山川草一郎ブログ

保守系無党派・山川草一郎の時事評論です。主に日本外交論、二大政党制論、メディア論などを扱ってます。

映画「太陽」について

2006年08月22日 | 社会時評
終戦前後の昭和天皇の苦悩を描いたロシア映画「太陽」(アレクサンドル・ソクーロフ監督)を観た。前評判では「あ、そう」を連発するイッセー尾形の怪演ぶりが話題になっており、かなりのキワモノ映画かと思って観たのだけれど、これがなかなかどうして力作だった。

舞台の大半は、宮城(皇居)内の地下豪だ。決められたスケジュールをこなす昭和天皇と、彼にかしづきながらも「現人神」としての役割を演じ続けるよう強いる侍従たちの日常が淡々と描かれていく。やがて終戦。マッカーサーとの面会を経て念願の「人間宣言」を達成する昭和天皇を、桃井かおり演じる皇后が暖かく迎え入れる。

1シーンだけに登場する桃井が実にうまい。昭和天皇との仲睦まじさ。「あら、やだ。ふふふ」と笑う感じなどが、亡くなった皇太后の雰囲気をよく出していた。

もちろんイッセー尾形の演技も素晴らしかった。下手をすると、ありふれたモノマネになりかねない超有名人役を、うまく演じきった。「どうなの。その、いろいろ大変でしょう。ご苦労かけて。ねえ。あ、そう」といった話しぶりは、園遊会のニュースなどで目にした昭和天皇のそれを忠実に模していたと思う。

侍従長役の佐野史郎との掛け合い漫才のような軽妙なやりとりも、作品に彩りを加えた。ロシア人監督の視点ながらも、日本や日本人に関する奇異な表現は少なく、全体的に公平かつ好意的なトーンで描かれていたのではないか。

昭和天皇の「苦悩」がテーマと書いたが、この映画は天皇の戦争責任を追及することに無関心なように感じた。それはむしろ、生物学に深い知識を持ちながら「現人神」という非科学的存在として祭り上げられた、一人のナイーブな紳士の苦悩として描かれる。

暗い地下豪は戦争、明るい地上は平和。孤独は戦争、家族は平和。侍従たちは戦前、子供たちは戦後。随所に散りばめられたメタファーが、映画の主題を浮き上がらせる。

特に目を引いたのは天皇の執務机に置かれた3つの彫像だ。一つは進化論で有名なダーウィン。もう一つは皇帝ナポレオン・ボナパルト。最後の一つははっきりとは分からなかったが、リンカーン大統領のように見えた。

3つの彫像は、昭和天皇の持つ3つの側面をそれぞれに示唆している。すなわち「科学者としての側面」「神格化された統治者としての側面」「民主政治の象徴としての側面」である。

人間宣言を終えた昭和天皇が、この執務室に戻って来るシーンがある。机の上のナポレオン像を引き出しにしまい込み、机を両手でポンと軽く叩く。「さ、終わった」と、長年の懸案をようやく片付けたように。

終戦を決めた「御聖断」ではなく、神であることを否定した「人間宣言」がクライマックスとして扱われることに、この映画のスタンスが明確に示されている。

「私はついに成し遂げたよ」―疎開先から帰った皇后に、誇らしげに報告する昭和天皇。しかし、宣言を録音した臣下は、ショックのあまり自決してしまう。(このくだりは三島由紀夫の事件をヒントにした脚色だろうか)

天皇「でも、止めたんだろうね」
侍従長「いいえ」

報告に来た侍従長の冷たい返答に、傍らで聞いていた皇后は眉をひそめ、無言のまま立ちつくす天皇の手を引き、子供たちが待つ大広間へと連れて行こうとする。その場面で、映画は終わった。〔了〕


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