ、関係者の。すごいです。知らなかったことがざくざくと・・・。

 順番に行きます。まずはこのCDにも収録されているソーラン。解説書いてる平井賢さんがおっしゃるには、ソーラン節はムーランルージュの「にしん場」というオペレッタで使われたことで、全国区に有名になったんだというんですよ!すご~い!(でも本当かいな・・・?)

 CDには12分20秒にわたって、この「にしん場」のオペレッタが収録されてます。

・舞台は積丹(シャコタン)半島
・漁師たちの会話(要約できない・・・。けど、ニシン漁に関わる男達の葛藤を表現した、明るくもシンミリした内容。)
・ここでソーラン節を唄う
・今度はこの街の女が出てくる。
・女は先代親方の子を産んだ秘密を持つ。
・父娘のシンミリした会話
・人生いろいろあるけど、明日もニシンの群れが来るぞ!
・ヤーレンソーラン♪ソーラン♪


 演歌歌手の舞台で、いますぐ使えそうです。ぜんぜん古くない。いや・・・古いは古いんだけど・・・なんつうか、普遍的??なので、いま聴いても

「うわっ!さすがに古っ」

 ってカンジはしないですねえ、どの作品も。NHKのステージショウって、今でもこういう感じだよな~。しかもみんな、演技うまいっっ。戦前編と戦後編の二枚組になってて、戦後編はほとんどが当時の出演者そのまんまのキャスティングらしいです。(戦前編はさすがにムリだったそうです)

★へえボタン★