etceterakoの勝手にエトセトラ

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星組「さくら 妖しいまでに美しいおまえ/シークレットハンター-この世で、俺に盗めぬものはないー」Ⅰ

2007年04月30日 | 宝塚歌劇

容赦なくネタばれしております。
夜中にねむい頭で書いたら、いつになく熱くなって評論色が強くなってしまった(ような気がする)・・・。すいません。今回だけということで、勘弁してやってください・・・。
夜中はダメだ、夜中は・・・。

引用文献
「マンガはなぜ面白いのか その表現と文法」(夏目房之介/NHKライブラリー)ココ(ヤフーブックス)
「テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ」(伊藤剛/NTT出版)ココ(ヤフーブックス)
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【さくら 妖しいまでに美しいおまえ】
●ポエムなタイトルに意味無し
 野暮を承知でツッコミますけれども・・・。「妖しいまでに美しいおまえ」って、ほんっと意味のないタイトルだよね・・・。谷せんせーの、さくらに対するイメージのキャチコピーなんだろうけど・・・。なんか、逆効果な気がするぞ。タイトルが饒舌すぎます。内容が手堅く作られてなかなか良かっただけに、惜しい。「舞踊詩 さくら」にしときゃよかったのに。「妖しいまでに美しいおまえ」ってフレーズを思いついちゃって、使いたかったんだろうなあ・・・。気持ちはわかるけどね、「ポエム」というのは、使いドコロを間違えるとたいへんに間抜けなので、自制したほうがいいと思うぞ。歌詞もセリフもポエム爆裂な木村せんせーだって、タイトルはシンプルじゃんか。文学部をお出になって、幻想路線がお得意な荻田せんせーは、タイトルかえってシンプルでしょ。タイトルってのは象徴なんだから、饒舌すぎるのはよろしくないと思うぞ。(まあ、饒舌さを逆手に取る手もありますけど、そーゆー凝ったワザは、センスのある人が自覚的にやるもんですよね)このフレーズは主題歌だけにしとくほうが良かったと、わたしは思いますけどね。

●だって耽美じゃない・・・
 だってさー。べつに内容、耽美じゃないですよね。むしろコミカルじゃんか。幻想的な場面、さくらが舞ううつくしい場面はありますけど、決して耽美ではないですからね。まあ、敢えて日本語を選ぶなら「きれい」じゃないですか「妖しいまでに美しいおまえ」というより「みんな大好き綺麗なさくら」ですよね。さくらの描き方としては、しごくフツー、しごくまっとう。このショーのいいトコロは、まったく奇をてらっていないところだと思いますからね。

 あんまり変わったことしてないからサラサラと見られるし、演出は手堅いし、わたしのなかで谷せんせーの株が上がりまくりましたよ。「さすがはベテランだなあ」と思いましたもん。人の出し入れとか、たいへん手堅い。凝ってないけど、きっちりとメリハリがある。
 まあさあ。「さくら」というモチーフが嫌いな日本人はほとんどいないワケだから、さくらをテーマに持ってきただけで、大有利なんですよ。チョンパでの幕開きとか、華やかな日本モノ群舞とか、あのへんは見て不愉快に思う観客、いないですから。それ以外のシーンでこそ、谷せんせーの資質が問われるわけですな。で、ズバリこのショーに対する好き・嫌いの分かれ目はそこになるんじゃないですか。具体的にいうと、芝居になってる2場面ですよね。ひな人形がどーたら、ってトコロと、オペレッタ狂言花折りですね。

●コミカルシーン
 芝居ふうになっているところは、いずれもコメディになっております。
・ひな人形が自分たちの季節が終わるのを憂えて、五月人形を攻撃(?)する。
・花見を題材にした狂言。
 ・・・わたしは面白いけど、これは「くだらない」「ふるい」「たるい」「つまらない」という意見もあると思うぞ。この2場面を好きになれるかどうかが、このショーの評価の分かれ目でしょうね。
 ・・・パリ空のときも思ったけど、「笑い」というのは、ずいぶん時代を反映するのよね。植田せんせーと谷せんせーの笑いは、やはり古いですからねえ。何がどう古いのか、と言われると、いまパッと思いつかないんだけど。世代間で笑いのツボには、ずいぶん違いがあるように思います。この辺はもっと材料あつめて考察すると面白いかもしれんね。わたし、もともとあんまり「お笑い」に興味がないもんだから、いままでその辺は深く考えたことなかったけど。機会があったらまた考えとくわ。

 しかしね。このショー、技術点(演出力)は高いと思いますよ。客観的に見て、ソツなくよく出来たショーだと思います。わたしは、高得点出せますね。まあ、得点が高ければ万人にとって「良い作品」かというと、そこは難しいところで、好き・嫌いはあるでしょうけども、好き・嫌い抜きでジャッジして、わたしはこれは高い点数をつけられるショーだと思います。そしてわたしは、このショーとっても好きでした。一番好きだったのは、山村若振付の「竹灯籠」ね。次に好きなのが狂言「花折り」(笑)花折りは、とよこちゃんの芝居込みでのランクだけども(笑)

 でも谷せんせー。狂言はねー・・・。今日びウケないと思うよ?だって知らんもん。狂言なんか見たことないもん。そういう態度がいけないのだ!これだから若いもんは・・・と叱られそうですが、フツーに暮らしていたら、狂言をたしなむ機会なんか普通無いっすよ。知らないから、見る側としてのイマジネーションが膨らまないというか・・・ちょっと身構えちゃいますよね。想像できないですから。(歌舞伎はまだ、映像が想像できるもん。)文化にはそれぞれ「文法」があって、楽しみ方のコツというものがありますから、狂言に関しては、その笑い方になじみのある観客はすくないように思うのよねえ。(誰にでも面白い、というのはありえないですからね。「笑う」ということに関しては特にそうだと思う。TVのバラエティやお笑いだって、それを見慣れた人以外には、アピールしないでしょ。わたしははじめてTVのバラエティ番組を見たとき、どこで笑えばいいのかさっぱりわかりませんでしたからね。)それはもう、しょーがないよね。

 谷せんせーが今回狂言使ったのは、どういう意図なんでしょうねえ。

①笑いといえば、狂言だと思った。
②狂言路線の歌劇を後世に残すことも必要だと思った。
③「舞い込んだ神様」を見て、狂言のすばらしさを思い出した。

 フツーにご自分がお好きで、ナチュラルに導入したのなら、「ご自由にどうぞ」と申し上げて終わりですが、もし「狂言の面白さを伝えたい」という意図がチラッとでもあるのなら、まあ一回じゃダメだよね。これから機会あるごとに狂言を織り込み、ファンに狂言の面白さを刷り込んでいただきたい。たとえ最初は宝塚FANに「またか!」とそっぽ向かれようと、メゲちゃダメです(笑)啓蒙活動は一作にしてならず、ですよね。啓蒙、布教というのは、やり方に工夫も必要ではありますが、何より根気ですよ、根気!
【シークレット・ハンターーこの世で、俺に盗めぬものはないー】
●タイトルから見てみましょーか。
 じゃー、芝居もね。タイトルから見ていきましょーかね。
 こっちのタイトルも、びろろろーんと長いですけど、こっちのは「さくら」の副題とはニュアンス違いますね。キャッチコピーじゃないんですよね。キャッチコピーじゃなければ、じゃあ何なのかっていえば、連載マンガの副題だとわたしは思うのよ。連載マンガでは、シリーズや読みきりごとに、こーゆー副題ついてますね。マンガの副題というのは、アオリ文句じゃなくって、単に「これは前回とは違う話だぜよ。どーゆー話かっていうと、まあ副題を見てくれ」っていうモノですよね。マンガっつーのは往々にして、たとえ続く予定のない読みきりであっても・・・さも続くかのように、つうか、いつでも続けられるような設定で描かれていたりするのよね。

 というわけで。児玉せんせーがマンガ・アニメ世代だっつー話は(共通認識として)さくっと省略して、わたくしは具体的に、児玉せんせーがマンガの技術のどーゆートコロを宝塚に導入しているのかを(シロウトなりに)見てみることにいたしますですよ。長いわクドいわ、引用あるわなので、おひまな方のみお付き合いくださいマセ。

●「マンガ」が嫌いな方へ。
 わたしが小中学生のころは、まだ新聞に「最近はいい大人が電車内で堂々と漫画を読んでいてみっともない」なぞという投書が載ったりしておりましたな。あれから十五年。マンガで育った子供がガンガン大人になり、いまやマンガは老若男女の娯楽読み物・・・と言いたいところですが、まあそういうわけでもありますまいよ。「マンガ」という単語に、嫌悪しか感じない方、または「何がいいのかさっぱりわからん」という方もまだまだたくさんおられませう。ちなみにわたくしの母上もそのタイプ。まずは漫画の読み方というのがわからないらしい。どーゆーふうに読み進めていくのか、コマを追う順番がわからないらしーですわ。まあ、読みなれていないと、そうだろうなあ・・・。

 今日はマンガ論を参照していきますのでね。本題に入る前に、すこしだけ「マンガが嫌いな方」に向けて書かせてください。
 ご存知のように、わたくしは少女漫画の愛好家です。で、宝塚FANが「宝塚ってすばらしい」と叫んでも、ふーんと世間に冷たくあしらわれがちなのと同様、(漫画FANの)わたくしが「漫画ってけっこうスゴイんです」と叫んでも、「ふーん」とシラケられてしまいそうなんですけどねえ、や、マンガってほんとにスゴイ表現文化なのよ。昨今、「アキバ系」なる単語がクローズアップされて、世間がいろんなこと言ってますけど、そーゆーのは切り離して考えてください。「マンガに熱中する現象」は、社会学あたりで、また別の研究があることと思います。そーゆー「現象」は切り離して、わたしはココで、「マンガ」という表現形態そのものをアピールしたいのよ。
 ・・・こんなとこで自分ヒストリーをやるのもアレなんだけど、マンガってけっこうスゴイんだな、と思ってもらいたいので敢えてmyエピソードを開陳するんですが。わたくしは十代前半まで、筋金入りの文学少女でございました。この世でもっともすぐれた読み物は文学であると信じ、軽読み物やマンガは、見向きもしないどころか、たいへん低くみておりました。文学の優位を信じる、まことにイヤな文学少女だったのですねえ。(あのころのわたしは、マジ筋金入っとったわ。今なんてずいぶん軟派になったもんだなー。しみじみ)
 で、まあ。いろいろ理由はあったんだけど、要は「自分の文学絶対主義はヤバいんじゃないか。偏りすぎじゃないかね。」と自分でちょっと気づいたこともあって、十代後半にあわてて世間で流行ってるモノをまとめ読みした時期がありまして。それと平行して、少女マンガのなかでもレベル高い、24年組と呼ばれる少女漫画を「発見」してしまい、ガガーン!としょっくを受けたのでした。それを機に少女漫画に傾倒し、ハヤリモノから古典までいろいろ読んでみた結果、なにげなく雑誌で読み捨てられる恋愛漫画のなかに、ひじょーに高度な、それこそ「こーゆーの文学で読みたいんですけど」みたいな、高度な心理表現がなにげなく転がっていることに、わたしは気づいてしまったのじゃ。まー、いま特に文学は斜陽だしー。真に文学らしい表現は、文学よりも漫画のほうがたくさんあるんですよねえ・・・と、気づいてしまったのよ。
 はい、みっともない語り、おわりー。
 えーと、ちょっとは伝わりましたかね。とにかくね、漫画ってスゴイんだよー。文学(小説)なんざ、負け負けですから。表現できる事柄が幅広いうえに、これだけ広く手軽に読まれて、多様なジャンルがあるっていうのは、ほんとスゴイことですわね。そしてたしかに、漫画という技術・・・まあ、評論の世界では「漫画というメディアって言い方をするんだろーけど、それはカタいからここでは「技術」と呼ぶんだけど・・・漫画という技術は、画期的な発明品だと思います。

 長々と余談すいませんでしたね。はい、話を戻します。「シークレット・ハンター」です。 
 では、今回は特にわたしが気づいた何点かに絞って、シークレットハンターを見ていきましょう。

●①漫画は連載される。
 漫画という文化の大きな特色のひとつは、雑誌連載が中心だ!ということだと思います。まー、細かいこと言うと、若者がお金かける一番の対象がケータイになってから、漫画雑誌は売れなくなって、漫画の収益はほとんど単行本から上がってるんだとか・・・そーゆー実情はあるけど、ともあれ「書き下ろし」は例外というべきで、漫画は基本的には雑誌で連載し、人気を取らねばならんのですね。人気を取らねばならん、といのがミソです。小説だって、雑誌や新聞に連載があって、人気・不人気はそりゃあるけど、マンガの比にはならんと思うよ?だって、小説の連載打ち切りって、あんまし聞かないもん。新聞小説が不人気なので3ヶ月で打ち切りになりましたーっていう話は聞かないし、逆に人気があるからとて、予定を超えてロングラン連載になる話も聞きません。・・・漫画は、打ち切られまくりです。しかも突然スパン!と切られるよね。どんな大スペクタクルロマンも、打ち切りの前には、ウルトラ尻切れトンボでの収束を余儀なくされます・・・。や、わたしね、ひとつキョーレツに印象に残っている打ち切りがありましてね。戦う少女モノが流行りはじめた時期の少女漫画で、タイトルは忘れたんだけど、とにかく女の子がダイヤモンドを集めて冒険に出る話なんですね。こーれが、言っちゃあナンだが、一話目から面白くなかった(笑)もっと言うと、ひとコマ目から面白くなくてね(笑)「ひとコマ目のこのセリフはマズイだろう。導入としてちっとも面白かねーぞ!(笑)」と、かえって興味深く読んでいたら、2、3ヶ月目でいっこダイヤがみつかり、それから2、3ヶ月後には急にまとめて残り6個全部のダイヤが見つかり、翌月最終回(打ち切り)となりました(笑)漫画を読んでいると、打ち切りなんかめずらしいもんじゃないけど、あまりに具体的でわかりやすい打ち切られぶりだったので、「これぞ打ち切り!」と、わたしのなかで印象キョーレツな打ち切りでしたわい。あ、話がそれてる・・・。

 で、シークレットハンターだけどね。(それた話が戻ってます!のしるしに、ちょっとデカい字にしておこう・・・)
 非常にテンポよく進むんですね。ちょっとシリアスな会話が続くと、スッと歌が入ったり、敵がせめてきたり、場面を「引く」んですね。「つぎ、どうなるんだろう!!」って、引っ張るんですよ。こーゆーの、連載漫画を読み慣れた人間には、たいへん快感です。連載漫画は打ち切りがあるんですよ。打ち切りを決めるのは、読者アンケートの人気投票です。だから、漫画は小説にくらべ、刹那的な快楽を提供する技術が、特に磨かれてるんですよね。主人公ピンチ!次回に続く・・・です。たとえその翌号、待っているオチがくだらなくても、それは構わないんです。読者に「次号どうなるんだろう」と思わせることが大事なんですね。もうすこしいうと、マンガというのは、ページを構成するうえで、ページをめくらせるということを意識して作られているんだそーですね。あまたある連載のなかで、ちゃんと読者の目を引いて、なおかつ途中で視線を放されないよう、ページ単位でも読者を引く努力がなされてるんですね。テレビのバラエティ番組にたとえたほうが、わかりやすいかな。CMのあいだにチャンネルを替えられてしまわないよう、いいトコロで切って引っ張る・・・とか、そういう努力ね。TVは漫画に近いかもしれませんね。映画、小説は(どちらかというと)作品全体を俯瞰しての「評価」になりますが、TVや漫画は瞬間瞬間が勝負なんですよ。書き終われば名作かも・・・では意味はないんですね。ちゃんと瞬間瞬間で読者を引いて、アンケートの結果を残していくことが求められます。全体で見ると破綻気味でも、「面白い」「名作」と呼ばれている漫画作品はいくらもあります。漫画は破綻を恐れません。ただ、イキオイを失ってはいけない。シークレットハンターは、そういう文化のなかで漫画が磨いてきた展開の引っ張り方に、とっても近い感覚で書かれていると思います。児玉せんせーがそれを意識してやってるとは思えないし、まあ、連載漫画の「面白さ」というのが、児玉先生のなかの「面白さ」のひとつの標準の形になってるんじゃないかと思うんですね。こーゆーのを「マンガ・アニメ世代」って言うんでしょーね。

●②漫画のコマは平行した時間を表現できる。
 シークレットハンターで、わたしが「うわ!これは漫画だ!」と思ったシーンはたくさんあるんだけど・・・一番わかりやすいカタチで出ていたのは、ダゴベールが相棒に言われて、正装・仮面着用でパーティ会場に入り、赤いドレスの女を探すトコロです。
 場面自体は、宝塚お得意の華やかなパーティシーン。
 それでも、わたしには漫画に見えた(笑)

・ダゴベール(とうこちゃん)が、パーティ会場をうろうろしている。
・舞台装置のうえから、セルジオ(ちえちゃん)が、赤いドレスの女だ、と説明する。
・ダゴベールはパーティ会場をさまよいながら、目の前にいないセルジオに「赤いドレスの女なんかたくさんいるよ!」と毒づく。

 このシーンです。
 場面を眺める視点・・・中心は、もちろんダゴベール。で、ダゴベールはこの場面で、セルジオから「指令」を受けています。しかし観客が眺めているのは、指令を受け終わって、すでにパーティに潜入した場面。

①セルジオがダゴベールに指令を伝える。
②パーティに潜入して女を探している。

 このワンシーンには、2つのエピソード、2つの時間が折り重なっています。
 漫画を読みなれた方には、主人公ダゴベールがパーティの風景をバックに、セルジオの指令を思い出しながら毒づくコマ割が脳裏に浮かぶのではないでしょうか(笑)
 わかりにくいですかね??
 まあ、漫画・・・とくに少女漫画がお好きな方はよくご存知だと思いますが、少女漫画っつーのは、コマが切れたり、変形したり、フェイドアウトしたりするんですよ。場面を四角く切り取るだけじゃなくて、コマがフェイドアウトすることで、時間の経過や回想をあらわします。my母上が「どう読み進んだらいいかわからない」とのたまうゆえんですね。

 以下、「マンガはなぜ面白いのか その表現と文法」(夏目房之介/NHKライブラリー)、第12章日本マンガの特徴 からです。

 また〔図12-6〕のように、本来時間を分割するはずだったコマをてんでんばらばらにすることで、時間のない時間、錯乱した状態を表現したりします。あるいはコマの枠が消えていってしまうことも、しばしばです。〔図12-7〕。前章で述べたように、時間分節の働きを緩めた分、空白の部分に何かを語らせようとするのも特徴的です。
 言葉と絵が近いこと。時間分節が緩くなって、空白に意味が与えられること。いささか乱暴に特徴をまとめると、そういうことになります。もっと乱暴にいいきってしまえば、時間的なものと空間的なものが、すぐに交換できるほど近いところで交わっているともいえます。

 図なしで、文だけ抜き出すとわかりにくいですかねえ・・・。

 マンガのコマ・・・枠線は場面、時間の区切りを表すんですが、それを逆手にとって、コマの線をあいまいにすると、あいまいな時間を表現できるんですね。たとえば回想に心をとらわれる(現実の時間は静止する感覚)だったり、昨今すくなくはなりましたけど、現実の空間を離れて想ひをつづるポエムとかですね。

 マンガは、あえて「時間通り」に進めない、という演出があるんですね。ふたつの時間を同時に表したり、時間の経過を突然戻したり。小説じゃー、できません。いや、厳密にいえば、文章のテクニックとしては可能です・・・が、小説として、それは機能しない。

 じゃー、例をやってみましょう。シークレットハンターのその場面。(ル・サンクないんで、セリフはテキトーです)ちょっと書いてみるよ。

■時間どおりに進む芝居
セルジオ:「赤いドレスの女だ」
ダゴベール:「そんなのたくさんいるぜー!?」
==ここで場面変わってダゴベールはパーティへ==
ダゴベール:「ほら、やっぱり赤いドレスの女なんかたくさんいるじゃないか。セルジオのやつめ・・・」

 これがフツーじゃない?
 セルジオと会話する場面(時間)と、パーティで毒づく場面(時間)を、物理的に分けています。

 すいません、この記事Ⅱにつづいとります。→ココ


星組「さくら 妖しいまでに美しいおまえ/シークレットハンター-この世で、俺に盗めぬものはないー」Ⅱ

2007年04月30日 | 宝塚歌劇

Ⅰ(ココ)から続いております。長くてすいません。

■小説で回想形式にする
 ダゴベールはセルジオに言われた通り、パーティに正装でもぐりこんだ。華やかな男女が踊り狂う風景を眺めながら、ダゴベールは毒づく。
「赤いドレスの女なんか、たくさんいるじゃないか・・・」
 仕事は令嬢の誘拐で、赤いドレスがターゲットだという。

 ほら、「文章としては」可能なんですよ。
 でも、もしこれを本当に小説にするのであれば、この文章の前に、セルジオとダゴベールが、実際に会話する場面が入ると思うんですね。そーゆーの無しで、いきなり誘拐現場でのつぶやきだけで、読者が主人公が受けた指示を知る・・・っていう展開は無いと思うのね。小説として、それは唐突すぎると思うの。
 小説は基本的に、時間通りに進むんですよ。時間通りに行かない場合、ことわりが入ります。「時は戻るが」とか「時間を巻き戻して」とか。江戸川乱歩の「黒蜥蜴」では、

 さて読者諸君、作者は、ここで舞台を一転して、今までこの物語に一度も現れなかった一人の女性の、不思議な経験を語る順序となった。

 つー文章がありましたね。時間どおりいかないところで、作者が「ここからは時間どおりじゃありませんよー!」とわざわざ解説している。
 しかも、これだって場面が入れ替わっただけで、異なる時間をワンシーンに重ねて描いているワケじゃありません。

 漫画というのは、先にも書いたように激しい人気商売で、あんまり字が多かったり、読みにくかったりして、敬遠されるとマズイ。それで、飽きさせないようにする演出努力というのが、すごく磨かれたんだと思うんです。2場面を一気に処理する方法・・・時間を突然巻き戻したり、現実で起こっているコトと回想の時間を同時に処理したり・・・漫画は自由自在です。

 それから登場人物に対する、読者のポジションとも関係があると思います。
 漫画は、カメラアングルがばんばん切り替わって、いろんな人物を「見せて」いきます。一方で、われわれは主人公のすべてを見せられているワケではない・・・。
 小説・・・特に「近代小説(文学)」は、独白っつーか私小説っつーか、主人公の視点で、主人公の心理変化をねちねち見せるんですね。読者は、すくなくとも主人公については、こーゆーことがあって、あーゆーこと考えてて・・・って、共感できるできないは別にして、主人公の手の内はほとんど見せられているんです。
 なんでかっていうと、それはまさに小説が「活字である」=ビジュアルがない 存在だからです。主人公がどんな人間か、というのを表現するのに、セリフや行動で示すしかないからです。ビジュアルがないんだから、性格に差がなきゃ、キャラ立たないでしょ。必然、どーゆー人間なのか、内面や性格の描写をねちねちすることになります。
 漫画は、ビジュアルがあります。
 物理的な「絵(デザイン)の描き分け」で、キャラクターの識別はできるんですよ。内面紹介をしなくっても、髪型がちがえば、どれが誰だかわかるんですな。

 漫画を読むとき、わたしたちは主人公を「指標」として物語世界を楽しみますが、主人公を客観的に眺めるポジションも維持できるんですよ。それは目の前に、ヴィジュアルとしてのキャラクター画が存在して、それがしゃべっているからです。隣に人がいてしゃべっているのと同じで、わたしたちは彼ら・彼女ら(漫画のキャラクター)の中身を知らないまま、主人公の物語を他人事として楽しむんです。
 読者・作者の視点が、漫画において近代小説と決定的にちがうのは、他人事として主人公を笑い飛ばす、第三者の視点があるトコロだとわたしは思うの。
 それはまさに、漫画が漫画たるゆえんで、というのは・・・。

●「漫画」の源流は風刺だよね。
 漫画、と言われて、やれ「のだめカンタービレ」だ、「NANA」だと、ストーリーマンガだけを思い浮かべるのは、ある一定の年代以下なんじゃないでしょーか。ある世代にとっては、教科書についている「絵解き」や「図解」も漫画であるし、アニメを指して漫画という世代もあるし、また滑稽な風刺画をサッと思い浮かべる方もあろうかと存じます。
 「テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ」(伊藤剛/NTT出版)から引いてみます。

 そもそも「マンガ的」という形容は、現在でも「荒唐無稽であること」「発想がとっぴであること」という意味で用いられている。
 「漫画」の語は、現在の辞書では、たとえば「①大胆に省略・誇張して描き、笑いを誘いながら風刺や批評をこめた絵。戯画。→カリカチュア ②絵または絵と台詞によって表現される物語。」と説明される(『大辞林 第二版』三省堂)。私たちにとって馴染み深い「物語を語る」マンガは、語の第二義に登場する。たしかに歴史的には風刺画・批評画のほうが先行するうえ、現在でも風刺マンガなどコママンガを「正当な」マンガとする勢力は残留しており、それは政治的にある程度の影響力を有している。

 日本の「MANGA」がスゴい、コンテンツ産業として今アツい、などという文脈で語られるとき、それはほとんどストーリー漫画のことを指しています。手塚治虫をカンフル剤にして、日本のストーリー漫画は飛躍的に発展しました。
 でも、漫画っていうのは、伝統的な(?)風刺画・・・たとえば、新聞に載っている風刺ひとコマ漫画みたいな・・・ああいうのの要素っていうのを、とーぜん抱えているんですよ。つうか、漫画というのは、もともとそういう技術で、それに壮大な物語や深いテーマをくっつけて進化したのがストーリー漫画ですわね。

 えーと、わかりにくいよね。具体的にあげておきましょう。
 また「マンガはなぜ面白いのか」からです。

 マンガのなかの言葉が、発語する人物の心理状態や、音声なのか内面の言葉なのか、回想なのか超越的なナレーションなのかによって、吹きだしや囲みの意匠を変えるのは、マンガにとって重要な表現上の約束です。これが読者にわかるように描かれていないと、作品の物語構成を読み取るときに大変な混乱を生じます。
  (中略)
 こうした発語体系の成立によって、まず我々はマンガの中のセリフなどの言葉が、どんな心理状態で発語されるのかを感じとることができる。と同時に、言葉がどんな場所から発せられたものかを識別できます。作品内人物の現在の発語や思いなのか。あるいはナレーションや解説という作品の外からくる言葉なのか。
 つまり、話の内部にいる登場人物の発語、または思い、回想、あるいはそのシーン(コマ)にあらわれない人物の話の外からの回想、作者ないし超越した場所からの解説など、いくつもの位相から言葉がマンガ作品に入ってきているということです。
 さくらももこ「ちびまる子ちゃん」でよく使われたナレーションによるつっこみは、成長したまる子自身(ほぼ作者自身)のつっこみともとれるし、それ以外の何者かによるものにもとれます。〔図7-7〕テレビアニメだと男の声になっているので、後者のニュアンスが強いですが。

 下線は生意気娘Kによる。

 この本は図による具体例が多くて、わかりやすいんですが・・・。図のない引用でもわかる??伝わる??
 図7-7とは、ちびまる子ちゃんの・・・これは、遠足に行く巻だよね。収録は4巻じゃなかったかな・・・6巻・・・?ヒトケタ巻ですよ。なつかしいですね。バスにのって出発前、まる子が隣の男子を見て、

まる子:(あーやだな・・・ わたし・・・忘れてたけどこいつのとなりだったんだ・・・)
男子:なんだよ ジロジロ見るなよ
ナレーション:そんなこと 読者だって 忘れていた

 っていうシーンです「ここには2層の時間が流れている」と、夏目房之介は解説します。
層①:まる子と男子が遠足に向かっている時間と、
層②:後生(?)なのか天の声(?)なのか、まる子たちがいる時間とは別の時間的ポジションからのツッコミ
 ですね。さらにいうと、このコマを読むとき、読者は「まる子」と「男子」と「ツッコミ(ナレーター)」の、3ポジションを自在に切り替えてそれぞれの立場を「読んで」います。どれに肩入れするでもなく、それぞれの立場からのセリフと、そのズレを「こっけい」なものとして楽しんでいる・・・これは批評画・風刺画の流れをくむ「漫画」ならではの表現、楽しみ方でせう。小説には、これはできないね。

 で、星組「シークレット・ハンター」に話を戻して・・・。シークレット・ハンターには、そういう意味での実に「漫画的」なシーンがありましたな。あそこです。えーと・・・チエちゃんがカラダを張って、暴漢からとうこちゃん&あすかちゃんを守るんだけど、とうあすカップルが去ってから、チエちゃんはケロッとして、暴漢たちも「てへっ」って表情になって、じつはコレお芝居なのでしたあーちゃんちゃん♪ってトコロ。あのオトシ方は、まさに漫画。観客が、主人公より早く、オチを知ってしまうんですよね。あそこだけ、視点が瞬間的に変わるんですよ。主人公視点じゃなくて、物語を客観的に眺める「神の目」・・・作者のポジションに、観客の視点がバシッと切り替えられるんです。そこからうまれるものは「こっけい」・・・風刺です。本気になって逃げていった主人公の「こっけい」をわたしたちは楽しみます。じつに「漫画的」だと思いません??

価値観の話。
 今回わたし、感心しちゃったセリフがいくつかあるんです。

・苦労はしないにこしたことはない
・どうしても生きていくのに不器用な弱い人間だっている

 ズバリのセリフは忘れたけど、なんかそんなニュアンスの。
 ・・・この辺は、けっこう今の20代で感じている人、多いんじゃないかと思うんだけど。まあ、世間じゃ言えませんけどね(笑)「苦労すればむくわれる」とか「若いころの苦労は買ってでもしろ」とか、苦労を美徳とする価値観は、正論であるだけに反論できませんからねえ。「生きていくのに不器用な人間もいるんだ」って意見も、「努力することが大事だよ!」っていう正論の前にはヨワい(笑)
 まあ、苦労が大事とか努力が大事とかゆーのも、ひとつ価値観として、そりゃアリでしょう。ただ、苦労すべてが報われるかというと・・・実際には、ねえ??「一将功成りて万骨枯る」ってコトザワもありますしねえ。特に昨今、そーゆーの問題になってますからね。ほら、「希望格差社会」(山田昌弘/ちくま文庫)とかね。※社会派なうえに、宝塚とぜーんぜん関係ない本なので、あえてヤフーブックスリンクは貼りませんよ。よく売れた本だから既読の方も多いだろーし。

 児玉せんせーの実際の年齢は存じ上げませんが、「あー同世代なんだな(価値観が)」というのが、なんとなくありました。ま、べつにだからどーだというのは無いんだけど、ああいう価値観(意見)って、たぶん世間に埋もれているだけでけっこうあると思うよ、ってことです。で、それを舞台で扱った児玉せんせーに、ちょっと拍手だね。まあ、世間じゃなかなか正論に押されて言いにくい意見だけに、こーゆーかたちでさらっと織り込んで表現するのは、イイことだと思うよ? 

●新世代登場!
 まーいろんな意味で、児玉せんせーはニュージェネレーション(←演出家の)だなと思いましたよ。マンガ・アニメ世代であること、「高度経済成長」の価値観であること、などなどね。
 マンガの影響については、セリフの使い方だとか、キャラクターの立て方だとか、ちゃんと考察すればもっと面白いもんが出てきそうですが、2回見ただけのシロートのわたしには、今回ハッキリ見えたのはこのぐらいかな。ほかにもおぼろげに気づいた点はいくつかあったんだけど・・・全部やってるといくら字数あっても足りんので、もう今回はこの辺で。また別の機会に、何かに絡めて語りませう。(←いらん!頼んでない!)

 児玉せんせーは、たしかに批評っつー観点でみると、かなり面白い「素材」だと思います。児玉せんせーの作品をどう評するかというのは、ひとつ「今後の宝塚にどうあってほしいか」を知る手がかりになるんじゃないかな。

 マンガの影響ってのは、一長一短ではあるのよね。マンガはすばらしい技術ですけど、だからといって、宝塚歌劇に「マンガ」の技術、ノリを導入することはイイことなのかどうか・・・。宝塚歌劇を大衆の娯楽として扱うのであれば、こーゆー俗っぽい進化というのは、歓迎すべきことだと思います。が、宝塚歌劇は「守るべきものがある(あんまり流されたらマズイ)」という意見も一理ある。

 それに、宝塚はやっぱり、三世代そろって楽しめるのが理想だと思うんですね。児玉せんせーは、「マンガ文化を嫌悪する」・・・たとえばウチの母のようなヒトには、「ついていけない」部分もあるんじゃないかな。若い人のほうだけを向いて作るのが、はたして望ましいことなのかどうか、とか。

 だからといって、変化や進化を「宝塚はつまらなくなった」「ろくな演出家がいない」と斬って捨てるのもねえ、感想や好みでそれ言うならいいけど、ヒョーロンとしてはそれってどーかと思うし。
 それからヒョーロンの世界では(宝塚の話じゃないです。一般論として。)、新しいモノが出てくるとバッと飛びついて「これを評価しなければ出遅れる!」みたいな「雰囲気」でのヒョーロンてのもあって、それはわたし、感心しないんですね。まあどっちみち、完璧なジャッジなんかありえないんだから、古くても新しくても自分の考えでやればいいんじゃないかと思うのよ。いえ、学者様や評論家様は、もっとちがう視野があるでしょーけど、わたしの理屈こねこねは道楽でやってますので、好きにやろうと思ってまして。道楽で評論を読んじゃイカンという法はないと思うし。

 わたしのこれは一意見ですけど、わたしなりの公正さというのはね・・・自分の立場を明確にすることなんです。「わたしはこーゆーのが好きだからコレを評価する」というふうに、自分の作品に対するポジションや好みはハッキリ表明することで、わたしの視点はこうですのでよろしくーというのを、ハッキリ出すのがひとつ信条です。まあ、「自分が実は何も知らない(わかってない)かもしれないことは、自分で知っておく」・・・無知の知(byソクラテス)だけは脳の片隅においとこーと思って。勝手に思ってるんですけどね。

 ・・・長い前置きでしたが。もひとつ「テヅカ・イズ・デッド」から引きたいのよ。

 八○年代後半以降、日本のマンガという表現ジャンルは、大変不透明な、見通しにくいものとしてあった。そのことがはっきり現れているのが、先の米沢の文章に代表されるような「マンガは衰退した」あるいは「つまらなくなった」という言説群である。
  (中略)
 また、こうした言説に特徴的なのは、「何が」「どう」つまらなくなったのか、という記述がなされないままいに、その状況論的な理由づけが同時に語られるという点である。これは、多くの論者が、その本来的な根拠ーー各々の論者が「マンガ」というジャンルに何を期待して、何が期待に反していると思ったのかーーを示すことができず、ただ現状へのいらだちを「気分」として伝える以上のことをしていなかったということを意味する。
  (中略)
 この問いは、現実のマンガをめぐる「語り」--とりわけ「評論」と呼ばれる言葉ーーが、現状をまったく肯定できず、現実に対して機能不全を起こしているという事実をつきつける。なぜ、私たちのマンガをめぐる言説は、現状を肯定できないのか?


 下線は生意気娘Kによる。

 これは、厳しい警鐘ですねえ。
 まー、「感想」だったらべつに何でもいいんだよ。「好み」も何でもいい。
 でも、「ひょーろん」の形をとるなら、ただの「(自分が作品を気に入らない)いらだち」だけで批判しちゃダメでしょ、という話ですね。「マンガ」のところを「宝塚」に変えても有効な文章じゃないですかーー??

 それはさておいて、下線引いといたところです。
 シークレットハンターを見ていて、わたしはこれぁ「シティ・ハンター」か「キャッツ・アイ」だ!と思ったんですね。エンタメ色の強い漫画のノリだ!と。導入としてとうこちゃんが盗みに入ったシーンをやって、見つかりそうになって帰り、そこで「シークレットハンター」ってロゴが幕にうつされるアレも、漫画やアニメでタイトルを写すタイミングと、間がいっしょだと思った・・・。

 まーあれだね。
 漫画というのは、もともと映画の影響が強い。(宝塚男役も、映画俳優が目指す地点だったりってあるよね)
 それからストーリー漫画を発展させた手塚治虫には、「タカラヅカ」の影響ってのもちょろっと入ってるワケでしょ。

 映画・宝塚→ストーリー漫画(手塚)→宝塚(児玉せんせー)

 そう考えると、これはよくある「影響の循環」てヤツですよね。おもしろいですね。
 
 さて、じゃあそういうマンガノリってのは、はたして宝塚には必要なのか。(宝塚にそんなものを、わたしが求めているのかどうか)

 わたしは宝塚歌劇は、やっぱ守るだけじゃなく、壊しながらあたらしいものを取り入れていく姿勢ってのも、必要だと思います。まー、もともと保守的な劇団だし、心配せんでも、そんなに無茶な革新はないですよ、きっと。
 ただね、ゆっくりでいいと思うの。
 宝塚は変化しなければいけないけれど、その変化はなるべくゆっくりが良い!というのがわたしの意見です。

 まあ、わたしのようなシロウト小娘に言われるまでもなく、劇団だってそう思ってるから、児玉せんせーみたいな作風が大劇場に登場するんでしょう。

 児玉せんせーは、ニュージェネレーションですよ。荻田せんせーは、前衛だから、宝塚の未来うんぬんは関係ない次元にいるんですよ。斎藤せんせーは、児玉せんせーほど鮮烈じゃない。景子せんせーは、作風の新しさというのは特に無い。でも、児玉せんせーには、従来の価値観に横槍入れる何かがあるね。児玉作品を「是」か「非」か「よくわかんない」か、語っていくことは、宝塚にどうあってほしいか、語り手の宝塚に対する夢のカタチを探る行為だと思います。 


ゴールデンウィーク、どこか行くう?

2007年04月25日 | 雑文
 ああ、いやな時期がやってきました。ゴールデンウィーク・・・誰が呼んだか黄金週間。
 いえ、休みが多いのはけっこうなコトですけど、ゴールデンウィークなんぞと浮かれた名前をつけられているおかげで、なんだか「連休を有意義に使ってリフレッシュ」しなければならないような強迫観念にとらわれるよね・・・(←ゆがんだモノの見方)。いえ、世間の皆様はリフレッシュしてくださいませ。わたしは、リフレッシュが必要なホド、普段がんばってないから・・・。むしろ普段からリフレッシュしすぎだからね・・・。

 昨日、怖れていたソレはやってきました。
 昼休みのことです。若い女性が笑いさざめく休憩室。

女性A:「ゴールデンウィーク、どこか行くぅ~?」

 あ・・・。きた。わたしを困らせる3大会話のひとつが、きたーーーーーっ!!
  ※わたしを困らせる3大会話
    ①休みは何してるー?長期休暇どこ行くー?(宝塚ばっかだから・・・)
    ②テレビドラマ何見てるー?(テレビは宝塚DVDをうつすためにある!)
    ③好きな作家は誰ー?(広く浅く読むタイプなので特にないのだ・・・)

「ゴールデンウィークはぁ、かわいい雪ん子に会うためにムラへ行くんだよん。え?雪ん子って何って?いやだなあ。宝塚雪組だよお。今回は名作エリザベートでねえ!」

 ・・・なぞと明るく語れるような性格なら、こんなブログやってないっ(泣)
「ええー?ちまちま遊びには行くけど、旅行とかは無いかなあー」とか、あいまいにかわすのであった・・・。

 これがまたさー。ゴールデンウィークが終わったら終わったで、「どこか行ったあ!?」っていう会話があるんですわね!いや、行ってないっていえばイイんだけども、毎回「どこも行ってない」で通してるから、「あまりにも出かけないヒトだ・・・」と思われると、かえって訝られるかと・・・。え?自意識過剰?・・・そうだよね・・・。

 ゴールデンウィークは雪エリザ見に行くのと、宝塚DVDを見るのと、たまっている宝塚カフェブレイクのビデオ見るのと、あとは積ん読になってる本を何冊か片付けて、本屋に立ち読みに行くか古書店をあさるか・・・って、これ、ぜんぜん普段と変わりませんがな。週末どころか、フツーの平日にやっとることと、おんなじですがな!

 わたくしは一年365日、リフレッシュしております。(←すこしストレスをかけたほうがよい!)

宝塚グラフの話ほか

2007年04月20日 | 宝塚歌劇
 宝塚グラフ、見たよ。
 表紙と巻頭の写真にびっくりした・・・。ゆうひくんとゆみこちゃんって、何か不思議な取り合わせでしたねえ。つーか、ゆうひくんが個性的なんだよね。ほんっとに独特の雰囲気と魅力の人だねえ、ゆうひくん。うーーん、オンリーワンのタカラジェンヌだー!

 で、雪組FANとしましては、新生雪組特集に超食い付き!
 まずは鼎談がおもしろい!(笑)そーなんだ・・・ハマコさんは「不真面目」だったんだ(笑)ちかちゃんの「規則を破るなんてありえない!」が、らしすぎて面白い~!(笑)かよさんが入っているのが珍しくていいね。そっかー。「上級生」の顔ぶれもずいぶん変わったんですよねー。あみちゃんもやめちゃったしねー。
 ゆみこちゃん、キムちゃんの写真もよかったよね。新生雪組を支えるぞー!っていうヤル気に満ちたキラキラ笑顔でしたな。こないだまで新公やってたと思ったのに、キムちゃんもすっかり大きくなって・・・(じーん)

 キムちゃんといえば。パーソナルブックの対談がコム様!!(いまさら・・・。反応おそくてすいません。)キムちゃん、ありがとうーーーっっ。ほっこりの師弟対談でしたね。あそこは不思議な関係だ・・・。得意技ぜんぜん違うのに、なんとなく師弟の雰囲気だもんね。(ときどき、キムちゃんにコム様の面影がちらついて、ドキっとするときがあるよ)キムちゃんてば、研10になってバウ主演をするときに「あのときのコムさんと同じ学年だけど、今の自分があれぐらいできているか」(だっけ?なんか、そんなニュアンスの・・・)って、なんて謙虚ーーーーーっ。もー、びっくり。謙遜なんかしなくても、キムちゃんのお芝居は、超グレード高くて、チケット代払い甲斐ありまくりだよっっ。

 花組の「あさきゆめみし」、友の会を申し込んでおいたのに、照会すんの忘れたーーーっ(泣)いや、正確にいうと、今日の昼休みにやろうと思ってたのに、携帯電話を家に置き忘れて電話できんかったのですわい。ゆ、友人R、すまんっっ!!(こんなところで謝る)

 「もはや書く気がないんじゃないか」とお疑いの向きもあろうかと存じますので、あえて予告するんだけど、「シークレットハンター」「アール」、ちゃんと感想文書くんで。(まー、コム様ご退団の現在、それがこのブログのメイン機能だしねえ。)
 児玉せんせー、斉藤せんせーと、マンガ・アニメブームの洗礼を受けた世代の演出家がちょーど続きましたのでね。2本続けて「マンガの影響が強いとは言うものの、それって具体的にどーゆーことなのよ」ってあたりを、シロウトなりにちょろっと突っついてみたいと思ってます。(とか言って書いてみたらぜんぜん違う内容になったらごめん)

 が、物理的に書く時間が無ーいー。まとまった時間が無ーいー。すっごーーーく時期はずれにUPされるかもしれんけど、よかったら見てくらさい(泣)

 最近、仕事に気力吸われてます。はーあー。長きにわたる閑職ですっかりダメになったわたしの仕事脳。ちょっと忙しいだけで脳がウニウニですよ。帰ってもぐったりして、何かに集中する気力が残っていない・・・。この程度の忙しさでヨレていては、世間様に申し訳ない、といつも思うんだけど、もともとの能力とキャパシティが低いのでしょーがないですね。(←もっと努力をしろっ!)ちかちゃん、ハマコさんの言葉を借りると、「おちょこ」級です。物事を消化していく器がね・・・。

かしちゃんのオスカープロモーション写真みたよ!

2007年04月19日 | 宝塚歌劇
 ・・・最近、つくづく思うんだけど、タカラジェンヌの方って、みんなほんと美人ですよねー!昨日の「学校へ行こう」の受験生もさ、あーーーーんなにキレイなのに落ちちゃうんですよねえー。信じられんっ。(半分は受かるかと思った)まー、だいじょうぶだよ。こんなところでわたしが慰めるのもアレですが、あんなにキレイなら、きっともっといいことありますよ。ドンマイドンマイ!(と、本気で思った)

 で、かしちゃんです。
 かしちゃんって、キーレイですよねえー。遅ればせながら、オスカーのHPの、モダンミリーを見に行った写真?を見たぞ。何あの細い手。何あの細い足!!
 それから表情!!お、おんなのこ・・・!かしちゃんが女の子だ!!かわいいー!
 男役時代も、美人だ美人だと思ってましたが、あーやって堂々「おんなのこ!」な表情でスカート姿見せられると、あらためて華やかな美人さんですねー。オスカー美女軍団て言われて違和感ナシですな。

 男役トップの方がフツーの芸能人になると、さあーーーっと女の子に戻られる方と、男役イメージをほんのり残していく方と、いろんなタイプがおられますけども。わたし、トップ男役が女性に戻るのを見るの、なんか好きなんだよね。卒業して髪のばして、女性らしーく変身していくのを見ると、なんかこそばゆい嬉しさがある(笑)男役の雰囲気を残したままでいてくれるのも嬉しさと安心感はあるけど、女性っぽーくなっていくのをみるのって、なんか別の嬉しさがありませんかー?「うわー!こんなキレイな女性だったんだ!」っていうオドロキが快感(笑)

 早く世間(非ヅカファン)にも、かしちゃんの美人ぶりを披露したいよね!(←親バカモード)テレビ出ないかなあ、テレビ!ひとつお願いします、オスカープロモーション様っ!

春のおどり2007(寝言しかない・・・)

2007年04月18日 | OSK日本歌劇団


※キムシン並の寝言が炸裂しますので夜露死苦!

 基本的に「見た順」で書く方針なんで、ほんらい後回しなんですがー。(まだ星組もアールも書いてないから)
 今回はコレを先書いておくよ。なぜかとゆーと、「たいした感想文書けないから」でございます。(いきなりみっともない宣言・・・)

 す、すいません・・・。だって今回、わたし桜花さんしか見てなかったのーーーーっ!(泣)

 ええっとねえ、理由はあるんですよ。ほんとにほんとに。
●理由(言い訳)①
 桜花さん、前よりかっこよくなってませんかっっ。
 おおっとおー!いきなり寝言出たー!
 ええ!?べつに変わりはない!?おかしーなあ・・・。なぜだか前回よりさらにさらに輝いて見えて、パンフの写真すら「前よりかっこいいーー!」と盛り上がってしまったんですが・・・。桜花さんがかっこよすぎて、全体をちっとも見られんかったです、はい。(言い訳~)

●理由(言い訳)②
 席がはしっこで全体がよく見えんかった!(現実的理由)
 あのねー。昼はねー「ひさしぶりの桜花さんだしい。とりあえず桜花さんロックオンで!」って思ったのね・・・。で、夜はけっこう前の列だったから、それで全体を見ようーっとって思ってましてね。そしたら夜ね・・・座ってみたら、これが超~はしっこで。ぜーーーんぜん全体が見えんのですね。踊ってるフォーメーションすらわからんっっ。「ぴあ」店頭にある席で、単純に前の列を希望してテキトーに取ったのがいけませんでした。「ヒトケタ列だわーい!」とか言ってる場合じゃねえですよ。観劇は端の前より真中のうしろ!という宝塚で学んだ鉄則をすっぱり忘れておりましたことよ、とほほ。

 それでね。端っこに座って舞台をすっごい鋭角に見た瞬間、わたしはあきらめたのよ。「あ、こりゃダメだ。(この席から)作品としてみるのはもうムリだ・・・」って。それで理性はキレイさっぱり手放して、欲望のおもむくまま桜花さんだけを見つめ続けたという・・・。いやー、ここまで徹底して作品を見なかったのは久しぶりだなあ。まーでも、これはこれでなんか幸せでしたけども。ゼータクな見方だよね。(もったいないとも言うか・・・)

 そんなワケで、たいして語れる何かもないのであった。うーむ。

●桜花さんをひたすら語るぞ。
 いやー、桜花さんね、キラキラ・・・いや、ギラギラしてましたねえ!ギラギラビームを舞台上から照射されて、客席で「ひーーーーーーっ」ってうめいちゃったよ。

 わたしね、桜花さんを好きになってから、なんか「スターの輝きに身をまかせる快楽」に開眼しましたね!舞台のうえで何かが光っている・・・嗚呼、あの輝きはOSKの星のひとつ・・・星・・・スター・・・スタァ様だああ!!みたいな。(意味わかんなくなっております)
 あの問答無用の華を愛でていると、快感に流されて何もかもがどーでもよくなる!あのカンジ・・・。

 おっかしいなあ。わたし、もともとあーいう、桜花さんのような「路線です!バリバリです!スター街道です!」みたいなタイプは、あまり(惚れる対象としては)キョーミがなかったはずというか・・・コム様はトップスターでしたけども、生い立ち(?)ってゆーかスターとしての歩み(?)が、バリバリゴリゴリの爆裂スター街道じゃなかったところが、むしろ好みだったはずで・・・。
 たぶん桜花さんを見ていなかったら、「スター性」とゆーのに、いまでもそこまで興味なかった気がするー。桜花さんを初見で「いいな」と思った理由は、今となってはわかりませんけども、そこから桜花さんの魅力ってなんだろーなーって思いながら何公演か見て、「スター様の光に照射されるシアワセ」をわたしは会得した気がします。・・・なんか、自分のなかでそーゆー回路が開かれたのがわかる・・・。

 あとね、わたしの「片思い型」のスター様へのあこがれが、桜花さんでさらにこじあけられたわ。男役スターを好きになる感情は、人によって、スターさんの個性によっていろいろだと思うんだけど、たぶんわたしが一番ハマってしまうのが、「片思い」型なんだよ・・・。べつにわたしの気持ちなんか伝わらなくていいし、視線を欲しいなんて思ったこともないし、ただわたしが遠くから見て勝手にトキメキして、「おそろいのモノほしーい」って勝手に騒ぐだけ、という・・・。小学生の恋愛みたいなね。

 いかにもスター!なたたずまいの桜花さんは、もーーーー、見るからに「手の届かない、ライトのなかの人」でさ。そーするとわたしは安心して片思いできるんですねえ。妄想のなかでさえ、「こんな人が現実にいたらなー」と思わないのよねー。現実にいても、ぜったい、地味に生きてるわたしには「関係ないヒト」だと思うから、恋愛対象にならない(笑)現実味がなさすぎて、自己完結片思いには最適(笑)
 おもえば、あーいう「スター性(華)で押します!」なタイプは、片思いするには、とってもピッタリだったんですねえー。桜花さんに惚れてみて、それにはじめて気づきました。あーーー、今後、そーゆータイプにヨワくなりそう~!

 「スター」って、よくできた言葉だよね。なるほど星・・・。いろんなニュアンスの含まれた、なかなかに深い単語じゃございませんか。わたしは宝塚だのOSKだのを見るようになるまで、どうも「スター」なる単語は古くさいよーな気がしてたんですけども、ナマで舞台で「スター様」を拝見するのに慣れると、なるほど「スター」という言葉でしか表現できない概念ってのがこの世にはあるのだなぁーと思うようになったのでありました。はい、余談でした。すいません。

いちおう作品に触れてみる。
 日舞が60分、洋舞が80分もあったんですって!? は、はちじゅっぷん・・・。一時間二十分ひたすらレビュー!?さ、さすが「ダンスのOSK」。
 80分って、けっこうちょうどよくないですか??ゼータクに見られるカンジ。少女歌劇のレビューってだいたい、必要な場面てのがありますからね。トップと娘役の場面、ラインダンス、フィナーレ、群舞とか、「定番」の部分があるから、60分だと定番を消化するだけで、わりといっぱいいっぱいじゃないですか?80分あると、プラスアルファが「堪能」できてイイなあーと、わたくしはご満悦でした。ぜーたくなレビューでございました。

 OSKレビューは、ホントに陽気で楽しいですねえー。今回は大貴さんの退団公演にあたるワケで、それを意識させられるつくりというのもあるんだけど、それを考慮にいれてもなお、カラッと陽気だよね。

 一番ビックリしたのが、「クラブチェリー」。クラブに客(女役)がゾロゾロやってきて、クラブ従業員(男役)がカッコよく立ち働く・・・って場面。ここの男女の使い方がなんつーか、記号的・・・OSKの男(役)女(役)はだいたい「象徴的」な役割で、あんまり思想的じゃないところがとても魅力的だとわたしは思っているんだけど・・・男女の描き方もたいへん好きですが、何よりビックリしたのは、オチです。クラブのたのしい時間が終わって、桐生さんが「クラブはおしまい・・・そしてこれから片付けです」みたいなことを宣言するんですね。片づけを宣言する桐生さんを見ながら、わたしがささっと先読み予測したのは、以下の2パターン。

①そして片付けが始まりまぁーす!ちゃんちゃん!
 楽しい時間のあとには、片付けがあるんだよねー!という事実自体をオチとして、桐生さんが「あーあ」という顔をして一瞬でおしまい。

②片付けで一場面。クラブの舞台裏見せます!
 クラブで疲れた顔をした従業員による片付け風景しっとりンス。そこへキレイな女性(トップ娘役とか)がやってきて、閉店後のクラブチェリーは、たちまち恋愛ゲームの場になるのだった。しっとり恋愛。

 わたしの発想、貧困??(特に②番は、わたしの脳内ではタカラヅカの羽山振付で妄想されとります)ところが実際には、従業員がいかにも楽しそうに片付けをしながら舞台を横切る愉快な場面でおしまい!なんだよー!?ええー!?片付けなのになんでそんな陽気なのーっ!?(笑)
 もーーー、この陽気さがホントに最高。たまらないっ。あー楽し~~。まるでこの世には「疲労」とか「悲嘆」とか、ネガティヴな感情は無いかのよう。こーゆーのを夢の世界っていうんだよね。カラッとしてて、後に引かない。楽しいですねえー。あの楽しそうに横切る片付け従業員の皆様のあかるい表情見てるだけで元気になれますよ。あそこ大好きでした。

 日舞のヨン様、鶴橋様も最高でしたねえー。洋舞じゃなくて日舞でヨン様っていうのがポイントですね。桐生さんが着物姿にマフラー巻いて出てくるの、すばらしい演出ですね(感心)あれ、100回見たら100回笑う自信がありますよ。罪のない笑いは、精神衛生にものすごく良いよね!あーゆーの大好きなんですよー。いやあ、娯楽娯楽。すばらしいすばらしい。全国の冬ソナファンに見せて回りたいぐらいです。手近なところで、my母上にもゼヒ見せたいものじゃ。

 OSKはレビューの群衆芝居(?)が上手いなと思った。いや、群衆に限んないですね。レビューのなかの芝居、すごく表現力があるよね。ただキレイで明るいだけじゃなくて、場面が的確に伝わってきますよねぇ。楽しそうな場面は思いっきり楽しく、面白い場面はおもいっきり面白く、セリフに歯切れがいいよね。必要なことが、きちっと伝わってきますわ。だから遠慮なく客席で「楽しく笑う」ことができます。

 群舞合戦とか紫の衣装のとことか、スピーディーな場面は、もうわざわざ言うようなこと何もないよね。「かっこいいに決まっている!」みたいな。爽快ですな。

 今回、大貴さん退団仕様演出で、大貴さんが朗々と舞台でひとり歌って、幕がいったん完全に下りてしまう・・・それが上がると、桜花さんを真中に次世代のOSKの並びが披露され、かっこいいダンスに突入するんですが・・・。あれ、なかなか面白いですよね。思い切って幕を下ろしてしまうのも面白いし、そのあと次世代の並びを見せてしまうのも面白い。ちょっとビックリしたけどね。「えっ。もう見せてくれちゃうの!?」みたいなね。勿体つけないのが気持ちいいやね。

 いや、で。あの紫色の衣装の桜花さんが!!桜花さんが!!すごおおおおおおくカッコイイのですよ。ライトがあたって、光が桜花さんから跳ね返ってくるーっ。白い・・・白いよ桜花さん・・・!す、スター様~っ!あそこは本気で桜花さんしか見ていなかったので、ちょっとどんなダンスだったかすら記憶があやしーぞ。桜花さんの白い光に、意識を押し流されていましたのでね・・・。ああ・・・桜花さんの輝きにアタマ真っ白になったあの瞬間の恍惚と快感といったら。(ポエム) 

 えーっと。というわけで、桜花さんの話しかなくてすみませんでした(ざんげ)
 いや、ちゃんと見てたよ、見てたですよ!特に大貴さん最後だし、歌い上げるところと、ピエロのところなんか、しんみりしながら見ましたですよ。

 OSKを見るようになってやっと一年。スターさんの個性とかが、自分のなかでぐっとなじんできて、いろいろと新しい魅力の発見・・・というほどじゃないのかもだけど、前からわかってたつもりでも、「あー、わかってなかったんだなー」という細かい魅力(感覚レベルでね)が、見えるようになってきて大変楽しゅうございます。今年はもーすこしヤングな劇団員さんの魅力まで見えるようになるといいなー。

 それにしてもねー。先週は星組を堪能し、今週はOSKを満喫し、わたしは思いましたよ。レビューに男装の麗人が出てくるとゆーのは、すばらしいアイデアですな。大発明でしたな。最初に断髪して、男装の麗人スタイルを完成させたターキー様グッジョブ!!ですよ。

●桜咲く国
 わたし、OSKの軽快な音楽アレンジもとても好きなんです。憂いがなくて、軽快で楽しげで、わくわくしますね。分けても好きなのが桜咲く国。「虹色の明日へ」もイイけど、毎回の主題歌も楽しくて好きだけど、やっぱりやっぱり桜咲く国だよねっ。あれ、超絶名曲だと思います。

 ちどりさんもこの曲が好きだと書いておられて(ココ)、いや、松竹系少女歌劇を極めておられるちどりさんに対抗(?)するのは、申し訳なさ爆裂ではありますが、いや、でも、わたしも「桜咲く国」好き好き度はけっこう自信あるのだ!「桜咲く国」愛してる度コンテストがあったら、中部地区予選ぐらいは勝ち抜く自信があるぞ。(だんだん文章が崩壊してきた・・・。もはや例えになっておりませんっ)

 どれぐらい好きかといえば、「春のおどりー桜咲く国スペシャルー」とか題して、全編全場面「桜咲く国」(いろいろアレンジして)のレビューを作って欲しいぐらいです。日舞も洋舞も、ぜ~んぶ桜咲く国でいいです、わたし。(←大ひんしゅく提案)

 日本人、桜好きだよね・・・。和歌だと、「花」っていえば「桜」なぐらいだもんな。歌謡曲(Jポップ?)も、桜のヒット曲いろいろあるもんね。
 やーあのね。でもわたし、桜をうたった歌で、「桜咲く国」が一番好きですよ。宣言してもいいわ。湿っぽくないのがイイ!!
 春とか桜とかゆーと、どーしても日本人はそこに感情いれちゃうんだよね。「始まりの季節」ってことで、うしろむきであれば感傷であったり、前向きであれば「始まりの予兆=未来」であったり、なんっか感情をたとえるのに、桜使っちゃうんだよね。や、それはそれで好きなんだけどね。百人一首の「花よりほかに知る人もなし」とかのフレーズに、昔はしびれまくったものですじゃ。
 「桜咲く国」は、逆にそーゆー要素がすくないところが大変大好きです。単に「桜きれいだなー。わーい。」って歌じゃないですか、あれ・・・。明快。さっぱり。感情過多にならない曲想がベリーグッド。(なぜか英語)

 わたしは単に好きなだけで、歴史とかさっぱり知らんですが、アレは昔からあのアレンジなんでしょうかー。だとしたら、当時としてはずいぶんハイカラな曲だったんじゃあ・・・。軽音楽というか、ジャズ(昔はジャズって、不良の音楽だったっぽいもんね。昔の新聞見ていたら「当世ジャヅ娘」って単語とかあるんですよ。ジャズが、不良みたいなニュアンスなんですよね。あれビックリしたね。わたし、学生時代ジャズやっとりましたからね。難しいんだよ、ジャズ・・・。あんな難しいもんが不良(?)扱いとは・・・)の影響下にある、いかにも商業音楽じゃないですか~?
 特に前奏がステキじゃないですか??ちゃっちゃーちゃタララララッ!のあとにバッキングが入るところ、最高。歌に入る直前のタータータラッタラッタ♪っていうバッキングも最高。

 とにかく名曲だ、あれは。傘回しも大好きだし。一時間ぐらい回していて欲しいぐらいです。(無茶)
 桜咲く国でまわすからイイんでしょうねえ。ゆったりした曲でまわすんじゃなくて、桜咲く国で、拍にあわせてビシビシ動くのがイイんでしょうねえ。傘の動き自体が、拍を強調して、さらに「桜咲く国」を引き立てている気がします。あの傘回し、なんだか「音楽的」な流麗さがあってうつくしいですよね。

●思い出してきた・・・。
 おお。なんだかまとまりのない文章ですが、書いていたらいろいろ思い出してきたぞ。若木さんのネコ、とてもいいよね。キュートとキレイの中間みたいな、不思議な魅力がありますな。

 山村若の演出、わたしかなり好きかもしれん。星組の「さくらーあやしいほどにうつくしいおまえー」でも、ひとつすごくイイなと思う場面があって、あとからプログラムみたら山村若だったのよ。題材とか、ふるいんですけどねえ。うん、現代性はないんですけどねえ。なにか「日本」の持つ、ジトーーーッとした性質・・・なんていうんですかねえ・・・畏敬?あと半歩つっこんだら、恐怖になってしまうような、普段は隠しておかなければならない日本人の根っこのジトーッとした何かが、さらっと描かれるような感じがなんとも・・・。ああ、これはレトロではなく、本物の日本なのだ、みたいなね。日本的であることの、負の部分もフツーに描きこまれている怖さというか・・・。や、山村若はそこまでつっこんで描いてはいないけど、やっぱし本質的に「日本日本日本日本」だからさあ。それが怖くもあり、懐かしくもあり、みたいな。OSKのカラッとした芸風でバランスが取れているのかな。どーにも気になる、山村若。さすが植田しんじ先生の息子サマじゃ。(だよね?)

 桜花さんのねー、(そしてまた桜花さんの話に戻ってしまった・・・)ポーズや表情を変える瞬間が大好きだー。なんか、金粉飛び散ってませんか・・・?(イメージ映像)パッと目を見開いて、表情がスッと変わるところで、わたしはいつも頭真っ白になるんですよ・・・。(ときめきで)
 ブロマイドも超ステキでしたねえ。

 さらっとのつもりが、けっきょく8000字も書いてしまった・・・。なんでわたしには、短文が書けんのか・・・。(←性格がクドいからだよっ)

 えー。(いまさらですが)いつもシロウトが適当なこと書いてすいません。まあ、しろうと感想ということで。見逃してくだされ。

 はあー。桜花さん、かっこよかったなー。席がはしっこで、しかも桜花さんがあんまり来ないほうだったから、たまに桜花さんがこっちくるのが超うれしかったなあ。わたしの場合、この「たまに」のほうがイイんだろうね。かえって良かったです。「たまに」だから、よけい盛り上がりましたよ。あのはしっこ席を、「片思い専用席」と名づけやう。  


まだまだ!運命の赤い糸(妄想)

2007年04月12日 | 宝塚歌劇

 コム様が卒業なさって3ヶ月あまり。
 しかしもちろん、わたしの「コム様とおそろいしたい」の野望は潰えることはないのであります。

※うっかりはじめて見た方のための解説。
 コム様とおそろい・・・生意気娘Kの人生最大の野望。過去記事参照。


 彼氏とおそろいは絶対ごめんこうむりますが(むしろ彼氏とはおそろいは絶対イヤだ。ペアネックレスとか、あーゆーのもイヤだ。恥ずかしい・・・。)、コム様とはおそろいしたい複雑な乙女心よ・・・。まーやっぱ、「誰かとおそろいにしたい」って気持ちは、「あこがれ」から来ますからね。コム様はわたしの永遠の憧れですが、彼氏は別に憧れじゃございませんので。現実(彼氏)と夢(コム様)のちがいですわな。(冷静な意見)

 東京トークショーすら行けずに清貧に耐える(←自称)わたしを、運命は放っておきませんでした。

 わたしのもとに垂れてきた運命の赤い糸の名は・・・フロアプレイ
 コム様がご覧になったとウワサの舞台でございます。

 うわさ:Natural Life様の記事→ココ

 コム様がご覧になったとなれば、「えーっ。わたしも見るーーーーっ!(泣)」とまず考えるのがファン心理とゆーもの。しかしながら、現実は厳しく、チケットはあまりにも高い・・・。ああ、清貧の小娘に、どうして手が出ましょう。

 それで手を出しあぐねていたところ、ひょんなことから「チケットあるんだけどー」って話が転がり込んできましてねえ(宝塚とは全っ然カンケーないトコロから)、その瞬間、清貧をかなぐり捨てて「行きます!それ買います!」と叫んでしまったわたくしなのです。

 これぞ運命。まさに運命。ベートーベンの運命も脳内で鳴り響いちゃいますよ。
 コム様がごらんになった舞台が、たまたま名古屋にきて、予定がなかったのにわたしも見に行くことになった・・・。これを運命と呼ばずしてなんと呼びましょうっっ。(←論理の飛躍。つーか、論理になってません!)

 卒業されてもなお、コム様とわたしは、運命の赤い糸で結ばれていたのですね!(←そんなバカな結論があるかーっ!)

 コム様とおんなじ舞台見られるの、うれしーーーーーーーっ!(←単純すぎる)


充実の一泊二日でした。

2007年04月09日 | 宝塚歌劇
 あらためまして、ただいまー。
 いやー、たーのしかったー。

・星組2回観劇
・星組入りを見る。
・とうこちゃんお茶会

 と、フルコ~スでございましたよ。
 お茶会と入りはAサマのおかげです。ありがとうございましたAサマ~!
 で、とうこちゃんのFANの方とちょっとお話もさせていただきまして。もーーー、なにせ地方にひきこもって地味ーーーーにヅカファンやってるので、宝塚FANの方複数とお話するのがすっごーく新鮮だった!「うわっ。宝塚の話ばっかりだ!」っていう感動と幸福ですよ。混ぜていただいてありがとうございました(礼)

 7日に観劇して、夜お茶会でイロイロ公演の話を聞いてからまた翌日見たから、さらに深ーい楽しみがありましたな。「あー。昨日話が出たあの場面ー」とか思いながら見ましたですよ。なんか幸せだったです。ストレスぶっ飛び癒し効果満点の一泊二日でした。今日まだシアワセですから。仕事中もるんるんですよ。残業もるんるんるんですよ。とうこちゃんが頭のなかで一日歌っている・・・。(←仕事に集中してください) 主題歌いい曲ですよねえ。さくらも、シークレットハンターも。

 そのうち長々しい感想文が出てきますので、よかったら見てやってください。今週末はA/L含め怒涛の3日連続観劇があるんで、早いとこ書いてしまいたいんだけど、今週は時間がないかもしれんなー。

 駅から遠い安いビジネスホテルでも、たまには「泊まり」で観劇にいくのはイイものですね。楽しいですね。疲れるかなーと思いましたけど、逆でした。楽しくて元気になりましたよ。月並みな感想ですが、宝塚からおおいに元気をもらいました。星組のパワフルな舞台を見ると、なんだか小さい悩みはぶっとんじゃいますね。

【番外編】戯場の編集後記は名文だ!

2007年04月06日 | レヴューのトリビア


「戯場 昭和15年4月号」より

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 戯場のねえ、編集後記が面白いんです。特にこの4月号は、雑誌のアイデンティティや、戦時中の様子が具体的によく伝わってきて、なおかつユーモアのある、なかなかに名文だと思うのよねえ。引用しながら紹介してみます。

私記
 殿島蒼人

戯場社はいまいろいろの点でトクな立場にいる。まづ近頃になって売行が際立って増大したことである。本屋できいてみると、東京の諸雑誌が用紙の制限のため発行部数を限定している。評判のいい雑誌は、売切迫るスグ書店へ、てな宣伝文句そのままに、発行して五日か一週間で配本が全部売切れてしまふ。煙草や砂糖と同じことに需要だけの供給ができない状態である。そこで戯場社なんかでも羽が生えて売れるのですといふのであるが、これではまるで代用品扱ひで自慢にはならないが、戯場の評判がよくて実質が買はれてよく売れるといふ以外に、実際に東京の雑誌の配本数が少ないことの■に乗じて売行が増大していることも本当のやうである。


 殿島さんとゆーのは、編集長サマですね。
 そーか。紙が足りないのかぁ。具体的でリアルだよねえ。

それから広告の申込にしても、僕のとこは新聞社のやうなエゲツナイ無理押はしない方針で、玄人に言はせるとおとなし過ぎる位に消極的であるが(つまり広告を取ることが下手でもあり当然手を延ばすべき方面へもテレくさがったりハニかんだりして遠慮している)にも拘らず御覧のごとく饒多なる広告の申込を毎号受けているのである。これもトクをしている重大なる一件といふべきで、偏へにこれは戯場が広告者から愛されている賜であるが、社長たる小生は柄にもない手付で算盤を弾きながら「もうちょっと広告があるといゝネ、キミ」などと営業部長の松本君に難題を吹掛けるナラワシである。社長になると大野九郎兵衛的性格が運命的に憑くものとみえる。

 大野九郎兵衛・・・って、誰!?

執筆人の豪華さについては我等のいささか■ひたいところで、名古屋の文筆人は挙げて戯場に■るといふも過言にあらざるが、これまた偏へに諸先生より戯場が可愛がられている賜にほかならず、もっともトクのトクたる所以と致したいのである。説を為す者曰く「もっと東京のエライ人に書いて貰はんと雑誌が田舎くさい」と、戯場が絶対に、あくまでも名古屋の雑誌であることの矜持を解せざる暴言である。戯場にあふれる「名古屋らしさ」は本誌御愛顧の諸先生方のおかげにほかならないのである。

 読めない漢字がふたつも・・・。すいません。
 わたし、もともと古書店めぐり趣味があるから、旧字にはトシの割に強いつもりでいたんですけど、こうやってリアルな雑誌とか新聞とか見ると、ぜーんぜんダメですよ。知らん漢字がわんさか。

 ここの文章、もう地方アイデンティティがミシミシと伝わってきますね。
 「あくまでも名古屋の雑誌であることの矜持」ですよ。矜持・・・きょうじ・・・イマふうにいうとポリシーですか。「矜持」に限らず、文章が全体にかっこいいよね。「説を為す者曰く」だってよ!漢文調でかっこいー!!こーゆー日本語大好きなんですよ、わたしはー。

かくてまだほかに、小生の弟のやってる印刷所で印刷しているから諸材料払底の折柄自由がきく(と世間に思われているが、まア、そう思はれるだけでもトクである)またその丸八印刷に同居して戯場の仕事一切をやっているから、事務所費が要らない・・・と数へ立ててくると、これはえらくトクなことばかりして、もう巨万の富を成してもいい筈であるが、ねつから儲からぬどころか、どだいあかんのである。ぜんぜんご愛顧諸氏に対して恥しい次第であるが、僕にはわけがわからんのである。

 なるほどー。印刷している「丸八印刷合名会社」の社長のお兄さんなんですねー。

 どうです??これ、名文だと思いません??
 それに「戯場」のコトが、非常によくわかりますよね。あ、そーゆー雑誌なんだ、へえー!みたいな。

 「戯場」、もーすこし手に入れたいんだけどねー。
 こんな雑誌、はじめて見ましたからねえ・・・。
 名古屋市内の守備範囲内(知る限り)の古書店は全部回って(←しつこい)、かなり専門的な古書店もさんざん見て(←ねちこい)、「芸能」関連の棚は一冊ずつ調べて(←ねばっこい)きましたけど、こんな雑誌はじめて見ましたもん。うーーーん、でも、見落とし・・・もあるかなあ。専門古書店は、もう一回洗いなおしたほうがいいかな。

 なんとなくですけど、昭和二十年代後半になると、けっこう見かけるんですよね、雑誌は。昭和十年代ーヒトケタは、なかなか難しいように感じてます。やっぱ、戦争でだいぶ焼けちゃったとか、そういうのあるんだろうねえ。(気のせいかねえ)

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「昭和十五年三月、名古屋で新ダンシング・チームが始動したらしい?」95へえ!

2007年04月04日 | レヴューのトリビア


「昭和十五年三月、名古屋で新ダンシング・チームが始動したらしい?」
95へえ!

「戯場 昭和15年4月号」より

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 「戯場」、すっごくおもしろいです。
 ふるいから面白いだけじゃなくて、読み物としても大変おもしろい。紙面の端々からあふれる「どーせ地方です。それが何か?てゆーか、こんな雑誌、東京モンには作れないでしょ。ウチはウチだがや!」ってゆー地方根性丸出しぶりが面白すぎる。ああ、このひねくれ方がとっても名古屋。
 で、この戯場、おそらくは編集長のカラーなんだろうけど、「ズバズバ書く」・・・なんといいますか、批評性がウリみたいなんです。たしかに、お上品な公演紹介に終わらず、本音感想がキッチリ書かれている・・・。それが「愛ある辛口」っていう表現はハズレで、でも「ウルトラ辛口」でもない、まあなんてゆーか自然体の感想なのね。愛想が足りない(読者の気持ちを盛り上げよう、煽ろうという気遣いがない・・・)というか・・・。単に本音でしゃべってるだけ、という。これ、名古屋人気質なんですかねえ。わたしのヅカブログ(ここ)は、まさにそーゆー方針でやってるんですよねえ・・・。「戯場」編集長とは気が合いそうだな。

 えー。で、毎号匿名コラムがあるのね。文芸、スポーツ、グルメ、興行・・・各種それぞれ匿名コラム(月評)があるんですわい。これがたいへん面白い。お世辞が無い、まさに「感想!」なところが面白い。(「持ち上げ」は無いし、奇をてらったゆえの辛口でもないところが良いね!)

 あ、話がそれたわ。お急ぎの方はココから読んでください・・・っていまごろ書いても遅いわね・・・。せめて色を変えておきませう。(さっさと本題に行けっ!)

 で、この四月号の「アトラクション」(興行関連)月評に、あたらしく始動したダンシング・チームの話題が。

 その名も「ショウ東京カジノ」

 ・・・な、なんかいろいろツギハギして作った名前に見えるんだが・・・。
 浅草あたりの小劇団の公演ですか?と聞きたくなりますが、これ、名古屋のチームです。名古屋劇場(略して「名劇」)が結成したものらしい。

 「ショウ東京カジノ」の初公演「スプリング・パレード」、戯場の月評ではヒドい書かれよう。酷評です。
 月評の評を要約すると、
・ダンシング・チームが貧弱(肝心のダンスが弱い?)
・ダンスを基礎からやってきた人が見当たらない(寄せ集めメンバー?)
・コメディをやった人にセンスがない。素養もとりえもない。(ひどい・・・)
・3曲しかやらなかった櫻井潔楽団に食われていたのは不甲斐ない。(音楽のほうが光っている)
・しかし(櫻井楽団の)選曲は安易だ!(ばっさり)
・バレエの楽しめる場面はあった。
・芝居(もあったらしい)は「妙に小手先を弄した演出が逆効果を招いて散漫になっている」(小手先!?弄し!?言う言う・・・)

 「最初から多きをのぞむのは無謀は承知のうえで」「随分、悪口雑言の嫌ひがあるが名劇の舞台で必ず物になると考えて、親しみのあまりの言なれば筆者の苦衷を諒とされたい」という表現があることも、明記しておきます。
 安易だ!といわれた三曲は「ジプシイの嘆き」「ご存じ東メロディ」「ルムバ・タンゴ」だそーです。うーん、知らんっっ。

 せっかく「戯場」が地元ゆえの愛のムチをふるってくれましたが、どーもこの評の内容見るかぎりでは、未来は暗そうだよねえ(笑)
 当時は洋ダンスやってる人口自体が少なかったろうから、地方でこーゆー公演打とうと思うとタイヘンだったんだろうな。

 どーでもいいんだけど、集団名に「東京」ってつけてるのに、わたしはすんごくウケてしまった(笑) 「東京」とついていると、高級でシャレていると思ってしまう、悲しき地方根性ですな(笑)いまでもそうだもんね。「けっこう都会だもーん!ウチはウチだもーん!」って顔しながら、なんとなく東京の流行を横目(あくまで横目。まっすぐな東京信仰とはちょっと違う・・・)でうかがうのが名古屋っ子ですよ(笑)

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4月2日の中日新聞

2007年04月03日 | OSK日本歌劇団

 こんばんわ。愛知県担当の生意気娘Kです。
 またもや、えせニュースキャスター風味で、中日新聞の話題をお届けします。

 今回はOSKの話題です。
 「中日新聞を読んでるOSKファン」とゆーのは、ものすごく限られると存じますので、愛知県担当として、ちょっと内容を紹介してみよーかと。

 4月2日の朝刊、文化面の「おはよう出番です」とゆーコーナーです。芸能人や文化人のインタビューっぽい紹介(?)記事です。
 かつてコム様も出演なさったこのコーナーに、昨日は大貴誠様が登場なすったぞ!

 白黒ではありますが、写真もついてます。
 見出しは「退団するNewOSKトップスター」「これからやること通じて 歌劇団の広告塔になりたい」です。

 ざっとの内容を要約しますとー。
・劇団存続を訴える活動をはじめたころは、世の中をほわほわ生きてきて怖いもの知らずだった。
・「自分のレベルを知ったうえで、たとえそれが嫌なことでもプロセスを重ねていけば夢はかなう」
・強さとは、イコールやさしさだ。
・「苦しみ」も「楽しみ」だ。
・入団後はぴか一できの悪い生徒だった。
・OSKに宝物をいっぱいもらった。人間として大きくなったと思う。
・お客様や支えてくださる方のおかげでNewOSKは立ち上がったが、(組織としては)まだ十代の青さだと思う。
・部屋のダンボールに(いままでやれなくて)やりたかったことのタネがいろいろある。ファンがびっくりするようなことも含まれてる。
・「例えばカリスマ主婦でも歌手でも女優でも、何をやるにしても必ずや一人前になってNewOSKの広告塔になるつもりです」
・春のおどりでは、集中しすべてを出したい。みんなと培ってきたこの気持ちを押し出し、歌劇の集大成をお見せできれば本望。

 ざっとこんな内容です。
 以上、愛知県担当よりお伝えしました。 


最近のトピックスいろいろ

2007年04月01日 | 宝塚歌劇
 だいぶ置いてかれてますが・・・。最近のものだけでも、さらっと触れてみましょー!

●OGかしちゃん
 オスカープロモーションですってね!朗報でしたね!おめでとう!
 そーかあ。オスカー美女軍団にかしちゃんが。
 ぜんぜん想像もしませんでしたけど、決まってみると「あー、なるほど」ってカンジですよね。かしちゃん美人さんだもんね。
 お芝居得意で美人のかしちゃんが、どんな「女優さん」になるのか、とても楽しみですね。オスカーなら、TVの仕事とかもある・・・かな?楽しみですねえ。
 あ、るいちゃんもお仕事決まってホントよかったね!!

●バレンシア役替わり
 そーなんだ・・・。役替わりですか。
 とむくんと、みっちゃんと??
 いや、なんかさ。とむくんもみっちゃんも、二人とも実力派で超上手いから、どっちがどっちでも見ごたえあると思うわ。どっち見たいかって聞かれたら、(バレンシアの役をよう知らんこともありますが)どっちでもいい!と心から思うもん。興味がないんじゃなくて、二人とも絶対間違いなくウマいから、たとえ見る日にちをクジかジャンケン決めて見ても、「これが正解だった」と心から満足して帰ってくる自信がある!!
  
●全ツ
 雪組は星影、宙組はバレンシアだよね。
 星影、愛知県付近がないんで、ガックリガックリー。来て!!来てよおお!(泣)いまからでも遅くないから追加お願いします!!(無茶)
 メンバー分けが気になりますね。バレンシアが名古屋公演だー。みっちゃんがバウなら、とむくんは来てくれるのね??あと、振り分けどうなるんでしょうねー。
 あ、星影はさ、土方がキムちゃんになるんでしょ!?見たいーーー!ゆみこちゃんとは一味ちがう土方になるにちがいないっ。面白そーーーーっ!!

●みっちゃんバウ
 鈴木圭先生ですね。
 うんうん、みっちゃんには洋モノがいいと思う。そして緊張感のある物語がいいと思う。面白くなるといいですね。相手役さんは誰だろーね。

●OG愛華みれサマ
 また地元の話で恐縮なんだけども・・・。てゆーか、ほんとローカルな話ばっかりですいませんね。オンラインの新聞記事とか、あんまりわざわざ探すタイプじゃないので、目に付いたもの(紙媒体で読んだモノ)を書くと・・・どーしても出典がローカルになってしまうのよねえー。

 ローカルすぎて、名前書くのもアレなんですが、「咲楽」とゆー、ポストに毎月勝手に入っている、情報誌ってゆーか広告誌があるんですね。まあ、あれだ。ホットペッパーのローカル版みたいなね。店の広告と割引券で埋め尽くされた雑誌です。

 そこの花見情報のページに、花フェスタ記念公園(岐阜県)が小さく紹介(宣伝?)されていて、なんと愛華みれサマ・・・タモさんの顔写真が!
 どうやら、花フェスタ記念公園の「春まつり」に出演なさるようです。

 4月7日(今度の週末だ)、公園内の「風はバラ色 ロマンティックステージ」というイベントです。

 共演は秋川雅史・・・って、「せんのかーぜーにーーーー!せんのかーぜになあああってーーー」の人ですよね。ウチにもカセットテープあるぞ。(ウチのメイン記録媒体はいまだにカセットなのだった・・・。十年遅れとる!!)

 お近くの方はどーですか。
 公園内 春まつりHP→ココ
 4/1は真島茂樹が来ていて「マジーと踊ろう!」オリジナルパレードがあったんだって。面白そうー。