山川草一郎ブログ

保守系無党派・山川草一郎の時事評論です。主に日本外交論、二大政党制論、メディア論などを扱ってます。

「砂」になった日本社会

2005年12月24日 | 社会時評
「粘土だったものが砂になってしまった」と、何かのインタビューで中曽根康弘元首相が言っていた。日本社会が有機的に結合した「粘土」から、つかみどころのない「砂」に変質したため、郵政解散で風を起こし、砂を巻き上げた小泉首相が勝ってしまった。そんな内容だったと記憶している。

日本社会の「砂質化」は10年、20年かけてゆっくりと進行してきたが、2005年は「砂になった日本社会」が特に印象付けられた年だった気がする。

地方都市で多発するショッキングな事件。少女が母親の毒殺を図り、少年はナイフで警官を襲う。周囲の大人はその変化に気付かない。通学路や学習塾では幼い少女が犯罪者の標的になった。

かつての日常社会、特に地方での生活は、他人の干渉であふれていた。買い物に行けば店主があれこれ話しかけてきた。店と家との往復の間にも知り合いと会わないことはなかった。

今は違う。郊外型の大型店が増え、店主との会話はなくなった。自動車を使えば、誰とも会わずに買い物をして帰宅できる。公共交通機関の発達していない地方都市ほど、自動車社会になった。

車に乗らない青少年でも、夜中に外出すれば24時間営業の店で好きなものが買える。夜昼逆転の生活を送るニートは、他人との接触を絶つことのできる現代社会が生み出したといえる。

家庭内の干渉がなくなり、子供たちにとって「家族以外からの情報」はその比重を増していった。近所づきあいがなくなり、地域社会は身近な不審者を判別できなくなった。

20年前にコンピューターゲームが流行したとき、「青少年の育成に有害だ」という声が高まった。10年前にインターネットが広まり始めた頃にも同じことがいわれた。

そうした大人たちの声は、嘘っぽく聞こえた。米国ではゲームやビデオに影響を受けた子供が重大犯罪を起こす事例が報告されていたが、日本ではあり得ない話と思われていた。

でも、それは日本社会がまだまだ「粘土」だったからではないか。最近はそう思い始めている。一部の人たちが主張するように、ゲームやビデオ、ネットが、それ自体、青少年を犯罪に駆り立てるものだとは思わない。たとえ残酷な内容であっても。

ただ、それを消費する青少年が、周囲の人間との交わりが極度に希薄な環境にあった場合、やはり深刻な影響をもたらす可能性が高いような気がしてならない。

少年が残酷なゲームやビデオに興味を持っても、家族や友人との会話があれば日常社会との接点を保つことができる。

しかし、個人のプライバシーを重んじる風潮は、家庭での親からの干渉をなくし、受験戦争の終結は子供たちに「目標なき余暇」を与えた。やがてビデオやパソコンは子供部屋に入り込み、家庭内の会話は完全に閉ざされた。

日常と非現実との境目が消え、社会的な、対外的な「個人」をうまく築けず、コントロールすべき「自我」に操られる子供たちが増えた。そうした子供たちは成長し、問題を抱えた「幼い大人」も増えていく。

1989年に発覚した幼女連続殺人事件の被告は、家族の干渉のない離れに、一人だけの空間を築いていた。当時は「引きこもり」「ニート」という言葉すらなかった。振り返れば、この事件はその後に続く少年犯罪、少女を標的にした犯罪を暗示していたように思う。

「砂」になった日本社会は、ゲームやビデオの影響を受けた未熟者が、反社会的行為に走る前に把握し、引き止める機能を失った。

日本社会の「砂」化は、農業、林業、水産業が中心の社会が、工業化を経て、サービス業中心の資本主義社会に変質するのと同時に進行した。

サラリーマンの家庭が主流になり、転勤も増え、核家族化が進んだ。個人商店が消え、全国チェーンの大型店舗に変わった。下宿先での共同生活が定番だった大学生も、ワンルームマンションでの一人生活が普通になった。

職場の人間関係も希薄になり、労働組合の組織率も低下。都市の無党派層を増加させた。選挙での投票行動は、関係者との「貸し借り」から、「個人の選択」に変化した。

1989年の参院選で、社会党の土井たか子委員長が消費税反対を訴えて大勝したのは、都市サラリーマン層の共感を得たからだった。無党派層という「砂」をつかんだ政治勢力が勝利するという方程式はこのときに生まれ、93年の政権交代につながっていく。

社会が豊かになれば、プライバシーに対する意識も高まる。他人の家庭に干渉するのは、マナー違反とみなされ、電話でのセールスが迷惑行為として社会問題化。同時に、電話での投票依頼も不躾けな行為として嫌われるようになった。

プライバシー保護の動きは、個人情報保護法を生み出し、電話帳から個人宅が消え、国勢調査への回答すら拒否する家庭が増えた。住所や電話番号、個人の氏名の扱いに対する社会の感覚が敏感になり、事件の関係者が警察発表に抗議する場面も増加。警察発表の際の実名・匿名が論争される時代になった。

自然災害の被災地では、避難所での集団生活がストレスを生み、無遠慮なマスコミとの衝突も珍しくなくなった。避難所生活を拒み、自家用車で暮らす被災者の「エコノミー症候群」も話題となった。

一見別々の事象が、社会の「砂」化とどこかでつながっている。他人の干渉のない生活は、快適な面もある。それは時代の流れであって、「昔に帰るべきだ」と言うつもりは毛頭ない。ただ、現代の日本社会が、そういう新たな段階に入っていることに、私たちはもっと自覚的であるべきだと思うのだ。(了)



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