山川草一郎ブログ

保守系無党派・山川草一郎の時事評論です。主に日本外交論、二大政党制論、メディア論などを扱ってます。

「防衛省」にも、敢えて異論

2005年12月12日 | 政治のかたち
自民党が「防衛庁を省に昇格させる法案」を次期通常国会に提出すべく準備中だという。巷では「防衛庁が防衛省に昇格したからといって、実質は大きく変わらない」「法案提出の手続き簡素化や自衛官の士気向上が期待できる」など、省昇格を容認する意見が多く聞かれるようだ。

現在の防衛庁は内閣府の外局という位置付けで、防衛政策の主任大臣は、あくまで内閣府の主任たる総理大臣なのだという。だから防衛庁は独自に国会に法案を提出することができず、常に内閣府を通さないといけないのだとか。そうした不満を聞いてしまうと、なおさら「現状、大いに結構」との思いを抱いてしまう。

そもそも自衛隊の最高指揮官は総理大臣のはず。戦前で言えば「元帥」である。制服組(作戦部)の最高指揮権者である首相が、背広組(防衛庁)の責任者を兼ねているのは、戦前の軍部暴走の反省からであろうが、これは世界に誇るべき民主的体系ではないだろうか。

ただでさえ、日本のお役人は「省益」に固執する。官僚一人ひとりは職務への使命感、義務感から真剣に主張している場合でも、大局を見失えば、事業の継続を自己目的化する。いったん始めた事業には利害関係が絡み合い、簡単には止められなくなる。官僚は職務に忠実であればあるほど、「政治によるブレーキ」への抵抗者となるのだ。

まして事が軍事となると、簡単には止まらない。既に部下の血が流れてしまったとなれば、作戦遂行に反対する政治勢力は「国賊」となる。軍官僚のコントロールが難しいことは、日本だけの特殊事情ではない。ケネディ大統領暗殺の背景にベトナム戦争撤退構想があったと噂されるように、民主主義の本家を自任する米国とて例外ではない。

「防衛省」が実現した暁には、防衛相は臨時閣議の開催を求めることができる。独自に法案を提出することも可能になる。小泉内閣なら問題はないかもしれない。防衛省が「省益」に固執し、閣内不一致となれば、小泉純一郎首相は即座に防衛相の首を切るだろうからだ。

私が憂うのは「小泉後」である。たとえば安倍晋三首相ならどうか。大変失礼ながら安倍氏はまだ若い。彼には小泉氏と異なり、年長者を慮る礼儀がある。仮に安倍内閣の閣議で、野呂田芳正防衛相が(別に誰でもいいのだが、とにかく防衛畑のベテランが)強硬に出兵を主張した場合、安倍首相は防衛相の首を切れるだろうか。

もし曖昧な態度に終始するようなら、満州事変不拡大方針を無視された若槻内閣や、中国からの撤兵拒否を曲げない東條陸相に阿(おもね)った近衛内閣と同じ轍を踏むのではないか。それが心配なのである。

もちろん、戦前には悪名高い「軍部大臣現役武官制」があり、内閣全体が軍部の意向に引きずられる事情があった。陸軍はこの規定を悪用し、気に入らない内閣からは大臣を引き上げさせ、後任を出さないことで、総辞職させるという「禁じ手」を考案したのだ。

その意味では、「防衛省」が実現してもシビリアンコントロール(文民統制)の原則さえ堅持すれば、戦前のような問題は起きないかもしれない。とはいえ国際安保環境が大きく変われば「防衛相は制服組から」という声が強まることもあり得ない話ではない。

新しい「防衛省」がその気になれば、「防衛省設置法案」の改正案を国会に提出し、防衛相を現役自衛官(または予備役)に限る制度を実現しようとするかもしれない。法案が成立するかは別にして、防衛省は少なくとも、その法案を国会に提出する権利を手にするのだ。「事務の簡略化」「自衛官の士気向上」というメリットと比べる限り、防衛庁の省昇格がもたらすリスクは大きいと思う。(了)

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1 コメント

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同感ですが根はもっと深いです (ぱっと)
2006-01-30 13:13:59
ホリエモンのコメントを拝読させて頂いた際にたまたま見つけました。

誰もコメントをされていないこと自体に驚きました。関心が低いのか、国民に「理解」されているのか・・・。

ご指摘のようなリスクは間違いなく存在します。他方、現制度なら存在しないかといえば、実はあまり変わりません。制度論だけでなく実体的にどのようにシビリアンコントロールに組み込むか、というのは非常に重要なテーマだと思います。しかし、残念なことに自衛隊の存在是か非かに終始した我が国の不毛な議論のせいで、是となった瞬間に全てOKとなってしまっています。国民、政治家、(そして自衛隊自身)に安保の素養が乏しい現状は米国や中国と比べても驚くばかりです。省昇格は格好の材料を提供してくれているのですから勉強したいものです。
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