山川草一郎ブログ

保守系無党派・山川草一郎の時事評論です。主に日本外交論、二大政党制論、メディア論などを扱ってます。

ヤルタ体制の50年後

2005年06月25日 | 日本の外交
国連安保理常任理入りを目指す日独印伯4カ国(G4)のキャンペーンは、決議案の上程を前に、米国の「ドイツ外し」宣言で暗礁に乗り上げてしまったようだ。米国は一方で「日本とあと1国」の加入を支持するとも表明しているが、2カ国で手を挙げても加盟国の多数の賛同を得るのは難しいから、日本に対するリップサービスとみるべきだろう。

中国は日本の加入に事実上反対しているので、G4案が仮に上程されても、現常任理事国5カ国(P5)のうち米中2国の反対で否決されるのは、ほぼ確実だ。何かの間違いで可決してもその先の批准、発効の道のりはさらに険しい。

日独両国は先の大戦の敗戦国。米国がドイツの加入に反対するのは、同国がイラク戦争開戦に反対したことから「反米」票の増加を倦厭したためといわれる。他方、中国が日本の加入に批判的なのは、表面上「歴史認識」が理由だが、実際は日本が米国と手を携えて台湾問題などで「反中」に回るのを嫌っているからだろう。

当初から予想されていたこととはいえ、「戦争」で築いた秩序に「外交」で変更を加えるのは容易なことではない。ただし、創設60周年の折に、国連安保理の現状に対してG4が公然と不満を表明し、ロシアやフランスなど現理事国からも賛意が示されたという事実自体は、決して小さくはないと思う。(ロシアは中国に配慮し、後に反対に回った)

ところで、G4のうちインドについては戦勝国、敗戦国のいずれでもない。ここが先の大戦の複雑なところだ。仮に満州事変から敗戦に至る日本と中国の関係をパターンA、日本と米英仏との関係をパターンB、ドイツと米英仏との関係をパターンC、と呼ぶことにしてみよう。

Aの侵略者は日本、Bの侵略者も(植民地や経済圏、軍事拠点に侵入してきたという意味で)日本だ。もちろんCにおける侵略者はドイツである。しかし、ここにインドという新たな要素が加わると、大戦以前の<侵略―被侵略>関係を論じなくてはならなくなる。インドは英国の植民地だったから、英印関係での侵略者は英国である。それは大戦のパターンAにおける日本の立場、パターンCにおけるドイツの立場と同じだ。

実際、インド国内で英国の植民地統治に対する恨みは根強い。英国民は長くその事実に無関心だったが、10年ほど前に英女王が訪印した際の激しい反英デモで知られることとなった。

このように、戦勝国サロンであった国連安保理常任理事国にインドを加入させるということは、<連合国VS枢軸国>という1930-40年代の紛争を歴史的基盤としてきた国連に、それ以前の<帝国主義国VS植民地>という歴史を持ち込む意味も持っているのだ。

この問題では、英国はいまだインドに対して明確に謝罪をしていないし、中国に対しても香港割譲の非を詫びていない。従ってインドの入った新しい安保理は「戦勝国」という唯一の共通アイデンティティを失う可能性がある。

日本は枢軸国としての責任のみならず、台湾や朝鮮半島の植民地統治についても公式に謝罪しているから、いくら「十分でない」との批判があるとはいえ、新常任理では少なくとも英仏両国よりは道徳的優位に立つことになるだろう。あからさまにいえば、このような重大な変更を、現常任理事国が望むはずはないのである。

しかし、実際のところ「戦勝国である」という現常任理事国の共通アイデンティティは、既に10年以上前に崩壊している。東西冷戦を「戦争」と捉えなおすならば、P5は1989―91年ごろに新たな「戦勝国」と「敗戦国」に分断されているからだ。

冷戦は軍事力でなく、経済力を用いた総力持久戦であったから、その勝者は自由主義市場経済を共通アイデンティティとした西側諸国といえる。中でも戦勝の功績の大きいのが、米英仏に日本と西ドイツを加えた5カ国だ。

冷戦の「敗戦国」として市場経済を受け入れた中国やロシアにとって、これは最も認めたくない事実であろう。だから彼らは終戦60年の今、1930-40年代の「過去」への回顧キャンペーンを大々的に実施している。冷戦終結という国際秩序の重大な変更が存在しなかったかのように、その事実を「第二次世界大戦での栄光」で覆い隠そうとしているかのようだ。

人類にとって60年前の記憶はまだ新しい。今回のG4の挑戦は、そうしたP5の結束確認によって事実上、葬り去られることになるだろう。しかしながら、P5がいくら取り繕ろうとも、歴史的記憶には限界がある。

東アジア共同体構想が実現に向けて動き始めたとき、日本が「元寇で我が国を襲撃した事実に対して謝罪がない」として中韓両国の加入に反対したとして、おそらく多くの国々が奇異に感じるだろうし、そのような主張は相手にされないだろう。

同じように、戦争の記憶やヤルタ体制を根拠に国連が日本を排除し続けるのには、時間的な限界があるのは明らかだ。50年後の未来を想像してみよう。すっかり近代化して見違えるようになった中国の政府が、日本の国連安保理常任理入りに対して「日本は120年前に我が国を侵略したではないか」と反対したら、きっとジョークと受け取られるに違いない。

そもそも国民党政府の時代の紛争を、その後の革命政権が持ち出すこと自体、おかしな話ではあるのだが、時間の経過はそうした主張のわずかな説得力を日に日に奪い去っているのだ。いつかはヤルタ体制そのものが、時代劇や西部劇のような遠い記憶に思える時代がくる。我々の子や孫の時代に、日本の「戦争責任」が理由で国連安保理常任理入りが阻まれている状態は、やはり想像しずらい。

無論、2055年の国際社会で、まだ国民国家が基本アクターとしての地位を保ち続けているという保証はない。安保理もユーラシア、アジアオセアニア、アメリカ、アフリカ、中東の5地域による代表制に変わっているかも知れない。

(現在でも「安全保障」理事会というなら、NATOやSEATO、中朝相互援助同盟、日米・米韓同盟など地域安保の枠組みごとに代表者が出席したほうが、意見の集約が容易ではないかとさえ思う)

いずれにしても、100年前のたった1回の戦争の結果で、わずか5カ国が特権を維持し続けているというのは、どう考えても現実味に欠ける未来予想図ではないか。国連改革というのは、国連が存在する限り、いつかはやってくる課題なのだ。中国や米国の反対は結局、その課題を先送りしているに過ぎないと思う。(了)



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