etceterakoの勝手にエトセトラ

「生意気娘Kの勝手にエトセトラ」は改題いたしました。カテゴリ「ブログ改題について」をご覧ください。

宙組バレンシア、ファンタジスタを雑談するⅡ

2007年07月26日 | 宝塚歌劇

 じゃあ、ざっくりとキャストの感想など・・・。

 タニちゃんのことはけっこうすでに語っちゃったね。
 えーと、具体的にもうすこし語るなら・・・。
 好きな場面はー、ウメちゃんと一緒の場面ぜんぶ!!(ええーーっ!?)
 ・・・すいません、またコンビ好きが出てしまった・・・。
 
 タニちゃん、意外と宝塚的クラシカルっていうの??古典的な宝塚の薫りが似合うんだね、と思いました。スタイリッシュな容姿とキラキラゴージャス私服の印象で、もっと現代っぽい印象だったんだけどね。芝居とか、デュエットダンスの様子とか、意外とふるきよき宝塚の雰囲気でしっとりステキなんだよね。これからもこの路線の作品が来るといいなあー!A/Lみたいな若い作品より、断然クラシカルなベテラン演出家の作品をたくさん見たいなあー!

 で、一挙手一投足に、金粉が舞っていた・・・。き、金粉のまぼろしが見える・・・!なんなんだ、あの輝き、きらめき。あれが「華」というモノなのかっっ!!
 スター性とか華って、スターさんはみんな持ってますけど、タニちゃんのはホントにケタ違いなんだなーと思い知らされたわ。スッって足あげた瞬間、ぱあああっと何かまぶしい。ダンスがうまいのかどうか、その辺がさっぱりわからないぐらい輝く!幻惑されるぅーーーーー!

 芝居は前述のとおり、とにかく孤独の風味が強かったです。
 黒い天使の仕事を終えて、マントとかを建物の影で脱いで、「黒い天使」捜索で騒がしい夜の街にフッと出てきてイサベラと会うとこなんか、「夜の街にひとり、誰も知らない自分の姿を抱えて」いるたたずまい、孤独でステキだと思うな~。あそこのイサベラとの語らい好き~。
 屋敷に捜索が乗り込んできて、「黒い天使は腕をケガしているはず!」っていわれ、「わたしはここにいます!」ってジャジャーンと出てくるところ、キッパリした登場の仕方でよかったなー。あのあとのマルガリータとの会話も好き好きー。タニちゃん、娘役と向き合うのが似合う!そこ、生意気娘K的にポイント激高いのよ。

 ショーのほうでは、チギーチュと一緒に乗り物で吊られて、黄色い衣装でロック歌うところ最高だったね。に、似合うよ・・・。あそこ、タニちゃんのはじける笑顔も好きだ。
 あとねー、なんかA/Lのときも書いたような気がするんですが、わたし、タニちゃんが娘役さんと組んで、娘役を見つめるときの笑顔が大好きなんですね。ねっとり見つめあうとか、そういうのじゃなくて、一瞬パカッと満開の笑顔を見せるのが好きです。フラットな笑顔なんですよ。飾らない笑顔だよね。(まあ、宝塚男役としては、もうすこしナルシシズムというかスカした風味があったほうがホントはいいのかもしれんが・・・)

 ウメちゃん。
 ウメちゃんって、華やかだよねえー!
 ショーで芯を取るところ、すばらしく華やかでしたね。華やかなうえ、ビシッと場が締まる。男役が真ん中を締めてるときと不思議なぐらい同じような感覚になりますねえ。衣装、すごくウメちゃんに似合うのたくさんありましたね。とくに火星のとらわれの女神?は、カッコよかったねえー。ああいう役の似合う娘役さんって、なかなかいませんもんね。
 ウメちゃんの魅力は、そういう「ビシバシ」な部分と、古風な娘役としてのケナゲさが両立してるとこだよね。存在感強いけど、単に強いだけじゃないし。組めば男役を立てる娘役らしさがちゃんとのぞくし。ステキだなあ。ウメちゃん、トップ娘役が似合いますね。こんなに華やかな娘役さんだったんだなあ。
 イサベラの「わたしは、あんたのもうひとつの世界の女だから」とか、婚約者の話をされて「やめて」って耳をふさぐ、切ないセリフ、すごくよかったあー!強いたたずまいの女性が見せる、隠し持ってる弱さっていうのが、よく出てますよねえ。
 ショーの最初の銀橋の「わたしはプリンセス☆」って、タニちゃんに寄り添うとこ、かーわいいよねえー。ああ、タニちゃんとなんてお似合いっ。 

 とむくん&みっちゃん。
 わたしのなかで、この二人は「どっちも実力派」という括りだったんですけど、今回役替わりを見てみて、ふたりとも実力派なんだけど、育った環境の違いというか、「実力」の色合いがやっぱりかなり違うんだなぁ、としみじみ思った。
 とむくんは、やはり花組男役なんだなあ。ショーの真ん中とか、すばらしく華やかで場が締まりますね!ラモンって、真ん中で歌い踊る場面がいくつかったけど、とむくんそれすごく似合うんですよね。そして役もキッチリ作るけど、「男役」というフィルターを同じぐらいの強さでかけてあります。めちゃカッコイイ。ロドリーゴもラモンも、正当派ヒーローで本当に惚れ惚れします。

 いっぽうのみっちゃんは、芝居が3重構造になってるんですよ。
 ①北翔海莉という男役
 ②貴族または庶民という役のベース
 ③物語におけるロドリーゴ、ラモンの言動
 これらが、フィルターを重ねるみたいに3重になってる。3重の演技に見えます。
 役として男役を作るんじゃなくて、男役の上に背景と言動を重ねてつくっているように見えますねえ。おもしろいねえ、みっちゃんの芝居は。
 わたしは「JAZZY」の妖精と、A/Lのホームズは、みっちゃんには絶対役不足だあーってすごく不満だったんですが、今回はゼヒみっちゃんで見たい、みっちゃんの芝居に似合う複雑なイイ役だったな。うれしい。

 みっちゃんで一番スゴイなと思ったのは、ロドリーゴの役で、酒場にいつのまにか「面白くもなさそうに」座っているトコロ。すごい・・・。座っている様子が、貴族様そのものだ!庶民の酒場をバックに、「貴族の違和感」を見事に表現しまくってるぞ!・・・背筋の伸び方といい、身のこなし、えらそーなセリフまわし、すべて「庶民とはちがう!」というのを見せつける芝居だ。上手いなあ!
 グラスを机にたたきつける、緊張感を生む間も、すばらしく上手いですね。ロドリーゴの激しさや、柴田キャラクターの持つ二面性、「上品で勇敢だが、ちょっと自分勝手なところもある」という二律背反を、キッチリ見せてましたね。まあ、そうだよなあ。悪い領主を倒すっつっても、けっきょく動機は私怨だもんな、完璧に。そこんとこの、ロドリーゴの極端さというか、自分勝手な部分も、美化せずきっちり芝居してましたね。「けっきょく、惚れた女を手に入れたいだけだ」っていうのが、ハッキリ見える。
 とむくんの場合は、そこもうすこしソフトなんですね。正義感の部分が強調されてます。
 
 まあ、風味のちがいはあっても、ふたりとも上手いから、なんかひたすら感心、でしたけど。

 役替わりで一番ちがいを感じたのは、ラストかな。
 ラモンとロドリーゴが握手するところ。
 貴族のロドリーゴがラモンに「(俺は貴族だが気にせず)たまには遊びにこいよ」とか言って、ラモンは握手して去るんだけど、そこの去り方。
 みっちゃんラモンは「おまえさんとは身分がちがうが、たまには乗り込んでやるかな」っていう、ちゃっかりさ(庶民としてのしたたかさ)があるね。とむくんのラモンは「身分ちがうからムリだけど。気持ちだけもらっとくぜ」っていう性格の良さと聡明さがある(ヒーロー風で去り際の背中超かっこいい)よねえ。そこ、ロドリーゴの演技も、明確にちがいました。

 ともちん。
 ともちんって、デカイなあー(笑)
 ほんと、心も体も大きいねえ。
 領主の役、ガウン着て登場するんだけど、ガウンのぞろ長いのに目をみはったよ。あれは絶対、新調だな。あんな長いの、ともちんしか着れないよー!
 ともちん、色濃く芝居してましたけど、ともちんの持ち味的に、おおらかで懐が深くなるんですね。「この領主様なら、何もそうムキになって倒さなくても・・・。根はイイ人かもよ??」と思える(笑) あまり憎憎しいつくりにならないので、かっこよかったです、とっても。
 ショーの火星のとこだっけな。茶色い衣装で、春希くんとふたりで踊るとこあるじゃないですか。春希くんだって、背が低いわけじゃないとおもうけど、ともちんと並ぶと、すごーく小さく見えるのね!(笑)ともちんがそれだけ大きいんだよね。ともちん、さわやか宙組スターのたたずまいで、ずっと宙組の癒し系でいてね!

 あとは・・・。
 あ、たっちんね。たっちん、マルガリータ役、きれいで上手で、よかったよねー!声がきれいだからね。柴田ふう娘役キャラの、頭のてっぺんから声出るようなの、よく合ってたよねー。歌はもう、あらためて書くまでもないけど、上手い。ひたすら上手い!

 まちゃみちゃんは、清新な、ほんと宙組らしい娘役さんだなー。月のところ、ヒロインぽい役とてもよかったね。
 何よりまちゃみちゃん、すっごくすっごく舞台に立つのが楽しそうで、歌も芝居もダンスも、充実感を表情にみなぎらせてやっているのが、とてもステキだよね。

 まさこちゃんが、軍服超ーーー似合ってた。

 えりこちゃんは休演が残念・・・。けっきょく一回も見られなかったわ。
 東京では復帰するようで、何よりでした。

 代役のちぎちゃん、なんか・・・似合うよ、あの役!
 ドロボーなのに、まりえさんに可愛がられちゃうカンジ!「うさんくさい」というのは御幣があるかもしんないけど、なんか「抜け目なさそう。ちゃっかりしてそう」な感じと、キラキラ可愛らしいところが重なって、ドンファンにはすごくよく合ってたなーとおもった。
 ショーの「チギーチュ」は似合いすぎ!!タニちゃんと、おそるべきキラキラコンビだった(笑)

 アリスちゃん、気合のはいったいい芝居でした。アリスちゃんも、なんかホントに「宙娘」ってかんじになってきたねー!お嬢様の似合う容姿なのに、強いセリフが似合うの!(でもサッパリしていて品がある!)

 八雲さんの芝居、超大好きです。もっともっとセリフが多くなる日がたのしみ。

 いまの宙組の布陣、すごく好きだなあ。
 華やかタニウメコンビを頂点に、とむくん、ともちん、みっちゃんのトライアングルがガッチリ固めるかんじ。四人とも、芸風はすこしずつ違うんだけど、四人並ぶと違和感がないんですね。なんてゆーか、いろんな組カラーが混ざって誕生した新組「宙」の自由さ、清新さがあって、宙組らしくていいなー。
 生え抜き宙の癒し系ともちん、花組ヒーローとむくん、ストイック月組のみっちゃんが、タッグを組んでタニ王子を守るのだな!天下無敵ってかんじですね、なんとなく。

 実力面では、とむくんとみっちゃんの対比がいいなあ。
 芝居の質のちがいを眺めるのも面白いし、ショーで並んで踊るのも、あまりに「男役」がちがってほんとうに面白いね。
 男役群舞のなかで、上の4人だけが踊るところありますよね。あそこ、めちゃくちゃ面白いですよ。特に回転が!花組男役のキザっていうのは、静止した瞬間に最大の威力を発揮するんですね。とむくんは、(まあ、ダンス上手いからってのもあるけど)ババッと回ったら、さくっと前を向いて、全身でポーズキメる瞬間(静止)がめちゃカッコイイんですよ。正面にキャー!!なんです。
 月組男役は、後ろ姿にニュアンスがあるんですよねえ。みっちゃんは微妙に勿体をつけて回り、もう次の振りに行くよおおーというギリギリのところで、フッと最後に視線でキメる。視線に射殺されます。この対比が、めちゃくちゃ面白い。もちろん、真ん中で圧倒的な華を振りまくタニちゃんが、場を盛り上げるし、やっぱともちんがいるからイイんだよ。ともちんのおおらかな個性が、男役カラーぶつかりあいを、うまく宙組ふうに彩ってくれるんだとおもいます。生え抜きって、いいものだよね!

 あ、最後にいっこだけ。
 タニちゃんの衣装の似合いぶりは、ただならぬものがあったね・・・。
 ショーで、上が白いブラウスで、額にキラキラのわっかつける、いかにも「宝塚スター!」な衣装、あんなに似合う人、はじめて見たよ・・・。もう、スターでしかありえないねえ。生まれながらのスターだ。スターになるために生まれてきたんだな、タニちゃんは。大劇場の真ん中で見て、あらためて実感しましたよ。

 宙組全体に、パワーみなぎる、すばらしい公演でした。お披露目って、本当にいいものですね。
 タニちゃん、ウメちゃん、トップ就任本当におめでとう!
 いまの宙組、ワクワクする並びで、これからの作品もとても楽しみです。


宙組バレンシア、ファンタジスタを雑談するⅠ

2007年07月25日 | 宝塚歌劇

※すいません、今日はタニウメコンビにきゃーきゃーして終わってしまった・・・。明日、Ⅱを書きます。

 あのねー、タニちゃん&ウメちゃんのコンビ、すっごくイイんだよー!タニウメタニウメ!すげー素敵コンビなのっ。

 前にも書いたと思うけど、わたし、劇団のトップコンビの組み方、好きなんですよね。発表されるたびに「へえーっ」「ええーっ」と思っても、よくよく見ると「なるほどなあー」と思うんです。なんだかんだいって、劇団は生徒をよく見てるなーと思います。

 タニちゃんとウメちゃんの並びって、どんなカンジなのかと思ったら・・・。いや、A/Lも見たけどサ。芝居は「役ありき」の関係になるから、やっぱコンビの色をたっぷり楽しむのはショーじゃないですか。「宙FANTASISTA!」で、スタイリッシュなウメちゃんが、孤高の王子タニちゃんと手をつなぐ振りを見て、わたしのなかで、想像もしなかったトキメキが・・・!うっ・・・なんなんだ、この胸のトキメキ!ちょっと自分でビビリましたよ。
 
 その前にまずは、タニちゃんは「孤高の王子」説を勝手に唱えてみたいと思ひます。ま、バレンシアで演じてたフェルナンドが、えらい孤独風味だった印象を引っ張っていたせいもあるかもだけど、なんかわたしのなかで、タニちゃんは「孤高の王子様」!ということになってしまったのだ・・・。(勝手な印象です、すいませんすいません)
 タニちゃん、昔はもうちょっといろんな面で屈託がないふうに見えてたんだけどねえ、わたしには。ここ数年、いろいろ苦労したんだねタニちゃんも、と思いましたね。
 竜馬のときに散々書きましたけど、とにかくここ数作のタニちゃんは、めちゃくちゃ肩に力入ってるじゃないですか。宝塚って、生徒さんの頑張りを見て癒されるのも醍醐味のひとつだから、そりゃ頑張ってくれるのはうれしいけど、タニちゃん見てると、わたしは心配になってくるんですよ。宝塚の長期公演を主演で、あの頑張り方、体力大丈夫なんでしょうか・・・。心配心配心配。ダンスが多いとか歌が多いとか、そういう物理的な体力じゃなくて、あの張り詰めきったテンションが心配。
 タニちゃん、芸のことをすっごく気にしてるんでしょうねえ。歌とか、もう超~ていねい。必死に音程を取ってる。芝居もダンスも同様です。とにかくていねい。「ちゃんとやらなきゃ」って顔に書いてあるよううう。

 まー、トップになったんだしさ、タニちゃんには天下無敵の華と容姿があるんだし、もっと開き直ってドーンと構えてもいいのにねえー。まじめなんだねえ、タニちゃん。とにかく、始まってから終わるまで、ずーっと張り詰めっぱなしなんですよ。心配になります。
 阪急交通社の貸切を見たんだけど、終演後に主演男役のあいさつがあったんですね。タニちゃんの「あいさつ」ってあんまり見たことないから、どんなかなーと思って楽しみにしてたんだけど、幕あがったら、芝居・ショーのときとまったく同じテンションのタニちゃんが立ってて、カチンコチンであいさつするんですよ・・・。だいたいトップスターのそういうあいさつって、わりとフッと良い意味でチカラ抜いて、素に近いしゃべり方で観客もホッとするじゃないですかー。それがタニちゃん、カキーンと張り詰めたまま、言葉を探していっしょうけんめいに「述べる」のが、またこれ、心配の種になりましたよ。

 で、あいさつのなかで「前だけを見て、走っていきます」ってフレーズがあって、ああー、これはタニちゃんのモットーなんだろうなあ、と思いましたね。「前だけを」っていうのがポイント。抜擢&抜擢で来たタニちゃん、ホント振り返る余裕なんかなかったんだろうな。なんか、トップとしてショーで芯を張るタニちゃんには、振り返れば断崖絶壁!(だから突き進め!)みたいな危うさと、なんともいえない孤高感があって、それがまた、タニちゃんの圧倒的な華に彩られると、それこそ物語に出てくる、悲劇の王子様!みたいなうつくしさがあって、胸きゅんでしたよー。

 タニちゃん、いつの間にかいい男役になりましたねえ、ホントに。
 男役12年はダテじゃないね。

 それでねーそれでねー、そんな孤高のタニ王子が、ウメちゃんの手を引くのが・・・あああ、たまらんっ。ウメちゃんてスタイリッシュで現代的な容姿だけど、星娘らしい古風な娘役芸と、少女らしいケナゲさがあるじゃないですか。ケナゲな少女が憂いのタニ王子に出会って、二人はおそるおそる(←ポイント)手を取り合う・・・。んまあ、なんですかこの少女漫画から抜け出てきたかのようなコンビっ。きゃあああ!(←ツボを貫かれた)

 というわけで、タニウメコンビは少女漫画コンビですよ。容姿の話じゃなくて、関係性が。少女漫画には「容姿がいいけどそれを鼻にかけず、ナルシシズム少なくて、ちょっぴり孤独な部分が魅力☆」っていう、ぜってー現実社会には存在しないオトコが、「ふつうの少女」な主人公と出会って・・・とゆー展開がよく出てきますが、それを地でいってるもん、タニ王子&現代娘ウメちゃん。

 タニちゃんは、不思議なスターですねえ。いろんな面で、バランス悪くて不器用だけど、でも愛すべきスターだよねえ。ちょっと母性本能もくすぐられるよね。かっこいいんだけど、不器用さが胸キュンだよね。
 圧倒的な華と、超絶美麗着こなしでブイブイ言わせながら、男役のつくりは硬質でまっすぐ。タニちゃんの男役の硬質な部分に、華と孤独がよく映えて、独特の味わいがありますねえ。おもしろいな、タニちゃん。
 しかしまー、タニちゃんはあれだけの華とスタイルがあるんだから、何もそう気にやむことはないんじゃないか、とかわたしなんか観客の気楽さで思ったりしちゃうんだけど。あんなにうつくしいのに、なんであんなに余裕がなくて憂いの人なんだ、タニちゃん。もっと自信持っていいのにね、と思うんだけど。

 なんとなく、「そんなタニちゃんの横にはウメちゃんがいい!ウメちゃんじゃなくっちゃ!」と思わせる何かがあって、トップコンビ鑑賞だーい好きなわたしは、ご満悦でございましたよ。いいじゃん、タニウメコンビ。劇団様、さすがの慧眼だとわたしは思いました。これからもわたしの乙女ゴコロをギュンギュン絞り上げていただきたいっ。

 ・・・コンビの話だけでこんなに盛り上がってしまった・・・。(しかも妄想かもしれん。)
 だってなんか、想像してたのとだいぶ違ったもんだから・・・。つい熱く語っちゃったよ。
 
 えーと、じゃあ明日こそは本当にちゃんと演目とキャストを語ります。


宙組「バレンシアの熱い花/宙FANTASISTA!」

2007年07月24日 | 宝塚歌劇

 書きあがったので上げておきます。が、勢いだけで書いたので、明日見たら書き直したくなるかもしれないねえ。いつものように今日は作品自体の話だけで、キャストやスターに関するあれこれは、後日記事をあらためます。

ネタばればれなんで、そこんとこご了承くださいマセ。

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【バレンシアの熱い花】
 作品自体がそうなのか、出演者が見せる資質なのか、ともかくわたしは「バレンシアの熱い花」というのは、復讐譚である前に、革命モノ(?)である前に、孤独について書いた芝居だと思いました。すくなくともわたしには、そう見えた。柴田作品は・・・てゆーか、柴田キャラクターは深いねえ。

●柴田作品の醍醐味はストーリーにあらず
 話の筋自体はね、そう凝ったものじゃないんですよね。主人公が父のカタキを取るために、遊び人を装いながら、「黒い天使」と名乗って、いかにも悪い「領主」の一味を成敗していくっていう。まあ、単純な話なんです。復讐譚を絡めた勧善懲悪の物語です。
 柴田作品の常で、状況描写は最低限に抑えられています。展開も最低限。
 宝塚はショーがついているから、芝居に使えるのは90分。前にも引いたけど、ユリイカのインタビューには、先輩演出家が「宝塚は(起承転結やる時間ないから)起承結や」と教えたという逸話が載ってましたですね。歌劇らしい、歌踊りを入れていると、実際「芝居」に使える時間は、超限られるワケなんですよ。そこでじっくりしっかり人物を見せたうえで、じっくりしっかりストーリーを追っていたら、絶対時間オーバーしますわねえ。やれるとしたら、登場人物を減らさなきゃいけないんじゃないですか。少人数、小規模の話なら、まあやれるかもしれませんけどね。キャラクタ-の数を減らせば、登場時間もセリフ数も減らせますから。(そのかわり使うスターが減る)
 だからけっきょく、宝塚の芝居は「何を削って、何をとるか」ということになるんですよねえ。そのサジ加減が演出家の個性であり、力量でしょう。
 柴田作品はけっこう登場人物をキッチリ掘り下げてある。それから歌劇らしい「華やかシーン」(パーティ・祭りの歌踊り)には時間を割く。それで何を削るかと言ったら展開や状況説明を、超圧縮してあるんですよ。柴田先生、日本語を使うのがうまいから、セリフのなかに状況描写を盛り込んで、だいぶ時間短縮してるよね。

 宝塚は「起承結」だそうですが、柴田作品は「承転結」だと思うねえ。それも転が限りなく小さい。「承結」じゃないですか。冒頭のダンスは、ただのプロローグだから、アレは「起」じゃないですよね。あれはどっちかっていうと、祭りとかパーティとかと同種の、歌劇的サービスシーンでしょうな。話は、ヒーローと義父が会話しているところから始まります。そこではもう、復讐が始まっている。「主人公がなぜ領主を憎むにいたったのか」という「起」の部分は、セリフでさくっと説明するだけにして、ばっさりカットなんですね。だからまあ、「いきなり復讐とか言われても、ワケわかんないんですけど!書き込み不足じゃないの!?」ということになると思うんですが、まあ、これはしょうがないやね。時間足りないんだもん。柴田先生、そこは割り切ってるんですよ。ほかにもっとやりたいことがあるから。

 柴田作品は、エンタテインメントの皮をかぶった文学だものねえ。
 「承」と「結」だけをクローズアップをして、何をやってるかと言ったら、ひたすら人物を描く!人間通しの関係をビシバシ描く!

 これはわたしが勝手に思っていることですけども、フィクションてゆーのは結局「嘘とホント」のバランスだと思うんですね。ストーリーが荒唐無稽(嘘)であれば、人間の書き込みは「ホント」が含まれていないと感情移入できないし、逆に平凡であたりまえの世界を描くなら、人間の行動や心理は、多少突飛(嘘)になるんじゃないですか。じゃないと面白くないと思うのよ。どこにでもある「ホント」ばかりでは驚きがないし、かといって「嘘」ばかりでは感情移入できませんからねえ。
 柴田作品は、意匠や展開には大いに「嘘」を使いまくりますが、人間の描写は「ホント」なんだと思います。バランス的にね。そして柴田先生は、どちらかといえば「(ストーリー上の)嘘」より、人物描写の「ホント」に力入ってるんだよね。まあ、昨今の風潮を考えると、娯楽色をつよくするためには、本当はもうちょっと「嘘」の部分に重心をずらすほうがいいのかもしれませんねえー。せめて「転」(バレンシアの場合は領主が死んだあとの「革命」)をキチンと書けばいいのかもしれないけど、そこも削っちゃいますからねえー。まあでも、それが柴田流なんですよ。わたしはこのバランス、けっこう好きなんだけどな。

柴田ヒーローの抱える二律背反
 具体的に柴田先生特有の「ホント」をひとつあげるなら、ラモンが復讐に参加するくだりだよね。流れを追ってみると、
・酒場でロドリーゴと決闘騒ぎになる(剣の腕の確認エピソード)
・ラモンは復讐に力を貸さないか、それはバレンシアの改革にもつながると説得されるが、命が惜しいと断る。
・妹が領主の部下に殺される事件をきっかけに、ラモンは復讐劇に合流する
 これさー、もっとカットできると思うんですよ。ラモンが復讐に参加するまで、一回断ってるから2段階を要しているんですよね。まあ、時間足りないなら、一回目でなんらかの理由をつけて受けてもいいと思うのね。そういう物語、けっこうたくさんあると思うよ??で、それで1エピソード削減できたら、革命シーンやれるじゃんか。
 でも、柴田先生はそこ、カットせずにしつこく書いたんですね。まあたしかに、普通に考えたら、わたしがラモンでも、一回断るわ。「理由がない」「命が惜しい」そのとおりですよ。でも、フィクションの世界なら、そこで断らないのもアリじゃないのかね。その程度の嘘は、許されると思うんですよ。でも、たしかにそれは「嘘」なんです。柴田先生は、人間の心理に関しては、嘘は書かないんですね。

 次に、キャラクターですが・・・。
 柴田ヒーローっていうのは、柔と剛、硬と軟、明と暗、やさしさと激しさなど、相反する感情をまとめて抱えているんだよねえ、と今回つくづく思いました。
 それも非常にねえ、人間らしいな、と思いまして。
 実際のところ、人間の性格なんて、ひとつの要素で言い表せるものじゃないもんねえ。歌劇の登場人物なんだし、カッコイイ要素だけクローズ・アップすればいいのかもしれないけど、そこ、柴田先生はリアル志向だよねえー。柴田作品って深いなーといつも思ってたんだけど、けっきょくその「深遠」の根源は、そういうキャラクター造形にある気がします。

 ま、でもそういう・・・言うなれば二律背反の部分ていうのは、人間の「ずるさ」も含んでいるからねえ。そこまで書き込むのはどうか、というのはあるかもしれませんねえ。特に「夢を見るための」宝塚歌劇ではねえ。なんか、まああんまり「ホント」のことって、言わないほうがいいときもあるもんねえ。そーゆーの嫌いな方もいるだろうし。・・・いや、あんまり書くとアレかもしれんが、ウチの母とかそういうタイプで・・・。たぶんバレンシアの主人公とか見たら、「わけわかんない!」と怒るんじゃないかな・・・。あと、母ならラストにも怒るだろうなあー。「後味が悪いわ」って絶対言うだろうなあー。

 わたしは柴田キャラクターの、シビアできれいごとの少ないところ、すごく好きなんですけどね。たとえばイサベラに愛を語るところで、ハッキリ「自分には婚約者がいて、そっちは捨てない」って、宣言しちゃうでしょ。あれもべつに言わんでいいところなんだよね。言わなくていいけど、言っちゃうんですね。まあでも、ホントのことだものねえ。ずるい男ですよ。ずるいけど、かっこいいですねえ。(現実にいたら絶対近寄らないけど。)
 ずるいはずるいんですけど、あの宣言は、主人公が二股(?)に対する罪の意識(自覚)がハッキリある表れでもありますからね。もっとずるいキャラクターだと、無自覚にそれやりますから。「婚約者なんかよりキミのほうが」といいながら、最後は婚約者のところに帰るっていうパターンもあると思うもん。(そっちのパターンのほうが、ハッピーエンドで一見イイ人に見えるかもしれんけどね。罪の意識がないまま良からぬ恋でピュアラブの風味になるのは「嘘」なんですよ。ま、そういう嘘もありかもしれんけど。柴田先生はそれやらないよね。罪には報いがちゃんとあるんだよね)自省的、理性的でシビアなところがカッコイイんですよ、柴田キャラクターは。自分の決断には「覚悟」があるし。

柴田キャラクターが映すもの
 えーと、それでね。
 柴田キャラクターの抱える二律背反は、スターの持つ輝きで、いろんな光り方をするのが、とても面白いと思うんです。いろいろな面、いろいろな感情を持っているということは、切り口が多いということでもありますから。スターの資質によって、ずいぶんちがって見えるんですよ。
 たとえば、コムちゃんのロレンツォは「内に秘めた激しさ」の色が強かったです。
 ちかちゃんの沖田は、やさしさと芯の強さが前面に出てました。
 あさこちゃんの大海人は恋する男でしたね。
 ・・・よくよく考えてみるとね、どのキャラクターも、柴田ヒーローらしくいろんな感情抱えてるんですよ。でもこれがぜんぜん違って見えるんだよな。・・・ということに、わたしは今頃気づいたんですよ・・・。(遅い) いままで、あまりに違ってみえるから、それぞれスターのために書き分けられてるのかと思ったわ。いや、そりゃ座付作家だから、ある程度スターの顔は念頭に置くだろうけど、でも柴田ヒーローは根本的には一緒なんだよね。ただ光り方が違うだけで。

 いろんな光り方ができるということは、キャラクターに幅があるということです。正解がない、ということでもあります。ということは、どんなふうにやっても、けっこうサマになるんですね。よくできてますよ、柴田ヒーローって。逆に言えば、どうやって演じても決して「ハズレ」はないということだもん。やった人の個性こそが正解、とも言えますね。スターの個性を映す鏡のようなヒーローですね。面白いわー。

 それで、今回はタニちゃんが演じた柴田ヒーローを見まして、わたしが一番感じたのが「孤独」だったんです。すっごく意外だった。なんか、タニちゃんって華やかでキラキラしたイメージだから、もっとまっすぐで陽性王子的な柴田ヒーローが出現すると思ってたもん。
 しょっぱな、まりえさんと会話するシーンで、軍服姿でまりえさんのセリフを待っている(父の仇が誰かを聞く)場面、出されたワインもそこそこに、起立してまりえさんのセリフを待って立っている姿に、そこはかとない孤独が香って、「えええっ」と思っちゃったよ。クールな容姿のせいもあるかもしれませんけどねえ、なんか人に心を許さない風情が香ったんですよねえー。タニちゃん、わりと芝居の流れをつくるだけで精一杯の様子だから、まさか「そーゆーキャラクター解釈」ってワケでもないと思うんだよ。あれ、タニちゃんの資質を映してるものなんですかね。タニちゃん、底知れない人だなあ、とわたしは思いましたねえ。
 その後も、パーティシーンのたたずまいも、酒場での「お遊び」も、黒い天使から着替えてイサベラの前に現れるくだりも、わたしにはすごく孤独感が強調されたヒーローに見えましたね。なんでだろうーーー。わたし、なんか見間違ってますかね・・・。(まあ、あくまでわたしにはそう見えた、という話ですよ)

 特に目がねえ。まなざしがえらく孤独な風情でしたね。まあ、新公学年が月組育ちだから、多少クールでストイックな男役のつくりになるのは、道理ではあるんだけども。

 それから、みっちゃんですよ。みっちゃんがあんまり上手いから・・・。
 みっちゃんの芝居は、わかりやすいんですよね。そんで、すっごく役の意味(脚本のなかでどーゆー存在なのかっていう部分)をクリアに造形するから・・・。柴田脚本のシビアさが浮き彫りになって、なんか「うーむ」とうなってしまいました。
 ラモンって、復讐者3人組のなかで、ひとりだけ身分がちがうじゃないですか。で、復讐なしとげても、最後の最後まで、その身分の壁っていうのは、残るんですね。なんというか、共通の目標のために手は結んだんだけど、馴れ合いや仲間感覚にはなってないんだあね。ラモンは最後まで、自分の身分をわきまえるし、ロドリーゴやフェルナンドには「自分は身分が高い」という意識がキッチリ残っている。そこの壁というかスタンスは、絶対崩さないんだよね。その「壁、見えてます!」という感覚を、みっちゃんはちゃんと織り込んで演じてますよねえー。上手いよねえー。

 柴田キャラクターって、叙情的ではあるんですが、感傷的ではないんですよ。孤独ではあるけど、孤独に溺れたり浸ったりという感覚がびっくりするぐらい無いんですね。だけど彼らは、たしかに孤独なんですよ。
 まあ「孤独」というのは、響きがいいせいなのか、かなり広い意味で使われているところがあって、なんかネガティヴな感情はすべて「孤独だ」で済んでしまうから・・・だからわたしは、あんまりこの言葉でモノを語るの、好きじゃないんですけどね。口当たりのいい言葉って、本質を見えにくくするからねえ。いや、べつに日常生活はそれでいいんですが、わざわざブログにしゃしゃりでて語ってるんだから、ごまかさないでストレートに伝わる文章、言葉を選びたいという、つまらん矜持がありまして。
 なんか世間で聞いていると(?)、「さびしい」と「孤独」がだいぶ混同されとるなぁ、とわたしは思っているのだ。いや、広い意味では、さびしいというのも孤独の一種なんでしょうが、わたしのなかでは違う意味の単語なんです。ナゼといわれると困るんだけども・・・。感覚的に、なんとなくね。

 ラモンは自分とロドリーゴのあいだの溝を知っています。ラモンは最後にロドリーゴと握手しますけど、その先に何もないのを知ってるんですよ。ロドリーゴとフェルナンドの先には、ラモンとのあいだには絶対にないものが、ずっとあるんです。
 じゃあ、フェルナンドやロドリーゴは孤独じゃないのかといえば、決してそうじゃないよね。フェルナンドは酒場で歌をうたい、酒をくらって夜な夜な出歩きますが、酒場の酔っ払いたちとのあいだに、絶対的な壁がある。フェルナンドは「遊び人を装って」いるだけなんだもん。完璧な同調などありえないのだから、人は誰しも、周囲とのアイデンティティのズレに心揺らして生きていくものなんでしょう。「周囲」なくして孤独は無いんですよ。柴田キャラクターは一人でクヨクヨ思い悩んだり、ヒザを抱えたりはしないけれども、光のもとで周囲とかかわりながら、ちゃんと自分と周囲(あるいはその間にある溝をも)見つめています。

 まあねえ、柴田キャラクターに限ることではないんですよ、そりゃね。
 孤独なんか、宝塚で上演されるどんな芝居の隅っこにも、たくさん転がっています。
 まあでも、なんか柴田作品が表現する何かは、(あくまでわたしの感覚で、だけど)まさしく「孤独」と呼ぶにふさわしいもので、それをたまたま芝居巧者のみっちゃんが、今回は精確に描き出したなあーと思ってます。

 タニちゃんの立ち姿とまなざし、それからみっちゃんの役の造形ですね。
 このふたつをもって、2007年のバレンシア再演は、わたしにとっては「これって孤独について描いた芝居なんだね」ということになっちゃったんですよ。タニちゃんとみっちゃんは、柴田キャラクターをそういうふうに照らしているように、わたしには見えたんです。(とむくんも上手いけど、とむくんの場合は、もうすこし正統派ヒーローのつくりになるもんね。)

●どんどん再演してくれー!
 柴田作品って深いよ。演じ手によって、あまりにも出てくる色がちがう!
 荻田作品とは「方法」がぜんぜん違いますが、これ、けっこう観客の感情を映す要素もあると思うし、あれこれ語れる「幅」のある作品だと思うのですがねえ。物理的な部分(セリフ・背景・ストーリー)がわかりやすすぎるから、単純に見えちゃうけど、心象風景は荻田作品ばりに多彩な色味があると思いますねえ。

 柴田先生が若いころの作品だからってのも、やっぱりあるのかな。霧のミラノもほぼ同じ構成ですが、霧ミラよりバレンシアのほうが、やはり若書き(というのは失礼かな・・・。ま、どうしても若いころのほうが孤独っぽさって出るじゃんか。)ゆえの孤独の苦味があると思うな。

 タイトル、最初は「バレンシアの熱い花々」だったんでしょ。いいタイトルですねえ。複数形のほうがいいじゃん。(ま、おさまりは悪いけど・・・)
 これ、バレンシアでそれぞれの孤独を抱えて生きていく複数の人々を描いてるんですよね。マルガリータなんか、いかにも宝塚らしい「お嬢様」の役だけども、主人公がケガしたときには、乗り込んでくるだけのたくましさがある。マルガリータが屋敷に乗り込んできて、フェルナンドと見つめあうんだけど、フェルナンドは「変わりないですか」みたいなことしか言わなくて・・・ていうあそこなんか、すげー名シーンじゃないですか!?あれ、フェルナンドはどんな気持ちで言ったのか、マルガリータは何を思って聞いたのか、想像するとゾクゾクします。答はセリフに書いてないもん。あそこの解釈は、それこそ100人いたら100人ちがうだろうなあ。やっぱ娘役にしっかり「役割」があるのもいいよねえー。娘役の出番が多い芝居はいいわー。だってわたし、「娘役の隣にいる男役の姿」が、何より好きなんだもん。

 柴田作品、ほかにもいろいろ眠ってる名作あるんじゃないですかー!?
 ぜひわたしのために、バシバシ再演してください。全ツや中日劇場でいいから。さらに石田ショーと抱き合わせだと、生意気娘Kは泣いて喜んでお金使うよ!(←ちゃっかりリクエスト)

【宙 FANTASISTA!】
●すばらしき能天気ショー

 まずは、藤井先生ありがとう!!生意気娘Kは感動しました!!感動をありがとう!!(←?)

 コスモコスモコスモコスモ♪って組子が呼ばわったら、銀色の桃がぱっくり割れて、タニ王子が誕生しました・・・って、うそーーーーーーっ。最高ーーーーーーーっ。

 ああ、こんな感動、二年に一度ですよ。(前回・・・ワンダーランドのコムちゃん噴射)
 しかも感動のドラマはこれだけで終わらない。なんとタニ王子は、チギーチュとともに遊学(?)に出かけるべく、乗り物に乗って飛翔するのであった!うわーーーーっ!最高ーーーーっ!!

 なに、これ!? もしかして藤井先生、わたしのために作ってくれたの!?(←ない、ない!)わたしの嗜好を知り尽くして、わたしのために作ってくれたとしか思えんっ。あまりにもバカバカしい能天気ショー。そうなの。こういうの見て、バカになるのが快感なんだよーっ。

 しかしなんか、藤井せんせー、今回はまたえらくはっちゃけてますね??なんか煮詰まったあげく、開きなおって打ち上げてしまったって感じがするんですが・・・。(や、わたしはうれしいけどサ)

 演出、上手いよねえ。
 けばい女装の男役で笑わせたあと、さーっと幕があいていきなり男役の群舞にする展開なんか、「やられたーっ!」ってかんじですよね。やはりショーやレビューには「わっ!」というオドロキがなくては。そのあとタニちゃんが残ってロケットを導き、「ええー。もう大騒ぎは終わりい?」とか思うと、まだ「燃えてヴィーナス!」って続いていくあのあたりの展開、すばらしい演出じゃないですか?
 観客の感情を上手にうらぎりながら、ちゃんとすべての期待にこたえてくれます。

 後半はなにやら「こ、これはNHKでやってる歌謡ショー?」みたいなノリになるんですけど、そのベタな演出がまた激ツボでございました。ベタ万歳。大階段を光がナナメに流れるのも好きだった。(ベタベタだけどね・・・)

 わたし的に、二年に一度の大祭り(脳内で)が開催されました。
 コスモコスモコスモ♪
 殿堂入り!殿堂入りです、このショー!

 宙組のコーラスはすばらしいと、あらためて思った。
 最後のほうの絶唱、感動しちゃったもん。能天気だけど、アクセル踏みっぱなしじゃなくて、メリハリがあるのもいいですね。

 タニちゃん、まりえさんたちに見守られて「旅立つ」シーン、似合うなあ・・・。すばらしいあてがきですな。愛すべき末っ子スターだなあ、タニちゃん。ウメちゃんにカッコイイ場面が多いのもいいわ。娘役の場面たくさんあるし。いいわあ。

 まあ、お気楽極楽ノーテンキショーなので、語るような何かもないんだけどさ、ホント全場面たのしいすばらしいショーでしたよ。

 芝居もショーも、男役&娘役の並びがきわめてスタンダードに使われていて、わたしがハマる要素がめちゃ多い公演でした。そして見事に「タニウメ最高!」と叫びながら帰ってきたわたし・・・。タニウメコンビの魅力は、雑談記事のほうで語るけど・・・。あのう、わたしは本当にタニウメの並び自体にハマったのかな・・・?霧ミラ・ワンダーでコムまーに完全陥落したみたいに、たんに柴田芝居と単純ショーに弱いだけ・・・?なんか、そんな気もする今日このごろ。

 とにかくわたしは、柴田作品に弱い。弱すぎる。
 星影もめちゃくちゃ大好きで、見た直後から絶対絶対全ツもいくと、こぶし振り上げてかたく決意してるもん。ちかちゃんの沖田ととなみちゃんの玉勇の並びも、大大大好きだったしねえ。

 ああ、孤独でカッコよくて頼りになって、地に足がついてて、包容力とやさしさと激しさをあわせもつ、柴田ヒーローみたいな人、どっかにいませんかね。架空の男性だよねえ、まさに・・・。いないよねえ。(まあ、いたとしてもわたしなんか相手にされんだろうが・・・)ええ、ええ、わかってますとも。だから宝塚という架空の世界で、おおいに溺れようじゃありませんか。


エル・アルコン制作発表

2007年07月20日 | 宝塚歌劇
 制作発表、青池先生もお出になったんですね。
 まー、何を隠そう(いえ、何も隠してませんけど)、わたしは青池先生の大FANですからねえー。

 青池先生が「この作品は私がはじめてキャラ萌えした・・・」とか発言されてるのを見て、ひっくりかえるほどオドロいたわたしであった。あ、青池せんせいの口から「萌え」などという言葉が出てくる時代がやってきたとは・・・。まあ、青池先生って昔から時代に対してビビッドだから(←たぶん)、青池先生だからこそ出てきた単語だとも言えるワケか・・・。

 そーかぁー。ティリアンって、ハヤリ言葉で言うと「萌え」なんですか~。そうやって考えたことはなかったな・・・。

 青池キャラクターの、甘さはないんだけど、ハッキリと主義主張のあるハードさ、とうこちゃんによく似合うだろうなあー。エル・アルコンが宝塚で上演されるという事実だけでも、かなりうれしいですが、主演がとうこちゃんだというのが何よりうれしいね!絶対うまく、かっこよく、心に残る悪役をやってくれることでしょうっ。

 音楽がゲド戦記の方だって??
 じゃー、ドラマチックに盛り上がる曲、書いてもらえそうですね。
 気合い入ってますねえ、エル・アルコン。
 人気のある原作、お金のかかったセットに音楽、実力派の主演コンビ・・・好条件そろいまくりです。あとは斎藤先生のお手並み拝見、ですね。(←えらそう)

 明日は、まーたムラにいます。
 前回、日曜日だったから、中5日しか空いてないじゃん・・・。史上最短かもしれん。

花組「源氏物語 あさきゆめみしⅡ」梅田芸術劇場

2007年07月19日 | 宝塚歌劇

 じゃあ、まずは「あさき」から書きます。(1本だけで書きやすいから・・・)
 今回は、キャスト雑感、たいした感想がないので、まあわたしのクドクドしい邪推に興味ない方は容赦なく飛ばしてくださいな。

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 今回は、わたしはキャストや役づくりについて、まったく語る言葉を持たないんです。だって、たいした「芝居」ないんだもん・・・。最低限のセリフしかなさすぎて、役と役の関わりやストーリーへの絡み方を鑑賞する余地がないっ。

 なんかこう、メリハリがないというか、のっぺりしていてユルいんですね。
 わたしがコレ見て思ったのは、
・源氏物語を宝塚歌劇にするのは、ちょっと無理があるのかもしれんなあ。
・草野先生は、気遣いの人だな・・・。
 の2点です。なんでそんな結論になったのか、順番に見ていきましょー。

まずは「宇宙の背景」問題
 あさき、源氏物語だとゆーのに、バックに壮大な宇宙が登場します。刻のスダマとやらが出てくる場面では、スダマがジジジー…とエレベーターのごときセットをセリ上がっていきます。「え、SF!? これ、源氏物語じゃなかったっけ!?」とわが目を疑いますが、幻覚じゃーありません。ホントに宇宙なんです。

 平安モノに宇宙は合わんだろっ!!と斬って捨てるのはカンタンですが、まあ、草野先生には草野先生の意図があるんでしょーよ、とわたしは思うのよ。源氏物語と宇宙の共通点、それは壮大さでありましょう。宇宙のセットでスダマくんがしゃべりだしたのを見て、わたしは「あ・・・」と思った。草野先生、あれで悠久の時とか、そーゆーのを表現したかったんだなーというのが、ほんのり伝わってきました。ほんのり、だからね。ビシビシは伝わってこないよ。

 で、舞台が進んでいくにつれて、草野せんせーが「源氏物語」に、悠久の時のなかで、長大な源氏の愛の物語はうたかたの夢・・・とゆーテーマを据えたんだなーというのが見えてきて、わたしはしみじみと考え込んだんですよ。で、帰ってきて「歌劇」の座談会読んだら、はたして漫画の「あさきゆめみし」・・・浅き夢・・・というタイトルの意味に触れた発言がありました。

 なんでこんなコト(宇宙の登場)になったのかっつったら、それはやっぱり、源氏物語が2、3時間の舞台にまとめるには、不向きであるからじゃないか、と思うんですよねえ。わたしでも困ると思うもん、源氏物語を一本の脚本にしろって言われたら。源氏物語って、言ってみれば「オムニバス」形式でしょー。源氏と、いろんな女性とのアレやコレやの、短いエピソードの積み重ねじゃないですか。たぶん紫式部は、すこしずつ書いて、それがいろんな人にリアルタイム読まれて、言ってみれば「シリーズものの読みきり連載マンガ」みたいな感覚で書いたんじゃないのかねえ。それで全体を通してみたときに、じゃあ「源氏物語」のテーマは何ですか!という話になったときに、それはもう「愛」とか、ものすごく漠然とした、曖昧模糊としたものしか無いわけです。はじめから、何かを訴えたり表現するために計画的に組み立てられた物語じゃないワケですから。物語の構造が、1本モノじゃないんだよ。

 それでも、源氏物語を2、3時間でまとめなきゃイカンとなったら、ある程度「軸」を設定しなきゃなりませんわね。でなきゃホント、ショーになっちゃうもん。物語を俯瞰する「狂言回しが必要だ」と、わたしでもそう思うでしょうなあ。それから「テーマが必要だ」、わたしでもそう思うだろうな・・・。

 それでまあ、源氏物語であれば、テーマにせよ狂言回しにせよ、いろんな設定の仕方があるでしょうが、草野先生が選んだのが、
・悠久の時間のなかの、うたかたのごとき愛絵巻
・それを表現するための時のスダマ
 だったんでしょう。悠久をどう表現するか・・・となったときに、セレクトされた素材が宇宙だったんでしょーな。
 わたしは、宇宙のセットは、まあ肯定派ですね。何をやりたかったかは、わかるもん。考えたな、と思いますよ。ただ惜しむらくは中途半端ですよねえ。どーせやるなら、もっと宇宙色をガンガン出して、出てくる女性をことごとく星になぞらえる、とか、光源氏はじつは宇宙から来た愛の使者だった!とか、それぐらいのイキオイが欲しいね、わたしは(笑) 源氏、ラストに宇宙に帰る?ような演出ありますけど、あれは抽象的な表現でしょ。そして源氏の愛は、はるか悠久の時に飲まれていきました・・・という抽象表現だと、わたしは思った。

 どーも草野先生、「嫌われないように」バランスをとりすぎて、中途半端になっちゃったゆえに、「芝居でもショーでもない」「原作どおりのような、そうでもないような」、半端な舞台が出現した気がする。

●草野せんせーって気遣い屋?
 なんかねえ、草野せんせーは要するに、気遣い屋なんじゃないのかね、とわたしは思ったんですよ。

 源氏物語に宇宙!とゆー奇抜なアイデアを投入しながら、スダマくん絡みの時間表現にしか使ってません。源氏が女たちと愛をかわす、物理的なシーンは、ごくごくフツーに、平安絵巻だものねえ。源氏物語から世間がイメージする、根本的な部分は変えてないんですよ。自分のアイデアより、観客の嗜好を優先しています。どーせ優先するなら、徹底的にオーソドックスにやればよかったんだけど、テーマを据える関係で、ちょっと「myアイデア」を入れてしまった。でも、ちょっとなんですね。だから「ナンなのあの唐突な宇宙はっ」ってなっちゃう。やるんだったら、宮廷のシーンにもビシビシとメスを入れて、オリジナリティあふれるSFモドキ源氏物語、やればよかったのにね。それをやる度胸がないなら、宇宙のセットはあきらめるべきだったとわたしは思います。どうも思い切りが悪いね。

 それからヒロインですが・・・。ヒロインは紫の上です。(ラストのデュエットダンスも紫の上だし)それはいいんだけど、けっきょく光源氏って藤壺・・・母上命vなんじゃんね。物語のうえでは。だけど年上の母親がヒロインでは歌劇としてサマにならないから、紫の上を持ってきた・・・。草野先生の苦渋の選択でしょう。ところが源氏のセリフ聞いてると、けっきょく光源氏は藤壺が好きなんだよねー。そこを、まったく原作と変えてないワケですよ。だのに紫の上がヒロインというのが・・・びみょーにズレてるんだよね。まあ、ほころびというホドじゃないけど、強引ですよね。源氏と紫の上の関係をメインに据えるなら、もーすこし藤壺の比重を落としたほうがイイんじゃないかなーとわたしは思うんだよ。だけど源氏物語といえば、藤壺との禁断の愛だから、そこの世間イメージを裏切らないように、びみょーに調整しながら紫の上をヒロインにしたんですね。あやねちゃんにも、原作にも、原作を知る世間にも配慮しながら、バランスを取っているという気がする。気ぃ使ってるんだよね、いろんなところに。

 ミニ・ショーがついてるんだけども、大きめの階段を持ってきてるわりには、「階段おり」とか歌い継ぎはやらず、ラストはまばらにポージングする少し変わった構図にしています。で、そうやって奇はてらうんだけども、変わったことやりすぎて観客が置いてけぼりになってはマズイので、内容は手堅く「羽山振付の燕尾」なんですね。花組で羽山振付の燕尾・・・これはもう、グウの音も出ないよ。イイに決まっている。そのわりには、純オーソドックスは避けて、多少の工夫というかオリジナリティの要素があるんですね。バランス取りでしょ、これも。

 けっきょくその「気遣い」「バランス取り」のおかげで、どーも中途半端になっちゃったような気がします。草野先生、細やかに気の遣えるイイ人なんだろうなあ。

なんで「あさき」なのか
 あさきゆめみし、ってズバリ源氏物語じゃないですか。フツーに源氏物語を原作にすればいいのに、なんで「あさきゆめみし」を原作にしたのか、わたしはソコが一番知りたいですねえ。草野先生にインタビューする機会があれば(無いけど。)、それ聞きたいですねえ。

 頭の中将のヴィジュアルとか、マンガっぽいデザインにしてますけど、そのためだけにわざわざ「あさき」にしたワケでもありますまいよ。

 考えられるのは、
①「あさきゆめみし」のタイトルに感銘を受けたから
②ただの「源氏物語」では芸がないと思った
③ファンの多い大和和紀のマンガを持ってくるほうが、親しみやすいと思った
 このいずれかですかね。どうなんだろうなあ。

 まー、とにかくなんか、いろんなところに「配慮」したんだと思うよ、草野先生。あさきの原作を尊重して、あまり壊せなかったというのもあるでしょーな。

二次元的な平安絵巻
 だからね、宇宙とか出てきちゃうけど、これフツーに源氏物語としての王朝絵巻的美しさはあります。源氏物語が持つ美しさ、みやびさ、それから源氏物語と聞いて一般的に想起されるイメージというのを、まったく壊していません。本質的に、紫式部の源氏物語の世界を、尊重してると思う。

 むしろ、絵巻的すぎるとわたしは思った。

 とてもきれいなんですよ。みやび~な雰囲気あるし。
 原作のエピソードや雰囲気を尊重するあまり、それぞれの場面が独立した絵巻物に見えるんです。源氏物語の性質を考えると、それはとても「正しい」ように思います。でも、1本モノでオムニバスを見るのは、どうも不思議な感じがするんですね。セリフのすくない劇だし、話が流れていないんですよー。

 ・藤壺のエピソード(歌って雅にしっとりー)
 まあ、きれいねえ。
 ・紫の上が出てきて・・・(歌って雅にしっとりー)
 まあ、きれいねえ。 
 ・明石の上登場ー。(歌って雅にしっとりー)
 まあ、きれいねえ。

 ってな具合に、わたしは「源氏物語絵巻」をめくりながら見ているような錯覚にとらわれました。どの女性に対しても、源氏は真剣に愛を懸けるし、女性たちも「源氏にメロメロ」の風情だから、それぞれのエピソードのなかでロマンティック・ラブが完結してるカンジがあるんだよねー。それぞれがとてもきれいだし、雰囲気はありますので、それこそ源氏物語絵巻をのぞきこんでいるような感覚です。セリフがすくなくて、視界から入るヴィジュアルの刺激が中心になるのも、絵巻のようだと思ったね。

 またはイメージビデオ(イメージ映像)ですな。

 スダマくんが徘徊する宇宙空間ふくめ、源氏の愛と悠久の時をリンクさせた、華麗で壮大なイメージ映像by源氏物語というカンジがする。なんだか二次元的だとわたしは思いました。

 草野先生が設定したテーマ、それから草野先生がおそらく源氏物語に対して感じているであろうイメージを推測すると、草野先生の意図はわりと100%に近いかたちで、あの舞台には表れていたんじゃないかな、と思いますね。
 草野先生はやっぱりショー作家なんですよ。序列に配慮し、スターの登場バランスを考慮し、テーマの持つ「イメージ」をヴィジュアルに置き換えるんです

 テーマに「自分」を突っ込んだり、無理やり何かを訴えたり、筋を強引に要約したり、そういう「加工」をほどこす発想がないんだろうなあー。

 「あさきゆめみしⅡ」、もっと宝塚歌劇ふうに、強引にヒーローとヒロインの物語に翻案されてるんじゃないかな、とわたしは思っていたので、素直な源氏物語絵巻ぶりが、ちょっと意外でした。

●キャスト雑感ほか
 それで、じゃあ「ほかに源氏物語を加工して歌劇にするなら、どんな手があるのな」といろいろ考えてみて、やっぱり源氏物語って難しいんだなーと思ったワケですよ。一番わかりやすい軸は「藤壺への思慕」ですが、それは宝塚のヒーロー・ヒロインに向かないしね。女の物語だから、女性に視点を取るのがいいんだろうけど、宝塚は男(役)文化だから、そういうワケにもイカンだろうし。ひとりだけを愛するっていうんでは、なんかプレイボーイ源氏とは違うしな・・・。草野先生も、いろいろ悩んでバランス取ったんでしょうなあ。

 そんで、キャスト雑感は・・・ホントに無いんですよ。
 だってセリフすくないもん。
 要約すれば「愛してます」→「私も」みたいなセリフばっかしですから。心情をべらべらしゃべったり、 人間関係に思い悩んだりすれ違ったりっていう、そういうのはあんまりないので。まあ、言ってみれば、「見せ場の愛の告白場面」がずーっと続くようなかんじですもんね。花組はラブシーンきれいですよねえ!どれもこれもウットリです。

 オサちゃん、光源氏似合うーーーっ。まさに貴公子。細面に、平安装束が似合うっ。香り立つ気品っ。不特定多数の女性に囲まれる役に、説得力があるよねー!せっかくの美声なんだから、もっとガンガン主題歌歌わせまくってほしかったわ!

 あやねちゃん。あ、あでやかーーーっ。
 あやねちゃんはキザでかっこいい花組男役の隣が、本当に似合いますね。けなげな紫の上の姿が、若くしてトップ娘役になって、オサちゃんに育ててもらったあやねちゃんの軌跡にダブって見えましたよ。もともと包み込むような母性のある娘役さんなので、明石の子供を引き取るくだりとか、よく合ってましたね。 

 ゆうくんは、もーちょっとオサちゃんと絡みのセリフあるとよかったのにねえっ。(なんか孤独な役だよね。)
 えりちゃん、マンガから抜け出てきたみたいだったなあー!

 めおちゃん、いい役だったね。

 このくらいしか語れないって、われながら情けない・・・。とほほ。
 だって本当にたいした会話がないからーーー!

 最後に、くだんの歌劇の座談会から引いときます。

草野 僕は原作者の大和和紀さんがこの「あさきゆめみし」というタイトルをよく付けられたなぁと感心しているんですよ。これは“いろは歌”に出てくる言葉で、この歌にこめられた意味は“虚無”、つまり、この世は虚ろなものだという事です。“あさきゆめみし ゑ(酔)いもせず”・・・この世は、酔ってもいないのにあさき夢のようだと歌っているんですね。大和さんは光源氏を通して“あさき夢”を描きたかったのかなと思いますね。

 ま、ここの草野先生の語りに尽きるんじゃないですかね。「あさきゆめ」をつむいだ絵巻物でしたよ。


役替わりも見にいっちゃうぞ

2007年07月17日 | 宝塚歌劇
 あらためまして、ただいまー。宙組も花組も、作品感想文はおいおい書きます。
 やー、バレンシア&ファンタジスタ、ほんっとに面白い演目でしたねえ。
 アレです。しみじみ思ったけど、わたし、柴田作品好きなんだわ、すごく。華やかで品があって、孤独と叙情性がいろどる悲劇ですね。すてーきー!宝塚らしい甘さのなかに、シビアさをピリッと効かせるサジ加減も大好きです。
 で、ファンタジスタのほう、「アホらしいでSHOW」とゆーか「ザ・ノーテンキ・ショー」というか・・・あーゆーカラ明るいショーも、大大大好きなんですよねえ。

 まあ、長く読んでくださっている方には衆知の事実(?)ですが、わたしが宝塚にドカドカお金使うようになり、こんなオンラインまでしゃしゃり出て駄文をつづるようにまでなってしまったのは、「霧のミラノ」&「ワンダーランド」がすべての始まりなんですが。思えばアレも、柴田作品+能天気ショーの組合せだったな・・・。ヨワいんですよ、この組み合わせ。柴田脚本の叙情性でジーンとしてから、能天気ショーで大笑いして大発散でしょ。ああ、しあわせな取り合わせだー!

 えりこちゃんが休演していたのは残念でしたけども。

 バレンシアの役替わりに関しては、前に書いたように、わたしは発表された時点では、まあソコソコの興味だったんです。「みっちゃん、とむくん、ふたりとも上手いから、たぶんどっちでも同じだけのハイクオリティに違いない。だからまあ、どっちを見ても面白いんじゃないかな」って思ってて、当日劇場に入ってパンフを開くまで、自分がどっちのラモンを見るのかも知らなかったぐらいです。
 でも実際に芝居を見ると、「とむくんは、どーやってラモンやるんだろー!」「みっちゃんの貴族は、どんな感じかねえ」、ムクムク興味が・・・。ふたりとも芝居巧者だから、ホント芝居が面白いよね。役が替わったらどんな役作りだろう!ってワクワクします。

 作品も好きだし、ショーもぜひぜひもう一回見たいし、うっかり今週、役替わりも見にいくことにしました。・・・どっからそんなお金が出てくるのか不思議ですが・・・。どうしよー。どっから出すの、そんな予算・・・。(自問自答)

「宝塚歌劇団在団生徒への試験は、昭和二十五年頃始まったらしい」 58へえ!

2007年07月13日 | レヴューのトリビア

「宝塚歌劇団在団生徒への試験は、昭和二十五年頃始まったらしい」
 58へえ!

「宝塚春秋 昭和25年3月号」より

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 「宝塚春秋」っつう雑誌を古書で買ってきました。「歌劇グラフ」みたいな、歌劇全盛期に宝塚歌劇団以外の出版社が出してた歌劇雑誌の一種かと思ったら、違ったよ。これ、宝塚歌劇団出版部が出してるんですね。グラフや歌劇のほかにも、雑誌出してたんですねえー。

 ざっと見る限り、「春秋」は、読者投稿が多いのが特徴・・・なのかな。
 歌劇論みたいなものやら「フアンの叫び」やら、果ては「懸賞募集脚本(3席入選作が載っているぞ。「オペレット 国境に響く愛の合唱 二場」だって。)」まで、ファンによるファンのための雑誌、みたいな。もちろん、新作をめぐるスターや演出家の座談会、巻頭のポートレートなど、情報記事もありますけど。

 「試験場をのぞいて」というページに、なんと宝塚歌劇団の「試験」(音楽学校入試じゃなくて、在団生の試験ね)の写真がいっぱい載ってるぞ!すごい。試験場を公開しちまうんですね。ちゃんと名前も入ってます。「この写真の受験生は花組の明石照子さんです」とか。テーリーさんがダンスの試験受けてるよ!
 声楽や演技や日舞の試験の様子も写真でばっちり載ってます。稽古場が古いねえ。昭和だあ。こんな建物だったんだねー。

 で、この「試験」、初回みたいです。ほかのページに、「生徒への試験制度ができて」云々の言及がありました。ふーむ。はじめからあったわけじゃなかったんだね、生徒さんの試験。

 「宝塚春秋」、気になるお値段は60円。
復刊第18号とあるから、休刊した時期があったんでせうね。投稿募集の項には「すごいお熱や気焔をどうぞ」なんて書いてあります。お熱・・・気焔・・・。アツいなぁ。
 まあ、今の時代ですと「熱」や「気焔」をブログで勝手に上げられますけど、昔は有り余る情熱をぶつける先が雑誌投稿だったんだろーなあ。なんかしみじみと共感が・・・。思えばこのブログも、コム様に対する怪気焔(・・・・・・。)ではじめたんですよねえー。春秋のアツい投稿見てると、しみじみと共感が。わたしも生まれる時代が違ったら、スター様への想ひを、(ブログじゃなくて)紙にしたため、宝塚春秋にセッセと送ったりしたんでしょーか・・・。

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世界陸上開会式

2007年07月12日 | 宝塚歌劇
 7月1日より、我が家は慣れ親しんだ中日新聞をやめ、「読売新聞」購読と相成りました。(理由は知らん。パラサイトシングルなんで、両親が取ってるのを読むしかないんでー)

 で、今日の読売新聞に、なんと雪組!!!の写真が。きゃーきゃー!わーわー!

 読売新聞サイトでも見られますね→ココ

 世界陸上開会式、小池せんせーが総合演出なのか・・・。さすが天下の小池修一郎。
 オサちゃんの国家独唱、たのしみだねー♪
 世界陸上なら、テレビで中継あるかな。ビデオ録らなきゃ、ビデオ!!

●追記
 あとから宝塚公式HP見たら、もっとくわしく出てましたね。(←先に公式を見ろよっ)
 雪組5人で「アクア5」・・・。ま、まさかと思うけど、「夏希」サマだから??(笑)いやー、わかりやすくてイイなー。雪組の「雪」も水に通じるし、雪組で水夏希サマ率いる「アクア5」って、なんかイイですね!涼しそうだし。
 ゴスペラーズの曲かあー。ハモったりするのかなー。

「白井レヴューは、じつは評価ビミョーだった?」 67へえ!

2007年07月09日 | レヴューのトリビア


「白井レヴューは、じつは評価ビミョーだった?」
 67へえ!

「東宝レポート」(昭和21年7月10日発行)より

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 「東宝レポート」にはもうひとつ興味深い記事がありました。
 署名はないですね。誰が書いたのかわからんけど、白井鐵造のレビューについて語った記事があります。その名も「白井鐵造とレヴュウ」

 記事は、レビュー(というのは、この記事においては「宝塚レビュー」に限定してのニュアンスです。)発展の歴史には、3つの転機があったと書いています。

①昭和5年 「パリゼット」
  コレで日本のレビューの進むべき方向が定まった。
②昭和9年 東京宝塚劇場開場(開場記念作品は「花詩集」)
  東京のレビュー界は松竹の独壇場だったところに乗り込んで、松竹・日劇・宝塚の「レヴュウ合戦」でレビューの発展・進歩に大きな役割を担った。
③昭和14年 「桃花春」(葦原邦子の引退記念作品)
  日本モノレビューを、ただきれいなだけでなく「詩と夢」を織り込んで日本モノレビューの新境地をひらいた。

 で、上の3つはぜーんぶ白井作品なワケです。
 記事は申します。

 こう見てみると白井鐵造の日本レヴュウ界に果たした役割は実に大きい。云ひかへれば、彼なくしては、戦前の絢爛極まりなきレヴュウは到底出現出来なかったのである。では彼の作品はそんなに立派なレヴュウだったのだらうか? 完全無欠、■く所なき作品だつたのだらうか。否、決してそうではなかった。当時のレヴュウの批評家達は何う云って居たか?「白井鐵造の作品は確かに楽しいし、派手である。スイートでスマートで破綻がない。所が作品の底を流れている物は残念ながら唯感傷と、甘美さがあるだけだ。換言すれば少女趣味でしかない」と云ふのである。実際、前の三代表作のみならず、彼の他の傑作と云はれた「マリオネット」にしろ「サルタンバンク」にしろ凡て感傷が基調をなしていたのである。
 ※下線は生意気娘Kによる。


 この「白井鐵造とレヴュウ」という記事はよーするに何がいいたいかというと、「批評家たちにはそんなふうにいわれても、わたしたちは白井レビューにワクワクしたし、白井鐵造はやっぱり偉大な演出家だと思うよ。特に演出はまるで魔法のようだった。脚本はあっさりしているのに、実際に舞台になるとびっくりするぐらい楽しいのだ。」という話です。(まあ、東宝系の雑誌だし・・・)

 わたしとしては、伝説の白井先生が批評家たちに「少女趣味でしかない」なんて言われてたことのほうが、「へえー」だよ。そりゃあ、万人の絶賛なんて無いですから、やっぱり好評・不評、賛否両論あっただろうけど、いまやタカラヅカの世界では神格化された「白井レビューの伝説」を聞かされて(?)育った新参宝塚ファンのわたしには、こうやって雑誌(しかも東宝系)に、ハッキリと白井が「批評家に不評だった」事実が書き留められているのが、新鮮なんですよねえ。

 まあ、「少女趣味」という言葉が悪口に使われているのはね(笑) 少女趣味擁護派のわたしとしては微妙ですけども(笑)
 
 感傷と甘美、といわれてわたしが現代で思い浮かべるのは荻田浩一先生ですよ。「感傷」だけなら、小池作品にも流れてますが、甘美をプラスして考えると、荻田先生ですよねえ。荻田先生の資質は、白井系譜の宝塚美学に、とてもよく似合うと思います。白井レビューをいつか再演するなら、荻田演出がいいんじゃないかなー。

 演出の妙、外国の街への夢想、感傷と甘美・・・。そーか。荻田先生は、宝塚に意外に見当たらない、正当な「白井美学」の後継者なのかもしれませんねぇ。いえ、白井レビュー見たことないから、想像でモノ言ってますけど。

 ★へえボタン★


「昭和二十一年、名古屋宝塚劇場オリジナル雑誌があったらしい」 82へえ!

2007年07月06日 | レヴューのトリビア


「昭和二十一年、名古屋宝塚劇場オリジナル雑誌があったらしい」
 82へえ!

「東宝レポート」(昭和21年7月10日発行)より

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 これも、名古屋市内の古書店だったか古書市だったかで発掘してきたヤツだ。わたし、本に関しては意外と「何をどこで、いくらで買ったか!」をしつこく記憶しているのですが、これは記憶が薄いな・・・。どこで買ったんだろ。いくらだったのか、値段も思い出せないぞ。(まあ、ここにあるんだから、わたしに買える程度の値段だったんだろうが・・・)

 東宝レポートというタイトルと目次内容から、「東宝が全国の東宝系映画館に向けて発行していたパンフだろう」と思い込んで買ってきたんですが、中を見たら、違いました。名古屋ローカルだったわ、これ。発行は「名古屋宝塚劇場」。広告も名古屋の店ばっかりです。・・・またローカルネタかっ。まあ、しょうがないやね。名古屋の古書店で買うと、名古屋のモノが多くなるんですよねえー。

 「中京アミユズメントセンター 7月のレパアトリイ」として、
・名古屋宝塚劇場
・大須宝塚劇場(「大寶」と呼ぶらしい。大須にも東宝系映画館があったのか・・・)
・納屋橋劇場(名宝の隣らしい)
 の上演スケジュールが1ページ目です。
 東宝系劇場の広報誌プラスアルファみたいな雑誌(冊子?)っぽいですね。

 表紙には「EIGA(映画)」「REVIEW(レビュー)」「ENGEKI(演劇)」の文字が並びます。レビューが映画・演劇に伍しているよ!じーん・・・。(レビューファン的感慨)
 
 12ページばかりの薄ーい冊子ですが、けっこう活字が多くて、よみごたえあります。淀川長治氏が新作映画の評(「ロレッタ・ヤングの絢爛たる主演映画」として「嘆きの白薔薇」という映画を紹介している)を一頁まるまる使って書いていたりするぞ。

 宝塚FANとして真っ先に目を引かれるのは、小夜福子サマについての小さな記事というかコラム(?)です。書き手は「服部弘」という人です。
 タイトルは「小夜さんのプロフイル」。
 昭和21年、小夜福子サマは宝塚を退団して4年が経っているそうな。すでにご結婚されて、舞台にも出ていらっしゃるらしい。

 (おやッ!)
 と思った。なんだか勝手が違ふのである。小夜福子さんと言へば、宝塚ジエンヌは月組組長として、タキシイードかなんかを着込んで颯爽たる男装姿が私の頭脳一パイをしめていたからである。ところが眼前にまみえる彼女は、真中からわけられた頭髪がふさふさと肩の辺まで垂れ下がってカールされ、かくばった額の生え際はダニエル・ダリュウのそれを思はせた。

 まあ、短いコラムなんで、たいした内容はないんだけども、要約すると
・男役だった小夜さんが、こんなに女性らしくなっている。
・女性として舞台に立っているのを見ると、男役と肩を並べて出てこられるような気がする。(まるで娘役のようにすっかり女らしい、とホメている)
・著者の口の悪い友人は「宝塚少女歌劇、少女歌劇ッていふが、大部とオールド・ミスもいるぞ」という。小夜さんももう少女歌劇の年齢ではないが、まだまだ若々しく、娘らしいあどけなさがある。
・小夜さんの(男役でない、舞台姿の)女は、みずみずしさと新鮮さにおいて、宝塚時代の男装に劣らない。
・「どうぞご主人とご円満に」と言ったら、小夜さんは唇をほころばせ、白い歯を見せて笑っていた。

 小夜さん、退団されてから女優やってらしたんですねえ。知らなかったー。

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ああ、言い間違い!

2007年07月03日 | 雑文

 いやー。あまりにも面白かったので、思わずワールドワイドウェブで吹聴しちまうんですけど・・・。

 このあいだ、最近ひとり暮らしをはじめた末妹(妹2)の部屋に、遊びに行ったんだよ。で、「最近、仕事とかどーお?」とたずねたところ、妹は「人間関係が難しいのだ」と、眉間にシワ寄せて愚痴るわけです。

妹2:「派閥とかがあって・・・」
わたし:「ふーん」
妹1:「よくある話だね」

 妹2は深刻そのものです。具体的なエピソードを語るべく、語調も荒く妹2は続けます。勢いあまって、机をバンとたたき、妹2はキッと顔を上げて、わたしに向かって言うのです。

妹2:「あのね、おねーちゃん。インターネットのさ、あたらしい技術で・・・ピクシーって、知ってる!?」
わたし:「・・・・・・・・・。」
妹1:「・・・・・・・・・。」
わたし:「そ、それはもしや・・・ミクシィでわ!
妹1:「ピクシーは妖精のことだよ(冷静)

 妹1の、どーでもよい単語解説もなんだか可笑しい(笑)
 いやー、面白かったなー。大ウケでした。「言い間違いにウケました大賞」だね。すげー深刻な会話で出てきたから、よけい面白かったね。
 わたしのなかで、これまでで一番ウケた言い間違いっていうのは、父の「最近、角川春樹という作家が評価されてるようだナ」(←そりゃ村上春樹!)だったんですが、ピクシーにはかなわん!これは面白すぎる!


最近のトピックスいろいろ

2007年07月02日 | 宝塚歌劇

 昨日、ダリ展行ったら、ものっすごい列でしたよ。わたしは前売り買ってあったからいいんだけど、当日券売り場は30分待ちの大行列でしたよ。美術館とも思えないすげー列です。券買うだけで30分とは・・・。(中はもちろん、めちゃ混みで、人のアタマの隙間からしか絵は見えない)ダリって、人気あるんだねえ。やはりビッグネームなんですねえ。ダリ展の感想は・・・ま、ダリのことがよくわかったよ・・・。そうか、あんなヒトだったのか・・・。想像してたのとだいぶ違うなぁ。

●全ツ友の会
 星影の人、友の会でSとBをエントリーして、Bだけ当たりました。
 ・・・Sって当たらないんだなああああ。
 いま思えば、コム様がいた時には、わたしの人生史上最大にツイてたよーな気がしますよ。全ツでS当たったり、3日しかない特出が当たったり、A席でも(Aのなかで)最前列が来たり、けっこう運よかったよな。あれはまさに奇跡であった(遠い目)
 「友の会ってけっこう当たるじゃん」とか思ってたもん。もともと、「運がいい」タイプの人間じゃないから、思えばあれは、コム様との運命の赤い糸によるラッキーだったのか!(勘違い)

●ダンスコン
 そーいえば、夏のダンスコンサート、皆様首尾はいかがでしょうー。
 わたし、アレは行ければ行こうと思ってたんだけど、まあ、ダメっぽいですわ。現時点で手元にチケットないもん。DVD出たら買おうかなー。リカさん、わたるくん出るし、伝説の「ナツメさんのダンス」を一度見てみたい気持ちもあるしー。あとは、まーちゃんが出てくれれば、言うことなかったんだがなーっ。(←コムまーFANだからね・・・)

●マジシャン画像&退団
 じつに月組らしいピリッとした雰囲気の写真ですねー。楽しみですねー。「MAHOROBA」、最初は変わったショーだなあー大丈夫かなあーと思ったけど、なんか実際見ればすごく面白いような気がしてきた。MAHOROBAがめちゃ楽しみです。
 で、旧聞ですけど、えりさんと末子さんが退団なさるそうで。
 びっくりしたよねえー!
 えりさんは、退団しても絶対に芝居は続けていかれるんだろうなーと思ってます。
 末子さん、このあいだわたし、昭和26年のサンデー毎日でお名前見たんですよ(真顔)

 その当時のスターは芦原邦子、奈良美也子、天津乙女、小夜福子、門田芦子、滝川末子、初音麗子、後に剣劇女優となった大江美智子などもいた。
 (例の「レヴュー五十年史」より)

 ほらっ。末子さん(のおばあさま)の名前がっっ。
 2代はあっても、3代はなかなかないですよね。長く宝塚を支えてくださってありがとう!末子さん、組長とか副組長になるぐらいいてほしかったな・・・。さびしいです。

●スポニチ宝塚特集
 ・・・またもや、叔母上が、野菜に混ざって送ってくだすったのだ。
 表紙がキラキラ。タニちゃん&ウメちゃんの、赤いスペインぽい衣装の写真ですね。これは、バレンシア?ウメちゃん、真っ赤な衣装似合ってるなー。
 中身は、主に新トップ特集かな。
 始まったばかりの宙組公演の写真、見開きいっぱい載ってますね。ほー。ウメちゃん、こんなミニスカートはくのかー。
 いつも思うんだけど、あすかちゃんがとうこちゃんの隣で写る写真、ほんっとにあすかちゃんがうれしそうで、微笑ましいですよね。歌劇6月号のトークの写真もスゴかったけど、このスポニチのもなかなか。とうこちゃんの腕にぐっと腕をからめて「とうこさんv えへへー」てカンジのあすかちゃんが、超かわいいね!
 ちかちゃんは、ますます女性らしい柔和なホホエミです。グリーントートについて「グリーンは嫉妬の色と聞いて決めました。内容的にもぴったりでしょう」というコメントが出てます。嫉妬・・・なるほど。となみちゃんとのほわーんとした2ショットも素敵ー!!いやあ、宝塚の男役&娘役のコンビ写真っていいよねえ。コンビ大好き。わたし、娘役さんのヨコにいる男役さんの姿が、大好きなんですよねー。
 オサちゃんの退団会見も載ってます。オサちゃん、透明な空気をまとってるね。「終着駅が見えた感じで私の中で気持ちが穏やかになり、取り繕うことなく素直な気持ちで稽古に励めそうな気がします」という言葉どおり、ナチュラルで穏やかな笑顔ですよねー。オサちゃんがいない花組って、なんとなくまだぜんぜん想像できないですよね。本当にやめちゃうんだねえ・・・。
 月組ページはダルレークの話ですな。愛知県近辺で公演あったら、絶対見に行ったのになー。昨秋の「あかね全ツ」もだけど、雪組の大劇場と期間が重なるから、いつも「見たいけど、どうしようかなー」と思っているうちに終わってしまう・・・。うーん。
 かなみちゃん、かわいい!なんか若返った?
 きりやんの大坂侍の写真、なかなかナイスショットだ!

 スターエッセイは、これは・・・スポニチ本紙にのったやつなのかな?
 まなとくん、真咲くん、せしるくん、はやや、ちぎちゃんの5人です。 

 最終ページに「歌劇検」なる、宝塚問題集がついてるよ・・・。最近、ナントカ検定ってハヤリだもんね。
 しかしわたしは一問も解いていない・・・。考えるのが面倒くさいので、こういうのは解いた試しがないのだ。わたしって、ほんっとに勉強に向いてない(勉強嫌い)だなあっ。この歌劇検、正解数で「歌劇度」がわかるらしい。30問正解で「スポニチ宝塚博士に認定」、0問正解者は「すぐに大劇場へGO」だって。・・・この、歌劇度の段階ごとの区分けが一番、おもしろいよ、このスポニチ。おもしろい。薮下記者がおつくりになったのでしょうかね。