「モンパリ東京公演の前夜、モンパリより西洋的なダンスで喝采を浴びた一団があったらしい!」 67へえ!
「日本芸能史7 近代現代」(芸能史研究会編/財団法人法政大学出版局)より
※タイトル通り、芸能史の本です。
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大阪ミナミに「河合ダンス」って一団があったらしい。
たぶん、花街の置屋さんだったのかな?河合幸七郎とゆーお方が、
「芸妓が在来の三味線と舞扇だけに執着していては時代に遅れます。」
と、なんと大正11年の新聞で語り(進んでるよねー。大正時代にねー。)、お抱えの芸妓さんたちを訓練して、バリバリの西洋直輸入ダンス舞台を見せたらしい。大正13年1月に帝国ホテル演芸場でデビューして好評で、7月には大阪松竹座でも公演。翌年から毎年、帝国劇場で上演したそうな。デビューの演目は「コサックダンス」 「タランテラ」 。
・・・タランテラ!?
まもなく始まるコム様の退団公演とおなじ、タランテラー!?この時期に、たまたま読んだ本に「タランテラ」って演目が出てくるとわ・・・縁を感じるなぁー。
出演する芸妓さん自らが欧米に出向いて、本場のショウを見てきたらしいよ。(踊り子自体を洋行させるってのは珍しいよね。)で、ダンスだけじゃなくって、アコーディオンとか、珍しい楽器、音楽も持ち帰って、芸能界に西洋の息吹ふきこんだんだそうな。
引用してみます。
宝塚とは一味違った舞姿を掲げる雑誌『河合グラヒック』を見ていくと、現代でもけっこう通用するシーンが目に付くであろう。
だって。よほど斬新だったんだねー。
昭和3年1月、帝国劇場では「クレオパトラ」「アメリカで見た日本の踊り」「ミヤーチカ」など、13種類のプログラムを上演。(小品集なのかな)好評を得たと。それが「モンパリ」東京公演の前夜だったんだそうです。
そうか・・・とにかくこの時期、西洋の文化が一気に流入してくる時期だったんだね。その流入品のひとつが、レビューだったと、そういうことなんでしょうね。