先日来日したゼーリック米国務副長官は、日本政府に対し「日米中3国による共同歴史研究」を提案したという。その後の訪中で、中国にも同様の提案を行ったが、中国政府は即座に拒否したようだ。理由は「北東アジアの歴史の特殊性」。一方で日中韓3国での研究なら受け入れるとしており、明らかに米国の参加を嫌ったとみられる。
米国が歴史研究を持ち掛けてくること自体、「靖国」が理由とされる最近の日中摩擦を深刻に受け止めている証左だろう。こうした米国の動きに「米国も小泉首相の靖国神社参拝を快く思っていないのだ」という解説がまかり通っているが、本当だろうか。
真相はもっと簡単で、小泉首相の頑固さに手を焼いた中国政府が、日本政府に直接圧力を掛けることを諦め、同盟国である日本を説得するよう米国政府に働き掛けているだけではないか。
中国側が最近、「靖国」と名指しせず「歴史認識」と言っているのはそのためだ。米国側に「遊就館」の説く歴史認識を宣伝すれば、ブッシュ政権といえども小泉首相の靖国参拝を見過ごすことはできないと考えたのだろう。中国にとっては、米国が日本に圧力をかけるのでなく、共同歴史研究を提案してきたことは、計算違いだったに違いない。
ただ、米国を引き込む戦略とはいえ、中国が遊就館にスポットを当て始めたことは、日本側にとってもチャンスだ。小泉首相もいわゆるA級戦犯の戦争責任は認めており、遊就館の歴史観に関しても「わたしはそういう考え方はしていない」と明確に語っている。
A級戦犯の分祀論に対しては、靖国神社は「いったん祭った魂を分祀するのは不可能である」として拒否しているが、展示施設である遊就館を神社から分離・独立させることは可能ではないだろうか。遊就館を(九段会館など)別の土地に移設してもいいし、現在の場所でも名義上、別団体の施設にすればいい。
神社は純粋に、御祭神(英霊=戦没者)に祈りを捧げる場所とし、顕彰施設とは明確に分離する。そうすれば「侵略を正当化する戦争神社」といった中傷も避けられ、静かな環境での参拝も可能になろう。
敢えて「遊就館をなくせ」とは言わない。遊就館の存在理由は、いわゆる「東京裁判史観」への反論にあると思うが、東京裁判について「国際法上の根拠が薄弱」「審理が十分でなく、判決が不当である」といった批判は根強い。広田弘毅元首相のように「A級戦犯」として処刑されたこと自体に瑕疵のある人物もいる。
彼らは国内的には既に名誉回復されているとの見方が主流であり、政府見解もそうなのだが、サンフランシスコ平和条約で日本政府が東京裁判を受諾してしまったために、国際法上は今も「戦争犯罪人」である。
こうした事情から、靖国神社は、遊就館の展示を通して「大東亜戦争」の正当性や東京裁判の不当性をアピールすることにこだわってきた。その主張には行き過ぎた面もあるが、心情としては理解できる。
そもそも第2次世界大戦は、自由主義、帝国主義、共産主義、全体主義など複数のイデオロギーが絡み合う複雑な構図を持っている。その複雑な戦争を「連合国VS枢軸国」という善悪の構図に単純化したのが、東京裁判史観である。
しかし、自由主義や人道主義を標榜した連合国側にも、帝国主義(植民地主義)や人種差別主義、非人道的側面は確かにあったし、対する枢軸国側にも(名目に過ぎないとしても)反植民地主義の側面があったことは事実だ。
戦後60年を経た今、あの戦争を、より多角的に、学術的に検証してみる価値はある。その作業は日米中3国でもいいし、日米中韓4国でもいい。どうせなら、当時の主要連合国(米英仏露中+台湾)と枢軸国(日独伊)、植民地(インド、韓国など)から成る壮大な「国際共同研究プロジェクト」を立ち上げてはどうだろうか。
米国の日本研究家の中には教条主義的な者もいるが、東京裁判の実態を深く知れば、国際法上の問題点も理解するかもしれない。中国や韓国の歴史家は日本に対して厳しい姿勢を貫くだろうが、日本と英仏の植民地主義が抱えた共通点、相違点に、より注意を払わざるを得なくなるだろう。
遊就館の歴史観がそのまま認められることはまずないと思うが、それでも従来の「日本悪玉論」的な東京裁判史観には、相当の修正が加えられる可能性が高い。中国政府が共同研究に乗り気でないのは、このためだ。
中国にとっての「歴史認識」とは何かといえば、それは戦後の国際秩序を決定付けた「ヤルタ体制」そのものである。「枢軸国を破った米英仏ソ中5カ国だけが、戦後世界を支配するのだ」という正統性根拠である。
従って、旧枢軸国である日本が米中を分断し、国連安保理常任理事国に割り込もうと画策することは、「ヤルタ体制」=「歴史認識」に対する重大かつ身のほど知らずな「挑戦」と受け止められる。(日本人の多くは安保理常任理に手を挙げることが、歴史の否定や中国への挑戦を意味するとは思わないだろうが、中国側がそう受け止めているのは事実である。最大の誤解はこのことに起因する)
中国にとって小泉首相の靖国参拝は、そうした日本の「野心」を証明する材料の一つに過ぎない。相手に批判材料を提供するような靖国参拝は本来、中止した方が賢明であるに違いない。しかし、靖国参拝を止めれば問題が解決すると信じるのは、外交戦略として余りにナイーブだろう。
なぜなら、仮に次期首相が靖国参拝を見送ったとしても、日本が安保理常任理入りを目指す限り、中国は日本の「歴史認識」を問題視し続けるに違いないのだから。ならば、ここは徹底的に議論して、新しい共通の「歴史認識」を模索する以外にないではないか。急がば回れ、である。
ゼーリック副長官による「共同歴史研究」の提案は、日本にとってまたとないチャンスである。日本政府はむしろ、米国を巻き込んだ歴史研究を積極的に主唱すべきだと思う。
中国が拒否し続けるとすれば、それは最新の学説や科学的データに基づく近現代史の再検討が、神話に依拠してきた連合国間の結束を乱し、ひいては「ヤルタ秩序」の崩壊につながることを恐れているからに他ならない。逆に言えば、真の意味での日中友好は、「ヤルタ史観の再検討」という困難な作業を乗り越えなければ、実現できないと思うのだ。〔了〕
米国が歴史研究を持ち掛けてくること自体、「靖国」が理由とされる最近の日中摩擦を深刻に受け止めている証左だろう。こうした米国の動きに「米国も小泉首相の靖国神社参拝を快く思っていないのだ」という解説がまかり通っているが、本当だろうか。
真相はもっと簡単で、小泉首相の頑固さに手を焼いた中国政府が、日本政府に直接圧力を掛けることを諦め、同盟国である日本を説得するよう米国政府に働き掛けているだけではないか。
中国側が最近、「靖国」と名指しせず「歴史認識」と言っているのはそのためだ。米国側に「遊就館」の説く歴史認識を宣伝すれば、ブッシュ政権といえども小泉首相の靖国参拝を見過ごすことはできないと考えたのだろう。中国にとっては、米国が日本に圧力をかけるのでなく、共同歴史研究を提案してきたことは、計算違いだったに違いない。
ただ、米国を引き込む戦略とはいえ、中国が遊就館にスポットを当て始めたことは、日本側にとってもチャンスだ。小泉首相もいわゆるA級戦犯の戦争責任は認めており、遊就館の歴史観に関しても「わたしはそういう考え方はしていない」と明確に語っている。
A級戦犯の分祀論に対しては、靖国神社は「いったん祭った魂を分祀するのは不可能である」として拒否しているが、展示施設である遊就館を神社から分離・独立させることは可能ではないだろうか。遊就館を(九段会館など)別の土地に移設してもいいし、現在の場所でも名義上、別団体の施設にすればいい。
神社は純粋に、御祭神(英霊=戦没者)に祈りを捧げる場所とし、顕彰施設とは明確に分離する。そうすれば「侵略を正当化する戦争神社」といった中傷も避けられ、静かな環境での参拝も可能になろう。
敢えて「遊就館をなくせ」とは言わない。遊就館の存在理由は、いわゆる「東京裁判史観」への反論にあると思うが、東京裁判について「国際法上の根拠が薄弱」「審理が十分でなく、判決が不当である」といった批判は根強い。広田弘毅元首相のように「A級戦犯」として処刑されたこと自体に瑕疵のある人物もいる。
彼らは国内的には既に名誉回復されているとの見方が主流であり、政府見解もそうなのだが、サンフランシスコ平和条約で日本政府が東京裁判を受諾してしまったために、国際法上は今も「戦争犯罪人」である。
こうした事情から、靖国神社は、遊就館の展示を通して「大東亜戦争」の正当性や東京裁判の不当性をアピールすることにこだわってきた。その主張には行き過ぎた面もあるが、心情としては理解できる。
そもそも第2次世界大戦は、自由主義、帝国主義、共産主義、全体主義など複数のイデオロギーが絡み合う複雑な構図を持っている。その複雑な戦争を「連合国VS枢軸国」という善悪の構図に単純化したのが、東京裁判史観である。
しかし、自由主義や人道主義を標榜した連合国側にも、帝国主義(植民地主義)や人種差別主義、非人道的側面は確かにあったし、対する枢軸国側にも(名目に過ぎないとしても)反植民地主義の側面があったことは事実だ。
戦後60年を経た今、あの戦争を、より多角的に、学術的に検証してみる価値はある。その作業は日米中3国でもいいし、日米中韓4国でもいい。どうせなら、当時の主要連合国(米英仏露中+台湾)と枢軸国(日独伊)、植民地(インド、韓国など)から成る壮大な「国際共同研究プロジェクト」を立ち上げてはどうだろうか。
米国の日本研究家の中には教条主義的な者もいるが、東京裁判の実態を深く知れば、国際法上の問題点も理解するかもしれない。中国や韓国の歴史家は日本に対して厳しい姿勢を貫くだろうが、日本と英仏の植民地主義が抱えた共通点、相違点に、より注意を払わざるを得なくなるだろう。
遊就館の歴史観がそのまま認められることはまずないと思うが、それでも従来の「日本悪玉論」的な東京裁判史観には、相当の修正が加えられる可能性が高い。中国政府が共同研究に乗り気でないのは、このためだ。
中国にとっての「歴史認識」とは何かといえば、それは戦後の国際秩序を決定付けた「ヤルタ体制」そのものである。「枢軸国を破った米英仏ソ中5カ国だけが、戦後世界を支配するのだ」という正統性根拠である。
従って、旧枢軸国である日本が米中を分断し、国連安保理常任理事国に割り込もうと画策することは、「ヤルタ体制」=「歴史認識」に対する重大かつ身のほど知らずな「挑戦」と受け止められる。(日本人の多くは安保理常任理に手を挙げることが、歴史の否定や中国への挑戦を意味するとは思わないだろうが、中国側がそう受け止めているのは事実である。最大の誤解はこのことに起因する)
中国にとって小泉首相の靖国参拝は、そうした日本の「野心」を証明する材料の一つに過ぎない。相手に批判材料を提供するような靖国参拝は本来、中止した方が賢明であるに違いない。しかし、靖国参拝を止めれば問題が解決すると信じるのは、外交戦略として余りにナイーブだろう。
なぜなら、仮に次期首相が靖国参拝を見送ったとしても、日本が安保理常任理入りを目指す限り、中国は日本の「歴史認識」を問題視し続けるに違いないのだから。ならば、ここは徹底的に議論して、新しい共通の「歴史認識」を模索する以外にないではないか。急がば回れ、である。
ゼーリック副長官による「共同歴史研究」の提案は、日本にとってまたとないチャンスである。日本政府はむしろ、米国を巻き込んだ歴史研究を積極的に主唱すべきだと思う。
中国が拒否し続けるとすれば、それは最新の学説や科学的データに基づく近現代史の再検討が、神話に依拠してきた連合国間の結束を乱し、ひいては「ヤルタ秩序」の崩壊につながることを恐れているからに他ならない。逆に言えば、真の意味での日中友好は、「ヤルタ史観の再検討」という困難な作業を乗り越えなければ、実現できないと思うのだ。〔了〕
遊就館については、本当はあんまりふれない方がいいのになあと思いつつ、話題にされているのだから適切な対応を取らなければならないと思います。
「遊就館史観」については、自衛の戦争だったということと、アジアの解放だったということを強調していて、そこを「正当化しすぎている」といわれるのではないかと感じています。前者はいいけど後者は欧米を敵にまわすからやめてほしい。日中の対立では、欧米世論を味方に付けることは必要だと思うからです。
「遊就館史観」のイメージが悪くなるのは、それを支持する勢力のイメージと重なるからだと思います。「遊就館史観」とひとくくりにする前に、その史観のどこが悪いのかはしっかりと検証すべきだと行ってみて思いました。靖国神社は、静かな慰霊のための祈りの場であるべきだとの思いを強くいたした次第です。歴史認識にかぎらずなんでもそうですが、「立場が違えば風景は変わってみえる」という前提を共有し、そのうえで議論できるようになるといいですよね。
ベトナム戦争が間違った戦争であっても、国の命令で戦場に行った兵士に罪はない。その意味で、先の戦争を国策の誤りと認め、当時の国家指導者の責任を認め、それでもなお戦没将兵に哀悼の誠を捧げる、という小泉首相の姿勢は正しいと思うのです。
ただ、A級戦犯合祀や遊就館の存在が、国が誤りと認めている戦争を正当化するものと諸外国に受け取られているならば、国にはその誤解は解くよう努力する責任がある。
さくらさんが、実際に遊就館を見学された感想として
①遊就館は売店を改革すべきです。
②京都の本願寺が西と東に分かれているように、靖国(右)神社(A級戦犯と遊就館)と靖国(左)神社(無宗教の国立追悼施設)に分けて、真ん中の本殿には英霊。
―と提言されていることには、まったく同感です。
余談ですが、私は日米戦争に「自衛戦」の側面があることは認めますが、その遠因となった満州事変(柳条湖事件)については、日本側の侵攻であることが史料的にほぼ証明されていると考えています。
ただ、その後の日中戦争(盧溝橋事件)に関しては、いまだに分からないことが多すぎます。あの当時、日中の全面戦争が日本側を利したとは思えないのです。なぜ一旦停戦合意しながらも、再び戦火を切ったのか。日中いずれかの革命勢力による策謀の臭いを強く感じます。
少なくとも当時の中国共産党に、日本軍が国民党軍と停戦されては困る、日本軍を大陸に招き入れたいという動機があったことは事実でしょう。日中戦争は、中国の共産革命(つまり内戦)が絡んでいるだけに複雑なのです。
また、南京虐殺事件を否定する論にわたしはくみしません。市街地でのゲリラ戦で、敵が市民に扮している場合はパニックが起きる可能性は高いでしょう。ベトナム戦争でのソンミ村や、イラク戦争でのファルージャで起きたような悲惨な事件が、奇蹟的に南京では起きなかったなどとは言えません。
こうしたことの一切合財を、改めて現代的視点から検証してみる価値はあるでしょう。そうすることで、関係者の不満が少しでも解消されれば、靖国神社も遊就館を通じて戦争の正当性をアピールすることに必ずしもこだわらなくなるのではないでしょうか。
「ゼーリック副長官による「共同歴史研究」の提案は、日本にとってまたとないチャンスである。」というご意見、全く同感です。
私もこの流れに乗るべきだと思っています。
ただ、ヤルタ史観の見直しは、根が深く、数百年かかる仕事かも知れませんね。歴史の区切りとしての日中戦争・太平洋戦争はそれぐらい重いものかもしれないと思っています。
以前読んだチャーチルの第二次世界大戦の著書には、第二次世界大戦におけるアメリカ人の偉大さ、輝ける才能への賞賛が至る箇所に記載されていました。チャーチルは日本人も評価する人ですが、確か、アメリカ人を科学的合理的精神を持ったサムライだと評した記載もあったように思います。
日本では否定的に捕らえがちな日米戦争ですが、このように見方を変えれば、無冠の帝王アメリカがその天賦の才能を存分に発揮し、以降、帝王として君臨する契機となる戦争だった思います。
では、米国・中国にとってヤルタ史観が重要な意味を持たなくなる時代はいつ来るのか?
正直分かりません。新たな大国間の均衡が成立する時代が来れば、でしょうが、そんな時代、いつになることやら。。。
それまで日本は、戦後60年と同じく、地道に平和と繁栄の道を歩めばいいと思います。パックス・アメリカーナの一員として世界の平和と繁栄を支えればいいのです。
明治時代の政治家にリアリストが多かった理由には、パックス・トクガワーナ時代の経験がものを言ってるのかも知れません。対米追従と言う言葉がありますが、江戸時代の外様大名はみな対徳川追従ですからね。
日米戦争というのは、短期的には満州事変以降の日本の対中侵略と、ナチスとの同盟締結によって引き起こされたものですが、もっと大きなスパンで考えれば、19世紀以降の世界史的ビッグバンの最終過程だったとも考えられます。
(本来はプレイヤーとして中国国民党、中国共産党の存在を考慮に入れるべきですが、複雑になるので、以下では敢えて両者を無視し、「日米関係」に絞って論じます)
独立植民地の連合国家として成立した新興国アメリカは、19世紀半ばから「西欧への不干渉」と「西海岸→太平洋→東洋への進出」を、ある種のダブルスタンダードとしてきました。前者は「孤立主義」「モンロー主義」と呼ばれ、後者は「フロンティアスピリット」または「マニフェストデスティニー」と称されます。
ピューリタン的な宗教観に裏打ちされた「開拓=文明化の使命」と、西欧的な資本主義(帝国主義)に則った「原料と市場=植民地の獲得」を2大動機として、アメリカは西へ西へと進みました。
日本にはペリーがやって来て市場開放と燃料補給を要求しました。中国には既にイギリスが進出していたため、市場開放よりも宣教に徹しました。日本列島まではアメリカ影響下の太平洋地域、中国大陸からはイギリス支配下のアジア地域という住み分けが成立していたので、アメリカにとって中国は「準西欧」地域として不干渉政策(モンロー主義)が適用されたのです。
しかし、日本が開国後の近代化でイギリスと同盟関係を結ぶと、この勢力図に微妙な変化が生じます。日本が西欧社会とつながったことで、アメリカの勢力圏は大きく東へ、ハワイ辺りまで押し戻されました。日本はモンロー宣言の適用地域に編入されたのです。
当時、アメリカはまだ新興国だったので、その情勢変化を甘んじて受け入れるしかありませんでした。しかし、第一次世界大戦(=西欧社会の分裂)を経て、大英帝国が地盤沈下すると、アジア太平洋地域でのアメリカの逆襲が始まります。
イギリスを日英同盟破棄へと誘導し、かねてから希望していた中国市場の門戸開放を認めさせます。日露戦争で日本が獲得した満州地域の権益についても、口を挟むようになります。
しかし、日本はイギリスと違って第一次大戦で疲弊したわけではなく、むしろ戦時特需で成長していましたから当然のごとく、アメリカの介入再開に反発します。こうして日本とアメリカという2大新興国が、アジア太平洋地域の支配権をめぐって対立する潜在的環境が成立したのです。
ほろ酔い加減の両者は、居酒屋でのささいな諍いをきっかけに、やがて本格的な喧嘩へ発展します。「お、やる気か」「表へ出ろ」「白黒つけようじゃねえか」と。挑発が挑発を呼び、日米は戦争へ戦争へと突き進みます。
その過程は、西欧でのナチスドイツの拡張と軌を一にしていました。アメリカ(F.ルーズベルト大統領)はイギリスからの支援要請を受けて、西欧に対する中立不干渉の伝統を捨てる決心を固めます。
圧力を強めるアメリカに対し、日本国内では、幕末の開国以降の着実な経済成長と、それに伴う国際社会での地位向上(日英同盟、国際連盟理事)によって封じ込められてきた「尊王攘夷」派の不満が噴出。天皇親政を求めるテロ、要人暗殺が相次ぎ、その動きはアジア地域からの白人排斥を唱える「アジア主義」と結びつきます。
一方、アメリカには、アメリカの「アジア主義」がありました。それは中国に対する漠然としたシンパシーです。アメリカ人(特に東海岸のインテリ層)には中国人を「指導すべき生徒」とみる使命感がありました。
それは19世紀後半、中国大陸におけるイギリスの権益に干渉しないよう、宣教師による「文明化」に徹してきたアメリカの特殊事情によるところが大きかったと思われます。(ただし、宣教活動の背後には貿易商の存在があったし、アメリカ西海岸では中国人移民に対する露骨な排斥運動があったのも事実です)
よく知られるように、F.ルーズベルト大統領は中国貿易で成功した一族の出身で、中国に親しみを感じて育った人物でした。また、中国人農家の青年の禁欲的で、ひたむきな開拓人生を描いた小説『大地』の著者パールバックは宣教師の娘でした。
日中戦争を中国側に立って報道した写真誌『TIME』の編集長ルースも、また宣教師の子息として中国で育った帰国子女だったのです。
1930年代のアメリカ人は、彼らの話から中国人の持つ開拓精神や禁欲的な倫理観に、強い共感を覚えます。それは、アメリカ人が中国人に勝手に自画像を重ね合わせただけのものでしたが、米国通の蒋介石夫人らによって巧みに利用されたのです。
>日本では否定的に捕らえがちな日米戦争ですが、
>このように見方を変えれば、無冠の帝王アメリカが
>その天賦の才能を存分に発揮し、以降、帝王として
>君臨する契機となる戦争だった思います。
というのは、その通りだと思います。仮にそれまでの戦争を
日清戦争:近代帝国主義VS封建帝国主義
日露戦争:近代帝国主義VS封建帝国主義
WWⅠ :帝国主義VS帝国主義
と分類した場合、「先の大戦」と呼ばれる一連の紛争は、思想史的には次のように整理すべきでしょう。
日中紛争:帝国主義VS民族主義+共産主義
独英紛争:全体主義VS自由主義+帝国主義
独ソ紛争:全体主義VS共産主義
日ソ紛争:帝国主義VS共産主義
日米紛争:帝国主義+全体主義VS自由主義
非常に複雑な構図を持つ「世界革命」の最終決定戦が、第二次世界大戦だったと見ることができます。すべての紛争の軸になるのは、近代が生んだ「資本主義」です。
弱肉強食の資本主義
→独占資本が生み出した近代帝国主義(植民地主義)
→独占資本に抵抗するリベラリズム(修正資本主義)
→独占資本に抵抗する共産主義
→独占資本に抵抗する全体主義
ソビエト連邦は独占資本に対する反抗として生まれました。ルーズベルト時代のアメリカは独占資本に抵抗し、資本主義の修正を試みました。ケインズ主義とも呼ばれます。
初期のソ連と、30-40年代の米国は、人道主義的リベラリズムでつながっていました。この両者が手を組んで、全体主義(日独伊3国)に立ち向かったのが、第二次世界大戦です。戦後直後のGHQに共産主義のシンパが多かったのは、このためです。
しかし、全体主義に勝利した米ソ両国は、それぞれ変質し、対立するようになります。アイゼンハワーのアメリカは、世界帝国としてのイギリスの地位を引き継いで古典的資本主義に回帰。一方、スターリン時代のソビエトは全体主義へ傾いていきます。
米国内でマッカーシズムが吹き荒れ、アメリカは日本に再武装を求め、ソ連を封じ込めようとします。実はこの時点で、既に「ヤルタ体制」なるものは崩壊を始めていたのです。
中国国民党の台湾脱出(1947年)と、ソ連の崩壊(1992年)とによって、軍国日本を打ち負かした5大国のうち2カ国が消滅したのです。
共産党政権の中国も、現在のロシア連邦も、厳密には「連合国」を自称する権利はないのです。
第二次世界大戦は、修正資本主義と共産主義の連合軍の勝利で停戦を迎えましたが、思想戦としての「世界革命」は、まだ終わっていませんでした。
東西冷戦は「本当のチャンピオン」を決める延長戦でした。この冷戦を、第三次世界大戦と捉え直すならば、勝者は米英仏独伊日加のG7であり、敗者はロシアです。途中で資本主義に転向した中国も、純然たる勝者とはいえません。
このように、「ヤルタ体制」というのは、とっくの昔に崩壊しているのに、「ヤルタ史観」という虚構だけが根強く残っているのが、現状なのです。
「靖国」に中国がこだわるのは、「ヤルタ史観」が「自国の敗戦」の事実を糊塗するための重要なアイテムだからです。中国が今、必死になって米国にルーズベルト時代を思い出させようとしてるのも、同じ理由によるものでしょう。
しかし現実には、冷戦で勝利した米国は今や、唯一の超大国となり、ヤルタ体制の遺物である「国連」を邪魔者扱いしています。ボルトン大使の国連に対する一連の発言は、この流れの中にあるのです。
いつまでもヤルタ体制の「虚構」にすがる中国の戦術は、無理があります。長期的には、「敗戦」の事実を認め、冷戦後の新たな世界秩序を受け入れざるを得ないでしょう。
政治的には大国だが、経済・軍事的には弱小国だった中国が、経済・軍事面でも大国になろうとしている。冷戦の勝者である日本と摩擦を起こすのは当然です。
摩擦を回避するには、経済・軍事的には大国だが、政治的には弱小国だった日本が、政治的にも大国となることを、中国自身が受け入れる必要があります。
具体的には、日本政府が中国の経済発展と軍事力増強を「脅威」とみて邪魔しないこと。同時に中国政府も日本の国連安保理常任理事国入りを妨害しないこと。
中国が「ヤルタ史観」にこだわり続ける限り、中国は日本の頭を押さえつけようとするでしょう。