山川草一郎ブログ

保守系無党派・山川草一郎の時事評論です。主に日本外交論、二大政党制論、メディア論などを扱ってます。

ロイヤルファミリーはもう要らない

2005年12月12日 | 社会時評
皇室典範の改正問題が現実味を帯びつつある。天皇家の問題を社会問題として騒々しく扱うことには気が引けるし、大きな時代の流れは変えられないとも思うのだが、それでも私個人の意見は意見として書き残しておきたいと思う。

まず立場を明らかにしておきたい。私は、女性天皇を認めることには賛成だが、女系天皇を認めることには反対である。女系の創出は、皇統の断絶のみならず、「新しい王室」の創設を意味する。21世紀の現代社会で、新たに王室制度をつくろうとする国家が、どこにあるだろうか。

天皇家というのは、千年以上にわたって同じ血筋を守ってきた「無形文化財」である。その根幹を変えてしまうのなら、敢えて続ける必要はない。もうそろそろ解放して差し上げるべきだろう。

側室制度はおくとしても、旧宮家の復帰を「今の時代に国民の理解が得られない」として排除する有識者会議の姿勢は、まったく不可解だ。少なくとも私個人は、愛子内親王の次の天皇が、遠い親戚から即位したとしても、その方がその地位を望み、かつ天皇家の男系の遺伝子を間違いなく継承しているのなら、まったく気にしない。

仮に「国民の間に抵抗感がある」というのなら、そうした旧宮家の後継候補者を、愛子内親王の兄弟や子息として養子縁組し、早い段階から受け入れておけばいい。

私はこのブログでも、一貫して「天皇家は目立たない存在として、社会的対立から離れた場にあるべきだ」と主張してきた。戦後の憲法で天皇が「国民統合の象徴」とされたことから、天皇家は高度成長の中で「ニューファミリーの象徴」として扱われるようになった。

世間一般の流行としての「家族」像を、華麗に演じてみせることで、天皇家は大衆の羨望の視線を集めた。「天皇家」は「ロイヤルファミリー」として生き残る道を選択したのだ。存続の危機に直面した敗戦直後の雰囲気を思い起こせば、それは当然の選択だったかもしれない。

戦後の価値観に基づき、側室制度は廃止され、「自由恋愛」の結果、戦後初の皇太子妃は一般から迎え入れられた。外交官としてのキャリアを持つ現在の皇太子妃も、女性の社会進出という世相を背負っていた。

ここまではよかったが、世間の結婚観はさらに進歩を続けている。たとえば、今では女性は結婚後も仕事を続けるのが普通なのに、天皇家ではそれは許されない。変化し続ける価値観に対応してきた天皇家は、伝統やしきたりとの調整において、もはや限界まで来ているのではないだろうか。

だいたい有識者会議のいうように、「国民一般の常識」に沿う形で「天皇制度の安定的継承」を図ることなど、果たして可能なのだろうか。今や世間では「できちゃった結婚」は恥ずかしいことでも何でもない。「バツイチ」「バツニ」「バツサン」と、結婚・離婚を繰り返すカップルも当たり前になりつつある。

時代によってコロコロと変わる家族観、結婚観に依拠する限り、いくら制度を変えても「安定的継承」は実現できないだろう。

「世間の家族観を体現したロイヤルファミリー」は、戦後社会で皇統を維持するための知恵であり、大義名分だった。その意義は認めるが、今や「世間一般の常識に合わない」ことを理由に「旧宮家の復帰」という選択肢が安易に排除され、皇統が断絶の危機にさらされているのを目にすると、「本末転倒」の感を抱かざるを得ない。

天皇家の血筋に女系を認めることは、もはや従来とは異なる「新しい王室」の誕生を意味する。国民の価値観を体現した存在であらんとするがあまり、無理やり女系を認め、結果として天皇家の根幹を変えてしまうぐらいなら、私は天皇家に「ロイヤルファミリー」であり続けてほしいとは思わない。

そもそも、個人主義が浸透した現代社会で、「一般国民の憧れの対象」「模範的家族像」を演じてきたロイヤルファミリーは、その役割を終えつつあるのではないか。

江戸期以前の天皇家は、時の政権に「支配の正統制」を付与する儀式機関に過ぎなかった。その儀式の範囲は、現行憲法の定める「国事行為」とほぼ一致する。天皇家は、徳川時代以前のように「目立たない存在」に戻るべき時期に来ていると思う。

戦後の天皇は、憲法によって「国民の総意」に基づく存在と規定されている。皇統の廃止を意味するような重大な制度改変は、国民の総意を問うべきではないか。無論、国民投票の結果、皇室典範の改正をよしとする世論が大勢を占めたならば、私は敢えて抵抗しない。(了)

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5 コメント

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天皇家は王室じゃない (biaslook(旧名・バイス))
2005-12-14 23:56:58
私は、天皇家は王室、王朝ではなく、日本人の心そのもの、宗教に近いものだとと思ってます。また、最初の高祖神は中性ですし、天照大神は女性です。

よって、男系・女系という論議はナンセンスではないでしょうか。
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皇室は世界遺産 (seton)
2005-12-15 02:49:22
明治以降、日本の皇室が英国の王室から学んでいるとはいえ、本質的に全く違います。

竹村健一さんの言葉ではありませんが、皇室は日本人が世界に誇れる「世界遺産」といっても過言ではないと思います。
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補足 (山川草一郎)
2005-12-15 14:03:59
多少意図的に刺激的な(あるいは逆説的な)タイトルを付けたため、その部分に反応が集中してしまったようですが、本文をよく読んで頂ければ分かるように、私は「天皇家=王室=ロイヤルファミリー」と言いたいわけでも、「天皇家は、もはや不要だ」と主張しているわけではないのです。

西洋の王室に似せて「大衆の羨望を集める模範的家族」に仕立て上げられた戦後の皇室を、文中では比喩的に「ロイヤルファミリー」と呼んでいます。天皇家を、日本社会を象徴するロイヤルファミリーに位置付ける限り、男女共同参画論を含む様々な議論の影響を受けるのは避けられないことです。



天皇家や徳川家に限らず、伝統ある旧家が絶えそうな時には、後継ぎを分家の親戚から迎え入れるのは、ごく自然なことです。なのに有識者会議が、旧宮家の皇族復帰について「国民感情として受け入れられない」と結論付けたのは何故か。それは「天皇家がと日本社会とのリンク」、すなわち「天皇家の在り方が日本社会や日本人の心理に与える影響」を意識しているからでしょう。



しかし、それは「本末転倒」ではないか、というのが本エントリーの趣旨なのです。「国民の家族像を写す鏡」であらんがために、伝統文化としての天皇家を廃止し、新たな王室を創出しなくてはならないなら、そもそも「国民の家族像を写す鏡」=「ロイヤルファミリー」としての天皇家など、現代社会に必要ないではないか、ということを私は言いたかったのです。「天皇家と日本社会のリンク」を切り離すべきではないかと。



余談ですが、旧宮家の復帰案に対して、有識者会議は「戦後60年も一般国民として暮らしてきた人を、今さら皇族に復帰させるのは、国民から理解されない」と言いますが、この理屈が私にはよく分かりません。現に皇室はこれまで、一般国民の家庭である正田家や川島家、小和田家からメンバーを迎え入れ、国民も違和感なく新メンバーを皇族として認めているように思います。「旧宮家排除」は「結論ありき」の印象を拭えません。



「天照大神が女性なのだから男系・女系の議論自体がナンセンス」というご意見は、大変興味深いものですね。アマテラスは神話上の太陽神であって、天皇家と直接の「血のつながり」があるとされているわけではないですが、そうした現代的視点は大変重要だと思います。



私は万世一系の神話を信じているわけではありません。天皇家も源流をたどれば、激しい権力闘争の末、頂点に立った一豪族(またはその連合体)でしょう。



おそらくは中国の記録に残る「倭の五王」あたりが統一の最終局面で、それ以前の神話は光武天皇の頃に「支配の正統制」根拠を固める目的でつくられたのだと推測しています。



しかし、万世一系説が虚構=フィクションに過ぎないとしても、1000年以上にわたって神武天皇から続く父方の血を守り、引き継いできたというのが、天皇家のレゾンデトルになってきたのは厳然たる事実だと思います。



そして、そのフィクションによって、天皇家は時の権力者に「支配の正統制」を付与する儀式機関としての役割を果たし、「権威」と「権力」を分離した日本型統治システムを形成してきたのです。



天皇家は伝統に縛られているからこそ、下界の権力闘争から超然としていられるのであって、その伝統を「フィクション」として否定し、新たな血統による新たな王室を創造するならば、新しい天皇家は妙に生々しい存在になりはしないかと思うのです。



皇室典範の改正手続きについては、単なる皇位継承順の改訂などなら、宮中関係者や外部専門家だけで議論すればいいと思いますが、伝統的継承体系を事実上廃止するほどの重大な変更は、国民に可否を問うべきだと思います。



天皇家の「虚構」は守るに足る重要な財産だと私個人は考えていますが、もし現代の日本人が、その総意として、天皇家を伝統から解放して差し上げたいと思うのなら、それはそれで結構なこと。明治維新と敗戦によって伝統的天皇制は段階的に廃止されたのだと、自分自身を納得させることにします。

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結論ありき (山川草一郎)
2006-01-03 23:31:38
上のコメントで「光武」とあるのは「天武」の誤りでした。訂正します。



さて、今日の産経新聞は有識者会議は「はじめから結論ありき」ではなかったかと書いている。筆者も同感である。しかも、その結論は、かなりハイレベルの意向があってのことではないかと密かに推測している。



女系容認について三笠宮寛仁親王が異議を唱えても、吉川弘之座長は「それによってどうということはない」とコメントしたという。そもそも皇室典範の改正にあたって当事者たる天皇家の意向を聞かないわけはない。有識者会議による検討は、はじめから相当にハイレベルな意向を受けてスタートしたと考えるのが普通だ。



だから私は、国民がその総意として容認するのなら、女系創出もやむなしと考えている。当事者の意向が既に示されているとしたら、ことさらに騒ぎ立てることは控えるべきだろう。もちろん個々人の意見表明は自由ではあるが。

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明快な整理 (山川草一郎)
2006-02-14 11:49:19
「玄倉川の岸辺」さんで紹介されている男系堅持派と女系容認派の分類は、実に分かりやすい。以下、引用。



男系を維持すべし=皇統の正統性を守ることが大切

(特徴) 

◎ 天皇や皇室は日本文化の柱であり歴史と伝統を体現しながら継承する存在

◎ 天皇や皇族を個人崇拝するのではなく、皇室が継承している伝統や文化的精神的価値を崇敬の対象と考える

◎ 国家の基本コンセプト(国体)の問題として天皇のあり方を考える

◎ 正統性は確固たる歴史と伝統に由来する

◎ 比類のない皇統の伝統の重みこそ皇室の安泰に不可欠

◎ 象徴=国家の最高権威

◎ 権威(天皇)>国家権力の形こそ統治の安定につながる

◎ 理論型皇室像

 

女系でもいいじゃないか=今上天皇家の家系を守ることが大切

(特徴) 

◎ 今上天皇や皇室ファミリーに対する愛着や人気が皇室支持の重要な柱

◎ 天皇存在の根拠は日本国憲法である

◎ 象徴天皇の機能や制度的役割を重視

◎ 今風の価値観に基づく皇室を志向

◎ 正統性は国民の支持(世論)に由来

◎ 継承者の数的安定=皇室の安泰

◎ 象徴=マスコット

◎ 国家権力>天皇(法定天皇)

◎ テレビ型皇室像



14日付エントリー「皇統派と直系派」(http://blog.goo.ne.jp/kurokuragawa/e/37f834d45a4fb019cfc4d6b9517f21d3)より



この分類なら、小泉首相が女系容認派である理由が単なる「理解不足」ではないことがすんなり説明できる。



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