山川草一郎ブログ

保守系無党派・山川草一郎の時事評論です。主に日本外交論、二大政党制論、メディア論などを扱ってます。

日米中トライアングル

2004年09月17日 | 日本の外交
自民党の加藤紘一元幹事長がかつて「日米中の正三角形」を唱えていた。宮沢喜一元首相ら自民党保守本流(宏池会系)の人々に根強い考え方だ。日米中3国が「正三角形」になれるかどうか疑問もあるが、日本が国家として、太平洋両岸の2大国の間でバランスを取りながら、国益の最大化を目指すというのなら、それはそれで一つの外交路線として評価できると思う。

事実、冷戦の開始から終結までの約半世紀、自民党政権はソ連や中国に歩み寄る姿勢をちらつかせながら、米国の関心を引き付けてきたのだ。鳩山内閣の対ソ外交や、田中内閣の対中接近がなければ、中曽根-レーガンの蜜月もなかったと考えるべきであろう。

しかし、冷戦構造が崩壊した現在、米国は日本を「自由主義陣営の一員」というだけの理由で重視してはくれなくなった。バブル崩壊で日本経済の「魔力」が失われてからは、その傾向は一層顕著だ。冷戦後の日本外交はゼロからの、あるいはマイナスからのスタートだったといっても過言ではない。

無論、現在の日本にも、中国の台頭を利用し、新たな天秤外交を模索する選択肢は残されている。通商国家としてそうした外交路線に生き残りを懸けるというのなら、それ自体は批判されるべきことではない。ただし、それには相当な「知恵」と「覚悟」が必要である。戦略的な発想に長けた両大国を向こうに回して、対等に渡り合うのだから。

当然ながら、日本及び極東地域の安全保障の大部分を米国に頼っている現状では、ハッタリの効果もゼロに近い。その意味で日米同盟は事実上の解消に向かう可能性が高い。結果として莫大なコストのかかる「自主国防」が前提となろう。

米国が現在、アジア太平洋地域の安定に貢献しているとすれば、それは紛れもなく中国に対する「牽制」の役割である。従って、米国は時に中国に対して「言うべきこと」を言わなくてはならない。

これに対して中国政府が猛反発することも、ままあるが、それでも米中間の経済関係が決定的に冷え込むことはない。米国の国力・軍事力の圧倒的優越もあるだろうが、基本的には両国の経済関係が、もはや外交問題のために悪化することの不可能なほどに深化していることが理由と思われる。

仮に日本が、アジア太平洋地域において米軍のプレゼンスを分担し、東アジア・極東地域の安定に寄与する「地域大国」になったとしても、日米同盟を維持する限り、しょせんは米国の「代理店」に過ぎない。中国が核兵器保有を許された「世界大国」であることに変わりはなく、パワーバランスが大きく崩れることはないだろう。

日本が単独で覇権を目指す訳ではないので、現在の米中関係同様、日中の経済関係にも大きな影響はないのではないのではないか。「力」への信仰の根強いとされる中国の権力者は、軍事的に自立した国家に対して、より敬意を払う傾向があるので、むしろ日中関係は安定に向かうかも知れない。

結局、「国益」というものは、ある国の「理念」と「実利」の間で常に移動する可変関数のようなものかも知れない。

イラク戦争に際して、フランスやドイツ、ロシアが強硬に反対した背景に、石油権益が絡んでいたことは知られているが、米国の単独行動主義に対する抵抗を「理念」、戦後の石油権益や対米貿易などを「実利」とした場合、彼らの国益、言い換えれば「落としどころ」は、「開戦ぎりぎりまでの抵抗」といったあたりではないか。

国家が本当に「理念」だけに基づいて行動するならば、米国のイラク攻撃は、イラクのクウェート侵攻と同じく国際法違反なのだから、仏独露軍は湾岸戦争時のように軍事介入してでも、イラク国民の「自由」と「独立」を守らなくてはならなかった。

そこに至らなかった理由は、「国益」というものに対する冷静な価値判断にほかならない。

ポスト冷戦時代の日本は、「対米一辺倒」では生き残れない時代に至りつつある。理念と実利のバランスをとりながら、日本自身が主体的な外交を展開する必要がある。国民の外交感覚の「成熟度」が問われる時代が、そこまで来ている。

(了)

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