etceterakoの勝手にエトセトラ

「生意気娘Kの勝手にエトセトラ」は改題いたしました。カテゴリ「ブログ改題について」をご覧ください。

雪ベルばらを雑談するⅥ(かしドレ、そして初S席で最終観劇)

2006年03月27日 | 宝塚歌劇
 もー、大劇場公演はとっくに千秋楽を終えているとゆーのに、いまごろかしドレ感想です。3月は一気にイロイロ見たから、書くのが追いつかんっ…。4月なかばの花アパルトマンまでには、リアルタイムに追いつきたいっ!

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 18日に午前午後二回見たんですけどね。
 まず午前。しょっぱなセリ上がってくるかしドレ見て、隣の友人Rがのけぞってました。わたしも瞠目しましたね!

 ・・・な、なんてなんてカッコイイんだぁーーーー!(びっくり)

 いやあの。かしちゃんが容姿端麗だとゆー事実は、よーく存じ上げていたつもりでしたが・・・。アンドレ扮装、コスプレ全開!で、ライトの中をスター然とセリ上がってきたのを見て、もーーーーーーー、あらためて思い知らされました、かしちゃんの美しさ。はぁー、アレは眼福だったなぁ。
 アンドレって、容姿がウリじゃないキャラ?だとわたしは思っていたものだから、これでもか!と白いオーラ全開で、輝くばかりに登場したかしちゃんに、「うぉぉ!これはカッコよすぎるぞアンドレ!」と真剣に思った。いや、あんなカッコイイアンドレだったら、絶対オスカルなびきますよ。フェルゼンなんかにゃ目もくれず、速攻でアンドレに恋すると思います!わたしならするね!

 あと、今回のもうひとつの目玉、えりちゃんジェローデルね。こーれがまた恐るべきサワヤカ好青年になっており、わたしはまたもや「うぉぉ!こんなジェロ様に告白されたら、わたしなら速攻オーケーだね!むしろ進んで!軍なんかヤメてジェロと結婚だぁ!」と鼻息荒くなっておりました・・・。だ、だってっ!「身を引きましょう!」のところとか、ものすごーーーーーーーーい優しさと愛情にあふれててサ、理想の男性像バリバリでしたよ。かしちゃんと違って、キザさやスカしたニュアンスはうすいんだけど、これ以上ないほどの誠実な優しさ全開でした。「ああ・・・こんな彼氏ほしい。こんな男性に求婚されてみたいー」と脳内妄想劇場が広がりまくりました。・・・理想の男性像にウットリって、ある意味コレ正しい宝塚の楽しみ方??

 かしちゃんアンドレは芝居もまた上手いんだわねー!「そ、そうか。今回の脚本のアンドレって、こーゆー書き込まれ方してたんだ!」と、なんだか目からウロコ・・・。登場場面すべてが、ちゃ~んと筋通ってるんですねー。アンドレだからどーたら、っていうより、場面場面をどうつなぐか、ちゃんと考えられた演技に見えます。
 セリフもね、めちゃくちゃ聞き取りやすいっ。ハッキリと客席に語りかけてきますよね。かしちゃんが芝居始めると、ハッと意識を取られるもん。特にひとりのシーン。ペガサス直前の独白とか、アンドレの切ない心情がバシバシ伝わってきます。わたし、今回のアンドレの脚本への書かれ方(なんかアンドレの自己完結っぽい&いかにも今宵一夜のためだけアンドレな感じが)、あんまり好きじゃなかったんだけど、かしちゃんのアンドレみたら「これもアリなのかなぁ」と思ってしまった!

 オスカルが殴られて寄り添うときの温かい見守りの雰囲気とか、毒入れたあとの猛省ぶり(←去り際の背中がホントに後悔してたよ)とか、演技も細かいツボたくさん!

 白眉はなんといってもバスティーユ前だなっ。目が見えない演技がもうもう・・・いかにも闇をつかむという手の動きが、ググッとこちらの切なさのツボを押してくるんです。橋のワク?(なんていうんだっけ?橋柵?)を、手を伝わしてオスカル求める様子も、切なすぎ&美しすぎ!た、耽美だ・・・。かしドレって耽美・・・。アンドレが耽美って、ビックリですよこれ。

 でもってかしちゃん、大芝居が自然・・・。(大芝居が自然って、なんだかヘンな日本語だな)歌劇の専科さん座談会で、「ベルばらは時代劇」って話が出ていたけど、その真髄を見せてもらった思いです。雪組芝居を堪能しました。抑揚のつけかたとか、ここぞ!というときのガンとしたセリフの押し出しとか、すごかったですねー。そーか・・・ベルばらって、実は雪組に向いてるんだなぁ。
 特筆すべきは今宵一夜。「千の誓いがいるか、万の誓いがいるか!」のあそこ。わたしあのセリフ、聞いても「ああベルばらだな」とは思っても、そう好きなセリフではなかったんですよね。だって大げさ・・・。だってちょっと恥ずかしい・・・。あれ言われても、わたしならうれしくない・・・。(現代っ子)
 ところがかしちゃんの徹底的に時代劇!なチョーーー大げさな抑揚での言いっぷりを聞いていたら、思わず「ええセリフじゃ!」と大感動。かしちゃんが言うと、なんでか自然だよなぁ・・・。あのセリフ回し最高。でもなんであんなにイイのか、謎。

 ミズドレのとき、わたしあんまり細かく語ってないじゃないですかー。それはなんでかっていうと、ドコがどう!っていうよりは、ミズドレのコムカルに対する距離感?というか、主従の微妙なサジ加減すべてが、わたしのオスカル&アンドレ像にぴったりぴったり来てたからなのです。(ま、単純にわたしの感性に合ってたんですな。)
 やっぱりね。「ベルサイユのばら」そして「オスカルとアンドレ」っていうキャラクターバランスで考えると、ミズドレはすごく原作に近くてよかったなーって今も思ってます。かしドレは原作のアンドレっぽくはないんだけどねー。(まずカッコよすぎますから)でも、なんか甘美で耽美でものすごーく「宝塚だーっ!ベルばらだーっ!」って、別の意味で中毒性があるな・・・。んー!甲乙つけがたい!(つける必要もないしね)

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 そして午後はなんと大枚はたいたS席!
 ・・・・・・まぶしかったです、何もかもが。
 友人Rが「別の劇場みたい」ってつぶやいてたもん。わたしもそー思う。声も、マイクを通す前の肉声がほのかに聞こえる!真っ白いライトが舞台に反射してまぶしい・・・。はぁーっ、これがS席!?(大劇場S席は初体験でした)端っこだし、そんなに前でもないし、たいした席でもないんですけど、友人Rとふたりして、ひどく感心して帰ってきました。

 まー、でも。前すぎてよくわかんなかった・・・。舞台がまぶしすぎて思考停止状態で、「きれい!すご~い!」で終了になってしまったわっ。やはりわたしには分不相応の様子。たまには楽しいけど、普段はA席のほうが落ち着いて見られそうです。わたしにとっての「良席」は一階21列だよ・・・。友の会が送ってくるA席を「21列か27列か」あたりで一喜一憂してるのが分相応だな・・・。(貧乏性)

 ただ、あのぐらい前だと、視力激低のわたしでも、パレードぐらいは肉眼で見られて、思いっきり拍手できるのはうれしいですね。いつも「ああっ、拍手もしたい!オペラグラスものぞきたい!」で大葛藤なので。

 東京のチケットは高くて買えなさそうだし(←探したんですけどね・・・。高すぎる~!無理~!泣)、わたしの雪ベルばらは終了かぁ。

 楽しかったなー、雪ベルばら。

 ひさしぶりに本気で「楽しい」という感情が沸きまくりました。「イイ!」とか「感動!」とか「すごい!」じゃなくて「楽しい!」ね。雪ベルばらを観た時のことを思い出すだけでなんだか幸せ。癒し系ベルばらでした、わたしにはね。

月組「THE LAST PARTY」キャスト雑感などなど

2006年03月24日 | 宝塚歌劇
 ラスパ記事二本目です。
 なんか、前の記事はわたしの文学論?みたいになっちゃったなぁ~。舞台語りからちょっとズレてる??…まぁ、たまにはいいかー。

 じゃ、ここから雑感です。

 スゴかったよ、ラスパ。ほらわたし、「ゆうひくんカッコイイだろうな、キャー!」ぐらいの気持ちで見に行ったじゃないですかー。幕が開いて芝居が始まったとたん「すいませんでしたっ」って内心謝っちゃったもん。芝居がホント真剣勝負!セリフと気迫がぶつかりあう音が、「ビシバシッ」と聞こえてきそうでした…。

 ゆうひくん、ネガティブな感情を表現するの上手いね。もともとそういう資質があるというだけでなく、月組らしい細やかで抽象的な役作りで、すごかったですねー。特に好きだったのは、ヘミングウェイ相手にステーキをおごって、「それでもわたしはきみの小説が好きだ」って言うところ。それから、ヘミングウェイに「私なら女房を安い病院に移し、娘を公立に通わせる!」って言われて、「そんなこと…できない」ってつぶやくとこ。変わらない、変われないっていうスコットの弱さが、ヒシヒシとにじんで、すごく印象に残ってます。
 二幕の酒に溺れるところとか、咳き込みながら執筆に向かうところとかも、超リアル…。
 こういうストーリーだと、「繊細さ」を強調するのがオーソドックスだと思うんだけど、なんか繊細とか孤独とか、そーゆー「一言でいえる感情」をこえて、さらに一歩踏み込んだところで役を創ってるなぁと思った。ゆうひくんには、フィッツジェラルドが見えてるんだろうな、と思ったね。

 ヘミングウェイのみっちゃんがまたスゴい!
 ゆうひくんのスコットに対する、ヘミングウェイの対比が鮮明!ゆうひくんに迫る「脅威」なのだということが、ハッキリ示されてましたね。ああいうときの、月組芝居の…なんていうの?客観的な芝居の創り方っていうのは、スゴイな。演技しながら、全体を見渡すような冷めた視線が入っているね、月芝居は。存在感もよかったし、立ち姿カッコイイし、上級生のゆうひくんにまったく臆しない対等なセリフの応酬、めちゃくちゃよかったです。

 かなみちゃんゼルダ。ま、これは前記事で語った通りです。
 ゆうひくんと喧嘩するところとか、すごい気迫でドキドキした!

 めおちゃんの軍服姿、ひたすらカッコイイ!これはゼルダもグラッとくるわねー(感心)花組でどんな男役になるか、楽しみですね。

 みりおくん、いま研3?4?上手~い!

 スコットの秘書、みちるちゃんかな?
 的確な役作りだったと思うなー。甘すぎず、強く出すぎず、スコットをサッパリと慕う様子がよく出てたね。

 あと、スコットの娘、まりなちゃん?
 可愛い!ホントに「よくできたかわいい娘」に見える!
 シーラに電話で「パパをよろしく!」って叫ぶところで、わたしはマジ泣きしました。(自分でびっくりした。べつに「感動だぁ!」とか思ってたワケじゃないのに、急に涙が出てきてびっくりびっくり。スコットの執筆姿に胸が痛んでたところに、娘の電話はダメ押しでした…)

 編集者のえりさん。上手い!ザ・月組!!
 えりさんの芝居、一言一言に重みがあってすごく好き!
 スコットに「もう援助できない。わたしにも生活があるんだ!」って電話で告げるところ、苦渋の末の決断っていう雰囲気がにじんでて、「ああ、ホントにイイ編集者なんだ…」って、すごい説得力!

 シーラのまゆみさん。スコットを手なづける?お姉さまという雰囲気、ステキでしたね。こーゆー相手ならスコットも存分に甘えられただろーなー、みたいな。

 下級生にいたるまでコダワリの芝居でしたね。
 パーティ会場の「居合わせた人」だけでも、なんかひとりひとりドラマがありそ~。

 イイ作品だな、これ。
 わたし、雪組見るともう、顔なんかニコニコしちゃって、翌日からしばらく思い出しニヤニヤとかあったり、ほんっと地に足がつかなくなっちゃうんだけど。(雪組にメロメロ…)月組を見ると、背筋が伸びて、「ああ、わたしもがんばろう」っていう気にすごくなります。

 わたしももうすこし人生がんばろう、うん…。
  

月組「THE LAST PARTY~S.Fitzgerald's last day~」東京芸術劇場

2006年03月24日 | 宝塚歌劇
 観た順で雪かしドレ→東宝→ラスパの順で書くべきなのかもだけど、ラスパが上演中で旬?なうちに先書こうかなと思って。ベルばらは散々書いたしな…。(そしてまだまだ書く予定)
 旅行記?の後編は平日夜にでも。あーゆー文章はいつでも書けるから。週末の夜、時間があるときに観劇感想を書いておかなきゃね。

 ラスパねぇ、あれはヤバい。わたしの感性のド真ん中を撃ちぬかれてしまい、観劇後はややボーゼンとしちゃったよ…。「ゆうひくんが演じる悲劇的な作家の物語、きっと素敵だわ、キャーキャー」とゆー、かーなーりミーハーな動機で見に行ったのに、ミーハーする隙がなかったです…。幕が開いた瞬間、ミーハーっ気がぶっ飛びました。

 これ、芝居自体も見る前のイメージとぜんぜん違ったんだよね。先入観はイカンねー。あ、わたしバウも宙組も見てないんで、月ラスパの東京公演単体で語っております。

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●芝居自体が文学的。
 純文学が好きだと言ったら、あるとき友人に訊かれたんですよ。
「…ところで、純文学って何?フツーの小説と何が違うの?」
 …これには困りましたねぇー!何って言われてもねぇ?だって、「純文学」ってゆーカテゴリー、現にあるじゃん。でもまぁ、コレはなかなかスルドイ質問だよな、とも思ってサ。いまって、純文学のパッケージで売られてても結構俗っぽい話だったり(例:川上弘美「センセイの鞄」あれ俗っぽいと思うんだけど。)、エンタメ小説なのに純文学みたいな主題扱ってたり(例:伊坂幸太郎「魔王」)、そのへんボーダレスになってるもんねー。文学って何?っていう問いに答えられる人間、たぶん日本中にひとりもいないんじゃないですかね。
 でね。ま、こーゆー問いに答ってのはないんだろうけど、いちお、わたしなりに結論出しましてね。文学ってのはつまり、「人間の弱さを描くもの」ではないかと。ま、単にわたしにとって文学はそーゆーもんだ、とゆーだけの話なんですけど。人間の弱さを上手に描いているモノに出会うと、わたしは「ああ、文学的だな」と思うワケなんですよ。

 ラスパ、上手に人間の弱さが描かれていて、わたしは「文学的だなぁ」とウットリしたわけなのです。フィッツジェラルドの弱い部分、愚かな部分、そういうネガティブな面を含めて「人間だな」みたいなね。

●ロマンティック・ラブじゃない!
 破滅型の文学者カッコイイ、みたいな感性って、あるじゃないですか。破滅にロマンティックな色合いを見出す感性っていうか。わたしもそーゆーの好きでね。(ま、文学を扱ってるだけで萌えなんですけどね、わたしには)ラスパ、そういう作品だと思ったんですよ。作家が芸術的な性格ゆえ、私生活をかえりみずに破滅していく、破滅の美学みたいなね。それを彩るのは美しい女性!恋愛で身を滅ぼす!みたいなね。ところが観劇してみるとぜんぜん違うんだな。
 景子センセの当初の意図がどうだったかはわかんないけど、とりあえずゆうひくん主演の月組ラスパは、恋愛じゃないんですよね。恋愛って言葉、西欧のロマンティック・ラブを近代になって翻訳して輸入された概念なんでしょ?ロマンティック・ラブ、恋愛がね…ないんですよね。異性を好きになることに対するロマンチシズムが、徹底して封じられてるんですよ。ロマンティックじゃない、ただの「愛」なんですね。それは自己愛かもしれないし、孤独を埋めるただの手段なのかもしれないし、その辺はズバリと言葉にできないんですけど、とにかく恋愛じゃーないんですな。
 これ、珍しくないですか?
 宝塚の基本は「愛」で、愛ってゆーとだいたいが恋愛の話になるじゃないですかー。特に景子センセはもともとロマンティックを体現する作風でしょ。景子センセは実は、多少「ロマンティック・ラブ」にする気持ちで、脚本書いたんじゃないのかなぁ。それがすべてではないにせよ、恋愛の風味は入れたつもりだったと思うんだけどな。

 そーれが、月組がウルトラリアルな芝居で、恋愛を超えた部分で役を造形したもんで、ロマンティック・ラブの部分がぶっ飛んで、きわめて文学的な主題が出現したのじゃないかねー。

●月組芝居の真髄、そして男役であること。
 中日劇場であかねさすーを見たとき、私は以下のような文章をかきました。
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あさこちゃんが体現したあかねさすーは「心はいつもあなたのそばに」の究極のラブストーリーで、きりやんが体現したあかねさすーは「強者の論理がまかりとおるのが世の常」とゆーちょっぴり政治的なストーリーだったと思うんだけどなー。それは演じたキャラクターの違いとゆーだけじゃなく、ストーリー全般の解釈がそうだったと思う。 
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 あかねの記事には書かなかったんだけど、コレってそのまま組カラーの違いだと思うんですよね。花組のスターさんには、宝塚らしいロマンティック・ラブを増幅するハタラキがあるように思います。それが花組の華やかさの根本だと思うんだよな。月組にとっては、ロマンティック・ラブは芝居の一要素に過ぎなくて、むしろ「キャラクターの人生」とか、それが表現する何かのほうが大事なんですよね。今回はキャストが、月生え抜きのゆうひくん主演で、エリさんはじめ脇を固める面々も「月組です!」っていうメンバーだったから、その傾向が顕著だったなぁ。

 フィッツジェラルドはパーティ・アニマルだから、酔うシーンとか出てくるじゃないですか。もうね、酔ってるようにしか見えない!(笑)「ああ、もう飲みすぎないで早く家帰んなさいよ」って、声かけたくなるもん(笑)
 酔うシーンね、たぶん月組以外の組でやったら、「酔っている男役カッコイー!キャー!」になると思うんだよねー。足取りが不確かだったり、胸元をゆるめたりするときに、なにげにキザなニュアンスが漂うと思うんだよー。それがさー、月組だと違うんだよね。徹底的に男役の色気を封じて、単なる「酔っている」の表現なんだわね。それじゃ宝塚じゃないじゃん、って思うんだけど、男役の所作はちゃんとしてるから、やっぱり見目は宝塚なんだよね。あれは不思議。でもって、バリキザにポーズ取ってもいいところを、あえて男役の色気を封じてるもんだから、その封印の向こうにのぞく何気ない男役くささがね。ストイックでたまらんのですよ。ストイックな男役の色香!

●かなみちゃんゼルダは「南部の女」。
 かなみちゃんだけ、月育ちじゃないんだよね。あくまでシャープな月組の芝居にくらべ、かなみちゃんの芝居は情感豊か。(どっちがイイとは言ってませんよ。こーゆーのに正解はないんだから。個性の違いね)だからたしかにかなみちゃんの芝居だけ「ああ、芝居の仕方が月っぽくないな」とは思うんだけど、わたしにはそれが奏功してるように思えてねえ。
 というのはね。わたし、事前にフィッツジェラルド短編集を読んで出かけたのでね。そのなかに「南部の女」の話があるんだよね。南部の女が、北部にあこがれて北部の男とくっつくんだけど、実際に北部へ行ってみると、けだるい南部が恋しくなって、北部に違和感を抱いてけっきょく帰ってきてしまうっていうね。ほんのすこし享楽的で、甘くけだるい、明るい南部っていうイメージが書き込まれてるんですよ。ゼルダって、そういう女性だったのかなぁって思ってサ。フラッパーガールだとか、そーゆーのとは別に、根の部分でね。気取りがなくて、はっきりモノを言って、楽しいことが好き!っていうね。
 かなみちゃんのゼルダ見てたら、その短編の主人公がバーッって浮かんできたんですよ。繊細同士とか愛し合ってとかポジティブなものじゃなくて、ゼルダはフィッツジェラルドにとって、ネガティブな存在だったんじゃないかなって。美貌で憧れの女性ゼルダの光がつくる、影の部分に惹かれたのかなって思ってね。かなみちゃんが華やかに強い存在感を打ち出すほど、ゆうひくんの影が濃くなる気がして、わたしにはものすごく府に落ちる芝居でした。明るすぎるモノ、華やかすぎるモノって、スコットにとっては、かえって不安をかきたてる闇だったんじゃないかなぁ。その闇をこそ、作家としてのスコットは欲していたのじゃないかな。

●どうしようもない弱さ。
 ロマンティック・ラブじゃなければ、じゃー何なの?ってことなんだけど…。けっきょく、スコットの弱さだと思うな。わたしはフィッツジェラルドは今回読んだ短編集と、華麗なるギャツビーしか読んでないけどね。一貫しているスタンスは「女性への思いは一途」「あきらめ」「現状維持」コレですな。ほかの女にすればイイのに、ずーーーーっとひとりを想いつづけちゃったりするんですね。(よーするにゼルダなんだろうけど)で、ホントに愛しているのかっていうと、それはわかんないワケですよ。ただの未練だったり、時を止めて過去の幻想だけを愛してたりね。で、女と再会してほんのすこし現実を知るんだけど(女が老いていたり、昔ほど魅力がなかったり)、それで憤慨もガッカリもなくて、ただ「受け入れる」んですね。そして現実は続いていく。自分は変わらない、変われない…。これは、弱さですよ。孤独や繊細や苦渋っていうのもあるだろうけど、それを誘発してるのも「弱さ」だね。そのことをフィッツジェラルド自身もたぶん知っていて、だから文章はどこかシニカルなんですね。

 ゆうひくん、フィッツジェラルド読んだのかなぁ。読んだんだろうなぁ。いや、なんかね。今回の芝居、わたしがフィッツジェラルドの作品を通して知っていたスコットに近かったですね。

 わたしは、フィッツジェラルドはゼルダに「恋愛」してなかったと思うし、ゼルダがフィッツジェラルドに「恋愛」していたとも思えないんですよ。フィッツジェラルドのただの弱さですよ。ゼルダを手放せなかったのもね。ゼルダはいろんな意味で開放的な女性だったと思うよ。それを自分の幻想のなかに押し込めて抑圧したのは、たぶんフィッツジェラルドだね。繊細だから狂ったんじゃなくてね、単にゼルダとフィッツジェラルドの関係性が不健康だったんだよ。フィッツジェラルドはそれを変えようとしなかったし、ゼルダは本能で生きてる南部の女だから、それを「感じて」はいても、変える術を知らなかったんだろうねぇ。恋愛じゃなくて、故郷からの付き合いの長さで、互いへの「情」はあっただろうし。
 不健康な感情に、抗いもせず溺れていたんだろうなぁ、フィッツジェラルドは…。ゼルダは巻き込まれたんですよ、そのネガティブな感情の渦に。

 そういうわたしのイメージに、ゆうひくんとかなみちゃんの芝居はガチッとハマってました。だから、とてもよかったと思うんだけど。るいちゃんのゼルダを見たら、また違う感想になるのかな。ま、わたしはそう感じた、という話ですので、「違~う!」とお思いの方ももちろんいらっしゃることでしょう…。

 脚本とかストーリー的に、けっこう寡黙だよね。セリフは多いんだけど、肝心なことはあんまり語らせず、行間で悟らせるようなつくりといいますか。月に向いてる芝居だったなー。行間の埋め方が、「お見事!」でした。景子センセの演出も冴えてたけど、月っ子の芝居っぷりも作品のレベルを上げたね。噛み合って、相乗効果でイイ作品になったんだろうね。そういう芝居を見られるのは、面白いし幸せなことです。

 長くなってきたので、ここらでいったん切ります。
 キャストの話は二本目。

買い物と妄想

2006年03月16日 | 宝塚歌劇
 昨日の夜、買い物がてら(名古屋の買い物定番といえば)地下街をぷらぷらしていたら、真っ白いヒラヒラブラウスを発見!!ふだんサクっとスルーする店なのに、とっさに店に飛び込んで、ブラウスをめでるわたくし。

 …はい。もう、オチはおわかりですね。
 「コム様が着てたヤツに似てる~」とゆーだけの理由です。そこの店にはほかにもヒラヒラっぽい服たくさんあって、しかもマネキンが胸ヒラブラウスに黒ジャケットってゆー、「コム様でしかありえない!」という格好をなさっており、店で楽しく妄想してすごしました。何見ても「これ、コム様が着たら似合うだろーなぁ~v」としか思えなかった重症なわたし。

 次にアクセサリーを見ていたら、ピンクのジャラジャラキラキラしたネックレスがあって、またもやたちまち妄想モード。
「これ、まーちゃんがつけたら可愛いだろーなぁ~」(ニヤニヤ)←アヤシイ

 だめだっ…。何見ても宝塚のことしか考えらんない!これは重症だー!昔はこんなわたしじゃなかったのにーーーー!!でも、ちょっと幸せv(←アホかー!)

 ぷらぷら中、一枚「これイイなあ」っていう柄スカートあったんだけど、値段見たら。

 週末に見る(定価以上で買った)ベルばらのチケットと同じ値段!!!!!

 で、ちょっと遠い目んなりました…。スカートは何十回もはけるけど、ベルばらはたった三時間だよ??三時間のために、わたしは普段なら買うのに決断がいるスカートと同じ額を出したんかーーーっ!!

 ***

 そういえばさー。コム様がしょっちゅう写真でつけてる、小さな銀のクロスネックレスあるじゃん?あれと似たデザインのを、「コム様とお揃いっぽいネックレスした~い!」ってゆーアホな一念で探してるんだけど…シンプルなデザインだからどこにでもありそうで、なかなか無いですねぇ。週末から東京行くから、東京でも探してみようっと。

 明日はPC開けられなさそうだから、たぶん、これが旅行前最後の更新です。
 土曜日はムラへ日帰りし、日曜日から2泊で東京です。東宝星ベルばらと、ラスパ見てくるよん。しばらくココは、「携帯からまぼろし日記」の短文が連なる、単なる日記と化すでせう。

 じゃ、いってきまーす!

最近のトピックスいろいろ

2006年03月16日 | 宝塚歌劇
 ベルばらに燃えすぎて、フツーの話題で書き落としてたのがたくさんありますな。もー、何を書いてないのかも忘れちゃったけどサ。順不同、脈絡なしの雑談、いきます。すっごい古い話題とか出てきます。

●トロとちかちゃん
 前回FNNスピークを見逃したこともあり、「慎重を期さねば!」と決意。まるまる一時間半ビデオにとりましたよ! で、トロのコーナーってのがどんなもんかも知らなかったので、てっきり20分バッチリあるんだと思ってたら・・・らら、わずか1分!?しかも音声ないんだ!?ちかちゃん、ちらっと映っただけ!?(オスカル扮装見られたのはうれしかったけどさぁ)
 あれは、空で受け取って撮影するんですかねぇ。不慣れでぎこちないちかちゃん、可愛かったですね。
 わたしはちかちゃんの星特出を見てないので、なんとなく脳内であの映像を雪ベルばらに重ねて、雪全ツに思いをはせてしまったよ。楽しみだな、全ツ。なんで名古屋はないんだろう。愛知県、ビミョーに名古屋市郊外で行きにくい・・・。(行くけど)

●コム様のお好きな漫画
 歌劇のコム様のお好きな漫画ベスト5。期待を裏切らないラインナップだねぇー。5つってのは難しいよね。「大切な漫画」と「面白い漫画」はまた違うしね。
 BANANA FISHのアッシュって、なんとなくコムちゃんと一脈通じるところあるよね。容姿が世間に与える印象と中身にギャップがあって、それを意識的に使いこなしてるようなところがね…。 
 コム様のお好きな漫画、ベスト20ぐらい聞いてみたい気がするのう。

●セブンティーン、ゴスロリバイブル
 セブンティーンも恥ずかしながら立ち読みしたぞ。いいオトナがティーン向け雑誌棚の前にいるだけでチョー恥ずかしかったっつの! でも見た甲斐あったわっ。コム様を前に泣いてしまったモデルさんを、頭なでなでしてなぐさめるコムちゃんの「あらー。泣いちゃったよもー!笑」みたいな、いたずらっぽい笑顔が最高。あれ、素の表情だな…。カメラマンさんナイスショット! わたしもコム様が目の前で話しかけてくれたら、感激で泣く自信あります!(←そんな機会ないから)
 ゴスロリバイブルはお洋服のお話でしたね。Tシャツ一枚でも試着、とか、きちんと丈を合わせるために絶対お直しするとか…えらいなー。わたしも見習わなけりゃのう…。鏡の前であててみて「あっ。いいよコレで。オッケーオッケー!」って、30秒で買いますから、わたし…。早いよ、買い物。(自慢にならん)
 将来の夢「縁側でお茶」とかなんとか、ごまかされた(笑)って感じだね。ありがとう、コムちゃん。コムちゃんが退○するその日まで、夢みさせてもらいます!

●歌劇の「雪組よろず帳」
 雪組生みんな、ホントに日本モノに誇りを持ってるんだね。
 ハマコさんの元気、いいなぁ。インタビュー読んだだけで、こっちまで元気が伝染してくるよ!

●わたるくん退団記者会見
 まぼろし日記で触れたきり、これをまだ正式に記事に書いてないんだよね。わたるくん、ご卒業おめでとうございます!!フェルゼン、めちゃくちゃカッコよかったよ! 大学進学っていうのも、なんかイイですね! わたるくん、中学出てすぐタカラジェンヌになったんだよね? 大検取ってまで大学目指すって、すごいなぁ。「ずっと好きなこと、望むことへチャレンジを続ける」っていう若さ、タカラジェンヌは永遠の娘って感じで、なんかいいよね。あこがれるよね。

●ファントム記者会見
 オサちゃん、似合うじゃんっ。
 ファントム、当時宝塚に対して相当財布のヒモ固かったはずのわたしが、珍しくビデオまで買った作品だ。たかちゃんの凄まじい美貌っぷりばっか印象にあって、「再演のとき、どうなるんだろう」と思ってたんだけど…記者会見の写真見たら、俄然楽しみになってきましたよ!なんてったって、オサちゃんのすっばらしい美声で、ファントムのきれいな曲が聴けるんだもんね!楽しみ楽しみ。あやねちゃん、がんばってね!


中日スポーツ「見開き大図解 帰ってきたベルばら」

2006年03月15日 | 宝塚歌劇
 本日正午、フィッツジェラルドを読みつつ(←ラスパの予習)まったりと昼休みを過ごすわたしのもとに、彼氏からメールが着信。ゆうべWBCの誤審に怒り狂ったメールが来てたから(←わたしに言われてもねぇ・・・)、その続きの話題かなと思いきや。

「今日の中スポは見開き宝塚特集だから、ドラゴンズへの資金援助のつもりで買ってみたらどうですか」

 とゆー内容。・・・ドラゴンズへの資金援助うんぬんのくだりは余計だが、せっかく教えてもらったし、ベルばらというからには、コム様も写真ぐらいあるだろうから買おうっとv スポーツ新聞、安いしね。しかし一応、メールで尋ねてみた。

私:「朝海ひかるサマは載ってますかね?」
彼氏:「載ってますよ。フェルゼン伯だっけ」
(お互いメールは敬語なんですよ。つきあって長いのに)

 コム様がフェルゼンって・・・おいおい、さてはろくに読んでないね、彼氏っ!!あーた、ベルばら全巻持ってるハズでしょーが!!(本当。そしてアンドレの純愛?に共感しているらしい)キャラクター知ってるんだし、そこ大事だから間違わないよーに。
 
 というわけで。ドラゴンズFANの彼氏の愛読誌「中日スポーツ」を買ってきたぞ。彼氏が読んでるから見たことはあるけど、自分で買うのは生まれてはじめてだわ。(スポーツ興味ないですからねー・・・。オリンピックすらロクに見ないんですよ)コンビニの新聞ラックから抜くときに見える一面には、「見開き大図解 帰ってきたベルばら」の文字。おおぅ・・・見開き大図解とな! 帰ってきたベルばらってタイトルも笑えるね。「帰ってきたウルトラマン」のやうだ。それに大図解とくれば、なんか「帰ってきたウルトラマン 怪獣大図鑑」とか、そんな感じしません? 幼稚園児の男子が持ってそうな感じ??

 ・・・前振りが長くなりすぎました。ま、中日スポーツなんてローカルなメディアの、スターインタビューでもない記事、わざわざ買った人少ないだろーから、たまには「内容レポート」でも致しましょう。

 内容、文章はわたしによるテキトーな要約です。
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 えーとね。12面と13面、新聞のド真中にドーンと見開き(カラー刷り)。写真は全部、チラシとかポスターと同じショットですね。右下にコムカル&まーロザリー、左上にわたるフェルゼン&となみマリー。表題は「あの「ベルサイユのばら」が帰ってきた!上演1500回を超える宝塚史上最高のヒット作」とか書いてあります。宝塚史上最高の~うんぬんは宝塚歌劇団が使ってる売り文句そのまんまですな。マリー・アントワネット生誕250周年!もデカデカ書かれてますが、ただいま絶賛上演中のオスカル編にはアントワネット出ませんから残念っ!(←ギター侍の口調で読んでください)

 で、下六分の一ぐらいは、「公演ヒストリー」と題して、二面にわたって過去のベルばら上演のトップコンビ写真ですね。右から初演~最左が2001星。年号と写真のスター名はもちろん付記。これが年表代わりにもなっているレイアウトで、ところどころ矢印で「1972 漫画ベルサイユのばら連載開始」とか、「1979 テレビアニメベルサイユのばら放映開始」とか書いてあります。おもしろいなと思ったのが「1975 ベルばらブームが巻き起こる」だってよ。そーか・・・年表に書かれちゃうぐらいだから、よほどスゴいブームだったんでしょーねー。

 コムカル&まーロザリーの写真のうえには、いかにも新聞~な紹介記事。これはまぁ・・・特記するようなコトはないですねぇ。フツーの紹介記事ですな。桜木星子さんの言葉を借りたりしています。「イメージを壊すことなく宝塚ファンに愛される作品になるだろうかと、初演ではずいぶん心配したそうですが・・・・・(中略)・・・・・結果的に大ヒットして社会現象になった」みたいな話です。

 冒頭の紹介記事が終わると、左側は桜木星子さんのコーナー。ベルばらヒットの理由を分析するっちゅー趣旨のようで、「劇画と宝塚のファン層が同じだった」とか、「ロココなセットが豪華で華やか」とか、「フランス革命とゆー重苦しい題材ながら、テーマが恋愛である」「魅力的なキャラクターが多い」「いろんなバージョンで上演」「他組スターが出たり競演が豪華」「宝塚やフランス関連の時代の節目に上演されるのでいっそう盛り上がる」「スタッフが一流」とか、そんな感じのことが書いてありますです。囲み記事として「誕生秘話」っつって、ファンが植田せんせーにマーガレットを送って「少女漫画なんて」といわれつつ、「イメージが壊れる!」と苦情受けつつ初演、とゆーおなじみのエピソードが紹介されとります。

 はい、次。
 次も定番、キャラクター相関図でーす。「ドラマチックな運命を背負った登場人物」とか書いてあるよ。コムちゃんとかわたるくんとかの扮装顔写真を使って、相関図が作成されておりますね。まーロザリー、となみマリー、わたるフェルゼン、オスカルはコムちゃんとトウコちゃんと写真ふたつ。アンドレはトウコちゃんとかしちゃんとちかちゃん。星と雪の組内だけ載せたってことかな? ちなみにオスカルとロザリーを結ぶ線上には、しっかり「小間使い」と書いてあって、ちとウケた。オスカルとフェルゼンを結ぶ線には「友人」しか書いてないぞ。それだとだいぶストーリー違うと思うんだが・・・いいのか? ハートマークはマリー&フェルゼン、オスカル&アンドレを結ぶ線に。マリー&ルイ16世の線には「夫婦」とだけ。そらまぁ、単純に見ればそうだけどさぁ~。いろんな愛のカタチがどーたらってキャッチフレーズだけあって、実際はもうすこしたくさんの「愛」があるし、相関も複雑だよね。ピンクの丸囲みで、フェルマリとオスアンそれぞれのカップリングの恋愛の内容をちょっと紹介してあります。初心者にやさしいつくりだ。

 物語の背景、としてフランス革命を超やさしくかつカンタンに、6行で説明してます。「王政は火の車であるにもかかわらず、貴族たちは派手なドレスを着て踊りに明け暮れ、ぜいたくで享楽的な生活をしていた」とか、ちょっと表現が小学校の教科書みたいだなぁー。小学生は中スポ読んでないと思うんだけどー。

 そんで私が一番ウケたのが、フェルマリ編とオスカル編、それぞれ「舞台の見どころ」が箇条書きになってて、今回の新演出に「NEW」マークがついてたこと(大笑)要約で書くよ。
 ★(中スポによる)フェルマリ編見どころ
  ・フェル&マリー密会
  ・いけいけフェルゼン
  ・一幕最後の夜会の場面(NEW)
  ・子供との絡みでマリーの母性を描いている点(NEW)
  ・牢獄でフェルゼンとの別れ
  ・断頭台に向かうマリー
 
 ★(中スポによる)オスカル編見どころ
  ・フィナーレみたいな豪華なプロローグ(NEW)
  ・今宵一夜
  ・バスティーユとアンドレの死
  ・ジェローデル→オスカルへの求婚
  ・アランほか衛兵隊の男役
  ・ロザリー幻想場面(NEW)
  ・クレーンペガサス(NEW)
  ・ロザリー→オスカルへの告白(NEW)
  ・ガラスの馬車

 うーーーーーーーん、まぁ見どころっていえば見どころになるのかぁ。ロザリーの告白も? いちお、新場面だしね。フィナーレみたいなプロローグって・・・こういうところに公式に書かれるとなんとなく笑えてくるね。事実なんだけどね。

 最後は公演スケジュール。その左には次回の図解シリーズ予告。次回3/29は「スポーツ大図解 カーリング体験」だそーです。
 

 

 

雪ベルばらを雑談するⅤ(アンドレを語るーオサドレ&ミズドレ雑感ー)

2006年03月12日 | 宝塚歌劇
 よーやくアンドレの話にたどりつきました・・・。世間はアサドレですが、このブログはいまさらオサドレとか語っちゃうのでありました・・・。

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 あーのねー。雪の脚本、アンドレの書きこみが少なすぎるよ!オスカル以上に不満かも。
 星んときも、「ああー、アンドレが割り食って削られてるなぁー」と思ったものの、一応、スジは通ってたし、トウコちゃんは上手いし、役替わりオスカルに気をとられるし・・・で、「不満だー!」ってホドじゃなかったんだけど。

 雪のこのアンドレで役替わりやるってのは・・・無茶だなぁ。

 雪ベルばらのアンドレ、ほとんど「今宵一夜」のためだけのアンドレじゃ~ん。
 思えば星のアンドレは、庭でオスカルと語らう1シーン、あれが効いてたんだな・・・としみじみ思った。「小石につまずいていては」云々のあそこ、ただ単にオスカルとアンドレが戯れてるだけなんだけど、あの1シーンのおかげで、「オスカルとアンドレが仲良し」なことが、とりあえずよーくわかったもんね。あのシーンがあって、今宵一夜で結ばれるのを見るから、「くっつけて良かったのうー」と思えるんだねえー。

 アンドレ特出なんだし、毒殺と今宵一夜以外に、もうすこし1幕でオスカルとの会話があるとよかったのにね。

 と、脚本に文句言ってても始まらんので、特出の話にいかなきゃね。
 うー、しかしながら、この脚本のアンドレって、トータルで語りにくい感じだよね。けっきょく、「オスカルをどういうふうに好きなのか」っていう、恋愛の部分(つまり毒殺未遂&今宵一夜だよね)しか、語りようがないといいますか・・・。アンドレの社会的な立場とか、オスカルとの関係とかは、ぜんぜん描かれてなかったもんなぁ。

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●わたしが思うに、アンドレってのは。
 オスカルとアンドレの関係の根本ってのは「主従」だとわたしは思ってるんですよ。そりゃぁね、身分関係なく人間として寄り添いあって、分身で光と影で・・・っていうのはその通りだと思うんだけど、それも突き詰めていけば、オスカルが主でアンドレが従だったからじゃないか、とわたしは思うんですよ

 これやっぱね、アンドレが身分が低くて、オスカルに対して「従」だったから、成立したんですよ。アンドレがもし、オスカルに釣り合う身分で、オスカルの仕事を補佐する立場ならどーだったかっていうと、それが「ジェローデル」って存在でしょう。 
アンドレがどーして「影」で満足してたかってぇと、アンドレがオスカルより身分が低くて、男とか女とかゆー以前に、オスカルを「見上げる立場」だったからだと思います。アンドレの身分が高かったら、もーちょっと違う展開だったと思うよ。オスカルもアンドレを選ばなかったかもしれないしね。逆に言うと、アンドレが「影」でいるための設定的な「仕掛け」が、身分差なんじゃないですかね。(池田せんせいはそこまで意識して描いたとは思いませんが、結果的にそうなっていると思います)

 だからね、オスカルとアンドレの恋愛は「身分違いの恋」なんだよね。

 複雑な感情や設定が絡み合ってて、だからベルばらは名作なんだけど、枝葉取っ払ってオスカルとアンドレの恋愛を一言でいうなら、「身分違いの恋」だと思います。アンドレには、仕える家のご令嬢のオスカルが、それはそれはまぶしく映っていたと思うなぁ。いくら親しく育ったとはいえ、越えられない最後の一線「身分」のヴェールを通して、オスカルをまぶしい存在としてみていたんじゃないかなぁ。

 ま、このへんは「わたしはそう思う」ってお話で、もちろんアンドレ解釈は、世の中に何千通りもあるのでせう。

●二番手がやるアンドレが好き!

 で、自己流アンドレ解釈を披露して、何が言いたかったかと申しますと…。
 わたしは上記のようにオスカルとアンドレを「身分違いの恋」だと思ってるもんだから、その観点からいくと、二番手がやるアンドレっていうのが、一番「しっくり」来たんですよ。

 や、もちろんね。
 トップと二番手は「身分が違う」なんて思ってるワケではないんだけど、なんとなくトップを支える立場の二番手さんが、トップのオスカルに対してアンドレをするっていうのが、もう想像以上にグッと来ちゃってねぇ~。(設定萌え?)

 オサちゃんのアンドレも、ちかちゃんのアンドレも、それぞれの個性でとてもカッコよかったんだけど、そーゆー「個性を楽しむ」とはまた別の感傷で、「ああー、トップオスカル+二番手アンドレってイイわあーー!」と、ミズドレは自分的にえらい盛り上がったのでありました。

 またちかちゃんのアンドレがさー、背中がケナゲ!でさ~、オスカルに寄り添う様子が、んもう、アンドレだー!アンドレだー!アンドレだー!(←意味不明…)包容力はガツンとあるんだけど、「俺が守ってやるぜ!」っていう積極性より、「ただそばにいるよ」っていう受身な優しさっていうの? そこらへんがわたしの感性に大ヒット!いや、あーゆう人なら、キャリアウーマン?のオスカルを、仕事も理解したうえで、影から支えてくれそー。オスカル…幸せモノだな…。

 それにしてもちかちゃん、まるで昔から雪組にいるかのよう!
 幕開きのシャンシャンのとことか、やわらかいホホエミが、すんごく雪っ子スマイルだなーと思った!

●オサドレ特出を語る

 オサちゃん、すっげーかっこいい(笑)
 わたしはアンドレって結構ヨワいとゆーか、ケナゲでかわゆいところのある男性じゃないか、と思ってるものだから、オサちゃんのはちょっとカッコよすぎるかな、とも思ったけど(大笑)
 オスカルが仲間として信頼して頭を預ける、同期の今宵一夜はかっこよかったなー。トップ同士の、火花散る…って表現は大げさかもだけど、やはり同期同士かつトップ同士ならではの、競争意識?と申しますか、「トップの競演!」っていう緊張感は心地よかったですね。特にフィナーレのコムちゃんと踊るところ、銀橋で対称に立つところなんか、同期独特の対等感があって、「いいなぁ」って思った!


 オサちゃん、銀橋の使い方とかめちゃくちゃ上手いですね。銀橋に出てちょっと歌が始まると、もうパァーッとそこだけ金粉散ってるかのような輝きっぷり!かっこいー!まさにスターっ!また歌が激ウマだからね、聞かせる聞かせる…。そのソロ見ただけで、「ああ、来てよかったー!!」ってすごい幸福感。

 あと、ものすごく印象に残っているのはフィナーレ。
 フィナーレのダンス、ゆっるーい振りなんだけど、オサちゃんのキメのカッコよさに目を奪われました。ダンスとなればコム様ひと筋v オペラグラスは固定が基本v なわたくしが、オサちゃんもずっと観たくって、葛藤しながらオペラグラスを忙しく動かしてしまったよ!花組のスターさんって、キザなキメがものすごくキマるね!ああいうユルい振りだからこそ、そのキザっぷりが際立ってましたね!

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 うーん、やはり雪のアンドレ特出は語りにくい脚本だな。(星オスカルのときにくらべて、字数すくなすぎですね) オスカルと違って、アンドレ単品で場を統べる場面はないから、仕方ないのかな。とはいえ、もーーーちょっと、オスカルと物理的に絡むシーンが多いほうが、特出の醍醐味があっていいと思うけどねぇ。
 

雪ベルばらを雑談するⅣ(キャスト雑感&バスティーユを語る)

2006年03月09日 | 宝塚歌劇
 3回目を見終えてのイキオイで書くので、前と重複する内容も含んでます。すいません。まとめて書けよなーって感じですよね…。

 役替わりアンドレは別記事にするつもりなので、今日はアンドレの話は意図的に抜いてます。

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 で、さっそく重複する内容ー。
 想像以上というか予想以上というか、とにかくキムちゃんのアランがすごくココロに残っててねえ。私の最終観劇はかしドレなので、もうキムちゃんのアラン、観られないんだなぁー…名残惜しいね!って思うぐらい、すっごい良かったねぇー。
 衛兵隊に初出勤するオスカルに、アランが悪態つくとこあるじゃないですかー。あそことか見ごたえ充分。剣を交えたあと、オスカルがアランに触れようとして、アランがその手を払いのけるところ!その振り払い方の、いかにもぞんざいで荒っぽい感じがね、「アラン」でしたねー。オスカルを揶揄して、「ドレスを着せたらさぞ…」とかなんとか言いながら、オスカルの身体に沿って空をなぞるとこも、やーらしいと言うか、女隊長が来たことへの苛立ちを存分ににじませて、セクハラするねちっこさがね…たまらんですね。キムちゃんてやっぱり、「芝居の雪組」の生え抜きなんだね!って(いまさら)実感。芝居心がある、いいアランだったなー。もちろん、ちかちゃんのアランも、卒倒するほどカッコイイんだけども、これは予想の範囲内というやつでして、「ちかちゃんアラン、やっぱカッコイーvv」だったんですね。キムちゃんのアランはあまり気に留めずとゆーか、「そっかー、キムちゃんアランなのねー」ぐらいの、気軽な気持ちで観たら、思ったより良くてガツーンとやられてしまい、よけい印象に残りました。

 前回書きそびれた娘役さんとかの話を書かねばね。

 ロザリーのまーちゃん。
 かーわいーーーーーーー!!!!!!
 コムまーファンのわたくしは、コムちゃんとまーちゃんが同じ場面に出るわずかな時間に、すごい勢いで食いついてしまったよ!ええ、ええ。わかってるの。ベルばら特集本で、植田センセも自分で言ってたけど、「オスカル編」では、相手役の娘役は扱いに困る存在ですよね…ロザリーにしたのも苦肉の策だけあって、「ああー!無理やり作ったねー!」な場面ばっかりなのは承知ですとも…。それでも、ど~してもコムまーが好きなわたし(泣) ロザリーの幻想場面とか、最後にコムちゃんとまーちゃんが絡むのを見るだけで、めちゃくちゃ幸せでございました。
 オスカルとロザリーの場面、回を追うごとにいい意味で力が抜けて、けっこう自然な場面になってきたね。

 シナちゃんのディアンヌ、これまたかーーーわいーーーーーー!!こんな妹、ほしいよ!いづるんのかわいげのない奥さん役?はシナちゃんと好対照で、ほっこり楽しいー。下町っぽいしたたかさが、よく出てたよね。圭子さんの「ご婦人」ぶりはいつみてもステキv あと、かおりちゃん可愛いよね。あのふっくらしたところも、チャームポイントですごいお気に入り。かおりちゃん、なんともいえない愛嬌というか、愛らしい雰囲気があるよね。かなめちゃんが、かおりちゃんを連れて引っ込む場面が、わたしのなかでプチブーム。かなめちゃん&かおりちゃんのコンビ、ハンサムなおにーさんが、不器用な妹を導くような微笑ましい雰囲気があって好きなんだよなー。

 あ、ゆりんちゃんのルルーが、いい味出してたね。

 はまこさんのベルナール、脚本上、単なる「説明係」みたいな役になっちゃってて、ちと気の毒でしたね。もっとカッコイイ役にしてあげてよ、植田せんせー!

   ***

 で、ここからコムカルの話。(←またかよ)
 もう…ダメ!コムカルにすんごいハマってます。コムちゃんがオスカルやるって決まった時は、「ええー?女役ーーー!?」って思ってたはずなのに…いまは女役とか男役とか、そーゆー枠組みを超えてひたすら「コムカル」自体にハマってしまっています。ヤバいよ、あれ。めちゃくちゃイイよ!
 星特出のときとは、脚本ちがうからビミョ~に違うコムカルなんだけど、でもなんかイイっ!!エリートゆえの倣岸さと自信がほんのり滲むのが、めちゃくちゃかっこいいっ。明るい口調で話しているのに、どこかシニカルなニュアンスが入るのも絶妙。もう、オスカル様そのものにしか見え~ん!!(←それを世間はファンの贔屓目という)

 雪ベルばらでわたしが一番感動するのは、オスカルの「さらばもろもろの古きくびきよ…」ってセリフのところです。いろんなものを断ち切って、おのれの意思を貫く覚悟と、悲劇に向かうエネルギーを感じて、すんごい感動する!抑圧をはねのける強さっていうか、世間の鎖を断ってオスカルが真の自由を勝ち得る瞬間だよね。

 アンドレが銃弾に倒れたときの、コムカルの「アンドレぇぇーッ」も、ただならぬ悲痛さだよね。んーっ、コム様の悲劇はすばらしぃーっ!!そっから「諸君…まずはバスティーユだ」→「シトワイヤン行こうー!」は、観ていてめちゃくちゃ興奮します。「おっし!わたしも革命に突っ込むぞー!」って気分になっちゃうよ。そこ観てると、マジで動悸が激しくなるね。(いや、コムちゃんを見ると写真でもドキドキするんだけど…え?単なる「恋」ですか!?)

 で、バスティーユのダンスも熱く語りたいんですけど…。

 雪組のバスティーユダンス、めちゃくちゃイイよね!!!!!

 星のパワーあふれるバスティーユダンスも大好きで、「さすがは星組!イイわあー」ってご満悦で、「うーむ、雪組だとどんな感じなんだろ?想像つかないな」って思ってたんだけど。雪組のも、すごくイイよね。組カラーってホント不思議。おんなじ芝居のおんなじ振り付けなのに、どうしてこんなに印象が変わるんでしょーね。どっちもすごく好きなんだけど。

 雪組のバスティーユダンスは、端正でシャープだねぇ。みんなが心を合わせて踊ってるのがわかる。星組のバスティーユは、「ひとりひとりが怒ってるー!みんなそれぞれの想いで革命にのぞんでるんだなぁ」って芝居のひとつとして見えてたんだけど、雪組のバスティーユはその場面自体が、「革命」ってゆー抽象的なモノを象徴する、表現的な場面に見えますね。
 その真ん中で踊るコム様がまたステキィーーーー!!(涙)
 ま、フィナーレ含めて、コム様が本領発揮で踊りまくる数少ない場面のひとつだしね。剣を横になぎ払う振りとか、コムちゃんの無駄のない流麗なカラダの動きに、ドキッとしちゃう。「わが名はオスカル」のなかで、「悲しみと迷いを切り払え」だっけ?なんかそんな歌詞あるじゃん。あそこを歌うコムちゃんが、わたしはものすごく好きなんだけど・・・なんかさー、コムちゃんの根本的な強さとゆーか、まっすぐな力が、そこに象徴される気がしてさ。その歌詞と、コムちゃんが華麗に踊るバスティーユダンスのシーンが、わたしのなかではどうもイメージがダブるようで・・・コムちゃんがダンスのなかで剣を薙ぐとき、それはオスカルが悲しみや運命を切り払っているよーに見えるってのは・・・ちょっと感傷的すぎ??(だって、そう感じるんだもん・・・)コムちゃんの「わが名はオスカル」、低音の迫力がイイですね。コムカルの怒りが(ズンズンズンっていうキメの拍のある)メロディによく乗ってるし。

 て、あれ?話がそれたね。
 バスティーユの話に戻しまして・・・。

 倒れ方がまた素敵ーーーーーーーー!!
 ああ…コムちゃんの死に際演技ってどうしてこんなに美しいの!(うっとり)…死に際見てウットリするなんて、倫理的にどうなのよ自分?といつも自問自答しつつ、しかしどーしてもコムちゃんの死に演技が好きなわたし…。
 今回は特に、一回倒れてまだ「いまわのきわ」の演技が続くじゃないですかー。もうウットリウットリですよ。倒れたときの、コムちゃんの苦しげな荒い呼吸も、いかにも「撃たれました!」な感じですばらしいっ。(あれはダンスでマジに息が上がっているのか、死に際の芝居なのか…たぶん両方?)

「アンドレ…おまえはもう、いないのかーっ」

 の絶叫、すごい虚無感がこもってて、グッと来るねぇ…。
 なにかこう、コムちゃんの悲劇って、なんともいえないギリギリ感と切迫感があって、わたしの胸をえぐるんですよ。

 とにかく、わたしはコムカルにものすごくハマっているのでした。
 フィナーレで長髪のカツラにして、女性的な雰囲気にしてるのも、たぶんオスカルが女だから…なのかな??わたしは「男役コムちゃん」のファンなので、正直さいしょは、フィナーレぐらいはバリバリ男っぽい雰囲気でいてほしいのになーとか思ってたんですけどね。それももう、どーでもよくなってきた!男とか女とか、関係ないよ…。コムちゃんが演じるオスカル、コムカルが率いる雪組のベルばら、わたしにとっては、たくさんの感情をくれる、忘れられない一作になりそうです。

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 次回、やっとアンドレの話を書く(予定)。
 オサドレの話とか、いまさらだよねぇー??ま、せっかく見てきたんで…。 

 
 

雪ベルばらを雑談するⅢ(3回目の観劇を終えて)

2006年03月08日 | 宝塚歌劇
 おひさしぶりです。
 もーーー、雪組だしベルばらだし、脳内ベルばらvvで日々過ごしたいのに、なにかと予定が立てこんでいて、現実に引き戻されまくりな日々を送っております。わたしー、ふたつのこといっぺんにできないのにーーー。いまはベルばらのことだけ考えて、ブログを更新しまくったりしたいんですけどねぇー。

 先週は舞台「レインマン」とかも見たんですよ。(←友人に誘われて)で、その週末はミズドレでベルばら。今週末はレミゼだー。林真理子が以前「美女入門」かどっかのエッセイで、「私は舞台を見るのが大好きで、毎週どこかの劇場にいる」みたいなコト書いててさ、当時、舞台の高ーいチケットを取ると、何ヶ月も前から楽しみにして、当日は「いそいそと」って表現がピッタリな、高揚した気持ちで出かけるような観劇スタイルだったわたしは

「すごーい・・・。さすが文化人!」

 と、毎週見たらチケット代がどれくらいかかるかを想像して、ため息をついたものです。今月、はからずも「毎週どこかの劇場にいる」状態で・・・まぁー、安い席ばかりですからね、それにその代わりに服飾品とか、ほかの趣味予算削減とか、あきらめなければならないものもあるワケですが・・・それでもやっぱり、「あぁー。ぜいたくだなー。幸せだなー」と思う今日このごろです。

 それはともかくベルばらっ!!!
 めちゃくちゃ良かったからもう!!!
 今日はキャストを語り倒すぞー!と思ったら、前振りで終わってしまった・・・。長すぎー!

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 えーと・・・そのう・・・なんとも申し上げにくいのですが・・・。

 なんかあのフィナーレ、あれはあれでイイような気がしてきてしまった!!

 これが、3回観劇して一番変わったトコロですな。まぁーねえー、コムちゃんの能力を活かしきっていないでしょ!って気持ちは、まったく変わっていないのですけど、あのまったりした振り付けも、だんだん慣れて?きたらしく、「うーん、キレイじゃん?」みたいな。おいおい、どーなってんだよ自分。
 何よりね、コムちゃんがすっごく丁寧に、かつ楽しそうに踊ってくれるじゃないですかー。それ見てたら、自分のなかの批判的な思考が浄化されちゃってサ、「コムちゃん楽しそうだし、いいじゃんいいじゃん」みたいなね・・・。「コムちゃんがこんなまったりした振りを踊ることは珍しいんだし、それはそれで楽しもうじゃん」みたいな・・・。最初の歌い継ぎのところとかね、えりちゃんとかキムちゃんも楽しそうにビシーッと歩いてますよね。銀橋を渡るかしちゃんとちかちゃんも、すごいスターオーラでステキだしね。ハマコさん、いづるん、シナちゃんほか組子みんなキラキラしてるし。最初は「ユルい」と思った曲も、耳慣れてくると「ああー、いいなぁー」と思えてきてしまったりして。

 ま、何にせよ「新作」ってのはイイもんだ。

 このフィナーレが、後世(ってのは大げさかもだけど)に劇団またはファンから、どーゆー評価を受けて、どーゆー感情で語られていくのか、いまはわかりませんけどね。大好きなコムちゃんが率いる雪組のために振付けられた、宝塚古典のベルばらの新フィナーレ・・・ってだけで、なんとなくココロ踊りますね。(←いまさらー) そういえばわたし、「ハンパに再演シーンと新シーンを組み合わせるよりは、オール名場面またはオール新作っていう徹底振りは潔し!」って、思ってたハズじゃん。
 なんとなく、自分的に思考回路が観劇前の気分に立ち戻っちゃったよ。

 そしてオソロシイことに、芝居に関しても「ツッコミどころの多い脚本とはいえ、これはこれでイイんじゃない」という境地に達してしまった!ど、どういう心境の変化ですか、自分??
 もちろんね、オスカルが偶像化されてるとか、いらん説明セリフが多いとか、アンドレの書き込みが少ないとか、そーゆーツッコミに関しては、撤回の余地はないし、いま作品を語っても、そこはやっぱツッコむと思う。でもねー、そういう冷静な分析とは別の次元で、わたしの感情が「このベルばら、すごく楽しい!」って感じ始めてるんだよねー。

 しょっぱなからショーだったり、ペガサスが飛んじまったり、市民編と言いつつちっとも市民が描かれてなかったり、子守唄で衛兵隊とココロ通わしちまったり、「マジですか!」なこと山盛りなのに・・・・・・なんか、その「マジですか!」ぶりが、あまりに突飛とゆーか、メーター振り切ったぶっ飛びぶりだけに、見慣れるとかえって面白く感じてしまうんですよねー。いやー、イマドキないでしょ、子守唄でココロ通わすなんて。ペガサスが宙を飛んで金粉が舞うなんて、ホントに平成の世の演出ですかい。

 ピュアだよねぇー・・・。ものすごいピュアなサービス精神だよねぇー。いまの世の中って、どんどんどんどん色んなものが洗練されてきちゃって、「ダサさ」をすごく恐れるところあるじゃないですか。(若者のわたしが言うのもナンですけど)いまって、ちょっとしたモノも、すごくデザインが洗練されてて、おしゃれになってますもんね。ところが雪ベルばらときたら、「シャレよう」とか「ダサイのではないか」とか、そういう作り手側の恐れが、まったく感じられないんだよね。じつに無邪気に、楽しそうーに派手でベタなことをやってるっしょ。
 エリザとかさぁー、演出にしても衣装にしても、売り方にしても、宝塚のよさは残しつつ、どこか「宝塚って古くさいものじゃないんだよ!」っていう肩肘はったところがあるような気がしてね。エリザはその現代風味が奏功したワケだけど。(わたしもエリザは大好きなんですけど)

 なんかベルばらのその前時代っぷりが、ミョーに新鮮に思えてきてしまった!のですよ。
 まぁー、思えば「宝塚歌劇」自体が、(昔は最新の西洋文化だったんだろーが)前時代的な気分をウリにした存在だしねぇー。植田センセのベルばらって、やはり今の宝塚歌劇の原点中の原点なんでしょうねぇー。春麗なんかで顕著だったけど、植田センセの作品を貫く思想とゆーか個性って、やはり古いんですよね。その「古さ」が、今回の雪ベルばらは特に、まじりっけなしの「純粋な古さ」で、冷凍保存されたそれが、ポーンと平成の世に出現したよーな感じがしてサ。クドくなりますけど、「中途半端なソコソコの作品よりは、徹底的な駄作のほうがマシ」って思っているわたしには、「ハンパじゃないぶん、イイのではあるまいかっ」って思えちゃったんですよねー。 

 なんてゆーの?愚直なまでのピュアなやらかしっぷりに、かえって感動しちまった感じ??

 ***

 ただ、構成上いろいろ問題はあるので、なんとゆーか今回またしても

 コムちゃん&雪組の力ワザ!

 が効いている気がする・・・。いやー、びっくらしましたよ。コムちゃん、あの脚本を強引につないだね。オスカルの感情の流れが、すごく自然になったね。ドコをどうつないだのか説明できんのだけど、複雑でビミョ~なサジ加減で、あの脚本に一本テーマ通したねぇ。脚本だけ見れば、「オスカル、何考えてんのかわからんな」って感じなんだけど、コムカル見てるとオスカルのポジティブな部分とネガティブな部分、そしてそれをつなぐシニカルなモノの見方が、フランス革命を見る視点として伝わってくる気がする。植田センセの演出意図をすこしズラしたところで、コムちゃんの演技が強引に脚本をつないでるなーと感じたんだけど。植田センセー!どうか今のままで!!東京行く前にダメ出ししたりしないでくださ~い!!

 あちゃー。もう3000文字超えちゃったよ。
 これは単なる前振りで、これから個々のシーンやらキャストやら語ろうと思ったのに!(てゆーか、いつになったらアンドレの話が書けるのやら)

 とにかく、えらい芝居自体が落ち着いてきましたね。
 細かい部分が「しっくり」いくようになったというか。

 楽しいなぁー、雪ベルばら!
 まだまだ記事は続きます。(長ッ!)