山川草一郎ブログ

保守系無党派・山川草一郎の時事評論です。主に日本外交論、二大政党制論、メディア論などを扱ってます。

日中関係の「幼児化」を歓迎する

2005年06月03日 | 日本の外交
小泉純一郎首相の靖国神社参拝問題は、中国副首相のドタキャン騒動に至って完全に「子どものケンカ」の様相を呈してしまった。どっちもどっち―もう少し高尚な表現で言えば「泥仕合」とでもなろうか。ここにきて多くの日本国民が、日中両国指導部の非建設的な水掛け論を眺めながら「いい加減にやめたら?」という反応を示し始めている。

世論調査でも、多数を占める国民が「首相は参拝をやめるべきだ」としながらも、一方で中国の参拝中止命令にも「納得できない」と答える結果が出ている。要するに「子どものケンカはみっともないから、大人らしく日本側が先に矛を収めたらどうか」という、ある種の達観だろう。

私は従来、東京裁判で「A級戦犯」に指定された人々は、他の占領犠牲者(公職追放者など)と新たに合祀し、戦場で亡くなった将兵とは別にまつるべきだ、との持論を披露してきた。それがダメなら戦没将兵のための国立追悼施設を新設するのが次善の策だろう。

日本政府は、そうした建設的打開案を中国側に提示すべきだ。そして、それが実現するまでの期間(その大半は靖国神社、遺族会の説得に当てられるだろう)は、首相の参拝を休止すべきだ、というのが私の考え方だった。

しかし、今回の騒動を見ていて、その持論の結論部を若干修正したいと思うに至った。結論から言えば「小泉首相は参拝を継続すべきである」ということだ。何故か。最大の理由は、靖国やA級戦犯に関する首相の考え方に説得されたから、である。

私はかねてから、首相の靖国参拝について、明治国家を西洋列強の侵略から守るために身を捧げた将兵、あるいは赤紙一枚で無謀な侵略戦争に駆り出されて戦死した若者たちに、国家国民を代表して哀悼の誠を捧げる行為として、基本的に賛成の立場だった。

ただ、それと同時に、参拝の「正当性」には2つの理由から疑問を感じていたのも事実だ。理由の1つは、赤紙一枚で召集された兵士と、その赤紙を出して未来ある若者を戦場に送らざるを得ない政治状況をつくりだした行政責任者とが、同じ神社にまつられていること。2つ目は、戦後、日本政府が独立を回復する条件として東京裁判の判断(judgements)を受け入れていることだ。

「A級戦犯」が、占領下での一方的な裁判による、国際法上も何ら正当性のないレッテル貼りであることは認める。しかし、たとえそうだとしても、そのレッテルをサンフランシスコ平和条約によって追認したのは、ほかならぬ日本政府自身なのである。

もし政府が「東京裁判は無効だ」と主張するなら、論理的にはサンフランシスコ平和条約の無効を主張することになり、日本は連合国との戦争状態に戻ってしまう。そんなことはできない。できない以上は「負け犬の遠吠え」でしかない。

「昔の政府が結んだ条約など、知るもんか」という態度は、韓国政府が今さら日韓併合条約や日韓基本条約の法的有効性を否定するのと同じようなもので、およそ近代国民国家の政府がとるべき態度ではない。

「戦争で負ける」「外交で負ける」ということは、そうした理不尽な結果を受け入れることを意味する。逆にいえば、だからこそ「負ける戦争」をした当時の指導者の行政責任は大きいと思うのだ。

以上のような理由から、私は、首相の靖国参拝には賛成だが、同時に、戦死した将兵と戦死させた行政責任者とが同じ場所にまつられていることに違和感を持ち続けてきた。

しかしながら、今回の一連の騒動のおかげで、小泉首相の「A級戦犯」に対する見解を聞くことができ、わずかながら私の考えにも変化が生じている。民主党の岡田克也代表に対する国会答弁で、首相は「A級戦犯のために参拝しているのではない」と明確に言った。評価したい。

確かに過去の発言も注意深く読むと、首相は「A級戦犯」とされた行政責任者たちを正当化するようなことは言っていない。言っているのは単に「日本では亡くなったら、みんな神様になる」ということだけだ。

この「神様」発言については、人を食った「はぐらかし答弁」の一種だと思っていたが、どうもそうではないらしい。首相は今回、記者団から「A級戦犯の戦争責任」について質された際、「もう東京裁判で責任とってるでしょう」と答えた。考えてみれば、確かにその通りだ。

「A級」指定を受けた人たちの中には、東條英機のように死刑に処された人も、重光葵のように禁固刑を受けた後に出所し、外相に返り咲いた人も、岸信介のように起訴を免れて首相になった人さえいる。刑を終えた人は独立回復後に国家によって名誉回復が図られたのに、「死刑」という最も重い償いをした人だけは、死んだがゆえに永久に犯罪人だというのは、理屈が通らない。

サンフランシスコ条約で日本が受け入れたのは「刑の執行」であって、刑に服した人に対する再評価まで拘束するものではない、という解釈もあるのだ。

断っておくが、私は個人的に、東條英機という歴史上の軍人政治家を、評価も尊敬もしていない。2・26事件で陸軍上層部が粛清されたのを良いことに実力以上に出世してしまった軍事を知らない軍官僚、という認識だ。

対米戦争回避を模索していた第三次近衛内閣にあって、撤兵拒否を頑なに通して瓦解させた政治オンチの陸相として、ヒトラー気取りで軍国パパを演じ国民を欺いたミーハー首相として、彼はまったく有害な存在であった。そして戦後、敗戦の責任をとって阿南陸相や、公家の近衛元首相までもが潔く自決する中、ピストル自殺に失敗し連合軍MPに逮捕されてしまう格好悪さも含めて、とても尊敬できる存在ではない。

それでも、その東條でさえも、連合国によって刑に処された瞬間に、連合国に対する責任は償ったのである。

死んでなお、死者を差別してどうなるというのか―。小泉首相の言い分は、よくよく考えれば、さほど無茶なものではない気がする。それどころか実に当然のことを言っているだけではないか。私は、この小泉氏の主張に説得された。だから「A級戦犯の合祀」にかかわらず、首相の靖国参拝継続を容認すべく考えを改めたのだ。

もっとも、「戦場で亡くなった将兵と占領によって処罰された行政責任者は別々に追悼するほうが望ましい」「占領犠牲者は、将兵とは別に新たに合祀すべき」という持論は今でも変わらない。国立追悼施設が次善策であるとの考え方も同様だ。ただし、それが実現するまでの間も、現在の靖国神社に首相が参拝することを妨げる理由はない。

今回の一連の靖国騒動での最大の成果は、小泉首相の頑固さによって、靖国参拝を「外交問題」から「子どものケンカ」にレベルダウンさせたことだ。中国が圧力をかけ、日本が両国関係の重要性に鑑みて「大人の対応」をするという従来のやり方こそが、靖国を「外交カード」化してきたように思う。

中国が焦っている理由は、「日本が過去の戦争を美化しているから」でも「日本が軍国化を目指し始めたから」でもない。「日本が言うことを聞かなくなった」ことに対する危機感なのだ。(飼い犬に突然噛み付かれた主人の戸惑い、とでも言うべきか)

国際関係において「相手の言うことを聞く」という態度は、必ずしも「相手より大人であること」を意味しない。それは時に「相手より低い立場であることを自ら認める」ことになるのだ。

結局、それは「外交」でなく、主従関係を確認する「儀式」だった。小泉首相は日中関係を「子どもと大人の仲良し関係」から「子ども同士のケンカ」に変えた。21世紀の日中関係を考えるとき、私はこの判断は正しかったと信じている。(了)


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6 コメント

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同感です (tomotch77)
2005-06-06 03:37:29
山川さんの意見に全く同感です。



自分も始めは無宗教施設でよいのではないかと思いましたが、徐々に小泉首相の態度でも悪くないと思い始めています。

というのも、山川さん同様、対中外交に関してはここで摩擦を起こす必要があるように思い始めたからです。共産中国と日本の関係は実は今が始まりで、最初に対等な関係を作ることが肝心だと思います。



また死者に対する苛烈な態度も日本の宗教観に合わないと思います。戦国時代のキリスト教宣教師の記載の中にも、改宗しても異教徒の先祖が天国にいけないことに日本人は抵抗を感じて説明に苦慮したとあります。周辺諸国がNoといえば100年も1000年もいつまでも分祀するのでは、われわれも納得が行きません。



結局、宗教家とも言える頑固な小泉首相の姿勢が覇権主義的な中国の姿勢を見事に照らし出した気がします。

その結果、欧米諸国のメディアが戦後はじめて、中韓に厳しい態度で臨むようになってきたように思います。

自分はかねがね、欧米のメディアの反日報道や米国の歴史観が日本を苦しめてきた大きな要因だと思ってきました。

ここにきて、その1角である欧米のメディアがやっと中国を警戒し始めました。また、米国でもライス長官を代表とする新保守層が台頭し、ヤルタ会談を否定的に捉える声明なども出てきました。戦後はじめて日本に対する風向きが変わってきたと感じています。



ちなみに、東条英機に関しては、自分も尊敬の念を抱いていませんが、渡部昇一さんの以下の評論を読み、やや同情の念を持ちました。

http://www.jmca.net/booky/watanabe/032.html

(個人的には鈴木貫太郎首相を尊敬しています)
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ありがとうございます (山川草一郎)
2005-06-06 15:05:04
tomotch77さん、コメントをありがとうございます。靖国問題に関する最近の論考では、岡崎久彦氏が6月5日付読売新聞に寄稿した「『靖国』と中国の戦略 政経分離貫く姿勢を」の主張が一番しっくりきました。
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Unknown (Alberich)
2005-06-08 19:38:14
 日本でも、「亡くなったら、みんな神様になる」

というのは、犯人が罪を認め被害者が納得している場合に限るのではないでしょうか?

極端な例ですが、数年前に小学校に乱入して児童を殺傷し死刑になった男性がいましたが、彼は以前は某市の職員でした。もしその市に亡くなった職員を慰霊する施設があり、その犯人をその施設に祀り市長が

「死刑になって罪は償っている」 とか

「日本では亡くなったら、みんな神様になる」 

として慰霊したら、被害者や遺族は釈然としないと思います。

 もちろん彼のような破廉恥罪の犯人とA級戦犯のように誤った国策を行った犯人(*)とでは事情が異なる という意見もあると思います。しかし破廉恥罪であれば被害者が対抗することも認められますし警察などの公権力の支援も期待できます。しかし為政者が誤った国策を行った場合は被害者は対抗したり公権力の支援を求めることも認められません。その意味で誤った国策を行うほうが破廉恥罪よりも罪が重いともいえると思います。

 * ここでは東京裁判を認める(日本が侵略を行い、その責任をとる必要がある ということを認める)立場に立っています。A級戦犯の人たちだけが犯人(責任をとるべき立場にある)かについては議論があると思いますが、東京裁判を認める限り日本として誰かが責任を取る(犯人になる)必要があると思います。

責任を取るべき人を明確にせずA級戦犯の人の責任に疑問を出すのは東京裁判を否定することになると思います。

  また、靖国神社に行かなくても中国と対等な関係を持つことは可能だと思います。実際問題として日本政府のトップが東京裁判を否定している施設に入って頭を下げるよりも、そのようなことを止めたほうが、反日デモに対する賠償要求や東シナ海での石油開発における日本政府の立場(欧米などの第三国の評価)はよくなると思います。

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ありがとうございます (山川草一郎)
2005-06-09 21:34:08
Alberichさん、コメントをありがとうございます。

「日本政府のトップが東京裁判を否定している施設に入って頭を下げるよりも、そのようなことを止めたほうが、反日デモに対する賠償要求や東シナ海での石油開発における日本政府の立場はよくなる」とのご指摘は、まったくもって同感です。

確かに、よく言われるように、靖国神社の展示内容は戦争の悲惨さと同時に、戦没将兵の勇ましさや戊辰戦争以来の輝かしい戦績も含まれています。一部は戦前につくられた記念碑だったりもしますが、「戦争賛美」ととられなねない表現は、やっぱりやめた方がいいと思います。

また「日本のトップがそのような場所に行かない方が外交戦略上、有利である」というご意見もよく分かります。ただ、まあ、ここまで対中関係が靖国でこじれてしまったからには、行かなくても状況はそう変わらないと思いますが。

もし、中曽根首相が靖国参拝を封印した後、90年代に中国の対日感情が良好になっていたら今の状況も変わっていたと思います。実際は良好になるどころか、天安門事件以降、経済発展に比例して中国の対日外交は悪化しました。江沢民国家主席の訪日は、日本側に「やっぱりダメか…」という諦めをもたらしました。

江氏があの時、もう少し寛大な態度をとっていれば、靖国は封印されたままの可能性が高いでしょう。あの訪日で「行かなくても変わらないなら行った方がまし」という強硬論が勢い付いてしまった気がします。



前段のA級戦犯を児童殺傷事件の例にたとえた部分は、既にAlberichさんが指摘されているとおり「殺人事件の犯人と国策を誤った行政責任者とでは事情が異なる」と思います。

軍事裁判で裁かれるべき対象は戦時国際法に違反した犯罪人(B、C級戦犯)であって、戦争を起こした政治指導者(A級)ではないはずです。一般の裁判でたとえるならB,C級は刑事事件の被告人、A級は民事行政訴訟の被告の立場です。

その行政訴訟は本来、日本国民が自ら提起すべきでしたが、連合国が代行し、日本政府もその結果を受け入れたのだから、覆すことはできません。

「責任を取るべき人を明確にせずA級戦犯の人の責任に疑問を出すのは東京裁判を否定することになる」とのご指摘については同感です。戦争を起こした行政責任はA級戦犯とされた人々にあると思いますし、その行政責任に疑問を呈するつもりは毛頭ありません。



問題は中国が、靖国神社を「東條英機を英雄としてまつった宗教施設」と認識していることです。在る意味で「悪の象徴」となっているわけです。そう認識されている以上、首相の靖国参拝が「被害国の感情を害している」のは事実でしょう。

それは中国側からみた場合、ブッシュ大統領が8月6日にスミソニアン航空博物館に展示された「エノラ・ゲイ」に搭乗しVサインをするのを日本人が見るのと同じような感覚に違いありません。

だから私は、武部幹事長や町村外相、安倍幹事長代理のように中国側を逆批判するのは間違っていると思っています。ただ、靖国の実態は中国が思っているような「東條神社」とは少し違うのも事実。なので小泉首相のように相手を非難することもなく、黙って参拝を続けるのが正しい姿勢だと思うのです。

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回答ありががとうございます (Alberich)
2005-06-10 20:23:57
 拙い意見に回答頂き、ありがとうございました。

「死刑になった被告」への扱いや中国(や韓国の)日本への態度については、お伺いしたい点もありますが、別の機会にさせて頂きたいと思います。

 最後の問題帝位に関してですが、靖国神社が、東京裁判を否定し(中国への行為を含む)戦前の日本の行動を正当だと主張しているのは事実なので、中国の言っていることもあながち的外れはないと思います。

 私は、この問題に関して日本が中国(だけでなく世界)に主張すべき点は次の4点だと思います。

 A)日本では思想や言論の自由が認められてるので、民間団体が東京裁判を否定し戦前の日本の行動を正当化しその結果としてA級戦犯を慰霊したり、民間人がその団体を訪れて頭を下げてA級戦犯を慰霊することも認められる。

 B)そのような意見は日本政府の見解とは異なるものである。このため日本政府がそのような団体を支持したり支援につながる行為は行わない。

 C)東京裁判を認め、かつての日本の行為が侵略であったとしても、一般の兵士は国の命令で従軍したのであるから彼らは国によって慰霊されるべきであり、日本政府として彼らを対象とする慰霊施設を作り、そこで慰霊する。

 D)敵国の兵士でも戦争終了後は慰霊されるべきであり、日本訪問の際はその施設で一般兵士には慰霊してほしい(日本政府も外国を訪問した場合はその国の兵士を慰霊する)

 C)のような施設を作れば、欧米の首脳はもちろん参拝するでしょうし、そうなれば中国や韓国の首脳も参拝し問題はなくなると思います(韓国の金前大統領は、「そのような施設には私も参拝したいといっていました」)。

そのためにはB)に反するような行為(靖国参拝)はするべきでないと思います。一般には政府のトップがある施設を訪問することは、その施設の主張に賛同することになると思います。言葉では別のことを言っても言っていることとやっていることが異なれば、やっていることのほうが本心だと思われると思います。

また、欧米の靖国神社に対する考え(本音)はよくわからないのですが、

 http://www.akashic-record.com/yasukn.html

にある以下の内容が本心かなと感じています。

「日本が愛国心教育をし、健全なナショナリズムを持ち、憲法9条を(廃棄でなく)正当な法と受け止めたうえで改正し、集団自衛権を認め、有事法制を整備して日米同盟を強化することに、アメリカの、すくなくとも共和党関係者や国防総省幹部は賛成である。が、「反米ナショナリズム」は困るのだ。東京裁判の不当性を言われては、アメリカだけでなく、当時の戦勝国や、その集まりである国連も困るのだ。

だから、アメリカの大統領も外交官も軍人も、また英仏など他の連合国の政府高官も国連事務総長も、靖国神社に参拝できないのだ。安倍晋三官房副長官(A級戦犯であった岸信介首相の孫)は「アルゼンチンの大統領もNATOの司令官も靖国神社に参拝している」と主張するが、そのような「泡沫候補」(失礼!)の参拝事例しか挙げられないところに、靖国神社の「国際的孤立」が鮮明に現れている。 」

もしそうだとすると、やはり靖国にはいくべきでないと思います。

 また、今回の反日デモでは日本の立場が認められています。しかしこれは、先方が暴力で施設を壊してくれた(?)とか、損害賠償や謝罪を拒否してくれた(?)という敵失によるものだと思います。もしあのデモが暴力を一切伴わず、数(十)万人が日本公館を整然と取り巻いて靖国神社の主張を掲げ、そのような主張の施設へ日本政府のトップが訪問し頭を下げることの抗議を行っていれば、日本と中国の立場(欧米の評価)が逆転していたかもしれないと思います。そうなれば東シナ海での問題など、本当に現在の国益をかけて争わなければならない問題で日本政府が不利になってしまいます。その意味でも靖国参拝はやめるべきだと思います。

 だらだらと意見を書き流し失礼しました。



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なるほどごもっとも (山川草一郎)
2005-06-10 20:43:22
Alberichさんのご指摘はごもっともです。我が国益を実に冷静に捉えておられ、考えさせられるところが多いですね。特に後段の「今回はたまたま中国の敵失に助けられた」という主張はまったくもって正しい見方だと思います。私が日中関係の「幼児化」と呼ぶのは、正にそうした中国側のまずい対応に便乗してしまいましょ、というズルイ主張でして、従って中国側が冷静で賢明な手法によって靖国参拝批判キャンペーンを打ってきた時には、こちらも慎重に対応しなくてはなりません。そうした場合は、私は手のひらを返したように「靖国参拝の封印」を主張するでしょう。
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